今回は久しぶりに歌舞伎座の筋書を紹介したいと思います。
大正5年4月 歌舞伎座 五代目中村福助襲名披露
演目:
一、矢の根
二、葵上
三、太平記忠臣講釈
四、道成寺
五、柳巷春着薊色縫
2ヶ月間に渡る休場期間を経て久しぶりに開場した歌舞伎座は再開場の幕開けに相応しい襲名公演を打ちました。今回襲名したのは五代目中村歌右衛門の養子である五代目中村福助です。
彼については前に2回ほど触れましたが、御曹子にも関わらず厳しい修行を行い大人でも務めるのが難しい大役である京鹿子娘道成寺と春興鏡獅子を演じきって次世代の花形女形として評価がうなぎ登りの状態でした。
初役の京鹿子娘道成寺の詳細はこちら
初役の春興鏡獅子の詳細はこちら
そんな息子の予想を遥かに上回る成長ぶりに嬉しくて堪らない歌右衛門はついにかつて自分が一世を風靡した時の名跡でもある福助の襲名に踏み切りました。
巻末に掲載されている新福助のコメント
しかし、この事に猛抗議したのが二代目中村梅玉でした。かつて彼も色々な経緯から福助を名乗った事で明治元年から34年まで中断期間はあれど東西に二人の中村福助が存在した事になった事から再び自分の養子の高砂屋四代目中村福助と歌右衛門の養子の福助が両立してしまうという事を危惧しての抗議でした。
しかし、歌右衛門の自伝にも書いたように歌右衛門側は襲名に関する取り決めは破られて反古になっているという主張を曲げず反対を押しきって今回の襲名公演を断行しました。結局この問題は翌月の浪花座の座組にも影響を及ぼした他、昭和に入り中村会を結成した時も問題が棚上げされ戦後まで尾を引き昭和44年に高砂屋五代目中村福助が亡くなるまで続く事になりました。
ともあれ歌舞伎座の技芸委員長である歌右衛門の息子の襲名とあって松竹も気合いを入れたのか襲名披露狂言の京鹿子娘道成寺を始め新旧の演目がずらりと並び、出演する役者も東京の松竹専属の名題役者の殆どが顔を揃える豪華過ぎる座組みになりました。
主な配役一覧
矢の根
まず序幕の矢の根は歌舞伎十八番の一つで、今回客演している左團次の出し物です。岡本綺堂たちと新歌舞伎を上演する傍らで手掛けていたのが埋もれていた歌舞伎十八番の復活上演でこのブログでも以前に「象引」を紹介しましたが、今回は矢の根を手掛けています。
参考までに象引
他の十八番演目と違ってこの演目は明治38年に初演した時こそ酷評されまたしたが再演を重ねる事で認められる様になった事からその後も継続的に上演される様になり今日に至ります。
今回は助六よろしく開演前に口上が付いていて團門の最長老である段四郎が矢の根について述べたそうです。
前回の「象引」は可もなく不可もなくでしたが今回は
「左團次の五郎、前に勤めた時より尾鰭が付いて口合交じりのツラネも粒立ちてよく聞こえたり。裸馬に乗り大根を鞭に振り上げての幕しまりの見得も立派なり」
と左團次の雄々しい芸風とぴったし合って序幕から大当たりだったそうです。
左團次の曽我五郎
また十郎の羽左衛門も
「うっとり夢の中に現れる気持ちありて優しき内に兄は兄だけの貫目見えてよし」
とこちらも好評でした。
葵上
続いて一番目の葵上は榎本虎彦が源氏物語と能の同名作品をベースに書き下ろした新作です。
以前詳細について書きましたがこれまで榎本と歌右衛門の相性は南都炎上などの例外を除けばはっきり言うと水と油状態で良くはありませんでした。
高時の換骨奪胎の様な作風故か榎本作品で歌右衛門が珍しく当たった南都炎上
それも原因が榎本が書く作品はどれも海外作品の翻案ばかりで歌右衛門には不向きな物が多かった為でもありました。しかし、今回はきちんと原作を源氏物語に求めて場面によっては能の葵上も用いるなど務めて歌右衛門向きにした結果、久しぶりに相性の合う作品を作り上げました。内容としては源氏物語にある六条御息所と葵上との話をベースになっていて賀茂祭での家来たちの争いで辱められた六条御息所が知らず知らずのうちに生霊となって葵上を苦しめ、その事に気づいた六条御息所は我が身の嫉妬の醜さに恥じ入り伊勢の野宮に入る事を決心して光源氏と別れるという内容です。
