ホリエモンに実刑判決
ホリエモンに2年6ヶ月の実刑判決が下されました。
粉飾決算等をして投資家を欺き、自らは多額の利益を得る一方、投資家たちには多額の損害を与えた責任と罪は大きいということなのでしょう(市場に不信感を与えたという罪もあるでしょう)。
ライブドアは、実体となる事業がほとんど見えなく、単なるマネーゲームで利益を出していたようです。いわゆる虚業でした。会社という形態をとっていても、公然と詐欺を働いていたようなものかもしれません。
球団買収に名乗りを上げるという大々的な宣伝を打つことで知名度を上げ、株価を上げることに成功しましたが、しかし、不正がある場合、そのことも同時に目立たせるという諸刃の剣でもありました。
そもそも、投資家から金を自分の会社に移動させて利益を上げるだけの会社は、いずれ破綻するのは目に見えています。
しかしながら、ホリエモンもさることながら、投資家にも全く問題がないわけではないように思われます。(ここまで投資家と言ってきましたが、偽投資家といってもいいかもしれません)
おそらく、ライブドアがどんな会社かも良く分からず、単に、一世を風靡しているからだとか、儲かりそうだからという、いかにも不勉強、安直、安易、不純な動機から金をつぎ込んでいたであろうと思われるからです。
どっちもどっちです。バカな投資家が、おバカな会社に金をつぎ込んだというだけのことです。まともな投資家は、ライブドアなんか目もくれなかったといいます。
ライブドアに金をつぎ込んだ人達は、騙されたとか、損害賠償を請求するとか喚いているようですが、それより、自分達の不明を恥じるべきです。
生半可な気持ちで株をやってはいけないと思います。投資する額に比例して、それなりの研究は不可欠です。少なくとも、他の人と同じことをやっていたらダメです。話題になっているとき買っても、ほとんどの場合、後は下がるだけです。
それから、欲をかきすぎると、かえって損をするようです。利益を上げたかったら、逆に、欲に目が眩んではいけないそうです。名人は、底で買わず、天井で売らずともいいます。感情に左右されず、科学的・機械的に株を売買するのがよいとのこと。
とはいっても、人間、そう理性的には、なかなかなれません。そこで、株ロボなんてものが開発されてたりします。
利益を上げるために欲をかきすぎない、そのためには、株ロボを利用することもある、これらは一見、理性的・合理的な考えのようですが、しかし、結局は、利益を上げたいという気持ちが透けて見えます。もちろん、それはいけないことだというわけではありませんが、本来の株の精神から大きくかけ離れているような気がします。
昨今の株ブームには疑問を感じます。特に、デイトレードが盛んに取り上げられ、もてはやされていますが、そもそもデイトレードなど、株の精神を踏みにじるものだと思っています。
そこにあるのは、どうしたら設けられるかというノウハウだけです。しかしながら、そういった知識やノウハウもさることながら、株をやる際、最も大切なのは哲学です。単なる自分だけの儲けだけでなく、見込んだ企業をバックアップしたいという気持ちが最も大切です。色々、難しい理論や知識やスキルを勉強するための、それらの情報が載っている本の多くは無用の長物で、単に出版社と執筆者の儲けになっているにすぎません(企業を研究するためなら有用ですが)。そんなんのより、単純明快に応援したいという気持ちの方がはるかに大切だと思います。
そのような気持ちでやっているなら、仮に損をしたとしても、それほど地団太踏むことはないでしょう(もちろん残念には違いありませんが)。短期的なデイトレードなんてのも、本来、おかしいと気づきます。本来の意味での投資家なら、もし、企業が不正な経営をしていたとしても、文句を言う前に自分の研究不足や不明を恥じるでしょう(もちろん、会社に文句を言うのも必要ですが)。正しくない情報を出していたとしても、やjはり、それを見抜く感性も必要です。
ホリエモンや側近と言われている宮内や、多くの投資家も、頭はいいかもしれないけれど、単純明快なことを見逃してしまっていいるのではないでしょうか。そして、小ざかしいことに頭脳をフル回転させる。
彼らは、本当はバカである。
本当の意味での優良企業(必ずしも有名であるとは限らない、むしろ、控えめであることもある)と投資家は、比例関係にあると思います。
私自身は株はやっていないのに偉そうなことをくだくだ述べてきましたが、いずれ、やってみたいと思っています。しかし、その前に、やるべきことがたくさんあります。(ちなみに、ガキの頃から株をやるなんてのは、もってのほかです。)
今回のライブドア事件は、株とは何かを考える良い契機になりえるのかもしれません。でも、おそらくは、そうはならないでしょうが。
ホリエモンも、その投資家も、その厚顔無恥で大きな顔をメディアに晒し続けていますが、
二人三脚で地獄に落ちろっての。
細木数子との地獄でのデートは楽しいぜ!
