このままじゃ嫌だ!自分の可能性を信じたい人のための、可能性を現実のものとするブログ

このままじゃ嫌だ!自分の可能性を信じたい人のための、可能性を現実のものとするブログ

『このままじゃ嫌だ!』これは夢も希望も見えない中にいた昔の僕の叫びです。あの時に思っていたのは、このまま普通に人生が終わっていくことへの恐怖でした。
このブログは、自分自身の人生を後悔なく使い切りたい人が、自由と幸せと豊かさを手に入れるためのブログです。

このブログを訪問して下さりありがとうございます。僕が大切にしている言葉が3つあります。そのうちの一つに、≪ご縁に感謝する≫というものがあります。ブログが元でつながる『縁』にももちろん感謝です。偶然の出会いという点を『縁』に出来たら最高です。あなたとのご縁に感謝します。

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0、無意識で本来自分がとりたくない反応をしていることに気づいていない





1、無意識で反応していることに気づく。



(よくあるのは何か起きて欲しくなかった出来事を通して気づく。つまり『起きて欲しくないよ~。』って思うことを、先回りして観察すると起きる前に手が打てる可能性がある。)


※トラウマ解消ヒーリングを受けると自分の感覚が開くので、無意識の反応に気づきやすくなる。





2、気づいたら訂正しようと試してみる。


(ここで、よく『トラウマが元になった、思考的・感情的な抵抗』が起きるので、それに付随する思考や感情を整理・消化させるために感じ続ける。)



※この思考の整理や感情の消化を促進しやすくするのにヒーリングはめちゃくちゃ効果的。





3、意識すれば、無意識の反応に振り回されない。


(意識し続けるぶんだけ、無意識への定着するスピードが速くなるので、それができるかが重要になってくる。)





4、無意識でも振り回されない状態になる。


(欲しいもの・結果に対してシンプルに思った通り行動できるので手に入りやすくなる。


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とまあ、こんな流れですね。


普通はの部分を行ったりきたりすることになります。

この時間の間隔は、人によって(トラウマの量・質)変わります。


一度の状態まで行けば、そうそう元に戻ることはないです。


4までいくのに、わりと簡単
(抵抗の少ない)部分は3週間もあれば習慣化されると思います。


ただし侮るなかれ『3日坊主』という言葉があるように、あの現象は変化に対する無意識の抵抗であることがほとんどです。


結構、無意識の根が深い(トラウマがきつく、長年生きてきて
強化されている強固な観念的)部分に関しては、


クライアントさん(ヒーリングなし)の
平均的な間隔だと、意識的に自分と向き合うことをしている方々が5~6年かけて通る感じです。


ヒーリングを受けた方の場合は、およそ半年で通りぬける感じだと思います。


自分ひとりで取り組んでやろうとすると、個人差はもちろんありますが、10年20年~と単位だと思います。


ちなみに、特に取り組もうとしてない方は、たぶん死ぬまでその根深い反応ポイントが変化することはないです。(かなり特別な衝撃をうけるような出来事でも起きない限り。)


別にそれがダメなわけではなく、そういう人生ってだけです。


本当に欲しいもの・結果・状態、であればあるほど、
根深いところで抵抗していることが多いので、
多くの人は本当に欲しいものほど手に入りにくい状態になっていると思います。


幸せな家庭。

互いに高めあえるパートナー。

やりがいのある仕事(ライフワーク)。

自己肯定感が高い状態で育つ子どもたち。

認め合えるつながり。

・経済的豊かさ

自分が幸せと思える実感
など


一方で、



ギクシャクした家庭

・いつからか本根でコミュニケーションしなくなったパートナー

・やりたくない仕事(やってる意味が見出せていない

自己肯定感が低い状態の子どもたち

比較評価蔓延しどこか偽っているのつながり

・経済的な貧しさ

・自分が不幸、生きている意味がわからないと思っている状態
など


無意識的にこういう状態を創りだしている人もいます。


上記の欲しいものが手に入った状態に近い人と、
手に入っていない状態に近い人の違いは、


まずは、自分がそういう状態を無意識的に作り出していることに気づいているかいないか?です。
(0⇒1の状態ですね。)


僕はどんな環境からでも自分の欲しいものを手に入れることができると思っています。


そのために自分自身を使いこなすかどうかだと思っています。


・あなたは自分自身を使いこなしたいですか?


・そして、どれくらい使いこなせていますか?


・使いこなすためにどんなことを取り組みますか?

