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本当は凄い普通の人に贈る言葉

「普通の人の本当は凄いを発掘する」をテーマに、日々情報発信をしていきます。


「鉄腕ダッシュ」という番組に
「0円食堂」というコーナーがある。


TOKIOのメンバーが農家や生産者を巡り、
市場に出せず自家利用もしない
廃棄の食材を集めて、
美味しい料理にして食材提供者に振舞うという企画だ。


そこでいつも驚かされるのは
少しでも規格から外れたものは
十分食べられるのに市場に出ないことだ。


正確な統計は見ていないが、
この市場外品の比率が
日本は世界でもダントツに多いという。


しかし書きたいのはそのことではなくて、
学生の就職活動を見ていると
同じ気持ちになることである。


採用側の企業は、意図はないかもしれないが
あまりにも規格品を求めすぎてはいまいか。


情報過多の弊害かもしれないが、
エントリーシートや履歴書、自己PRに始まり、
就活の服装や持ち物、
面接への臨み方、所作に至るまで
自分たちの時代では考えられないくらい
画一化が進んでいる。


だから規格外の野菜が市場に出ないように
破天荒な突出した能力や特徴を持った学生も
就活の場からは外れてしまう。


そんなことでよいのだろうか。


自分はかつて菜園をやっていたことがあるが、
畑の土は粒子を揃えてしまうと
しまり過ぎ、空気が流通しなくなり
結果としてよい野菜は出来なくなる。


日本社会もしまり過ぎた土に
ならない発想転換が必要である。




ベッキー騒動の危機管理対応のまずさ
その②。


それは自分のポジションを明確に
意識しないまま「謝罪会見」に臨んだこと。


彼女の立場からして問題を起こした場合、
あの時誰に一番迷惑がかかり、
どこに影響が出ると認識していたのだろう。


あの謝罪会見は、
誰が見てもスポンサーや制作関係者、
所属事務所に対してのもので
応援してくれるファンにではなかった。


これは不具合品を出した製造企業が、
問屋や小売店(直接の販売先)には謝罪したが
ファンという消費者に謝罪しないのと同じ。


以前に賞味期限問題を起こした「石屋製菓」、
異物混入問題のペヤングは、
その後もファンである消費者を大切にした結果、
速やかにV字恢復で市場に復帰した。


ベッキーの謝罪会見では、
ファンを代弁するメディアの質問は
一切シャットアウトし、
会見もわずか5分で打ち切った。


これでファンを大切にしています
といっても誰も納得しないだろう。


謝罪会見のタイミングは、
事態が露見する直前で悪くは無かった。


だが、内容や設定は危機管理能力の無い
企業のダメ謝罪会見とおなじで
かえって逆効果となってしまった。
(この点は事務所の責任は大きい)