付け足し:ホリエモンも、地獄では下っ端の方なんでしょう。
オイラの持論ですが、本当に良いものや悪いものは目には
見えない。つまり、表には出てこない。
運の良し悪し
この前の土曜日(3月10日)、父の四十九日でした(実際には44日なのですが)。天候は晴れでした。葬式の日も、初七日も晴天でした。
故人を偲ぶ日は、なぜか、天候には恵まれています。母についても、葬式、初七日、四十九日、一回忌、三回忌、ついでに勝手に設けた五回忌も、全て天候に恵まれました。
その前後は、悪天だったことも何回かありましたが、その日については、本当に天候には恵まれています。
しかし、その一方、私自身に関していうと、雨男といっていいくらいです。どこか遠出するときは、その前後は良くても、その日だけ雨になってしまうなんてことはよくありますし、知人の引越しを手伝った際、荷物を積み始めた途端、雨が降り出し始め、引越しが終わった途端、降り止んだなんてこともあります。
間の悪さ、タイミングの悪さは、天候に限ったことではありません。例えばです。いつも通っている踏切があるのですが、いつもは一時停止しているのに、その日はむしゃくしゃしていて、一時停止しないで突っ切ってしまったのです。それまでポリが張っているのを見たことがないし、その日も、どうせ張っているわけない、おもしろくないから行っちまえって感じだったのです。しかし、そのとき、なんと張ってやがったのです。(当然、つかまりましたが)。後にも先にも、私が通っている限りでは、そのときの一度っきりです。
まあ、あんまり運が良い方じゃないようですが、でも、取り返しがつかないような大事故なんかは起こしたことがないから、良しとしましょうか(そうでも思わないことには、やってられないので)。
それから、ついでに、運についてちょっと考えてみることにします。
知人に高校教師がいるのですが、その人から聞いたことです。
ある女子生徒が不正乗車で捕まったというのです。でも、不足金額がわずか10円、しかも、不注意だったようなのです。笑ってしまいそうなことですが、もし、オイラがそこの教師だったら、その生徒を「10円」と呼んでしまいそうです。
まあ、なんとも他愛もないことですが、当の本人は、運が悪かったと思ったことでしょう。意図的にやっても見つからないこともあるのですから。
その意図的なケースを一つ。その男子生徒は、期限が切れていたことに気づかずに、定期を提示し、無事、改札を抜けたのですが、後から、そのことに気がついたらしいです。それでやめておけばいいものを、そのことに味をしめ、その後、その定期をわざと使用し続けていました。その後もうまくいき続けていましたが、半年後、ついに駅員に発覚してしまいました。そして、毎日使ったこととして計算した金額の3倍の金額を請求されたというのです。
この二つの事例をみてみると、最初の件に限っていうなら、期限が切れていることについて発覚しなかった男子生徒の運が良く、10円で捕まってしまった女子生徒の運が悪いように思えますが、心がけは別として、長い目で見れば、男子生徒の方が運が悪かったとも言えます。
この例に限らず、運の悪さが良くなり、運の良さが悪くなることにつながるということも、少なからずあることでしょう。運が悪いと自覚しているから気をつけるということもあります。
