介護をする中で、世界が広がったと感じたことは、三度あった。一度目が服を買いにでて、母の不穏が発症してしまったが、結果的には憑き物が落ちたように母の精神が解放されたこと。客観視が少し進んだと思う。そして不穏の時間が目に見えて減った。
二つ目が近所の公園に徒歩で花見に出かけたこと。いまだに中途半端な状態だったが、桜が舞い散る景色を眺めながら、これから車椅子のない生活まで行けると確信できた。単なる気分と言えば気分だ。
そして三つめが、普通のテレビ番組を見るようになったことだ。どれも、私の思い込みかもしれない。事実かもしれない。
病院の食事時、三十分ほどテレビをつけていた(開始時間には切る)。みんなぼんやりとそちらを向いている。隣どうしで、今のあれはどうのこうのと話す人もいる。母は全く興味を示していなかった。
病室にも、個人ごとに一応備え付けのテレビがある。有料だったと思うが、もしかしたら以前に旅行でホテルに泊まった時の記憶と混同しているかもしれない。どちらにしても、
「見るか。」
と訊いたら、不思議そうな顔で見返してきたから、興味がなかったものと思う。見るか、のイントネーションは質問ではなく、私が見るつもりという語感だ。通じなかっただけか? ただ、食事の時ずっと観察していた限りで、テレビ画面に興味がわかないようだった。
音楽だけは聴いてくれていた。もっとも、映像と違って、イヤホンをしてもらっているだけだから、本当に音楽として届いているかどうかはわからない。ポータブルプレイヤーを持ち込んで音楽のDVDを流してみた。少しは見てくれるようだった。
そこで、昔見ていたドラマを流すと、一応見てくれる。ここで仮説を立ててみる。テレビは今までにない、全く新しい情報を送ってくる。少なくとも、病院が食事時間で流す番組は、家で見ていたことはない。だが音楽とドラマは一応なじみがある。それで受け入れてくれたのではないか。内容は、もしかしたら意味をつかめていないかもしれないとしても。
退院後に朝のニュース番組などを流してみたが、乗り気ではない。画面の方を見ることがない。でも一応つけてはおく。介護の本などでは、食事中はテレビや音楽などは止めて、集中するように書いてあったが、私はその意見に賛成しない。いや、もちろん気管支に異物が入るなどの危険がある人がいることはわかるので、病院や施設ではそうするしかない。しかし母は昔から食事中にテレビをつけていたので、習慣を取り戻すという意味で、そのほうが良いかもしれないと思った。だいたい、画面に気を取られることが、そもそも退院後の母にはなかった。
食事が終わったら、DVDを流した。歌もドラマも。そちらは、無表情に明後日を見ることも多かったが、なんとなく眺めてくれることもあった。ものすごくたくさん買い込んだ。江戸川乱歩と、金田一耕助と、相棒と、コロンボと、そのほか。中古でもよいので、それほどかかっていないのが救いだ。
飽きないように、たくさん買ったのだが、それでも何度も繰り返すことにはなる。だがそれが良かったのかもしれない。やがて「ああ、たぶんこいつが犯人だね。」とか、「きっとここで探偵が救いに来るんだよ。」とか、私に解説するようになった。「そうなの? よくわかったねえ。」とちゃんと言っておく。私も知っていることにはまだ思い至らないことが残念だが、認知力が少しずつ向上してくることが実感できる。
昔は好きだったはずの海外シリーズは、それでもなかなかなじめないようだった。登場人物が日本人でないと案外だめのようだ。同じように、アニメ作品も受け付けにくかった。
一年くらい、その状態だったと思う。テレビ放送も止めていた。食事の時は、スピーカからの音楽だけにしていた。ためしに少しずつテレビ放送も混ぜてみて、いくらか興味を示してくれるようになり、そちら中心でも大丈夫と思えるようになった。私はもともとテレビ番組を見ない人間だったが、母がそちらに興味を示してくれるようになって、広い世界に窓が開いた気がした。