不二家
不二家が、連日、バッシングされているようです(最近、TVをあまり見ませんので)。
さきほどTVで、元従業員が取材を受けて応えているのを見ました。
その人が言うには、「とても、食品を扱うような衛生状態ではなかった」と言っていましたが、食品を扱う所はたいてい、そんなもんじゃないでしょうか。
オイラも、学生時代、食肉工場でバイトをしたことがあるのですが、そのときのエピソード。
スライスされた肉を床に落としてしまい、「すいません。肉を落としてしまいました。どうしましょう。」って聞いたら、
「気にするな。そのままパックしろ」と言われました。
叱られるかと思ったのですが、やさしい人で助かりました(笑)。
食品を扱っている所なんて、そんなもんですって。(≧▽≦)
大谷昭宏断罪シリーズ第一弾
前回で予告していたように、今回は、大谷というジャーナリストを取り上げることにします。
ちょっと前のことなんですが、年末のあるTV番組を見てみたときのことです(番組名は忘れました)。様々な事件について討論していたのですが、大谷の主張の中に違和感を感じることがあったので、そのことに対して疑問を呈してみたいと思います。断っておきますが、元々、彼が嫌いな訳じゃなく、むしろ、応援しているくらいなのです。それだけ期待している分が大きいのですが、期待を裏切られると、その反動で罵りたくなるのです。
まあ、どうでもいいようなことならどうでもいいんですけど、ちょっと聞き捨てならない内容だったので、人それぞれ意見が違うとはいうものの、ケチをつけてみたいと思います。重箱の隅を突く感じになってしまうかもしれませんが。
それは、飲酒運転をはじめとする交通事故の厳罰化に関して討論していたときのことでした。そこで大谷は、厳罰化を主張していました。その理由は、少年犯罪と違って、厳罰化は抑止になるからというものでした。少年犯罪には厳罰化は効果がないというのです。
これは聞き捨てならぬ。横道に逸れるようですが、その主張には承服できませんでした。それは、犯罪を犯した少年の心のケアをすることが大切であって、罰することが目的ではないとする、よく識者といわれる人達が唱える、いわゆる人道的見地からの考えと同じです。
だから、ガキどもが、ますますつけあがるんだ!(転調)。
この前の成人式もそうだったが、最近は成人式が荒れることがよくあるようで、あんな連中を作り出してしまった背景には、ガキども、特に、悪さをするガキどもに大甘だという風潮があるからじゃないのか!?
そりゃ、ガキの頃、何をしたって許されてきたんだから、あんな風にもなるだろう。中には、世の中に対する不満がああいう形になって現れたと、あいも変わらず、擁護しようとする意見もあるだろうが、そんなんじゃないと思う。
あんな連中が大人になったらどうなるか。法に触れさえしなければ、何やってもいいという風になってしまう。
実際、朝方まで騒いでいる若い連中に困っている住民達の苦悩を取り上げた特集を見たことがあるが、なんと、それを取り締まる法律はないのだそうである。やむなく条例を作ったが、そんなものに強制力はない。それで、住人達が自衛手段として、見回りをすることになったが、逆に食ってかかる始末である。下手すると、殺人事件まで起こりかねない。
もはや、ガキどもやその延長上の若い連中には、恐いものなしだ。いわば、案山子を恐がらなくなったカラスと同じだ。
しかもだ。ガキの頃には、法で処罰されることさえない場合もあり、あっても、極めて寛大な処置で済まされてしまう。その結果、どうなるか・・・・・・。
一体、誰がその責任とるんだ。誰かが被害にあっても、そいつらが更正すれば、それが何より大事なのか。そういうことをやってしまうようになってしまった傷ついた心を社会全体でケアすることが、何より必要だなどと、いけしゃあしゃあと抜かしやがった犯罪を犯したガキもいた。
お前ら中心で、世の中、回っているんじゃないんだよ。そんなこと抜かす前に、まず、他の人ために何かすることを考えろってんだ。
別にお前らなんか更正しなくたっていいんだ。ずっとブタ箱に入ってろ!