何が運が良くて何が運が悪いか、不確かなこともありますが、でも、天候などは、どうしようもなく本当に運の良し悪しがあるのかもしれません。しかしながら、こうやって話のネタになることもあるし、あながち雨男も悪くないのかもしれません(でも、返上したいです)。ところで、それも場所などにもよります。ある所に行くときなどは、必ず、どピーカンになりますし。
生きているうちは、何が運が良くて、何が運が悪いのかは分からないことが多いのかもしれません。
東京都知事選に浅野氏出馬表明
東京都知事選に前宮城県知事の浅野史郎氏が出馬表明しました。
で、いきなり横道に逸れますが、TVを見ていて、バカ受けしたことをまず一席。
同じく出馬表明している共産党の吉田万三氏は、その体型やポケットから色んな物を取り出すことから、ドラえもんと言われているそうです。そうすると、ジャイアンは、もちろん、石原氏で、のび太は浅野氏、スネオは黒川氏、だって・・・・・・。
ギャハハハハッo(^▽^)o
うまいっ!山田く~ん、3枚。
特に、黒川氏のスネオはバカ受け。でも、浅野氏がのび太というのは、失礼でないんかい?いやいや、のび太には愛がある。
ところで、最近、ドラえもん、全然、見てないないぁ。声優替わってから。
ドラえもんは、どんどん悪くなってしまった。オイラにとってだけど。主題歌も、菊池俊輔氏の曲が素晴らしい名曲だったのに(山野さと子が歌っているのが一番)。菊池俊輔氏といえば、言うまでもなく、「ガンガンガンガン♪」。菊池氏は、アニソンのモーツァルトと勝手に呼んでおりまする。
閑話。本題に入ります。
時代は、やっぱり無党派なんだろうな~。オイラは、政党なんか無意味だと思っている。自民党なんか、皆、言っていることがてんでバラバラで、それじゃぁ一体何のための政党だ、言うことを統一しろよなと言いたくなるし、共産党は、確かに言うことが統一されているけど、自分の言葉ではなく、言わされているだけに、言葉に力がなく説得力に欠ける。ちょっと違う方向から突っ込まれると、もうダメ。でも、自民党に比べれば、段違いに良い。なんてったって弱者に対する愛があるから。ってことは、吉田氏がのび太か?そうとも言えるかもしれない。で、浅野氏がドラえもん。
いずれにしても、政党は、もはや存在意味がないと、かねてより思っていた。それと、ある考えを表すと、何々党だとか~派だとか、何かの枠にはめたがる人が多いが、そんなものナンセンスである。
これからは、政治家も個人の時代だ!政党や派閥に頼るのは、もう無駄、無意味、無節操。そんなもん、かえって邪魔、足枷になり、自分の価値を下げるだけ。
問題は、いかに体全体で感じ、自分の頭で考え、心の底から湧き上がる思いを自分の言葉で訴えかけるかである。そういう言葉こそが、人の心を揺さぶるのだから。
いつまでも政党や派閥に頼っている連中、本当に政治やりたかったら、自分の力だけに頼ってみろ(本当は、政治をやりたいのではなく、その地位にしがみつきたいだけなんだよね)。特に、小泉チルドレン連中、あんたらなんて、もうお呼びじゃないんだよ。いつまでも、小泉に甘えてろ、ってんだ、ダァ~ホ!小泉がダメになったら、どうするの?また、他を探して渡り歩くのか。みっともない。そんな自分、カッコ悪いと思いませんか?
