京都府 旧富国 鉱山 | 鶴嘴さんのブログ

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全国の旧鉱山や旧炭鉱の調査を行っております。

さあさあ、
京都府鉱山調査の記事をいい加減に更新してしまいましょう。
さて、この時 体調が最悪の絶頂に達っしようとしてましたが片道 約600kmという事を考えるとまたすぐ来るという事は困難です。

無理を承知で調査を続けました。

本題に…

ここは、京都府 福知山市 旧富国 鉱山跡。

明治20年代頃が最盛期だったという。

銅、鉛、亜鉛が採掘されていた。

その他、詳しい資料や証言を得る事はできなかった、これもコロナの影響である。

とりあえず、現地へ向かう。

砂防ダムから脇道を入る。

藤の花が足下に散らばる。

九州では、
既に藤の花さえも見れなくなっているが、やはり 上の方へ上がると満開時期にズレが出ているらしく2度満開時期を楽しめた。

少し登ると、このような赤錆色の斜面が現れる。

ここで、間違いないようだ。

この風景は、よく鉱山の選鉱所や精錬所跡によく見られる。

ここは、後回しにして先に鉱山っ気が無くなるまで登る。

おっと、ありましたね。

あそこは、確実に坑口があるでしょう。

やはり…

格子のような物が設置されている。

これは、下のお爺さんが話していた温泉施設をつくった時に設置したとか。

近づいてみよう。

おぉ、中を覗くと鉄の扉の奥に坑木が見える。

他には、神棚のような物も確認できた。

こう見ると明治、明治…

そんなには、古いような感じはしない。

閉山は、まだ後の方だったか?

そして、この坑口の延長線上にも気になる所があった。

登ってくる途中にも少し上部に切り拓きや通路のような物が見えていた。

目の前には、石段がある。

これは、他の鉱山施設に向かう通路だったのではないだろうか?

石段を登ると大きな切り拓きがあった。

ここで集石や粗選のような作業が行われていたのか…

更に通路は続き…

他の坑口へ辿り着いた。

2連坑口。

こちらの方が古い印象を受ける。

土嚢で塞がれ、坑内には入らないでくださいとの看板が設置されている。

足元には、祠が残っていた。

小さな坑口。

こちらは、大半が土砂で埋まっている。

ここで、手持ちのOsmo Mobileが坑口の方を向いてフリーズしてしまった。

顔認証もいくつかついている。

たまにこのようなフリーズが起こるが顔認証とセットだと、

「ヤマなんだし何かおるよなぁ〜」

となってしまいます。

ヤマに入ると時々、得も言われぬ雰囲気や気配がする事がある。

まあ、人気が無い山奥だとこういう事もあるだろうと思います。

さて、鉱山の気配が無くなるまで登り詰めた。

ここまでだな、地山に景色が変わった。

最後に少し下まで下りてズリを見てみる。

石英のような石に金色で真四角な鉱物がキラキラと光っている。

石には、全く詳しくなく何の鉱物かはわからなかったが、黄鉄鉱(パイライト)のような鉱物。

よく見れば、他の鉱物も含まれているのでしょうか?

鉱物は置いておいて、
このような山奥でも資源となる鉱物が発見されれば、瞬く間に鉱山が操業し始めるのだろう。

鉱山という工場が突如として山中に現れるのだ。

その時代の人間が どれほど力強かったかを感じさせられる。


この富国鉱山の動画はこちら。
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