大正7年7月 歌舞伎座 納涼芝居 | 栢莚の徒然なるままに

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今回は納涼芝居がすっかり定着した歌舞伎座の筋書を紹介したいと思います。
 
大正7年7月 歌舞伎座
 
演目:
 
7月公演と言えば8月公演と同じく「芝居の当たらない月」と言われ久しく歌舞伎座でも8月に比べると若手公演として隔年単位で行われこそいましたが通常月に比べて扱いは低く毎年開催には至りませんでした。このブログで初めて紹介した大正2年の時は不入りで終わりましたが松竹に経営が移ってからは以後市村座の力を借りつつ開催し大正5年に幹部役者によって初の自前で公演を開いた時には牡丹灯篭が当たった事もあって前年は歌右衛門も出演するなど7月公演は年々その規模を高めて行きました。
 
大正2年7月公演の筋書

 

大正3年7月公演の筋書

 

大正5年7月公演の筋書

 

大正6年7月公演の筋書

 

 

今回も前年に引き続き歌右衛門、羽左衛門、段四郎、八百蔵が出演し他に幹部役者は芝鶴、秀調が出演するなど本公演に見劣りしない顔触れとなっています。
 
主な配役一覧
 
帝国劇場の女優劇でも触れましたが、この時は市村座、明治座、新富座は全て休みになっていて歌舞伎座以外で唯一開いていた帝国劇場は女優劇とあって東京の大劇場で純粋に歌舞伎を上演しているのは歌舞伎座のみであり、ライバルがいないのでそこそこの集客が見込めるとあってかそこまで演目選定もシビアにはなら無かった事もあり、普段なら滅多に上演しない様な珍しい演目が並ぶ形になりました。
 
児雷也豪傑譚話
 
一番目の児雷也豪傑譚話は天保10年から明治元年まで約30年近くに渡って4人の作者の7人の浮世絵師によってアメリカン・コミック方式で描かれた合巻の作品を連載中の嘉永5年7月に河竹黙阿弥が八代目市川團十郎に当てて歌舞伎化した演目です。
余談ですが八代目が初演時に児雷也を務め大当たりしましたが、それから2年後の嘉永7年8月に大阪中座で父海老蔵、弟猿蔵と再度この演目を上演する予定でしたが初日を目前に控えた8月5日に謎に満ちた自殺を遂げてしまい再び演じる事はありませんでした。
八代目の死により急遽中座では弟の猿蔵が代役を務めたそうですがこの後この演目はケレンを得意とする二代目尾上多見蔵が得意とした事から大阪では頻繁に上演される演目となり、明治7年には初代實川延若が筑後の芝居(後の浪花座)で1回、明治18年2月には初代中村鴈治郎も戎座(これも浪花座)で1回演じるなどケレンとは全く縁の無い様な延若や鴈治郎までもが演じる程の人気演目でした。
そして東京では本来なら兄が死ぬ原因になった公演で演じる予定だった役という事で本来なら後ろめたいはずの役なのですが九代目は割かし普通だったらしく明治10年、14年、31年と計3回も演じています。團十郎以外にも大芝居、小芝居問わず上演されていて明治時代にはまだリアルタイムで出版されたのを知る人が多くいた為か人気演目でした。しかし、時代が大正に入るに連れて当時の読者層も高齢化した事から急激に演じられなくなり、僅かに大正3年に市村座で1回、大正6年に横浜座で1回演じられたのみとなっていました。因みにこの演目が歌舞伎座で上演されるのは明治29年に慈善公演で演じられて以来21年ぶりであり、本公演では何と初演でした。
今回の内容としてはまんまだんまりである妙香山藤橋の場と児雷也と間違えられて八鎌鹿六に囚われて拷問を受ける富貴太郎と深見丹三郎のやり取りを描く月影家詮議の場、そして巫女實子に化けている児雷也が鹿六のスケベ心をまんまと利用して二千両もの大金を盗み取り処刑寸前の富貴太郎を助けて下の画像にある様に深見丹三郎と対面し去る八鎌鹿六宅の場と新潟浦刑罪の場の計四幕となっています。
さて、今回は巫女實子実は児雷也を羽左衛門、深見丹三郎を歌右衛門、八鎌鹿六を段四郎、夜叉五郎と富貴太郎を八百蔵、高砂勇美之助を福助、富貴太郎女房おしづを秀調がそれぞれ務めています。
 