 

 

『あんたならできる。』

 

 

この言葉、僕の大好きな映画『サマーウォーズ』の中で、とある事件が起きた時に、主人公『夏希』ちゃんの祖母である『栄(さかえ)』おばあちゃんが友人知人に力を発揮してもらうための電話でなんどもなんどもしゃべっていた言葉。

 

 

栄おばあちゃんの陣内(じんのうち)家は大河ドラマ、真田丸でも出てきた旧武田家家臣の一族で、上田合戦にも参戦してるみたいなので、きっと真田家とも縁深い家系なんだと思う。そんな陣内家の取りまとめ役の栄おばあちゃんは、国のいろんなお偉いさん達と縁を持っていて、その人達をとある事件の時に直接電話をかけて力づけまくっていた。

 

 

 

初めて、この映画を見たのは何年前だったのか思い出せない。

 

 

でも初めて見たときに涙腺が崩壊したことは今でもはっきり覚えている。

 

 

テレビの画面がゆがんで見えて、ティッシュはたくさん減っていくし、たまたま1人で見ていたので終わった後に目が赤くなっていたのを誰にも見られず良かったとその時は思った。

 

 

 

改めて今、なぜあんなにも涙が止まらなかったのだろうかと考えると、思い当たるのはフリーターで自分の可能性なんてこれっぽちも感じることができず、そんな中で将来の夢なんてみることもできずに、不安で不安でたまらなかったあの時の自分が一番言われたかった言葉だったんだと思う。

 

 

 

『あんたならできる。』

 

 

 

劇中で、栄おばあちゃんは何度も何度もいろんな人に、真剣に言う。

 

 

描写の中では、理由を伝えていたシーンもあるのだが、最終的に何度も何度もカットが切り変わって

 

「あんたならできる!」

「あんたならできるよ!」

「大丈夫、あんたならできる。」

 

 

と、「あんたならできる」しかしゃべっていない。

 

 

 

 

言葉で言うだけなら簡単に言える言葉。

 

 

 

「大丈夫だよ。あなたならできるよ。」

 

 

 

でも、ただの言葉だけなら、これほど空虚で無責任な言葉ない。

 

 

 

そんな感じがもし相手に伝わったとしたら、言葉とは間逆のメッセージなること間違いなしだ。

 

 

 

僕が栄おばあちゃんの言葉から感じたのは、

 

 

 

無条件の信頼であり、心の底からこの言葉を言っている自分への責任であり、ぶっちゃけていうなら論理的な言語を越えた根拠なんて説明できないところをしっかりと相手にメッセージとして伝えている部分だ。

 

 

それを感じることが出来たのは、細田守監督をはじめ、声を当てていらっしゃった声優さんの力によるものもあると思う。

 

 

これをあえて言葉として表現するなら、

 

 

「大丈夫!あなたならできるよ。(根拠なんてうまく言葉で言えないけど、私はあなたができるってそう知ってるから。)」

 

 

が近い。

 

 

書いてて思った。

 

 

もしかしたら、信頼しているよりも、『(あなたが)すでにそうであることを(私は)知っている』が近いかも知れない。

 

 

過去フリーターだった時の僕は、きっと自分の可能性を信じたかったんだと思う。

 

 

でも、両親の離婚から経済的理由による学歴のキャリアからのドロップアウト、周囲を見渡せば自分の才能を仕事にしようと夢に向かって歩む友がいてそれがとてつもなく輝いてみえるのだが、それでいて現状何をどうしていいのか知識もお金も頼れると感じる人もない状態。

 

あえていうなら人生が詰んだ。

 

と勘違いしている状態。(実際に今の僕がいる以上あれは勘違い)

 

 

 

そこからのスタートで信じようにも自分が信じられない、理由を探せば信じれない理由が腐るほど思い浮かぶような状態。でもだからこそ、誰かに心の底から根拠もなく、「お前ならやれる!」と逃げずに言って欲しかったんだと思う。(自分は逃げてたくせにね)

 

 

 

今の仕事をしていて思うのは、人は時々何も信じられなくなるぐらい凹むこともあるってこと。

僕はそれを身を持って、実体験で学んだ。

 

 

 

時々、そんな感じでどうしようもなく、自分が信じられなくなったり、自分を否定したくなっているクライアントさんや友人、知人と会うこともある。

 

 

 

心のどこかで自分の可能性を信じたいけど、信じることができなくて、なんとか頑張って結果を出してみたものの、誰かと比べるとあの人の方がキラキラしてて、まぶしくって。自分が創ったものがとても小さく残念に見える。