今回主役の六条御息所を歌右衛門が、葵上を源之助が、光源氏を羽左衛門がそれぞれ務めと少々源之助がニンにない役なのを除けばぴったしな配役でした。また写真に乗っている序幕の加茂祭車争いの場から気合いが入っていたらしく、劇評に言わせると「絵巻物をくり広げた様な華麗な場面」と衣装や小道具に至るまでこだわっていたそうです。
一方で下座に関しては雅楽を用いず従来の義太夫でやった為か所々聞こえてくる下座と噛み合わない所も見受けられたそうです。
さて、肝心の役者の演技の方はと言うと歌右衛門は
「歌右衛門の六条御息所は勿論よく、﨟だけで美しく且つ品位もありて光源氏を深く思い入りたるも左もこそと不覚懐かしく思われたり」
とこの手の姫役には無類の良さを持っているだけに高評価されています。
この裏には前回演じた時と比べて大分歩行に支障をきたしていた事から振付を二代目藤間勘右衛門に頼んで付け直してもらうなど見えない所での歌右衛門の工夫と努力があったようです。
対する源之助は
「この人には無理な役です。」
「謹んで気高く演ていれど源氏の君に対して老女房に過ぎ台詞の区切りがスッキリするので引き抜いて何かになりはしないかと危ぶまれたり」
と劇評家が小芝居にアレルギーがあるのかはたまた、悪婆役の源之助に姫役を演じさせるミスキャストが気になったのか不評でした。
そして言わずもがな羽左衛門は
「女にかけてまめまめしい君で、光源氏と時の人にもてはやされたる大将らしくて大よし」
とまんま羽左衛門をそのまま当てはめた様な役だけにこちらも好評でした。
また、脇の役者たちも
左團次「六条御息所の付人にて分別はあれど勇気乏しく」
歌十郎(歌右衛門の弟子)「葵上の付人として屈強な男」
吾妻市之丞(羽左衛門の弟子)「葵上の女房として強く」
秀調「御息所の女房として和(やさ)しく」
とどれもニンを弁えて演じていたようで、源之助さえ除けば好評だったようです。
歌右衛門の葵上、羽左衛門の光源氏
続く左大臣館の場では生霊役で歌右衛門が立ち回る場でここは能の葵上を参考に演じたそうです。
普段霊の役など演じない歌右衛門だけに珍しいですが
「几帳の影より現れ歩むに音なきほどに静かに花道七三ほどに行き葵上の方を見返りたる顔も形も物凄くて大いによし」
「六条御息所の生霊、優しき中に物凄きにて無類」
と鉛毒で難しい歩行を能の表現を借りて上手くカバーしたのが功を奏したのかこちらも絶賛されています。
年々身体の衰えと鉛毒の2つに苦しめられ演技の幅が制限されつつあった歌右衛門も息子の晴れ舞台とあってかかなり熱演したのが伺えそれが好評にも繋がったと言えます。
太平記忠臣講釈
中幕の太平記忠臣講釈はこのブログでもお馴染み壊し屋十一代目片岡仁左衛門の出し物となります。
この演目は近松半二が明和3年に仮名手本忠臣蔵の大当たりを受けて赤穂浪士の討ち入りを忠臣蔵をベースにしつつも半二の独自の解釈で丸々書き直したり書き加えられたりして作られた作品を歌舞伎化した物です。
今回は以前紹介した五代目尾上菊五郎の最後の公演でも演じられた矢間喜内浪宅の場が上演されています。
その時の筋書がこちら
今回上演されている喜内浪宅の場は演目の中でも一際立って陰惨な場面で討ち入り浪士の一人重太郎が仇討ちの為に寝込んでいる老父と疱瘡持ちの我が子を見捨てる事になり、呼び止める妻の眼前で未練を絶ちきる為に我が子を刺し殺し、不義密通を疑われた事と我が子を失った悲しみで妻が自害して果てる…と文字に起こすだけでも陰鬱さが伝わってくるのがお分かり頂けるかと思います。
