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本当は凄い普通の人に贈る言葉

「普通の人の本当は凄いを発掘する」をテーマに、日々情報発信をしていきます。


このブログの主題である
「誰にでも強みはある」という話、
ではその「強み」とはなんだろうか。


よく聞く言葉として
「自分には何も強みが無い」とか
「これといった特技は何も無い」
というのがある。


謙遜で言っているのならいいが、
本気でそう思い込んでいるとすれば
困ったことだ。


結論から言えば
「強み」や「特技」の無い人など
この世に存在しない。


なぜなら自分という存在と
これまで人生を生きてきた時間は
その人だけの唯一無二のものであり、
他と違っているからだ。


ただそれを「強み」と感じられないのは、
その「強み」を必要としている相手が
見つからないからである。


「強み」がわかったとしても
自分の「強み」など必要としている人が
いるとはとても思えないという人もいる。


でもそれは確かめたわけではあるまい。


こんな特技などなんの役に立つ
ということでも
その特徴を必要としている人は
必ず世の中に存在する。


広告宣伝の世界には
「1000人の法則」というのがあって、
どんな特殊なことであっても
それを必要としている人が
世の中に1000人はいるという言葉だ。


人と多く出会い、ネットを活用し、
自分という情報を発信し続ける。


そうすれば1000人とは言わないが
その「強み」を必要とする人何人かには
必ず出会うはずだ。




シェアーズカフェ「働くことの意義」を
テーマとしたイベントで
30代前半の男性たちから出た発言だ。


「結局管理職になった人たちは
サバイバルを生き残った人たちで、
自分には出来ない」


「仕事で成長しなくてもいい、
現状維持で十分。」


(株)クロス・マーケティングの調査では
いまや「出世したくない」「出世にこだわらない」
の合計は59%にも及び、


日本生産性本部の調査でも
女性の場合実に73%が管理職を
望まない、なりたくないという結果だ。


年配の人は
「若いうちはそう言っていても
実際に同期や後輩が出世したら
そうは言っていられない」
という人もいる。


だが、管理職も経験してきた自分も
若い人がそう言うのは無理もない
と思っている。


現実として管理職の魅力は、
ボロボロになって働く管理職の姿を見て
幻滅に変わっていると思うのだ。


まず日本の場合平社員との待遇の差が
あまり無いことはおくとして、
上下(特に上から)の理不尽なプレッシャー、


そしてどこまで出世しても
結局常にアタマを押さえつける人がいて
精神的にはずっとストレスフルということがある。


ワークライフバランスは取れず、
人生の気力体力が最も充実した時期を
仕事だけに振り向けている。


間近にそんな管理職の姿を見てきて
「自分の時間を犠牲にしてまで
ああはなりたくない」
と思うのはごく自然だ。


それでも組織というものは
なんらかの管理職は必要とする
ように出来ている。


一案としてこの矛盾を解決するためには、
管理職=出世という定型を
破壊する必要がある。


ふつう会社組織では
社員を経験や能力評価から等級に分け、
職階に見合った等級の人を
その地位に付けている。


だがそんなことに捉われず、
管理職とは「たんにグループを
一定期間管理する役割を持った人」とし、
任期を定めてグループ内の話し合いで決める。


ただし、仕事量や責任は間違いなく増加するので、
管理職である期間は十分に手厚い
役職手当を支給する。


自分の価値感によって
管理職をやるも良し、
やらないのも良しとする。


そうしたら幹部はどう育成するのかとなるが、
これも一時的な管理職者の中で協議して決定し、
幹部である間は手厚い待遇にする。


その職務とポジションを継続したければ
本人もそれなりの働き方をするだろう。


しかし仕事よりプライベートライフを
優先する人はその道を選ぶことも自由だし、
途中で管理職や幹部を経験してみるのも
また良しである。


そんな学級委員を決めるような
組織などうまく行くはずがないって?


いやいやそれなら問うが
今のあなたの組織で管理職や幹部が
それに値する素晴らしいジャッジをしていますか?