しかもこの会見直前のラインのやり取りが
後日再び記事になり、
事態に対して開き直った内容で
クライシスを招いてしまうことになる。


これは品質問題を起こした
雪印乳業社長の
「私だって眠ってないんだよ!」
発言と同じ。


今回の騒動では、
ここまで事態を悪化させる前に
いくつも挽回のポイントはあった。


しかし、事態の全体像の把握の甘さと
対応構想の無さにより、
そのチャンスをことごとく失ってしまった。


危機管理的見地からは
残念という他ない。



自分は仕事でクレーム対応を
ずい分とやってきた。


その経験から
今回のベッキーの騒動を見ると
本人と事務所の危機管理のまずさが際立つ。


まず最初の失敗は事態の深刻さを
正しく認識せず、
終息までの全体構想を描けなかったこと。


多くの危機管理の失敗は
構想の無さとこの初期対応の失敗
にあるといって過言でない。


よくあるのは、事態が深刻なのに
小さく収めようとして
それなりのレベルで対応しようとすること。


例えば深刻な衛生問題を起こしているのに
小手先の対応で終息させようとする
ような対応がこの典型である。


危機管理の常識としては、
「何もそこまでしなくても」と
相手(今回の場合は世間)を恐縮させるくらい
最初の段階で徹底することだ。


実際に自分がやったことだが、
ある遠隔地にある会社から朝
製品のクレームが入ったことがある。


自分はその場からすぐに
かなり遠隔地にあるその会社に
数時間をかけて行き、昼過ぎには到着して
実態の把握とお詫びを行った。


その時はたった3個の製品トラブルだったが、
自分の独断で納品され倉庫に入っていた
数千個をすべて引き取り、
代替品を即納することにした。


この時一々会社上層部や
バカ上司に伺いなどを立てていたら
折角の初期対応のチャンスを逸してしまう。


クレーム先はその対応の早さと
過大とも思える誠実な対応に恐縮し
怒りのコブシの80%は
その場で収束した。


ベッキー騒動の
危機管理対応のまずさその2は
長くなったので明日書く。



大相撲の横綱白鵬が
最近終盤になると急に失速する。


白鵬は全盛期を過ぎ、
下降線に入りはじめていることは
否定できない。


だがまだまだその実力は
他を圧倒していて
これが本来の実力とは思えない。


それにしてもここ数場所の
終盤戦の内容はひどい。


大きなケガもないのに
何が変わったのか。


思い起こすのは
昨年の審判部批判騒動、
九州場所の対栃煌山戦の「猫だまし」
で叩かれたことなどである。


初日からの連敗なども
ケガもあったろうが
全く大横綱白鵬らしくない。


これでは偉大な実績も急激に
色褪せてきてしまう。


この背景に実は
「親方日本国籍条項」
があると言われている。


つまりこの規定があるかぎり、
このまま引退した場合、
あれほど実績のある白鵬でも
親方として相撲協会に残ることはできない。


白鵬は賭博や暴力問題などで
存亡の危機に立った大相撲を
一人横綱として懸命に支え、
前人未踏の大記録を残した。


想像だが、
白鵬は前人未踏の実績を残しながらも
「親方日本国籍条項」を再考しない
相撲協会と日本に対し、外国人として
強い疎外感を感じているのではないか。


白鵬の不振は、
体力気力の衰えなどではなく、
日本社会に対する強い「幻滅」と
「寂寥」にある気がしてならない。


日本出身力士の10年ぶりの
優勝に湧く大相撲だが、
この国際化の時代、
すぐれた力士の国籍など
どうでもよいではないか。


今度は相撲協会が
大相撲存続の最大功労者白鵬を
救う番だと思うのである。




最近とてもよく聞くキャリア相談事例に
「仕事がとてもよく出来る女子を
管理職に登用しようとしたが、
本人が嫌がって拒否している」
というのがある。


実際、ごく最近の世論調査結果でも
女性の7割は管理職への登用を
望んでいないという。


その理由は、
「管理職になると仲の良い同僚と
上下関係が出来てしまい、関係が
ギクシャクする」とか、


「責任が重くなり残業も多くなる」のに
「収入面では変わらない、あるいは下手をすると減る」、


「女性にはライフイベントがあり、
二者択一を迫られるのは嫌だ」
など様々である。


さらに最近は女性だけでなく、
若い男性社員も同様で、
「あくせくして管理職になるより、
一生ヒラで構わないので
のんびり仕事をしたい」とか、


「管理職になると上からガミガミ言われ、
下からは突き上げられ、
ロクなことはない」という理由で
成りたがらない人が多くなったと聞く。


このような考え方の是非はさておき、
企業や組織としては、
管理職や幹部の育成は不可欠だから
昇進させたい側の悩みは大きい。


でも実はもっと深いところに本音がある
という話を人事経験の長いある人から聞いた。


それは、
「男性管理職を見ていての幻滅」
であるという。


いわく、
「あんな姿になりたくない」
「私生活を犠牲にしてまで
あんな働き方をしたくない」
というものだ。


つまり、女性や若い男性社員から見て、
管理職には何の魅力も感じず、
それどころか幻滅すらあるということだ。


政府は女性の管理職登用を目標に掲げているが、
まずは職場のオジサン管理職たちが
楽しそうに生き生きと働ける状況を
作り出すことの方が先決のようである。




東洋経済のキャリア相談に、
ある既婚女性が
「子どもが欲しいと思い、
出産後復帰できる居場所をつくるため
職場では家庭生活を犠牲にして
頑張ってきたのに
夫から離婚を切り出された。
自分は離婚に応じるべきか。」
という事例が載っていた。