仁左衛門と言えば空気の読めない珍型をする事で有名ですが今回は珍しく正統的な演技で仇討ちの為とはいえ病身の子を自ら手にかける父親役を好演し
「この優の重太郎は活歴を売物にしていると聞きましたが、今度はさうでもありませんでした。」
と大谷竹次郎たっての懇願(笑)で古風な型で演じたのが功を奏したそうです。そして
「刀を立てて半ば鞘走らせながら白刃に映る我が子の顔を見る工夫は面白いには面白いがちとこしらへ過ぎました。」
とやや演出過剰な部分があったと指摘した上で
「親や女房に対して口と心の裏表を見せやうとする腹はよく現れていました。」
と評価されています。
今回の公演前には鴈治郎と歌右衛門の新富座での和解公演に呼ばれず、代わりに6年ぶりの中座への出演をして襲名騒動の際の取った行動を許されたかの様な大入りに珍しく感極まったそうですが、今回の好演もそういった経験を経た物だったのかも知れません。
そして歌右衛門の妻おりえについては
「腹で十分に芝居をして見せていました。」
と言葉少ないものの評価されています。
道成寺
そして二番目の道成寺は今回の主役といえる福助の襲名披露狂言です。
ご覧の通り所化の役には歌右衛門を筆頭に幹部役者は元より主要な出演俳優がずらりと並ぶ超豪華な配役で羽左衛門が左馬五郎を務めて押戻しを披露したそうです。
大幹部がずらりと揃う中で踊る福助のプレッシャーは東京座での初役の時とは比べ物にならないほど相当な物であったと思いますが、福助は臆せず務め、
「児太郎改め福助の白拍子花子、美しさ花を欺き踊(り)もまた鮮やかにて大出来、後に鬼形となりても身の構え崩れず力ありて蛇体という気持ちありしは良し」
「如何にも優美に見えました。さす引く手はゆったりとして大きく、こせつかぬ所が嬉しいと思いました。(衣装を)引き抜く度に美しくなって「恋の手習い」からの口説きも、品のいい艶な形を見せました。(中略)蛇形になってからは今一息です。尤もあの齢であれくらい立派に出きれば結構だと申す外ありません。」
と満点とはいかなかったもののまだ16歳という年齢を考慮すれば素晴らしい出来栄えだったそうです。
福助の白拍子花子
因みにこの演目の後には襲名でお馴染み口上が付いていました。記事によれば中村一門を筆頭に4~50人が並ぶ豪勢な口上だったそうです。
口上の写真
左が福助、右が歌右衛門
柳巷春着薊色縫
今回横浜座で梅幸が演じていた十六夜を歌右衛門が務める形になっています。
横浜座の筋書はこちら
羽左衛門の清心は
「市村十八番」
「横浜でも評判が良かった」
と2ヶ月連続での同じ役にも関わらず(しかも贔屓の多くは横浜に詰めかけたにも関わらず)相変わらずの名調子で務めて好評でした。
羽左衛門の清心
対して歌右衛門の十六夜は当然と言えば当然ですが多くの見物や劇評家もどうしても横浜座での梅幸との比較になってしまい、
「高尚が当に立って今の優には気の毒らしいもの」
と梅幸の様にはいかず不評に終わりました。
歌右衛門の十六夜
一方でいつもハチャメチャな性根の解釈で奇怪な演じ方で舞台をぶち壊しにする仁左衛門が
「仁左衛門の俳諧師白蓮、飄逸なところがあって金持ちが道楽の真の俳諧師の様にも見えるが其処が大賊が世間を欺く計略にて装い得てよしともいふべし」
といつもの変な演じ方が却って役に合って高評価に繋がるという珍しい事もありました。
この様に普段芝居をぶち壊す仁左衛門が珍しくどの演目でも素晴らしい演技をした事に加えて榎本の葵上も当たり、更には福助の道成寺も当たった事から連日大入りを記録し再開公演は大成功に終わりました。
しかし、松竹はこの成功の余韻に浸る事なく「毎月公演」のモットーは守りつつもライバルの帝国劇場が女優公演、市村座が休みとあってか変化球の一手を打つ一方で次の歌舞伎公演の準備に入る事になります。