そんな連中は放っておくことにして、これまで、政治家も国民もマスコミにも問題があった。もちろん、急激には変われないが、変革を告げる足音が確実に近づいている。今回の件は、その兆候の一つかもしれない。
そう思っていただけに、民主党の推薦を断った無党派の浅野氏には大いに期待するものがあった。
ところがである。民主党の推薦を断っておきながら、党本部に赴いて応援を依頼するという。
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一気に興ざめした。
そりゃ、当選するためには、組織の力も必要かもしれないが、少なくとも、オイラは応援する気がかなり削がれた。別に、オイラなんかから応援してもらわなくたって、どうってことないと言われるだろうが、オイラのように思っている人、結構、少なくないのではなかろうか。
裏目に出たんじゃないの、浅野さんよ。
他にも、結局、従来通りのハコモノ行政を推進して借金を増やし、しかも、それに役人みたいに(この人も、役人出身だが)屁理屈をこねて美化したりと、首を傾げざるを得ないところがある。もっとも、他の政治家と比べたら、格段に優れているんだろうけど。
もうこの際だから、ビートたけしが出馬するのもいいかもしれない。
なお、個人的には、田中康夫や中村敦夫なんかが良い政治家だと思うんだけど、二人共、落選してしまったし、また、日本は逆戻りだ。いつまで経っても、やっぱり日本の国民は、どうしようもなく救い難いんだなぁ。
風邪をひいている地球
今年は大暖冬でした。でも、一年で最も寒い季節です。風邪などひいてらっしゃらないでしょうか。
風邪をひくと熱が出ることが多いのですが、ある程度までは、あえて熱を下げない方が良いと言われています。というのは、熱を上げることによって免疫機能を活性化させ、ウィルスをやっつけるからだそうです。まあ、こんなことはご存知かと思いますが、熱が出るとすぐ解熱剤などを使用される方も多いようです。
ところで、地球も風邪をひいているのでしょうか。温度が上がっています。地球も、温度を上げることによって免疫機能を活性化させ、そこに住みつくウィルスを死滅させようとしているのかもしれません。
志布志事件
4年前、鹿児島県の県議会選挙にからんで買収が行われたとされる事件の裁判で、鹿児島地裁は、2月23日、志布志市の山間の住人の12人被告全員に無罪判決を言い渡しました。地裁は、事件の客観的証拠は全くないと、志布志警察当局を鋭く批判しました。捜査は、全くのデタラメ、デッチ上げ、取調べも時代錯誤のめちゃくちゃなもののようでした。
怒り狂っているが、元々、オイラは本能的に、この件に限らず、警察なんぞろくなもんじゃないと思っていたので、やっぱりという感じであった。そして、今回は明るみに出てきたものの、表に出てこない同様なことは、まだまだあるものと思われるのである。
少なくとも、今回、警察署長と事件に係わった刑事や警官は、全員、懲戒免職、逮捕が相当かと思われる。
それは、現実には難しいということくらい承知しているが、それでも、まだ、生ぬるいくらいであると思っている。
死刑が最も妥当!
それはいくらなんでもと思われるだろうが、しかし、警察自身、住民に対して、そういう暴言を吐いているのである。
「死刑にしてやる」
「地獄に落ちる」
・・・・・・・・・・・などなど。
であるなら、誤ったことをしでかした警察自身、同じことを言われ、かつ、されるべきである。というより、なおさら、そうされるべきである。
誤認逮捕した警官や刑事は、ムショにぶちこめ!