それから、少年犯罪に限ったことではないが、重大事件が起きると、そうなるまでになった生い立ちとかが取沙汰される。同情すべき境遇だったとかなんだとか(なんか、前回の記事と絡んできそうで、とんでもなく複雑になりそうだ)。
しかし、だ。交通違反なんかで捕まったって、言い訳なんか一切聞いてくれない。問答無用だ。
こっちの方がおかしくないか。軽い方が問答無用で、重大な犯罪の方が情状酌量されるなんて。
意図的な凶悪事件が情状酌量されるなら、意図的でない交通事故も同様にすべきなんじゃないのか、あるいは、交通事故が言語道断なら、凶悪事件も言語道断にすべきじゃないのか、でも・・・・しまいには、訳が分からなくなってくるぅぅぅ。
少なくとも、交通事故を厳罰化するんだったら、凶悪少年犯罪の方をより厳罰化するべきだ。したがって、大谷は間違っている。
実は、まだ、大谷は間違っているんじゃないかと思えることを主張していたが、それは、別の機会に譲りたい。
ところで、交通違反で捕まったら、生い立ちから何から何まで話して情状酌量を訴えるなんてのは、どうでしょう。
「あっ、そう。じゃ、切符切るね。」で終りですが(笑)。
ハイエナマスコミ
今回は、罵倒や非難、無視を覚悟で悪態をつきます。といっても、結構、悪態をつくことが多いのですが。なお、前回、予告していた「夢」の続きは、次々回にさせていただきます。
早速、唐突ですが、
腹が立つ!
連日、マスコミを賑わせているバラバラ殺人事件!
・・・そのものではなく、メディアで、したり顔で偉そうに能書きをたれているジャーナリスト、コメンテーター、識者の面々。
「とても人間のやることとは思えない残酷な所業」
とか
「人の命を何だと思っているのか。命に対する尊敬の念が全くない。」
とか
「殺す前に、どうして逃げたり離婚しようと思わなかったのか」
などなど・・・・・
格好のターゲットをみつけ、明らかに悪いことであるから、思う存分バッシング、心おきなく断罪。
正義の味方のお出ましお出まし!っときた。
で、言っていることは正論なはずなのに、妙にムナクソ悪い。それは、オイラが悪だからなのか。もちろん、それもあるだろうが、それだけではないような気がする。何故なんだろう、できるだけ、それに迫ってみたい。
それで、考えてみたのだが、一つには、それがまさしく正論だから。
今回のバラバラ殺人事件、もちろん、その女が悪いのは分かりきっているのだが、だからこそ、そんな連中の言い草が陳腐であり、何を分かりきったことを偉そうに、と思ってしまう。
連中ときたら、いつも口先だけ、綺麗事やもっともらしいことを並べ立てるだけである。あたかも自分が絶対的正義であるかのように、君子面して説教をたれ、自己陶酔というか悦に入っている様子には反吐が出る。
なんとなく分かってきたような気がする。今回のような事件は、連中の飯のタネになるだけでなく、自分達が正義の味方になるための絶好の機会なんだ。どこからも異論が飛んでこないだけに、こんな待ってましたとばかりのネタは格好のカモなのだ。
してみると、連中は正義の味方気取りだが、一皮剥けばハイエナだ。そうだ、ハイエナという言葉がぴったりくる。なんか最近、嫌な事件が立て続けに起きてはいるとはいうものの、それだけでなく、マスコミの姿勢にもえげつなさを感じていたのだが、ハイエナだったんだ。えげつないものを常に追い求めている連中は、常に死臭を捜し求めているんだ。
その上だ。連中の言葉は正論であるとはいうものの、裏を返せば、薄ぺらなありきたりの言葉にすぎない。なんの深みも洞察もない。識者という連中なんか、最も始末が悪い。
「世も末だ。とても理解できない。」などと、いかにもありきたりのことを大上段にふりかぶっているが、本当に理解できないのだろうか。全くの別の人種のように、ひとごとのように思っているのだろうか。そして、自分は、そんなこととは全くの無縁の人間で、邪な考えや恨みや怒りの気持ちを抱いたことはないと思っているのか。連中に言わせれば、そう思っても理性で踏みとどまるというに違いないのだが。