管理職や幹部=勝ち組、
平社員=負け組という今の図式より、
よほど組織が活性化すると思うけどね。




世間を揺るがせたSMAPの分裂、解散騒動、
真相はさておき、この話を聞いていて連想したことは
ごく普通の会社員と会社の関係だ。


よくあるケースだが、
会社で大きな実績のあった人が
会社を辞めて独立し、自分の事業を始めたが
思うように集客が出来ず、
失敗するという話。


この場合に問題なのは、
会社員時代の実績のうち、
個人の力による部分と
会社の看板、インフラの部分の比率である。


多くの場合、会社員が実績と
思っていることの大半は
会社あってこその場合が多い。


今回のSMAPにもその勘違いを
感じてしまった。


ただ、だからといって常に事務所側の
言い分が正しいとも思わない。


特に芸能事務所の場合は
いくら環境をつくり、売り込み、
マネジメントを事務所がしてきたといっても
タレントの個性や頑張りの恩恵は
絶大だったはずである。


要するに両者の比率はともかく、
持ちつ持たれつの関係だと思う。


であれば、プロ野球のフリーエージェント
資格取得のように
ある年限を過ぎたら功績を認め
所属選択に対するインセンティブを
認めてもいいのではないか。


事務所側にすれば100%自分たちが
作り上げたという気持ちはあるだろうが
それではあまりにもタレントの
人格を無視し過ぎている。


会社だって、自社が育てた優秀な社員を
他に引き抜かれないようにするためには
それなりの処遇を用意しなければならないのだから。



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いまある資格試験にトライをしていて、
その過程で様々な対策セミナーや講座を
紹介してくれる方々がいる。


気にかけて頂けるのは
とても有難いし、感謝もしているのだが、
自分はへそ曲がりなのか
どうしてもそれを素直に受け入れられない。


たとえそれに従った方が合格への早道であると
わかっていてもそれを選びたくない。


世間の物事には手順やセオリー、
基礎的な技術があって、
自己流の者は伸びないといわれる。


スポーツや芸事では、
まずは我を捨てて先人の築いた
メソッドを無心に学べとは
よく聞く話である。


ただ、そうと理屈で分かっていても
どうしてもそれを受け入れたくない。


それはどうしてなのか、
よくよく考えてみた。


慎重なわけでも格好をつけて
斜に構えているわけでもない。


時間や費用が惜しいわけでもない。


たぶんそんなことより、
自分の根幹には
事の成否(試験なら合格不合格)より
大事なことがあるからなのだ。


うまく表現ができないが、
自分は子どもの時から自分のことは
すべて自分で決めてきた。


高校・大学の進学、就職先、そして退職、
決断にあたっては親にすら一切相談しなかった。


おそらく自分という人格の根底には
「自分が判断して自分で結論を出す」
ことを至上とする価値観があるのだろう。


どんなに人から勧められたことでも
自分が判断して納得してからでないと
先に進みたくないのだ。


それを偏屈と言われようが、
柔軟性がないと言われようが、
それがありのままの自分なのだから
どうしようもない。


まあ冷静かつ客観的に考えれば、
こういうちっぽけな価値観に捉われている
ヤツは成長しないだろう。


でも開き直るわけじゃないが、
成長することがそれほどの善なのか
とも思っている。


自分は完全な無宗教だが、
「自分教」という宗教の信者
なのかもしれない。




人工知能やロボット工学の進歩で、
2020年までに200万人分の職業が創出される一方、
700万人分の職業が失われるという調査報告が
世界経済フォーラムから出された。


差し引き500万人分の仕事が
減ることになる。


2020年といえば
東京オリンピックの年だから
もうすぐそこである。


予測によれば消滅する仕事の2/3は
現在のホワイトカラーの仕事だそうである。


事務系の仕事のうち人工知能やロボットで
出来ることは急速に置き換えが進むという。


しかしそれは悪いことではないと思う。


もう少し先の将来は、
人工知能やロボットの進化を上回る
スピードで人間でなければ出来ない
仕事が増えるだろうし、


もしそうでないとしても
過去の人類が一日の大半の時間をかけて
成し遂げていたことが短時間、省労働力で
可能になるのなら、
人は仕事以外のことにエネルギーを投下
すればよいと思うからだ。


