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本当は凄い普通の人に贈る言葉

「普通の人の本当は凄いを発掘する」をテーマに、日々情報発信をしていきます。

昔ながらのオジサン酒場に
異変が起きている。


ひと昔前ならまず見かけることのなかった
若い女性の姿が多くなったことだ。


それに伴って鮎の友釣りのごとく
オジサン客や若い男性も増えている。


BSの超人気番組?「酒場放浪記」の
影響も大きいのだろうが、
背景にコミュニケーションの場を
求めている若い人たちの叫びが聞こえる。


かつての職場には、良くも悪くも
仕事だけではないプライベートの
つき合いが色濃くあった。


終業後の飲みニケーション、
慰安旅行、職場の運動会、
でも今はほとんど消滅。


それはそれで時代の流れで
否定する気はないが、
人生が仕事だけの付き合いになったら
なんと味気ないことだろう。


それと酒場で人と知り合う場合、
適度な距離感がいいというのもある。


酒場なら行きたい時だけ行けばいいし、
連絡先や時には名前すら
明かす必要も無い。


今時の人間関係に求められているのは
このつかず離れずの温もりなのかもしれない。




会社員が職務として成し遂げた
発明の特許を取る権利について
特許法が昨年の7月改悪された。


あえて「改悪」というのは
会社側が予め規程を設けておけば
特許は会社側のものにできる
となったからだ。


規程上は「相当なる対価を発明した
社員に支払う」とはなっているが、
この変更は愚行の極みである。


企業側の権利を守ることが目的なのだが、
これで日本からの頭脳流失は決定的に
加速することになるだろう。


今回の法改悪で最悪だと思うことは、
画期的な発明のような行為は、
企業論理とは噛み合わないもの
だからである。


真の偉大な発明は、
それこそ命や人生を削って成し遂げられるもので、
それは企業のミッションや評価などの埒外にある。


もし自分が画期的な発明をめざしている
研究者だったとしたら
会社のために命がけで打ち込む
ことはとても出来ない。


「研究費用や環境は企業が用意
しているのだから企業側にも当然権利がある」
という反論はあるだろう。


だが、それは発明の権利が
企業でなく個人だけに帰属する
米国でも全く同じである。
(というか環境ははるかに米国が上)