誤認・不当逮捕や人権蹂躙をしでかした警察は、罪に問われ、個人的にも刑事訴追や民事訴追がなされるべきだという持論をかねてより持っている
(ところが、現実には、そうなることがないから、割り切れないものを感じ、余計にそうなるべきだと強く思う)。
なぜなら、医療ミスが起きた場合、刑事責任や民事責任が問われるからである。同じように、ミスを犯したら、同様にその責任を問われて然るべきである。
医療ミスとは違うという意見もあるかもしれないが、では、どう違うのか納得いく説明がなされなければならない。
しかも、医療ミスの場合、よほど悪質なものでなければ、故意の悪意があるケースは、少ないものと思われる。一方、警察の場合は、それに比べて悪質である。単なる誤認逮捕も刑事、民事共に責任を追及されるべきであるが、デッチ上げ、むちゃくちゃな捜査と取調べに対しては、重罪をもって臨むのが好ましい。しかし、普段から思っているのだが、法というものは、論理的なようでありながら、訳の分からない、どうにもならない代物だと思っている。
責任の取り方も、国家賠償法に基ずく賠償なんてお茶を濁す責任の取り方では不十分である。どうせ税金が充てられるにすぎないからである。それだけに留まらず、
個人的な責任も追及されるべきである。
逮捕拘留され、私有財産没収等、損害賠償責任も負わせるべきである。
さて、本当に警察は許せないが、警察に対して幻想を抱いている国民もどうかしている。警察は表向きは正義の顔をしているが、断じて正義などではない。国民の味方というより、むしろ、国家の味方なのである。
普段は偉そうなことを並べ立てているが、
嘘、隠蔽、ごまかしなどに関しては、今や警察の右に出るものはないほどである。
そういう警察に対して、おかしな考えを持っているジャーナリストがいることも問題である。大谷昭宏である。
彼は、そういう暴走してしまう警察に対して、職務に対する熱心さのあまりからであり、やむを得ないという趣旨の発言をしたことがある。それよりも、最近の警官による痴漢や窃盗などといった、明らかな犯罪の方がどうしようもないと言っている。
そうではない。そんなチンケな犯罪など、かわいいものである。
本当に恐ろしいのは、国家権力による暴力である。合法的であり、罪に問われることもなく、しかも、正義の名の下に行われるだけに余計に質が悪く、始末に負えない。
これが改善される方向にあるかというと、むしろ、逆方向に向かいつつあることが懸念される。それは、一つには、弁護士に関するものであるが、別の機会に譲ることにしたい(機会を別にすることが、最近、多いが)。
最後に、警察は住民に対して「地獄に落ちるぞ」と言ったが、その言葉、のし付けてお返ししたい。
地獄に落ちるのは、
お前らの方なんだよ!
お高くとまっているサービスカウンター
よく行っている近所のスーパーのことなんだけど、そこのサービスカウンターの人が、これまでになく愛想良く笑顔で客の対応をしていたのが目に入った。
いつもは、すんげー無愛想。オイラが、以前、聞きたいことがあったんで尋ねたんだけど、そのときなんか、いかにも、かったるそうな、面倒くさそうな対応だった。それは、オイラがいつも、その前にある新聞を立ち読みしているからなんだろうなと思った。もっとも、立ち読みといっても、せいぜい、1~2分のことなんだけど。
そういうこともあって、恐縮していたんだけど、どうも、面倒くさそうな対応をしているのは、オイラに対してだけではなかったようだ
(オイラに対してだけ無愛想だったら、それはそれで、余計に腹立つが)。
それは見ていても分かるし、客の意見・要望なんてのが書いてある紙が貼りだされているんだけど、サービスカウンターの対応の酷さを訴えてあるのを何枚も見たことがあるから。
そういうクレームが、度々、寄せられたということもあって、店長が教育したのか。まあ、良くなったことは良いことだ。フムフム
┐( ̄ヘ ̄)┌
・・・・・などど思っていたが、そいつが対応していた客は、私服を着ているが、同じ店の店員だったのだ。そういや、同僚の店員とはよく、楽しく談笑しているのを見ることがある。
最近の客は身勝手で我儘なのが多いし、客商売はたいへんなのは分かるが、それにしても、露骨に嫌そうな顔して接客するのはまずい。
なんであんな奴(女だが、おそらく。生物学上は。)をサービスカウンターにおいておくんだ。あんなんだったら、役所の窓口の方がましだ。サービスカウンターがお高くとまってどうする。
他の店員は、結構、感じが良いのが多いから、そういうのを配置するべきだろう。
店長、なんとかしろ。
この能無し店長さんよ!