人間に対する洞察、自分の内面に対する洞察や観察がみじんも感じられない。
実際に実行に移すことはないにしても、それこそ
「八つ裂きにしてやりたい」
と抑えられない気持ちになったことはないのだろうか。
そういった気持ちを省みることなく、涼しい顔をして、正義の使者ヅラして、正義の刃を振り回すことに反感を感じるのである。
理屈やモラル云々ではなく、刑罰がなかったら、おそらく実行に移してしまう人も決して少なくないはずである。私自身、その危険性が十分にある。そんなことは絶対にないなどと断言できるものだろうか。誰だって、殺してやりたいくらいの怒りにかられたことが一度や二度あると思う。追い詰められたら、どうしても許せない気持ちになったら、それこそ、後先考えずにキレてしまうことだってあるかもしれない。そういうことも考えずに、陳腐な正論を振り回したって、ちゃんちゃらおかしいだけだ。
自分は絶対そんなことはないと考える方が、実は、もっと危ないように思う。
自分の心の底を直視することなしに、本当に心の闇を克服することなどできない。
今回の事件は、確かに悲惨な事件にはちがいないが、一般の人達には理解不能な絶対的悪の鬼畜的所業と断じてしまうことができるだろうか。むしろ、同情すべき点もあると思われるのである。いや、だからとって、殺していいはずはないという・・・堂々巡りになりそうであるが。少なくとも、一点の曇りもないほどの絶対的悪と言うには、疑問があるのである。オイラなんか、あの男の方が許せないくらいで、あの顔見ていたらムカムカしてくる。
これ以上言うと、とんでもないことになりそうなのでやめておく。今回は、少し極端になってしまったが、元々、極端なのはマスコミの方であり、その絶対的正義を気取るべき対象が間違っおり、そのもっともらしく絶対的正義気取りの態度が許せないのである。
長くなりそうなので、次回に回します。
次回は、大谷ナントカというジャーナリストを断罪することを中心に、悪態を続けます。ちなみに、テリー伊藤も許し難い。目がロンパリのくせに(笑)。
夢破れて惨があり
今さらなんですけど、年末ジャンボについてです。
みなさんは、年末ジャンボお買いになっているでしょうか。
私は、今回で3回目です。毎年、3000円ずつ買っています。一年目は、三千円当たって、プラスマイナスゼロ、二年目も同じ。で、今回は、一発、一億円当てようかと意気込んだものの、なんと、300円。
億万長者の夢が、300円かよ!
夢破れて惨(三)があり!
ってダジャレ~(;´▽`A``。
失礼しました。
で、初詣には、300円、お賽銭しときました。別に意図したわけではなく、後から、そういえば同じ額だったな~と気づきました。来年は、せめて3万円くらいは、お賽銭を入れられるくらいになりたいです。
宝くじの夢が砕かれるなんてのは、別にどうでもいいことなんですが、今回は、夢について述べることにします。
夢はデカイ方がいい、とはよく言います。「少年よ、大志を抱け!」のように。
「夢を持つことの大切さ」なんて題の講演も、どこそこであります。夢を語れる教師なんてのも、もてはやされそうです。逆に、夢なんて持つな、なんていう教師がいたら、吊るし上げられるような気がします。そこまでいかなくても、皆から嫌われそうです。
このことも緻密に検証しようとすると、結構、複雑になるのですが、一概に「夢は持たない方がいい」なんて言うことは良くないとは言い切れない面もあります。
なぜか?逆のケースをみてみましょう。
夢を大きく持ったがゆえに、それが叶わなかったり挫折した場合には、人生を棒に振るなんてこともあります。いや、そちらの方がはるかに多いといえます。
スポーツ選手になる、タレントになる、芸術家になる、実業家になる、発明家になる・・・・etc.