さて、納涼公演とはいえ大胆な試みに打って出ましたが劇評には
 
何しろ思ひ切って詰まらぬ芝居だ。今は役者で見せる程の役者がいない。
 
と上記で触れた通り大正7年の当時でさえ既にこの原作を知る人は既に少数になっていた事や写実重視の演技が幅を利かして久しいご時世に前時代なケレン物を演じれるだけの役者がいないと厳しく指摘されています。
 
その上で個々の役者についても写実絶対と言われる中でも数少ない様式美で芝居をしている羽左衛門については
 
羽左衛門の児来也は舞台の間の方が好い。
 
二番目の白洲と来ては下らなさが堪らない。
 
羽左衛門の児来也は柄に於て申分はなかったが、何となく脹らが足らず、画面でお馴染みの二つの引込みの内、巫女姿で千両箱を抱へての六法は鮮やかであったが、妙高山の幕外は金を失くした頼家のやうで、甚く元気が無かった
 
と部分部分では一定の評価は得ているものの、厳しい評価となっています。
 
近来の不出来と言われてしまった歌右衛門の深見丹三郎と柄だけは好いと言われた羽左衛門の盗賊児雷也
 
 
 しかし、これでもまだ評価されてるだけ良い方で他に八鎌鹿六を演じた段四郎が
 
当世向きに丁度巧い
 
と評価されている以外は
 
歌右衛門の深見も拙い
 
歌右衛門の丹三郎は近来の不出来
 
福助の勇美之助は割合引立たぬ。
 
八百蔵の富貴太郎はよんどころなささう。
 
八百蔵の富貴太郎はせいぜい涼しい声で立役がってゐたが、柄に於て大いなる欠点があった。
 
と機銃掃射の如く酷評の嵐となっています。
 
大芝居な芸風もあり評価された段四郎の八鎌鹿六
 
とこの様に折角の長丁場の上演にも関わらず既に江戸時代の歌舞伎が時代と合わなくなってしまったのを再認識させられてしまうだけの結果に終わり不評でした。
 
甕破柴田
 
中幕の甕破柴田は山崎紫紅が書いた新歌舞伎の演目となります。
内容としては猛将として知られた柴田勝家が元亀元年6月4日の長光寺城の戦いで籠城中の勝家が水源が絶たれたと見るやこのまま籠っていても死あるのみだとして城中の水瓶を全て割り決死の覚悟で士気を高め城外に打って出て敵の包囲網を打ち崩した…というフィクションを基に城内に間者として潜入していた三雲可成と常夏の悲恋を絡めて膨らませた話です。
 
今回は柴田勝家を八百蔵、三雲可成を羽左衛門、侍女常夏を福助、三上盛重を猿之助がそれぞれ務めています。
さて前幕はあまりに時代と乖離してしまったと酷評していましたがこの演目はそうかとうと劇評では意外な事に
 
実はわれ等、同志と共に、久しき以前この狂言を拝借して覚えがあるが、今度手入れを頼んだ箇所の多くは悪くなっている。真面目な使者の来るのだけは先よりも好い。
 
と何と役者に先駆けて文士劇で上演したという過去があり何とも珍しい上演した側から見た所感を述べています。
その上で自分達(笑)と比べて役者について
 
八百蔵の柴田、合方を使っての芝居としては、先づ立派な勝家といへやう。幕切の独白は難い處だ。
 
と可成の死と常夏の自害を受けての長台詞には難が見受けられたそうですが、自分たちと比べるとプロの役者とあって様になっていると評価されています。
 
八百蔵の柴田勝家
 
しかし、事実上の主役と言える使命と恋の狭間に揺れる可成と常夏を演じた羽左衛門と福助は
 
羽左衛門の使者は、余計な思入をするのが可笑しい。
 
福助の常夏は持ち切れぬ。
 
と両者揃って難があったらしくあまり評価は高くありませんでした。
前にも少し触れましたが、慶ちゃん福助は若くしての夭逝もあり、芸風についてはあまり言及がなされていませんが、
 