 

 

本当は愛着があって、気持ちを込めて、全力で創ったものが、もろくはかなくちっぽけなものに見えてしかたない。

 

 

「見て!こんなの出来たよ。今まで出来なかったけどこんなの創ることが出来たよ!すごいでしょ!」



ちょっぴり胸を張って、少し誇らしげにそう言いたい。

 

 

でも、誰かを見ると、何かと比べると、自分以外の何かがもっとすごそうだと感じると、やっぱり自分のは・・・って感じちゃう。

 

 

 

すると、自分のことが認めたいのに認められなくって、やってもやっても、まだまだまだまだって。今度はアレやってみよう。こっちだったらいけるか?ちょっとぐらい無理したって大丈夫!ってしてるうちにどんどん本当の自分からかけ離れていくような気がして、そんなことも感じないようになって、最後には気づくこともなくなって、

 

 

 

どーーーーせ、自分なんて。。。って

 

そんな自分が嫌になる。

キライになる。

好きになんてなれるわけないし、

誰が好きになってくれるの?

自分だって自分のことが嫌いなのに!!!!

 

 

 

こうなると自分の心のドアに鉄のシャッターを降ろし、自分の可能性なんて、自分の夢なんて、自分の本当の声なんて感じることができなくなってしまう。

 

 

僕が感じたのはきっと、栄おばあちゃんの言葉がそういう壁をぶち破って、

 

 

「(私が自分の責任でもってそう思っているんだ!お前、文句あるか!)大丈夫、あんたならやれる!」

 

 

って、頭でっかちになって、うじうじしてたツンデレなややこしくてめんどくさい昔の僕の何かをぶち壊す、風穴を開けてくれるようなそんなメッセージ思えたんだ。

 

 

 

だからかもしれない。

 

 

時に、僕は言ってしまうことがある。

 

 

20代をほぼほぼ丸々、カウンセリングやコーチングを学ぶことに使い、今では古神道の流れを組むヒーリングまでやっちゃうセラピストとしてあるまじき行為かもしれない、

 

 

 

傲慢で、エゴ的で、自分勝手な言葉を。

 

 

 

「大丈夫、あなたなら大丈夫(やれる)。」

 

 

 

って。

 

もちろん誰にでもいつでも言うわけじゃないし、むしろほとんど言わないことの方が多いかもしれない。

 

 

 

本当は、自分で感じれるようにサポートして、僕が言わなくったって、自分が満足するような結果を自分で創ってもらって、有無を言わさずに自分で自分を大丈夫だ!と思えるようなサポートするのが適切だろうと思っている僕もいるから。

 

 

 

でもね、少なくとも、過去の何にも可能性を自分に感じることができずに、動くことも出来なかった僕は、初めて出会った、カウンセラーの先生に、もらった言葉で人生が変わった。

 

 

 

しかもそれは、カウンセリングを受けた時の言葉ではなく、単にカウンセリング学校説明会の質疑応答のちょっとしたやりとり。

 

 

 

「二十歳そこそこの若造が本当にプロのカウンセラーとしてやれるんですか?」

 

 

と聴いた質問の答えだった。

 

 

「人は皆さん違いますし、絶対なんてことは確約できませんが、私は少なくとも森さんの聴く姿勢やお話を伝えてくれる姿を見るに素敵なカウンセラーになれると感じましたよ。」

 

 

人生が変わった。変わりました。

 

 

まだなんの勉強もしてないわけですよ。

単なる営業トークだったのかもしれません。

でもね、そう言って欲しかったんですよ。

ちゃんとした大人に初めて言われた救われた様なひと言だったんですよ。会ってから1時間も経ってない相手に言われた一言で人生が変わった。

実際に学校に入ってその先生にその言葉を頂いたお礼を伝えたら、覚えてもらっていなかったようなそんな言葉で。

 

 

 

たぶんね。先生の言葉だったかもしれないけど、僕の心の奥で隠れてる本当は自分を信じたい自分の声を先生が代弁してくれた気がして、自分の本当の理解者がいてくれたような気がして、孤軍奮闘してる声無き声を拾い上げてくれたような気がしたんです。

 

 

僕はね自分で自分の可能性を信じたかったんだよ。

本気でやればできるよ!って

無理、できない、可能性無い、否定、否定、否定、の自分を否定して欲しかったんです。

 

 

 

僕は相手の人が自分を信じられなくなってても、僕はその人を信じてたり(知ってたり)するわけだから結果的には、あなたよりあなたを知ってることになる。その上であなたの心の奥に隠れている小さな小さな声の味方になる。