ところで、今後どんな仕事が消え去り、
どんな仕事が永続するのだろう。


容易に想像できるのは
単純処理系の仕事や力だけの仕事である。


一方で、人や人の心を相手する仕事は
容易には機械に置き換わらないだろう。


ビッグデータが進化すれば
この分野もいずれ機械が担うという人もいるが、
それは科学者や研究者の過信である。


機械がダメである最大の理由は
正確で確実で完璧だからである。


対するに人間の最大の長所は
不正確、不確実で間違いを犯すこと、
そして感情があることで、
芸術はその典型。


人間社会にとって究極
正確確実は「善」ではない。


それに社会的な問題を人工知能や
ロボットだけで解決できるとは到底思えない。


たとえばあの泥沼の中東紛争を
機械が解決できるかという話である。


また世の中には「宗教」でなければ
救えない人も確かに存在する。


では当面生き残りそうな職業のうち、
その最たるものは何か。


「営業」は生き残りそうな気がする。


ネット通販が拡大しているじゃないか
という人もいるだろうが、


あれはツールとして機械が介在しているだけで、
完全に人対人、ネット販売なりの営業が
あるのである。(でないと売れない)


成功しているサイトはすべて人が
質のいい営業を行っている。


もっと言えば、
クレームに対して機械だけで対応されたら、
誰もその会社の商品は二度と買わないだろう。


この他にも
人の心に対する芸能や創作などは
今後も不滅だろうと想像できる。


過去の歴史でも新技術の登場で
仕事の種類は大きく変わったが、
それを織り込んでの人間の進化だと思う。




先日のスキーバスの痛ましい事故は、
遠因として過剰な規制緩和があったことは
容易に想像できる。


事業に対する参入障壁を低くすれば
中には競争に打ち勝つために
必ず安全へのコストを軽視する
業者が現れる。


長距離バスの場合、
許可制から届出制への緩和
という大きな変更が数年前にあった。


このようなケースに限らず、
なんでも規制を外して自由にする
ことを賛美する風潮というか、
一部の御用学者の妄説には
とても賛同できない。


確かに規制やルールの中には
社会の進歩の妨げになっていることもある。


だが、すべてのルールには理由も
歴史もあるのだ。


なんでもかんでも
規制を緩和すればよい
ということでは決してない。


この場には書けないことだが、
時には反社会的な慣行ですら
実は意味があるということは
実はいくらでもある。


今回の事故に関して言えば
最低料金などの取決めはあっても
守られていないことが背景にある。


ということは、ルールは無視され、
ノーガードでの打ち合い状態なわけで、
こんな自由は絶対にダメである。


一案として、安全を預かる
バス業界には合法的カルテルを認め、
最低料金を守らせ、
カルテルに加わらない業者は
もぐり業者として排除してはどうか。


監督官庁は最低料金が不当に
高くならないようにコントロール
するだけでよい。


野放図な規制緩和を放置していると
再び事故が起きることは避けられない。




きょうで阪神淡路大震災から
21年が経った。


その後の5年前の東北大震災でも
目立たないが大きな問題になったのが、
「トイレ問題」だ。


特に「女性のトイレ問題」
と言った方がいいかもしれない。


住居が住めない状態になり、
避難先や非難の途中で最も大きな
問題はこれである。


昨年末、世界的な女性登山家、
谷口けいさんが大雪山黒岳で滑落死
したのもこの「女性のトイレ問題」だった。


谷口さんは大きい方の用を足すため
登山パーティから一人離れたて行動し
事故にあった。


パーティから離れるため、
相互の安全を確保するロープも外し、
離れた岩場の陰に行き、
そこで700m下に滑落したらしい。


女性の場合、男性が近くにいる
状況で用を足すのは相当に抵抗がある。


これは海や山、災害時、共通の
問題なのだ。