支離滅裂の自民党と国民
2月16日放送の「太田光の私が総理大臣になったら」というTV番組をみていて、カチンときたことがあったので、そのことから始めます。
今回のマニフェストは、「派遣社員の税金を免除する」というものであったが、そのときの出演者の一人である自民党議員の大村秀章の「税金を免除するということになると、派遣を政策的に推奨する話になる」との発言が聞き捨てならなかった。大体、そもそも、派遣を推進するような政策を推し進めてきたのは、自民党に他ならないから。
また、他の番組で、夕張が破綻したのは住民にも責任があると、ある自民党議員が言った。そういう政治家を選んだのは住民だからというのだ。確かにその通りであるが、しかし、自民党議員にそれを言う資格はない。なぜなら、それを推進してきたのは、自民党なのだから。俺たちを選んだお前らが悪いと言っているも同然だ。しかし、その一方、自分達の政策は正しいと言っている。
夕張は日本の縮図だと言われている。そして、日本をそんなにしてきたのは、他ならぬ自民党だ。断じて、彼らにそんなことを言う資格はない。
さらに、普段は、アメリカべったり、アメリカの言うがままのくせに、いざ、憲法の話となると、アメリカに押し付けられたものだから、独自の憲法を持とうなどど言ってきかない。
・・・・・などなど、全く支離滅裂。論理もへったくれもあったもんじゃない。
そんな奴らを選んで、政権与党にしているのは国民だ。先の自民党議員じゃないが、国民にこそ最大の責任がある。そんな連中を選んできたのだから。
衆愚政治と言っていいだろう。その衆愚政治が、そのまま表れてきたのが、そのまんま東が宮崎県知事になったことだ。今、盛んに騒がれているが、おそらく、彼は何も成しえないで終わるだろう。これは、あくまでも私の推測であるが。宮崎をそのまま何も変えずに、東(東京)に帰ってくるだろう。
さて、これからの日本、ますます格差が拡がり、ぎすぎすした社会になっていくのは間違いない。それを推進しているのは自民党なのだが、では、国民が自民党に見切りをつけ、自民党が衰退していくかというと、そうではない。むしろ、格差が拡がれば拡がるほど、自民党は勢力を伸ばしていくだろう(衆愚政治とも関連しているのだか)。そして、ますます格差が拡がり・・・・といった具合に、悪循環に、破滅のスパイラルに陥っていく。何故、そういう支離滅裂な状況が予想されるのか、そのことについては、また、機会を改めて述べてみたい。
父の死
1月26日、帰宅すると兄から電話があり、父が急死したことを告げられました。寝耳に水でした。
何故?21日に実家に帰ったときは、身も心も少し弱ってきていたものの、いつものように元気に働いて、なんともなかったのにどうして急に。くも膜下出血か何かか、という思いが一瞬、脳裏をよぎりました。
「なんで?」
「交通事故で死んだ。」
まさか・・・。信じられませんでした。
即死だったようです。胸部打撲による心臓破裂での。
交通事故による死!恐る恐る聞いてみました。遺体の損傷は酷いのか、と。
しかし、膝に少しかすり傷はあるものの、外傷はないとのことでした。胸も、外からは、何かあったようには見えないとのことでした。
そのとき、自宅で横たわっていましたが、寝ているかのように穏やかで、今にも目を覚ましそうな死に顔だと聞きました。
ほとんど苦しむことのなかった即死、しかも、外傷もなく、穏やかな死に顔。それが、せめてもの救いでした。
実際、帰って、その死に顔を見ましたが、本当に眠っているかのようで、交通事故というと惨たらしい損傷と顔を連想しますが、そんな感じでは全くありませんでした。
でも、これまでずっと働き者だったのに、もはや、ぴくりとも動きませんでした。
事故の原因ですが、対向車がスーパーに入ろうとして、何故か、父の乗っている直進車を待つことなく、その直前で右折し、父はその車を避けきれずに衝突した、ということです。