成功する率なんてとんでもなく低いなんて、いうまでもありません。才能、努力はもちろん、運だってあります。むしろ、運がとりわけ大きいような気がします(もちろん、分野によって率は変わってきますが)。
うまくいかなかった場合、それはもう、悲惨です。一般人にとっては、前述のような分野は極めて難しいのですが、そこまででなくても、例えば、司法試験(これだって、とんでもなく難しいのですが)で、結局、いつまで経っても合格を果たすことができず、人生を棒に振ったなんて人は、それこそ、掃いて捨てるほどいるはずです。
それよりも、分をわきまえ堅実に生きていく方が、普通の人にとっては良いといえるのかもしれません。誰もが、イチローやアインシュタインやモーツァルト等のようになれるわけではないのですから。
ヘタに夢なんて持たない方が幸せ!なんてこともあります。
ちょっと話が逸れますが、天才は学校が嫌いで、好きなことだけに熱中していたなんて話があります。でも、普通の人がそれを真似たところで、悲惨になるだけです。誰もが天才になれるなんて幻想です。
一時期、個性教育だとかなんだとかいって、それを学校に求める気運がありましたが、どだい無理な話です。そもそも、教師自身が天才とはほど遠いのですから。本当に個性だとかを伸ばそうとしたら、学校以外で、あるいは自分自身でしなければなりません。大体、個性なんてのは、人から教わった時点でもう個性ではないのですから。それに、押さえつけようとするほど、個性は、逆に反発して伸びるようですし。学校は、あくまでも、基礎学力を身につける場です。
話を戻します。夢がデカイということは、同時にリスクも大きいと心得るべきです。
それに、夢がデカイというのは、欲望と直結していることだって少なくないですし。あくなき欲望の追求が地球環境に対して過度の負担を強いてきた経緯もあります。
また、本当の意味での大きなことを成す夢―歴史に残っている偉人達が成しえたようなことーなんては、もっとたいへんです。それに、闇から闇に葬られてきた、本来なら歴史に残ってもいいはずの人達が、その陰に何倍もいるはずです。
夢破れて惨があり!
年明け早々、縁起でもない話でした。今回は、夢の持つ功罪の罪の面をクローズアップしたわけですが、もちろん功の面もある訳で、それはよく聞くところでありますので割愛させていただきました。
今回はこれで終りですが、実は、まだ続きがあります。長くなりますので、それは次回に回すことにします。
サザエさん一家の運勢占い
今回は、この前の日曜に放送された「サザエさん」を題材に取り上げ、作り変えさせていただきました。
サザエが、今年の運勢を占い師にみてもらい、上機嫌で帰ってきてカツオ達に話し始める。
「私もマスオさんも、今年、すっごくいいんですってよ。」
「ぼくは~?」タラちゃんが、聞く。
「もちろん、いいわよ。」
カツオが、それにツッコミを入れる。
「具体的にどういいのさ。」
それに対して、サザエは言葉をつまらせる。
そこへ波平が登場。カツオは、波平にサザエの単純さを話したが、別にそれでいいと言う。いい年になると思っていればそれでいいじゃないかと。
カツオは、波平に占いを信じるのと聞くと、運命は自分で切り開くものと思っていると応える。
といいつつも、波平は、ちゃっかり、買ってきた運命診断の本を読んで、「運気は大いによろしいか」とご満悦。
その本をいつの間にか、カツオが持ち出し、自分の運勢を占う。
「ぼくだって、結構いいじゃないか。恋愛運、大いに良し。」
カツオは、かおりちゃんとうまくいっている様子を想像する。
そこへワカメがきて、ワカメもいい年になると言うと、ワカメは大喜び。
カツオは、それをみて、「みんな、単純で楽天家だな」と、呆れたように独り言。