 

 

僕はよくいう。あなたの味方であるのは間違いないけど、自分を否定したがるあなたの味方ではなく、あなたの心の奥の、本当に大切にしたい自分の声を発している子の味方だって。

奥の方で誰も見向きもしてくれないけど一生懸命、「誰かこの声を聴いて!受け取って代弁して!」

と叫んでるような声の味方だって。

 


 

自分が信じれなくて、でも信じたくて、本当は自分でそう思いたいんだけど、そう言ってしまって無理だったらどうしようと思っちゃってる時、

そんでもって僕から見て「いや、大丈夫でしょ。やれるでしょ。」ってどうーしようもなく感じちゃった時、

しかも僕の前にやってきてこれは言って欲しいとしか思えないよね。って感じちゃうとやっぱり声を大にして面と向かって何度でもいうと思います。

 

 

「あんたはやれるよ。やれないわけないやん(何言ってんだよ。なんか文句あんのかこら←心の声ね(笑))!」

 

 

ってね。

 

 

 

 

 

 

1981年9月。森家の2人目の長男のとして産まれました。
 
自営で職人の父(パチンコ大好き、外面良し、お金に無頓着)と、専業主婦の母(愛情深いが自己犠牲が過ぎる誰かの為なら(特に子どもたちの為なら)めちゃくちゃ頑張る人)、8歳上の姉に、2歳下の弟(勇気)の5人家族でした。
 
 
両親の田舎が長崎県の五島列島という島で、隠れキリシタンの多かった土地柄もあってか、家族はキリスト教(カトリック)を信仰していました。僕も小学生時代はほぼ毎週日曜日に教会に行っていた記憶があります。今でもクリスマスイブの夜だけ教会に行く不真面目な教徒になってしまいました。最近はなんなら神社の方が良く行きますし、もちろんお寺も遠慮なく行くので、信仰は典型的な日本人に近いと思います。
 
 
父のことで覚えているのはパチンコ狂。一応仕事はしているんだろうけど、よく母に仕事の車代(交通費)をせがんでいたのを覚えています。のちに複数人の証言で遊び代に消えていた事がよくあったことを知りました。お陰でうちはよくお金がないと思っていたし、貧乏だと思っていました。子ども達を連れて遊びに行ってくれたことも確かにあるんだろうけど、ほとんど母か父の弟子のお兄さん達と遊びに連れて行ってもらってました。
 
 
小学校高学年ぐらいになるとパチンコそのものを死ぬ程憎んでました。なので今までパチンコをやったことが1度もないのです。小さい時には父に連れられて行ったことはあるみたいなのですが、物心ついてからはお店に入ったこともないです。友達がやってたりするのはいいけど、自分がやろうとは思わなくなりました。お陰でギャンブル全般が基本的には嫌いでした。ですが投資などの話を聴いたり学ぶことは好きです。でも考えてみると、自分が就職もしたことがなく、個人の自営業しかしたことがないのはこの家庭環境だったからかもしれません。
 
 
<ターニングポイント1>
・元気と名付けられる。
これで名前の1人歩きと、病気の時に
「元気のくせに病気なんて・・・。」
と言われることが確定しました。
 
今でも
・「良い名前だね」
・「覚えやすい名前だね。」
・「一度聴いたら忘れないね。」
・「お名前は聴いたことが(FBなどで見たことが)あります」
とよく言われます。
 
 
小学校はそれなりに勉強ができ、それなりにスポーツもできて、名前の通り良く言えば「明るい」が、悪く言えば「うるさい」子ども。
学級委員とか、児童会会長とか前に出たがりな子どもでした。
 
小さい頃の夢は医者。理由は周囲の大人に稼げる(お金持ちになれる)と言われたことと、頭が良くないとなれないと言われたこと。貧乏は嫌だったし、頭が良くないとなれないのに元気にはなれると言われたことが嬉しかったんですよね。
 
 
中学校は少し出たがりが落ち着き、その他はそのままの延長で、変わったところはバスケ部に入るところぐらい。ただ、中2の時に軽いイジメにあい、仲の良かったグループから無視されるという経験をしました。その間は当時所属していたバスケットボールのクラブ活動の為に学校に行く日々。クラブの中でも微妙にイジメの影響を引きずっていましたが、1、2ヶ月でイジメも終わったような気がしますが、あんまり人を心の底から信じなくなったかもしれません。
 
 
 