このような夫婦スレ違いケースは、
芸能人の夫婦によくある話だが、
最近は一般人の中にも増えているようだ。


回答者の答えは、
「相談のケースでは、
あなたは離婚に応じるべきである」
というものだった。


これには自分も同感である。


この相談した女性に最も欠けている
と思うことは、
「相手を思いやる気持ちが無く、
すべては自分都合であること」だ。


出産しかり、職場の居場所つくり然り。


相談文には
「お互いが好きな事をやって
それを認め合うことが夫婦だと思う」
的なことも書かれていたが、
それも間違っている。


夫婦愛の継続が持続する前提は単純明快、
お互いに相手のことを
「自分を差しおいても大切にする」
ただこの一点である。


それが恋愛とは違う
夫婦の愛情というものだと思う。


この相談女性は、
夫を愛したつもりになっていただけで、
実は自分の方を愛していただけである。


家庭生活より仕事を優先させようが、
それが自分以上に夫を大切にしたい
という思いからなら問題ない。


だが、たぶんそうではなかったのだろう。


男も女もどんな主張があってもよいが、
結婚して夫婦になるということは、
「自分よりパートナーを大切に慈しむこと」であり、
それが出来ないのなら
そもそも結婚をすべきではない。




最近、需給と価格の法則が
成り立たなくなっている。


超人手不足なのに
劣悪な待遇のバス運転手、


慢性人手不足なのに
待遇が改善されない介護労働者。


圧倒的に数が足りないのに
格安劣悪な保育園の乱立。


根源には行き過ぎた規制緩和、
自由化がある。


目的地は「自由であること」ではなくて、
「人々の幸福」であるはずだ。


今こそ「正しいカルテル」が必要で、
企業や組織は適正な利潤を確保し、


その上で品質のよい製品やサービスを
供給すべきである。


そのことが回り回って
購入者の利益にもなる。


グローバルな価格競争に
勝てなくなるって?


何のために国はあるのか?


国は価格の保証と同時に
品質の最低基準を守らせ、


購入者にも低品質なものは
購入させない。


国民を守れない国家なら
とっとと消滅すべきである。




先日外出先での出来事。


スマホに電話がかかってきたので、
何かと思ったら
カード会社の商品勧誘の営業電話だった。


固定電話にはよくあるが、
というより固定電話にはほぼ
営業電話しかかかってこないが、
とうとうスマホにまでとは!


スマホに営業電話をかけてくるのは
本当にやめてほしい。


まず、固定電話と違って
移動中や面談中など電話に
出られない状況である可能性が高いことと、
バッテリー消耗の問題があるからだ。


最近、固定電話を廃止する人や
あるけれど常に留守電にしておいて
知っている相手しか出ないという人がいる。


かける側としては窮余の一策なのだろうが、
ここまで追いかけるのかとうんざりする。


営業電話はアウトバウンド業務といって
販促会社から発注を受けた
零細なコールセンターなどが副業で
やっていることが多い。


かけている人はほとんど
パートのおばちゃんなどだろうから
声を荒げたりはしないものの
人の迷惑は考えてほしい。


広告宣伝にはする側の自由があるが、
受ける側にも受けない自由はあると思う。




一昨日、昨日と「強み」について書いたが、
整理すると「強み」というのは、


必要としている「相手を見つけること」と
自分自身の「特徴や経験の組合せ」
ということに行き着く。


これはプレゼンなどのシーンにも
まったく共通している。


例えば自社製品を売り込む時、
自社だけの強みは強調したいところだ。


そんな時、
「聞き手のニーズが何か」
「自社の特徴を組み合わせて先鋭化しているか」
が問題になる。


それがピッタリ一致していて
それをきちんと主張できたとしたら
プレゼンは大成功だ。


「強み」が見つからないという人は
自己探索や棚卸しをしていないか
やり方がまずく、


さらにはそれを必要としている人の
探索をサボっていると言えるのである。




「強み」のもう一つの特徴は、
独自性である。


これは過去の経験や技能を組み合わせれば
容易に発見できる。


たとえばある人が、
経理が得意だったとして
それだけなら別に珍しくない。


しかし、ある特定分野の経理の経験が
豊富だとすればぐっと絞られてくる。


さらにプライベートで音楽をやっていて、
スノーボードが得意ともなれば
ぐっと同じ特徴を持った人は減る。


そして住んでいるところが大都市ではなく、
地方の小都市だとすれば
もうその人以外にそんな特徴のある人は
存在しなくなる。


要するに「強み」とは何を組み合わせるかの話で、
そんなネタは誰だって探せばある。


ただ普段はそんな作業をしないし、
考えてみることも無いだけだ。


だから「強みなんて無い」というのは
全く何も考えず、サボっているだけのことで
全く間違った物の言いようなのである。