場面は、サザエがマスオに向かって、せっかく金を払ったのだから、もっと具体的に聞いておけばよかったと愚痴るシーン。
そんなサザエに対して、マスオは、
「全てがいいと思っていれば、いいじゃないか」となだめ、
「あなたは、楽天家ね」とサザエ。
カツオが、また、運命診断の本を持ってきて
「今年は、ぼくのお小遣いアップするんだって!」
サザエが、その本を取り上げて調べる。
「どこにもそんなこと書いてないじゃない」
「調子のいいこと言うな。」お父さんにも怒られる。
「だって、お父さんの給料がアップするって書いてあったから。そうすれば、ぼくのお小遣いがアップしたっておかしくないでしょ。」
「ん、そうか?」波平もまんざらではなさそうである。
カツオが続ける。
「それに、今年は、ぼくも大飛躍する年だって。」
「また、調子のいいこと言って。」サザエがたしなめたが、波平が続けた。
「いや、確かにそう書いてある。」
「ほら、そうでしょう。」
「じゃが、努力しなければだめだ。」
「でも」とサザエが、本をみて言った。「我が家には水難の相があるようよ。」
「いや、悪いことは気にしなければいいんだ。心配していると、そうなるもんだ。」
サザエさん一家では、運勢占いが大流行。
マスオやノリスケが、バーのママに手相をみてもらったはいいが、バーのマッチがみつかったり、カツオがタラちゃんやイクラの手相をみたりしていた。
「イクラちゃんは、生命線が長いから、長生きするよ。」
「ぼくのもみてください。」タラちゃんがカツオに手相をみせる。
「タラちゃんも長生きするよ。」
「良かったです。」
タラちゃんも、家族全員の手相をみて、全員長生きだという無邪気さ。
あれやこれやあるが、サザエさん一家は、今日もわきあいあいである。
波平が、一家団欒の席で、
「長生きが一番だ」
「今年も良い年だといいですね」とフネ。
波平がそれに応える。
「ああ、今年はもっといい年になるぞ。」
「どうして言い切れるの。」カツオが聞いた。
「そう思えば、そうなるもんだ。」
「そうよ。うちで悪い運勢の人なんていないもの。」とサザエが太鼓判を押す。
そして、カツオが呟く。
「みんな楽天家なんだから。長生きだってするよ。」
そんなことが繰り広げられていたその頃、サザエさん一家が乗っていたタイタニック号の前方には、巨大な氷山が迫っていた。
それを発見した甲板の乗組員が船長に報告する。
「たいへんです、船長。前方に、氷山が見えます。」
「なに?そんなことあるはずはない。」
なぜか、船長はとりあわない。
「でも、船長、このままだと衝突する可能性があります。」
「可能性?そう思えばそうなるもんだ。ならないと思えば、ならないもんだ。君、もっと楽天的に考えなきゃダメだ。人生、長生きできないよ。」
やがて、タイタニック号は氷山に激突。豪華な食事をしていた会社の社長や舞踏会で踊っていた令嬢や紳士、余生を船旅していた老夫婦、船長、船員、料理人、音楽を奏でていた演奏家、清掃員、老いも若きも、男性も女性も、富める者も貧しき者も、成功した者も人生の苦汁を味わってきた者も海の藻屑と消えていった。
そして、サザエさん一家は、海に帰っていきました。
我々は、地球というタイタニックに乗っているのかもしれません。
謹賀新年
新年明けましておめでとうございます。
おとそ気分全開という方も多いのではないでしょうか。一方、主婦の方々は、なにかとお忙しいことと思います。正月から、本当にご苦労様です。
もしかしたら、正月なんてない方がいい、なんて思っている主婦の方もいらっしゃるかも。
それから、子供の頃は正月というと楽しかったのに、また一つ年をとるのかと思うと、憂鬱な気分にもなります。
「お正月、めでたくもあり、めでたくもなし」ではなく
「お正月、めでたくもなし、めでたくもなし」
って、正月には、いかにもふさわしくない内容!