高校は9割ぐらいの生徒が大学に行くような、でもそこまでハイレベルというわけでもないそこそこの高校に入りました。高校生活では今でも続く仲の良い親友と呼べる友達が出来ました。
 
 
高2の終わりまではそれなりに充実した高校生活を送り、
 
恋愛にバイトにバンド(ドラム)に合唱部と、なんやかんやといろいろあって楽しい時間でした。
 
 
<ターニングポイント2>
高3のころになると、父と母が不仲が決定的になる。
 
進路調査では自分の中で、当たり前の様に大学を希望していたのだが、父親と進路について会話するも
「そんなお金はうちにない。」と一蹴され諦めました。
奨学金などもあったのですが、自分の中でも
「(進学は)無理なんだ。。。(人生終わった感)」
という気持ちが強く、どうやったら大学にいけるか?なんて調べる気力もありませんでした。担任も願書の締め切りが全て終わった後に
「お前(進路)どうすんだ?」
と聴いてくるような放任主義だったので、諦めモードのまま日々を過ごしていました。
 
それまでは、一応学校内の成績では上位2割ぐらいには入っていたのですが、自分の中で勉強の意味をなくしてしまい、そこからは遅刻、早退、欠席は当たり前で、体育をするためと、友達や彼女に会いに学校に通っていました。
 
調査票は進学希望で出していたのですが、担任の放任主義もあって、結局就職活動などへの情報もサポートもなく、進路未定のまま卒業することになりました。
 
センター試験の日にクラスに4人、うち3人は推薦で大学が決まった人ばかりで、
「元気なにやってん?w」
と哀れみと苦笑いの声かけは、てきとうに笑って返していましたが当時は胸に来るものがありました。
 
今の自分で過去にタイムスリップできるなら、自分次第で人生を選んでいたかもしれませんが、あの時は無理だったんですよね。
 
ただ、高校生活の最後の冬に、
<のちのち生きてくるターニングポイント3>
卒業間近の12月にたまたま現在のパートナー(後輩)と付き合うことになりました。
 
 
そして、プチ引きこもりのフリーター時代。
結局、父と母が離婚することになり、姉はすでに結婚していたので、母と弟の3人暮らしが始まりました。
 
高校時代のお陰で音楽は好きになっており、少しでも音楽関係のバイトができればとカラオケボックスのバイトを始めました。深夜のバイト。大学生になっている友達となるべく会いたくなかったので遊びの時間がズレることと、時給の関係で選ぶことに。
 
このころは『てきとー』に生きていました。
 
てきとうに合わせて、
てきとうなノリで、
すべては薄っぺらい、
ぺらぺらのてきとーが1番合うと思います。
 
その場、その瞬間よければすべてOK。
刹那主義。
でも根が臆病なので大したこともできず、何をしていたかあんまり覚えていないけど、あっという間だった気がします。
 
アルバイトのバイト仲間の人達のお陰でギリギリ自分を保ててたと思います。今でもあの時の人達には感謝があります。
 
2年近くもそんな生活をしていると、大学に行く友人達からは再び、苦笑いと哀れみ混じりで
「お前、将来どうーするの?」
と言われたりすることがありました。
 
 
この時は、悔しくて悲しくて、見返すために見下すために、漠然と将来を考え始めました。自分より先に行っている友達に負けないために(勝つ為に)どうすればいいか?と考えた時に狭い知識では死ぬ程憎んでいる現状を作った原因(だと決めつけていた)父を思い出すことになります。
 
 
手に職を持って社長になるしかないと思い、昔から好きだったゲームと好きだった音楽を掛け合わせた仕事が出来ないか?とゲームやなんかのBGMを作る、サウンドクリエーターという仕事を考え始めました。
 
確か20歳になりたての秋のころ、ある情報を発見します。
 
それは大手ゲーム会社が作る専門学校の情報でした。当時ゲームも音ゲーと呼ばれるジャンルの盛り上がりもあり、そこに通うと成績優秀者はその大手企業に正社員待遇(給料は院卒と同等)で入社でき、しかも学費全額返還という太っ腹な情報を手にいれるしかし学費は3年で300万。入学金と初年度だけでも100万強はかかりました。適当に生きてきた自分に貯金はそんなにないしどーしたもんか?と考えたところ、ストレートに大学院に行って卒業すると考えると24歳。今は20歳ということで、4ヶ年計画を立てました。
そしたらあいつらに追いつけるし、しかも秋入学というのもあるじゃないかと。
 