思いもかけぬ突然の死でしたが、病気で死ぬより、あるいは、下半身不随等の酷い後遺症で苦しむより、もしかしたら、良い死に方だったのかなとも思いました(でも、加害者に対する損害賠償請求等は別問題です)。生前、父は、私たち子供に迷惑をかけて死にたくないと思っていたようでしたし。
でも、死ぬ方はそれでも良いかもしれませんが、残された者にとっては、いたたまれません。なぜなら、私は、散々、心配をかけ苦労をさせ、いつか恩返しをしたいと思っていたからです。
本当に、私は、父や母に心配をかけどおしでした。父もよく言っていました。
「バカな奴ほどかわいい」と。
そんな親心、子知らずの放蕩息子でしたし、父親を嫌悪することもよくありました。
ここで、父がどんな人であったのか、若干述べてみたいと思います。
父は働き者でしたが、頑固で自己中心的、つまらないことで旋毛を曲げて短気でした。私も随分とケンカをし、疎ましく思ったり邪険にしていたりしました。
そんな父も、5年余り前に母が癌で亡くなってからは、一人暮らしになり、随分寂しい思いをしたようです。そのせいか、以前から比べるとだいぶ柔らかくなり、私が訪ねていくと、素朴な笑顔で喜んでくれ、いろんなものをくれようとしました。中にはダサいものもあって、断ることもありましたが、精一杯の愛情表現だったのだと思います。でも、相変わらずいがみ合うことも多かったのですが(苦笑)。
以前は嫌な所ばかり目につきましたが、実は、良い所もたくさんありました。
質素でつましく、そして勤勉でした。頑固だったのは、家族を養うため必死だったからでしょう。実際、人一倍働き者でした。家や家族のため、一生懸命働いてくれました。自分のやりたいこともあっただろうに、それを抑えていたと思います。
そして何より、父は、母とともに、無条件で私を愛してくれました。私を一番愛してくれたのは、父母でした。
いろいろなものを他の人達に無報酬、無条件で与えていたのですが、とりわけ、この私にはそうでした。
にもかかわらず、そのありがたさを実感せず、甘えすぎていました。そして、その恩に何一つ報いることはありませんでした。
随分寂しい思いをしたのでしょうが、それを分かってあげることもしませんでした。
その寂しさをまぎらすためもあったのでしょう、相変わらず日々働く傍ら、様々なことに取り組んでいました。ほのぼのとした童子等の絵を描いたり、詩を書いたり、故人や観音様を描いた石碑を建てたり、木で何か作るのが好きだったので、そういうことをしたり、文学や宇宙の本を読んだり、それをノートに写したりなどしていました。母は花が好きだったので、以前は花など好きではなかったのに、花を育てて、必ず、仏壇等に飾っていました。昨年の11月には、仏像を買ってきて安置もしていました。
本当は、真理を探究することが好きだったのだと思います。それが、図らずもここにきてようやくできるようになり、自分の心と対峙していたのだと思います。あるいは、そうならない方が良かったのかもしれませんが。何が幸せなのか分かりません。
また、もしかしたら、魂を浄化させ、終りのための準備をしていたとも考えられるような気もします。先に亡くなっていた肉親の慰霊碑を建て、全てをやり終えた今、旅立っていったような気もします。父の弟(つまり、私の叔父)が、仏像を彫り終えてしばらくして死を迎えたように。
通夜の前、父がつけていた日記を開いてみました。すると、死の三日前に、風呂に入ってうたた寝をして、来世の夢を見たことが綴られていました。生前、霊魂の存在など頭から否定していたにもかかわらず。また、死の前日には、「終りも近いように思ふ」と綴られていました。
葬式の前日には、寺の住職がみえ、戒名の話になりました。戒名の冒頭には、白峯(はくほう)というものをつけたが、雪を頂いた山の峯という意味だということを話されました。すると、ちょうどそのとき、雪が降り出してきました。