でも、追い討ちをかけます。
おとそ気分にどっぷり浸っているお父さん方についてです。
奥様方の手伝いを少しでもしないと、離婚をつきつけられるはめになるかもしれません。
その前に、己の結婚を心配する方が先決じゃ!
今年は、なんとかせねば!
でも、今年も毒舌を振り回しまっせ!
ライガー発進!
今年もよろしくお願いします。
Let's お役人大掃除!
いよいよ今年も大詰めとなりました。もう、大掃除はお済みでしょうか。
今年の汚れ、今年のう~ち~に♪
そこで、今回は、掃除についてです。
皆さんもお聞きになったことがあるかと思いますが、トイレ掃除をすると金運がUPするという話を聞くことが多かったです。
そこで、来年の、将来の憧れの職業NO.1を予想してみたところ、それは掃除の仕事とあいなりました!
トイレ掃除をすれば、
金運がどんどんアップする
・・・・はずですが、
でも、掃除のおばちゃんが大金持ちになったって話、聞いたことがありません。
風水の責任者、出てきて説明責任果たせ!
そうじを仕事にされている方々、失礼しました。でも、皆が嫌がる仕事をされるということは、頭が下がる思いです。
皆が嫌がる仕事というと、お役人の仕事があります。お役人がする仕事(お役人は仕事をしないという説もありますが)は、皆が嫌がるという意味ですが。(ちょっと、強引な話の展開となっています)
官僚を初めとする役人ども!貴様らこそ、トイレ掃除をして心を磨くことから出直せ!ちったぁ、謙虚な心になることだろうよ!
てめぇら見たいな汚物があるから、世の中、腐敗するんだ、クソ野郎ども!![]()
世の中、逆さまだ!
馬鹿な奴ほど威張っていやがる!![]()
しかし、いつもでもクソをためておくことはできません。
早々に押し流さないと。
そこで、来年の合言葉は、
撲滅!シロアリ役人、クソと共に去りぬ!![]()
そうしないと金運がアップしません。来年こそは、大掃除をして金運を良くしたいものです。そのために、追求の手を緩めないつもりです。
よろしければ、来年もお付き合いください。
では、良いお年を!!![]()
キリスト教の教えに対する疑問
キリストの誕生日とされているクリスマスが終わりましたが、今回は、キリストの教えについての記事です。
【第一部】
キリストの教えでは、例えば、「左の頬を打たれたら、右の頬も差し出しなさい」とか、「人を許す」教えなどは有名であり、そのことを中心に論じます。
まず、ある場面を想定してみましょう。
暴漢が、ある人やその家族を襲うという設定です。
そこにキリスト教信者が現れ、暴漢に抵抗しようとしているその人に向かって、こんなことを言うかもしれません。
「暴力をもって暴力に向かってはなりません。剣を持つ者は剣で滅びるのです。彼らは、いずれ、その報いを受けることになるでしょう。全ては因果応報だからです。あなたが、今、暴漢に襲われているのも、原因があるからなのです。だから、それを受け入れるのです。彼らを許してあげましょう。彼らにだって、きっと、事情があるはずです。あなたが許さなければ、あなたも許されることはありません。だから、決して、暴力をもって歯向かってはなりません。」
そこにオイラがいたら、まず、
ダブルトマホークで、そのキリスト教信者をバラバラに八つ裂きにし、次いで、
ストロングミサイルで暴漢を爆破して、一件落着となりにけり。
ここで、第一部は終わりですが、次に、そのキリスト教の教えのおかしさを論じてみます。といっても、論じるまでもなく拒否反応を示してしまいそうですが、あえて、ごたくを並べたてます。よろしければ、第二部もお読みになってください。なお、訳が分からないことを述べる内容となります。自分でも整理しきれていないからですし、真意を正確に表してはいません。
【第二部】