 
というわけで、
4ヵ年計画としては、
 
最初の1年は秋まで貯金することにする。
 
そして秋には入学し、入学後は死ぬ気で勉強とバイトを両立させて成績優秀者に入る。
 
で、見事大手企業に入社、肩書きGET。そこからは30歳までぶっちぎりで働いて独立し社長で人生バラ色になる。
 
そうなるとあいつらを見返せる見下せる。
 
 
という安易な考えを計画と考えていました
 
 
その為に必要なことは、
 
・その1
社長なので社会人としてのビジネスマナーと言葉使いということで、たまたま友達に紹介してもらっていた某ドーム球場のVIPルームの接客の仕事でいつも以上に言葉使いなどを意識して働くことにしました。
 
・その2
サウンドクリエーターはパソコンを使って作るはず。なので必要なのはパソコンの知識のはず。
入学してからパソコンの使い方を覚えていたら遅れを取る。なのでパソコンの勉強をしながらバイトできないかと考えていたところ、奇跡が起きて家から徒歩2分のところに自作PCショップがオープンすることに。
オープニングスタッフの求人情報を雑誌を見ても乗っていなかったのですが気がつけばオープンしており、諦められなかった僕は今度は店の偵察に行きました。
すると手書きの求人情報を発見。電話するとすぐに面接で採用になりました。これは後でわかるのですが、求人誌に乗せる経費がなかったためでした。
 
入ってみるとパソコンの素人は僕だけ。でも素人のお客様様の気持ちはわかるので、素人のお客様専門の接客担当のようになってました。ここでpcの知識の基礎を手に入れます。
 
 
・その3、その4
入学後の体力。と、お金。
 
学業にアルバイトと両立するためには必然的に睡眠時間が減ります。
なのでなれるためにあえてカラオケの深夜のバイトを続けることにし、そしてついでに他のバイトも始めてお金を貯める。一石二鳥作戦を決行!
 
基本、
11:00~20:00はパソコンショップ。
22:00~3:30(実質4時)までカラオケボックス。
週末は野球やコンサートなどがある日に、14:00~22:00までVIPの接客という仕事をしていました。
週末のカラオケ屋は朝5時まで営業なので、朝の6時までバイトだったり、某ドームは野球が延長すると試合が終わらないので片付けが出来ず帰れないので、日をまたぐこともありました。
 
でも、そんな生活を送り始める20歳でした。
 
 
 
 
 
<ターニングポイント4>
忘れもしない高校卒業から2年たった、20歳の4月9日
2年以上付き合った彼女に振られる。僕が振り回していたことに耐えられなくなったため。(まぁあれでは将来も考えれないと思う。)今考えると振られるように持っていってました。最後の方はバイトばっかりでしたし、あんまり遊ぶ時間もなかったですしね。
 
でもそこからは少し自棄になり、友達に遊びのアポを取り始める。そんな感じの13日後の4月22日の深夜、友達と遊びに行って車で友達の家に送った帰り道のことでした、パトカーの赤ランプを発見。検問かな?と思ってシートベルトを締める。当時はほとんどしてなかったので。そこは別に検問ではなかったのですが、それから約15分後に車が事故に合う。(過失割合が10:0で飲酒運転で前から車が突っ込んできました。スローモーションも体験。)
 
フロントガラスは被りましたが、救急車を自分で呼べるぐらいの軽傷。一応初救急車に乗って、運ばれる。その後、初の検査入院。
「頭を撃ってたら死ぬかも」と言われる。が、シートベルトのお陰か、軽傷で助かる。でも頭の検査が終わってなく、入院中は暇だった。
 
 
さすがにお医者さんに死ぬかもと言われてから検査結果が出るまでの数日間、自分の生き方を考える。自分が悪くなくてもいつ死ぬかわからんし、どうせ死ぬかもしれないなら後悔しないようにやりたいことやって生きたいと思うようになる。
でもやりたいことって別にない。
サウンドクリエーターだって、やりたいか?って訊かれると、どんな仕事かも知らないしなんとなく好きなものの掛け算と手に職を持てて社長になれる可能性があるってだけ。
むしろよくわからないけど、人生の目標がなくなることの方が怖くて好きかどうかなんて考えもしなかった。
 