翌日、葬式の日(28日、日曜日)には、あたりは、うっすらと雪化粧し、そこに日の光が映え、明るく穏やかな中で葬式を行うことができました。その日は、朝の天気予報を覆して、ほぼ一日中、晴天でした。
あるいは、偶然だったのかもしれません。しかし、そうではなく、不思議な力が働いたのかもしれません。もちろん、本当のところは誰にも分かりません。でも、そう思いたいのです。
もしかしたら、ということが、私にも起きたのかもしれません。父の死んだ26日、帰宅する前、ある所で「千の風になって」 という曲が流れてきたのを耳にしたのです。
なんとなく耳に入ってきたのですが、聞いたことのある歌詞で、もしかしたら「千の風になって」かな、いやそんなことはないだろうと思ったのですが、しばらく聞いていたら、「千の風になって」の歌詞そのものでした。ホームページで曲がついているらしいというのは知っていたのですが、曲を聴いたのは初めてでした。
これを書いている今、そのHP を訪れたのですが、以前は曲はついていなかったものの、今は曲が流れてきます。そして、なんと、その最中、PCがコントロール不能になり、画面が真っ白になり、そこに雪を頂いた山の峰々のようなものが現れました。2~3秒のことでした。・・・・
話を戻します。最近、知ったのですが、紅白でも歌われたそうで、今、ヒットチャートにも入っているそうですね。でも、この詩は随分古く、作者不詳で、有名だそうです。私が初めて知ったのは、昨年の5月でした。図書館で、そのタイトルの本をみかけたのですが、3月に自分で、最後は風になって空を吹き渡る男を描いた「影の薄い男」というタイトルの短編を書き、それで気になって手にとってみたのです。
普段、宮沢賢治等のごく限られた詩しか鑑賞しないのですが、その詩を目にしたとき、何か圧倒的な力に感情を揺り動かされました。詩で、あんなに感動したことはそれまでなかったことです。そして、溢れ出る涙は留めようがありませんでした。透明な力が、そこには宿っているようでした。
あらゆものに命が宿っているという思想があります。植物には言うに及ばず、雪にも石にも風にも・・・・。
死などどこにも存在しないのかもしれません。あるのは、状態の変化だけで。
父が作ったものは世に出ることはなく、父も世間的には知られず、ひっそりと亡くなっていきました。しかし、現世的なことはどうでもよく、人間の思惑など取るに足らず、問題は、大自然や宇宙が受け入れてくれるかどうかだと思います。
納豆狂想曲第一楽章ーアレグロ
ある健康&ダイエットオタク主婦の日常
○月○日:ある健康番組を見て、「豚肉が血管の弾力性を増し、動脈硬化を防いでくれるですって。さっそく、豚肉を買いに行かなくっちゃ。」と、豚肉を買いに走る。
○月○日:「にんにくが血液をサラサラにするんですって。」
と、にんにくを買いにダッシュ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・中略・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
○月○日:「みかんがダイエットに良いんですって!」
発進。
○月○日:「人参がダイエットに良いですって!」
いざ、出陣。
○月○日:「チョコがダイエットにいいですって!」
出撃。
彼女の偉いところは、実行を伴わない多い人が多い昨今、単にやろうと思うだけでなく実行するところだった。しかも、継続する力があった。
なるほど、「継続は力なり!」
しかしながら、健康に良いことを次々と実行しながら、なぜか、健康状態がおもわしくない。しかも、以前にもまして体が肥えてきている。
そこで、さらに様々な情報に食らいつく。
そんなある日のこと、遂に決定打となる、ある番組がオンエア!!
納豆がダイエットに良いんですって!!!!
スクランブル発進!
すると、スーパーの店内では、同じことような主婦たちが争奪戦を繰り広げていた。
「おのれ、なに人の物を横取りしやがんだ。返せ、コラァァァ。」などと喚きながら。