第一部での例についてですが、襲われている相手には剣を持つことを許さないのに、暴漢に対しては許しています。いくら、強制をしているわけではなく、結局は自分のためにならないよと警告しているにすぎないといっても、まず相手を許し、剣を持つことはあいならんと説教している訳です。
許すべき対象が逆ではないでしょうか。先に、剣を持っている方に向かって、剣を持つなというべきではないでしょうか。まあ、もっとも、そんな説教が通じるはずもないのですが。
それは、襲われる方であっても同じな訳で、そんな説教通じるはずもありません。それでもなお、自分の説教をごり押ししようとしたら、それこそがまさに強制になります。いくら口の上では、強制しているのではなく、ただ、神の教えを説いているだけだと言っても。
彼らは、強制は神の教えに背くものだと言いますが、強制が、必ずしも悪いものとは限らないと思います。この場合のように、明らかに罪を犯そうという者に向かって、それをやめさせようとすることは、罪を犯すことを未然に防ぐことになるのですから(これを逆手に取った法律を成立させようと論議されていますが、それは不適切であると思われます)
ここに、宗教の信者たちや真理を学んでいるという人達の嫌悪すべき面がみてとれます。なにかというと、自分が言っているのではなく、それは神の教えだとか宇宙の絶対的真理だとか、したり顔で説こうとするのですが、おそらく、それを聞いた人は、多くの場合、反発を感じてしまうのではないでしょうか。
「真理の前では、あなたはひれ伏すしかないんだよ、私が許しても神が許さないよ」などと言っているに等しいといえます。そんな言葉は、相手の神経を逆なでするだけだということが分からないようなのです。
仮にそれが真理であったとしても、相手が受け入れる状態になければ、無意味どころか、かえってマイナスにさえなりかねません。まず相手の言っていることに耳を傾け、気持ちを受け入れることをしなければ、反発を招くだけです。このことの方が、よほど単純な真理だと思うのですが。
ここで、単純な真理と言いましたが、彼らは、真理を唯一絶対的なものとして説きがちです。極端な例を最初に挙げましたが、いかなる場合でも大体、同じような感じのようです。なぜなら真理は絶対だからです。一方、私としては、真理(あまりこの言葉は好きではないのですが、便宜上、使用します)は、必ずしも単純であるとは限らないという見方をしています。
このことは非常に複雑で繊細な問題を孕んでいますので、今後、少しずつ取り上げようと思っていますが、ここでは簡単ではないということを指摘するだけにとどめておきます。
ここでは、彼らの説く絶対的真理の持つ矛盾を軽く述べてみたいと思います。まず、「人を許す」ということですが、弱い立場の人ほど、苦しい立場の人ほど、虐げられている人ほど、地位が低い人ほど、逆に、「人を許す」という難しいことが、より求められるということです。
また、一律に真理を適用しようとすると、むしろ、逆の効果を生じさせてしまうこともあります。例えば、韓国の大統領が掲げている太陽政策です。北朝鮮を追い詰めるのではなく、大きな心で包み込んで、頑なな心を開かせようというものですが、そのために、逆に、国内での北朝鮮に対する批判の意見を弾圧しています。これは、明らかに矛盾してはいないでしょうか。また、田中康夫が長野県知事だったとき、広く県民の意見を聞こうとはしない議会のあり方に厳しく対処するやり方をとっていましたが、それを独裁だと議会は批判していました。
なんともいえない矛盾やパラドックスを感じないでしょうか。つまり、真理にも、このような訳のわからない問題を抱えているといってもいいかもしれません。