・烈女物、三姫を中心として新歌舞伎、時代物を得意だが世話物は不得意、舞踊は養父譲りで上手く踊れたが鉛中毒により不可能になる。意外と立役も得意な歌右衛門
 
・姫役は得意なものの、新歌舞伎物は苦手で時代物は普通。意外にも世話物は得意で舞踊も親同様に秀でている。若衆役は出来るが立役は苦手な福助
 
と親の芸風をほぼそっくり受け継いだ弟の六代目歌右衛門とは異なり、親子ながら歌右衛門と福助は芸風は正反対に近い物がありました。
昭和に入るまではまだ成人前なのとは親の威光もありこういった演目にも出演していた福助でしたが、馴れない新作物で苦戦しているのが伺えます。
 
羽左衛門の三雲可成と福助の侍女常夏

 
この様に折角手入れまでして出した演目ですが、劇評にも
 
この芝居はまだまだ面白い筈であるのに、総体的に締まらぬ。演者の大部分に狂言の急所(ツボ)が分からぬからである。取り扱ひ方の用意が欠けているのである。駄目だ。
 
と書かれる有様であまり共感は得られずこちらも不評に終わりました。
 
星合露玉菊
 
二番目の星合露玉菊は三代目河竹新七が邑井一の講談を基にして明治33年10月の春木座(本郷座)で歌右衛門の為に書き下ろした世話物の演目です。
内容としては遊女玉菊が客であり身を持ち崩した大工弥吉の為に借金を清算し夫婦の誓いをするも弥吉のいぬ間に年季奉公を終えて訪れた病気がちの玉菊を弥吉の母おしまが嫌がり弥吉の勤める大工の棟梁である利八と示し合わせて嘘をついて息子は死んだと言い、玉菊は悲しみのあまり(弥吉の墓と嘘を教えられた)墓の前で息絶えてしまい、何も知らない弥吉の夢の中に化けて出て来て弥吉は驚くもその後利八により玉菊の死を知り中万字屋の女房おまんや玉菊の兄と嘆くという話になっています。
歌右衛門はこの演目で玉菊を演じて当てて以降、この演目を気に入って地方巡業でも時折手掛かける等して何度も演じていて、今回はわざわざ吉原から生前玉菊が愛用していた品々を借り受けて舞台に臨んだそうです。
そして今回は玉菊と中万字屋の女房おまんを歌右衛門、大工弥吉を羽左衛門、大工の棟梁利八を段四郎、住職玄清を八百蔵、利八の娘お杉を福助、弥吉母おしまを芝鶴がそれぞれ務めています。
劇評では本人に向けて書き下ろされただけあってか歌右衛門の評価が高く
 