それならば、一所懸命やっても
会社側に権利が所属してしまう日本より
米国の企業を目指すのは
人として当然の行為である。


たいして話題にならなかったこの法改悪は、
未来の日本にとって最悪の結果を
もたらすことを真剣に危惧する。




元プロテニスプレーヤーの
日めくりカレンダーが今年も好評だ。


そして世間的にも
「あきらめずに挑戦し続けること」
が美徳とされている。


だが果たしてそれは正しいことなのか。


それは「時」と「場合」と「人」によるだろう。


彼の場合にとっては美徳かもしれないことが、
美徳ではなくただの未練という時もある。


太平洋戦争末期の帝国軍は
まさにその状態(未練)にあった。


あの戦争を「あきらめずに」
続けていたらどうなっただろうか。


また、あきらめないことが
周囲に多大な迷惑を及ぼすこともある。


自分の夢を捨てきれず
家族が食うや食わずなのに
プロゴルファーを目指す人は
あきらめないことが美徳ではない。


そして「あきらめてはいけない人」と
「あきらめた方がいい人」がいる。


前者は自身の内部で
「やり尽していない」と感じている人。


この人は周りが何と言おうと
あきらめずに続けた方がいい。


反対に「あきらめた方がいい人」は、
周囲からはまだまだやれる、
やるべきと見えていても、
本人が「もうすべてやり尽した」
と感じている場合である。


この場合、あきらめないでいると
身体か精神のどちらか、または両方を
壊す危険性が高い。


修造さん、ご自身の理念の
押し売りはダメですよ。




プロ野球セ・リーグの監督は
全員が40代に若返った。


パ・リーグの方はまだこれからだが、
これから加速するだろう。


セ・リーグ各チームに共通するのは
若い監督に対してサポート役のコーチには
年配の人を配している点だ。


阪神などその典型で
若い金本監督に年配の
掛布二軍監督を配している。


この組み合わせ、最近の職場でも
トレンドになってきている。


トップには若さと決断力を求め、
サポートはブレーキと裏方に徹する。


これは意外とうまく行く組合せのようである。


だが、それにはそれぞれの相手に対する
リスペクトが不可欠だ。


これが足りないとチームは
マイナスの方向に走り出す。


リスペクトは言葉だけでなく、
心からそう思い振舞わないとだめである。


これからお手並み拝見である。




タレントのベッキーのスキャンダルで
CM業界は衝撃を受けている。


今回の騒動に対しては
様々な意見があり、
同情の声も上がっている。


だがベッキーには
「公人」としての自覚が足りなかった」
ということは言える。


著名タレントは一般人とは異なり、
存在そのものが「公人」であり、
「私人」の部分は制限されざるを得ない。


「公人」にはその存在自体が
体現しているイメージがあり、
イコール「会社」と言ってもいい。


タレントといえどもプライベートは有り
それは侵害されるべきではないが、


芳しくないプライベートの露出によって
影響を受ける人々は想像以上に多い。


かつて確定申告のCMに
長年出演していたタレントが
大幅な申告漏れ(事実上は脱税に近い)
のあったことが発覚し、降板だけでなく
タレント生命も奪われた。


本人やファンにすれば何もそこまでは
と思うかもしれないが、
その行為によって迷惑を蒙った範囲は
測り知れない。


ベッキーの場合、今後どうなるかだが
今までのようなクリーンなイメージには
もう復帰出来ないだろう。


私人として見るファンの見方と
公人として見るCMスポンサーの見方は
ちょっと違うのである。




コミュニケーションには
いろいろな方法があるが、


その中の基本の一つに
「初対面の人の名前と属性を
できるだけ早く覚える」
というのがある。


これは親近感を得るためには
非常に有効な方法である。


人にとって名前や特徴を
覚えてもらっているということは
「自己承認欲求」を満たされることで
とても気分がいいものだ。


真逆はバカ上司によくある
人の名前を思い出せずに「彼女」
呼ばわりしたりするパターン。


これは
「私はあなたを承認していません」
と表明しているようなもので、
もう最低である。


そうは言ってもなかなか
人の名前や顔、特徴が覚えられない
という人もいる。


そんな時はどうするか。


自己紹介をひたすらメモる
のである。


何かの会合や集まりの時、
自己紹介タイムがあるはずだ。


そんな時、名前、特徴、住む町や
所属団体などの情報を
ひたすらメモにする。


一人あたり二三行でこと足りるはずだから
絶対やった方がいい。


そしてその当人と会話のチャンスがあったら、
名前を呼び、
さりげなく話された内容を
話題にすることである。


人は基本的に自分のことを話したい
ものだから話がはずみ、
一気に親近感が増すはずだ。


総理大臣だった時の佐藤栄作には
すごい逸話がある。


彼は諸官庁の人事異動が発表されると
それを取り寄せて、末端の人に至るまで
名前、所属、入庁時期、出身大学を
すべて暗記する。


そして新任の挨拶に来た官僚に
「君は〇〇大学で、△△君の同期だったね」
などと親しげに話しかけるのだ。


話しかけられた官僚は、
「そんなことまで総理がご存知だったとは!」
と感激する。


もうその瞬間に総理の味方に
なってしまうのだ。


そこまでは無理としても
人のことを覚えてあげる
優しさは身につけておきたい。




ひと頃流行った「自分探し」、
元々あった言葉だが
サッカー中田選手の「自分探しの旅に出る」
発言でいろいろな人が使うようになった。


だが、残念ながら自分で自分は
探せないのである。


なぜなら探すのも自分であるからだ。


それに自分の背中を直接見ることが
決して出来ないのと同様、
完全に自分を客観視することは
できないことである。


だから「自分探しの旅」になぞ出ようものなら
迷子になるのは必至である。


そもそも「本来の自分」などというものが
どこかに存在しているわけでもない。


人は苦境に立ったり、
迷いがある時、こんなのは
本来の自分じゃない
と思いたいものである。


でもそれも本来の自分なのだ。


「自分探しの旅」などと現実逃避をせず、
現実を直視し、なおかつ「信頼できる他者」に
見てもらうことによってようやく
自分の輪郭が明確になってくる。


「自分」は探すものではなくて
自他の眼で直視して
明確にするものである。




「幸福のパラドックス」という言葉を
ご存知だろうか?