最近は素晴らしい女性用携帯トイレも
登場してきているが、
用を足す時の姿そのものも隠す
工夫は絶対に必要である。


「トイレ用ポンチョ」などもあるが、
携帯できるものでもう少し工夫は
できないものか。


姿全体を隠せるような
携帯できる超軽量ミニハウスみたいなものが
あればいいのだが。




SMAP4人のジャニーズ事務所脱退、
グループ分裂解散問題だが、
この騒動に日本のメディアの限界が
くっきりと現れている。


テレビの報道、新聞などの論調は、
いずれも脱退しようとする4人と
飯島マネージャーを「クーデター」だの
「反乱」だの悪者扱いにしているように見える。


あげくは大物芸能人に中居が相談したら
「キムタクに土下座して仲介を頼め」
と忠告されたとか、


「中居は脱退しようとしたことを
心から後悔している」だの
一方的に事務所側が正しく、
4人が悪いかのような論調である。


だが、ネットへの書き込みなどは真反対で、
ジャニーズ事務所への非難と
4人を擁護する声一色である。


この問題の本質は、
芸能界において不動の影響力、
支配力を持つジャニー喜多川、
メリー喜多川にメディア側が遠慮
というよりおもねっていることである。


つまり、ジャニーズ事務所に
睨まれるとメディアとしては番組やCMに
いろいろ不都合が生じるので、


徹底的にジャニーズ事務所側の
言い分が正しいと報道するわけだ。


このメディアの姿勢は、
スポンサー擁護のために
不都合な事実を報道しない姿勢と
全く同じであって、
実に日本のメディアの腰抜けなところである。


経営と編集が分離していない
日本のメディアの限界が
ここにも見て取れるのである。




SMAPの解散問題でちょっと
影が薄くなった感じの
ベッキーの略奪愛スキャンダル。


世間が冷ややかなのに対し、
タレント仲間からは擁護の声が
たくさん上がっている。


ベッキーにかぎらず、
何かタレントが問題を起こすと
必ず擁護しようとする人たち
が現れる。


いわく、「本当はとても真面目で
いい子なのだから」。


でもあれはおかしいと思うのだ。


一般の職場であのようなスキャンダル
を起こしたとしたら同じようなことに
なるだろうか。


芸能人連中の感覚は
どうも一般社会の常識とは
相当にかけ離れている。


前にも書いたが、
タレントというのはその人イコール
「公人」であって、
一般人とは違う責任を負っている。


例えていうなら「タレント=会社」
みたいなもので、
素顔が真面目かどうかの
問題ではない。


彼女を擁護する芸能人仲間だって、
もし自分が経営する会社のCMを
彼女に依頼していたとしたら
そう簡単に弁護はできないはずだ。


そして仲間を守ろうとする
その安易な行動や言動が
再びスキャンダルを招く。


別にベッキーを好きでも嫌いでもないが、
もし今後も彼女がタレントとして
やっていきたいのなら、
公人としてのケジメをつけるべきである。




ああ貧すれば鈍すとは
このことだなと思うのは、
民放テレビ―キー局が結託して
勧めようとしている無料放送の
録画禁止案である。


それも消費者である視聴者不在で
これを進めようとしている。


もう愚の極みとしかいいようがない。


これが実現したら、
リアルタイムでないと
テレビ番組は視聴できなくなり、


ただでさえ進んでいるテレビ離れは
爆発的に進むだろう。


しかも「スポンサーに配慮して」
CMのスキップや早送りも出来ない
ようにしていくという。


これは時代錯誤であるばかりでなく、
明確に独禁法違反である。


これと談合のどこが違うのだろう。

公共財である電波を自分たちの
利益のために恣意的に利用するのなら
最低でも課税を徹底的に強化すべきである。


民放キー局どもよ、
もう時代は変わっているのだよ。


今から時代逆行のギルドを作って
いったいどうする気なのだ。


そんなに自滅したいのなら
さっさと社会から退場してもらいたい。