二番目は喜劇種の悲劇、その埒もないものを丁寧に演て看客を押へてゐる歌右衛門の玉菊が偉い。
 
と前幕でいう急所を抑えての演技を辛口気味ながらも評価しています。
対して他の役者はどうかと言うと相手役である弥吉を演じた羽左衛門は
 
羽左衛門の大工弥吉は、小博打の一つでもやりさうで、田舎出の生真面目な職人とは受取れぬ。
 
とチャキチャキ江戸っ子なニンが災いしてか不評で、金に目が眩んで玉菊を死に追いやる住職の玄清を演じた八百蔵は
 
八百蔵の住職は、もう少しぐらゐ腥ッ気があっても好いが、あり触れた唯の坊主らしく演てゐるのを神妙とする。
 
とこちらも真面目っ気が過ぎるニンの部分を指摘されてはいますがこちらは羽左衛門ほどには違和感は感じなかったそうです。
 
歌右衛門の玉菊と羽左衛門の大工弥吉
 
そしてこの演目にはちょっとした怖い逸話があり、春木座での初演の際に歌右衛門は茶屋の稲弁楼から玉菊愛用の人形が贈られてきました。
というのも稲弁楼の主人は人伝にこの人形を手に入れて馴染みの芸者に渡した所、三日三晩続けて彼女の枕元に玉菊が現れたらしく、すっかり怖くなって慌てて人形を返したそうです。しかし、稲弁楼の主人も曰く付きの人形の処遇に困り、夢の中で玉菊が「本郷へ行きたい」と言っていた事から春木座の芝居茶屋に相談したら、偶然にもこの演目を上演しようとしていた為、供養の為という事で押し付けられた贈られたそうです。
その後歌右衛門宅では人形を蔵へしまっていたら、福助が急に病気になった事からこれはきっと人形のせいだという話になりました。しかし、見かけに依らず金光教を信仰するなど信心深かった彼は人形寺に捨てに行く事もせず、人形を蔵から出して巡業先にも持っていたり、陰膳を供えるなどして丁重に扱ったら病が治ったそうです。
因みにこの話、只の噂話かと思われますが歌右衛門自伝にも掲載されているオフィシャルな話だったりします。
この人形がその後どうなったかは定かではありませんが五代目の養子である六代目歌右衛門は大の人形好きだったので処分する事は考えにくいのでまだ成駒屋の家にあるのかも知れません。
 
更に余談ですが玉菊の人形とは無関係ながらも千秋楽2日前の23日には疲れからなのか利八役で出演中の段四郎か舞台で卒倒してしまい、この演目は幕を引いて中止となり、次の五条橋を猿之助が代役になるハプニングがありました。
段四郎はこの時63歳、気付けば今回の一座の中でも最高齢の役者となっていました。一応歌舞伎座には彼より上の年長者である三代目中村歌六(67歳)がまだいましたが、彼も翌大正8年に死去するなど團菊亡き後を支えた世代の内、高齢の役者には一足早く世代交代の波が徐々に押し寄せつつありました。
この一件が直接的な引き金になったかは定かではありませんが、段四郎は自身の倅の内、まだ20代である松尾と蝙蝠の行く末を案じたのかこの年の10月に2人の襲名公演を行う事となります。
 
五条橋
月夜漁
 
大切の五条橋と月夜漁はテンプレ化している澤瀉屋の舞踊演目ですが今回は大正5年1月公演以来、2年ぶりに福助が加わっているのが特徴です。
 
参考までに五代目小團次が月夜漁を演じた九代目市川團十郎三年祭追善公演の筋書

 

 

余談ですが大正11年の段四郎の死後、羽衣会を開催するなど舞踊の才能を開花させつつあった福助の成長もあり、昭和に入ってからの歌舞伎座の舞踊枠は幸四郎、菊五郎、三津五郎らに並んで福助が担当する事となっていきます。そういう意味では貴重な新旧の歌舞伎座舞踊役者の共演とも言えます。
 
段四郎の弁慶と福助の牛若丸

  
 しかし、劇評ではもう見飽きたと言わんばかりに
 
段四郎一家と福助由次郎の公達劇、分かりきったものである。
 
と素っ気なく評価されませんでした。
 
猿之助と円谷特撮の怪獣みたいな着ぐるみの松尾、蝙蝠、團子、由次郎たち

 
この様に劇評にも強いて挙げるなら星合露玉菊と書かれる程他の演目は全て評価は今一つであった事から、歌舞伎座としては久しぶりに不入りとなりました。
いくら納涼芝居とはいえ、不入りという結果に少なからずショックを受けた竹次郎は帝国劇場での市村座の引越公演がある8月公演は負けられないと夏場でも集客力がある男と無人の一座になると途端に抜群の腕前を誇るあの男を呼ぶ事となります。