<ターニングポイント5>
姉が買って来てくれた雑誌に「誰でもなれるカウンセラー」という怪しげな文字を発見。
 
高校生の頃、進路に心理学部(精神科医・臨床心理士)も考えたので心理カウンセラーと呼ばれる人は大学院に行って、国家資格を取得しないとなれないことは知っていた。
だから誰でもなれるカウンセラーという言葉は僕にとって怪しげな言葉でしかなかったんです。
でも大学に行ってないことで職業選択の幅が狭まっている自覚のある僕にはコンプレックスをくすぐる意味でも、諦めた夢をまた見れるかもしれないという期待で惹きつけられる文字でした。
 
その言葉は、某お稽古雑誌の内容のような特集で、いわゆる民間の学校の特集をしていました。内容は、「一般の人が最短で半年でプロデビュー!」とか「プロのカウンセラー達は某番組にTV出演中」とか書いてて、信じられませんでした。
 
でも気になる情報が欲しい、どうしよう。と悩んでいたところ、よく見るとHPアドレスが書いてあるじゃないですか!当時は今のようにスマホなんてありませんでしたし、一家に一台パソコンなんて時代でもなかったのです。うちの生活レベルやITリテラシーを考えると絶対に持ってなかったし、必要もなかった。が、僕は運が良かった。パソコンショップで働いていたことによって、店長から店員が持ってないのは具合が悪いから、1台買いなさいと勧められていて、かーーーーなり格安でパソコンを買ってインターネットなるものを家に引いていたのでした。
 
退院後まずは、例のテレビを見てみると確かに雑誌に載っていた人が出演していました。
ここで少し怪しさが薄れます。でもまだ怪しい。。
更にHPを見ると、当時にしてはかなり力を入れてHPを作っていました。作りこんでいました。実績の数々。キレイな写真。思わず、資料請求をしていました。
じゃ~ちゃんと素敵なパンフレットなどが届き、丁寧に無料体験講座と無料説明会のご案内がありました。この時点でかなり信じていたと思います。
 
その後無料説明会に申し込もうと思っていたのですが、通院やリハビリなどもあったことと、再度、過失割合が10:0の別の接触事故に合うなどの機会があったので(通ってた病院にまた運ばれていったから先生が驚いていたのは別の話。)、夏の終わりぐらいにやっと申し込めたのです。
 
<ターニングポイント6>
カウンセリング体験。
無料説明会に行ってみるとなんと、講師のカウンセラーさんが1対1で案内と説明をしてくれるという。一通り説明が終わり、「最後に何か質問はありますか?」ときかれたので、僕は思い切って自分の感じていることをきいてみました。
・自分には学歴がないこと。つまり大学の知識がない。
・アルバイトしかしていないので社会人経験がない。
・年齢は20歳。若い。
・やるなら一生の仕事にしたいし本気。
・お金も正直そんなにあるわけじゃない。
 
そんな僕でもなれるんですか?プロとしてやっていけるんですか?と。
 
しっかりと話を聴き切って下さった後に、
静かにカウンセラーの先生は口を開きました。
 
「森さん、正直プロとしてやっていけるかどうかはわかりません。それはご本人さまの持っているものや、やる気、取り組み次第なところもありますから。。。
でもね、『私は』今日森さんとお会いしてお話しさせて頂きましたが、才能がお有りだとおもいますよ。正直向いていると思います。」
と力を強く伝えて下さいました。
その答えをきいて、
「ありがとうございます。」
と感謝の言葉を伝え帰路につきました。
 
後で振り返ると、高校を卒業してから自分としっかりと向き合ってくれ、そこから自分の想いをまっすぐ伝えて下さる大人の人に初めて出会ったんだと思います。気がつくと心の中がスッキリしていました。カウンセラーと呼ばれる人の凄さを身を持って実感し、その職業に確実に惹かれていました。
お陰で帰ってから自分の貯金の額を確認し、秋に行くはずだった学校の進路をサウンドクリエーターからカウンセラーに変更していたのでした。


その後が気になる方はこちらもどうぞ



 


トラウマ解消ヒーリングコースに興味を持って頂きありがとうございます。

 

 

 

このヒーリングは人間の成長過程において、否が応でもほとんどの場合ついてしまう、トラウマ(バーストラウマ・インナーチャイルド)の解消を促進します。

 

 

 

ヒーリングの結果、トラウマの解消が進みますと、



やりたいことが見つかりやすくなる。


・やりたいことがうまくできるようになる。売り上げが上がるなどの結果が出やすくなる。)


・自分にウソをついた生き方をしなくてもよくなる。


一生、効果が続く(一度、解消されたトラウマに関しては2度と付かない。) 

 

 

・恋愛、仕事、夫婦、親子 などの人間関係・関係性がよくなる。


・あなたの周囲にいる人の状態が好転する可能性が高まる。


などの効果があります。

 

 

 

ですので、

 




 しっかりと現実を動かして幸せになりたい。


 死ぬ時に後悔せずに、人生を生き切った感を持って死にたい。


 心から信頼できる人と、本当に喜び合える人間関係(パートナーシップ)を築きたい。幸せな結婚なんかも!?