これは平易に言えば
収入の多寡や資産の大きさと
幸福度がまったく連動していないこと
を言っている。


実際の調査においてもそれは確かなようで
収入や資産が十分にあり、
家庭にも特に問題ない場合でも
必ずしも幸福度は高くないという結果
が出ているそうである。


なぜそうなるのか、
それは幸福度というのは
極めて内面的、感覚的なものだからである。


ではどうしたら幸福になれるのか。


そのカギは以下の3つであると
いわれている。


一つ目は「感謝の心」。


幕末の歌人に橘曙覧という人がいる。


その代表著作に「独楽吟」という本があるが、
まさにあの心境である。


「独楽吟」では日常のごく当たり前のこと、
家族でメシを食ったとか
路傍に咲いている花を見つけたとか
そんなことに対して感謝の気持ちを
綴っている。


どんなことに対してもあたり前と思わず、
感謝の念を持つことで
人生は測り知れないほど豊かになる。


二つ目は「受け入れること」。


ネガティブな体験を拒絶するのではなく、
受け入れる。


経験代謝的な思考では、
すべての体験は自分自身が
肯定的な意味を与えることで
「経験化」されると考える。


そうすることで対象を客観視
できるようになり、
過去から解放されるのである。


三つ目は「青い鳥」である。


今この瞬間の幸福に気づける力
のことである。


「青い鳥」を探しに旅に出たチルチルミチルが
結局それを家で見つけたという寓話。


大病や大災害などを経験した人は、
ふだんの何気ない日常がどれほど
かけがえが無く、幸福な日々であったか
と口をそろえて言う。


それを普段から感じられる感性を持つ。


平凡な日常こそが
「黄金の日々」であることに
気づく感受性を日頃から養う。


今年はそんな心掛けで
「幸福のパラドックス」を克服してみたい。




人生や仕事ではいくらでも
困難にぶち当たる。


そんな時、今その時の状況を
書けるだけ書き出してみる。


できればカードや付箋のように
移動できるものがよい。


そうしておいて、
①どうやっても変えることができないもの、
②他人の協力が得られれば変えられるもの
③努力によっては変えられるもの
に仕分けしてみる。


そうしたら①については
もうあれこれ考えないことだ。


変えようのない物事に対して
あれこれ考え悩むことは
時間とエネルギーのムダである。


それはデフォルト(既定値)として
スッパリ諦める。


②については、
自分のリレーションマップをつくり
考えてみる。


リレーションマップというのは
自分を中心に置いて人間関係を
放射状に描いた図のことである。


自分にどんな人間関係があるかを
整理することによって
問題解決の糸口が見えることがある。


そして肝心なのは③で、
個々の問題に対しての努力の内容と量を
整理してみる。


プロゴルファーの中島常幸氏は、
「コースや対戦相手は変えられないが
自分の頑張りだけは自分の意思で
変えられる」と言ったそうだが、
唯一自分の都合だけでなんとかなるのは
③だけである。


こうした一連の作業は
「シンプル思考」につながるもので
悩み事がある時は一度試してほしい。




日本人は一般的に自分の強みを
語ることが苦手とされている。


出しゃばりや突出した自己主張を好まない
国民性や風土の影響も大きいだろうが、
そもそも「強み」が何かわかっていないこと
が大きいと自分は感じている。


「強み」っていったい何だろうか。


それは突出した能力や技能、
特別な経験ということでは全くない。


そんなことを基準にしたら
ほとんどの人には何の強みも無い
ことになってしまう。


だが現実はそうではなく、
誰にでも強みはあるし、
多くの人がその強みを活かして
社会や家庭で活躍している。


でもほとんどの人は自分なんか
何の強みも無いと漠然と思っている。


その違いというのはどうして
生まれるのだろうか。


それは「強み」というものには
相手が存在することと、
その相手に対してある程度の落差が
必要であるからだと思う。


誰に対しての「強み」なのか、
その相手に対してどれくらいの
落差(ポテンシャル)があるのか、
それが強みの実体であると思う。


よく勘違いしている人が強みを聞かれて
「自分にはとりたてて強みなどない」と言ったり、


肩書や経歴を述べたり、
「〇〇力があります」などという
見当違いな回答をすることがある。


だが、強みに気づいていないことと
強みが無いことは違うし、
経歴や〇〇力=強みではない。


例えば英会話バリバリ、TOEICが900点超、
英検一級だからと言ったって、
それは能力をこそ示しているが、
相手が誰かによって強みになるか
どうかは微妙である。


高度に専門的な英語を求められる場面や
厳密な法律や契約問題を必要とするニーズに対しては
それだけでは全然通用しないだろうし、


中学生に英語を教えるレベルなら
その英語力は十分通用しそうだ。


裏を返せば自分ではたいしたことない
と思っている経験や経歴、スキルでも
相手によっては宝の山になる。


本人がほんのちょっとの技能の差
と思うようなことでも、
それを必要とする相手から見れば
百戦錬磨のプロに見えるのだ。


ということで、
自分の強みを発掘したいのならば、
自分が経験したこと、持っているスキルが
誰にとってどんな意味があるのかを
十分吟味することである。


それさえできれば
強みの無い人などほとんど存在しない。


平凡に思えることでも
世の中には必ずそれを必要としている人
が存在していて、
その人から見ればみんなプロである。


ただ、その人との落差(ポテンシャル)を
高める日々の努力は怠ってはならないが。