もちろん、真理とされているものを全面的に否定する訳ではありません。また、剣や武器を取ることを勧めている訳でもありません。どちらかというと、軍備増強には反対の立場に立ちます。
本当に訳が分からなくなってしまいましたが、何が妥当かを見極め、運用する能力こそが問題ではないかということになるのかもしれません。しかし、真理とされているものを学んでいる人には、その運用能力に欠け、単に、受け売りの真理とされているものを振り回しているにすぎないように思えるのです。そんなものは、役にたたないばかりか、むしろ、有害にさえなりかねません。
単純明快に、結論の一言
バカの一つ覚え
戦場のメリークリスマス
ドーン!ギャー!・・・・
あちこちで自爆テロや爆撃が起こり、爆音がなり響く。
「このアメ公、とっとと帰りやがれ。」
男も女も、子供も大人も、アメリカ兵に罵声を浴びせかけ、石を投げつける者も少なくない。売り言葉に買い言葉、つい、住民に発砲したくなるが、冷静を装う。しかし、なかには本当に発砲してしまう者もいる。あるいは、疑心暗鬼のため、身を守るため、普通の国民に銃を向けてしまう。テロリストとの区別がつかないのだ。
とにもかくにも、いつもの張り詰めた任務を終えると、兵士達は宿営地に戻ってくる。
「今日も、なんとか生き残れた。ヤレヤレだ。」
「現地の奴らが言っているように、本当はオレたちだって帰りたいんだ。」
「そういえば、今日はクリスマスイブだ。本国では皆、クリスマスを祝っているんだろうな。家族や友人たち、彼女は今ごろ、どうしているだろう。」
「シャンパンをパンパン抜いたり、クラッカーを鳴らしているんだろうな。」
「こっちじゃもっとハデに、銃でドンパチパンパン、爆弾を破裂させているじゃないか。」
「悪い冗談はやめろよ。」
「すまん。」
・ ・・・・・・・・
「せめてクリスマスのときぐらい、平穏に過ごしたいなあ。連中もクリスマスのときくらいおとなしくしてりゃいいものを。」
「この国じゃ、クリスマスなんて関係ないのさ。それはそうと、俺たちもささやかながら、クリスマスを祝おうじゃないか。」
「そうだな。ちょうど、クリスマスソングが入っているテープがある。オレは、それを用意する。」
「オレはツリーを用意するよ。」
彼らは用意をし、あるロックグループが歌っているクリスマスソングに聴き入る。
国は国に、民族は民族に対して立ち上がる
どうして人々は憎しみあい、争うのか
皆、同じこの地球上に住む人間じゃないか
肌の色なんて、関係ない
愛し合おう、わけ隔てなく
争うのはやめて、平和を祈ろう
クリスマスのこの日に
「本当にそうだな。」
「やめたいさ。こんなこと。でも、本当に任務を放棄することができるか。」
「そうさ。それに、確かにこんな状況じゃ、現地の奴等に対して憎しみの感情を抱かざるをえないが、元々、彼らに対して憎しみがあったわけじゃないんだ。」
「彼らだって、元々、俺たちを嫌っていたわけじゃないと思うんだ。」
「では一体なぜ。」
「独裁者やテロリストが悪いんだ。この戦争には大義があるんだ。」
自分に言い聞かせるように言った。そう思わなければ、やりきれなかったからだ。
「自分は安全な所にいて、綺麗事ばかり唱える奴が多すぎる。」
誰かが、はき捨てるように言った。
沈黙が続いたが、それまでのように歌詞がすんなりと心に入っていかない。美しいメッセージだが、何か的外れのような気がしたのだ。
彼らは、ツリーの方に目をやった。それは、この砂漠の地に茂っていた潅木(ブッシュ)に飾りつけをしたものだった。それは一見美しく飾り付けられているようにみえたが、しかし、鈴や星等の代わりに、銀色の銃弾や缶などで飾り付けられたものだった。
「見ろ、きれいにできたじゃないか。」
「本物のツリーのように金をかけてはいないがな。」
「いや、一番、金がかかっているさ。銃弾なんか高いんだからな。」