 

 自分が本当に好きなことで仕事をし、収入を得たい。自分らしさを活かしてビジネスをする。


 まだ見ぬ自分の可能性を知りたい。出会いたい!



と言う方には、本当にオススメです。

 

 

 

トラウマは

無意識に、

自覚なく、

勝手に(オートマティックに)

 

 

あなたを

不自由にし、

能力の発揮を阻害し、

幸せを掴むことへの抵抗感を

生み出します。

 

 

それは、

 

・物の捉え方

・価値観

・無意識の行動

・選択の基準

・決断力

など

 

にまで影響し、

 

 

あなたの幸せや自由、成功への障害になります。

 

 

このトラウマの影響が減少するだけでかなり、様々な意味で生きやすくなり、欲しい結果が手に入りやすくなるでしょう。

 

 

さらに、そのヒーリング効果を高めるために、

 

のべ数千時間以上の個人セッションがほとんど口コミで広がっていった森元気のオリジナルセッションを40分つけさせて頂きます。


コーチングやカウンセリングなどの心理学的アプローチの他に、直感、エネルギーの状態のスピ情報も取り入れ、様々な観点からみて、今のあなたに必要な要素を取り入れたものになります。




※主に効果を感じやすくするための会話と、確実に現実世界を変化させていくための会話を行います。

 

 

ヒーリングと共に、適切な会話していくことで、より効果を実感しやすくなり、

 


それに加え、地に足をつけて、現実世界をしっかりと動かし、着実に確実に、結果を手に入れていく会話をしますので、

 

 


『スピリチュアルな会話だけして、現実世界になにも変化がない』


ということが少なくなります。

 


 

 

 

 

ただし、

 

NG「依存的な方」

 

 

NG「ヒーリングを受ければ、それだけですべてがうまくいくと思われている方」

 

 

NG「自分は何もしないのですべてなんとかして欲しい」

 

 

という方には、

 

ヒーリングの効果はあっても(現実は変わっていっても)、あなたの感じ方や意識次第では、変化の実感を感じにくくなる可能性があるので、お断りすることがあります。


 

※心療内科や精神科にかかっておられる方は事前に一度お伝え下さい。

こちらで「効果を感じることができるか」や「様々な反応の影響はどうか?」の検討をさせて頂く時間を頂く場合がございますので、その場合はご了承下さい。
 


 

人生が変わっていった人達の体験(感想)はこちら
リンク 20代後半女性Aさんの場合
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●ヒーリングは1回50分程度(ヒーリング10分・会話40分で一時間以内のイメージです。)
※ヒーリングそのものは、リラックスして目をつぶって座っていただくだけなので、10分程度で終了いたします。
 

※ヒーリング後の会話時間は特に必要ない場合は早く終わることもあります。

 

 

・ヒーリングのトラウマ解消コースは1クール20回となっております。


 

実施の際は、最低でも1週間ほどの間隔をあけて行うことになります。



ほとんどの方が1週間に1回のペースで受けられて、およそ5ヶ月で、基本のトラウマ解消終えられます。
(バーストラウマおよびインナーチャイルドの解消)

※変則的な日程で行うこともできます。

 


・初回と最終回のみ対面となります。
(対面のヒーリング時には大阪事務所などに来て頂くか事が必要になります。)


・2回目から19回目までは、基本的に電話を使った遠隔ヒーリングでのセッションとなります。
※体験セッション(対面のみ)を受けられている場合は、初回から遠隔で開始することができます。

 


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今後ブログからのヒーリングの申し込み方法が変わります。

興味のある方はメールにてお問い合わせ下さい。

 

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<最後に>

ここまでお読み下さってありがとうございます。
森元気です。

 

 

 

このページをここまで読んでいると言うことは、


『このままじゃ嫌!』


『でも、本当に変われるのだろうか?』


『本当に効果があるんだろうか?』



など、いろいろ迷いながらこの文章を読んで頂いているのではないでしょうか?


今の僕にできることは、
このブログを読んでいただくことで、僕自身の生き様や変化をお伝えすることと、

受けて下さった方の変化を知って頂くこと。(感想カテゴリーへ)


ぐらいしかないかもしれません。



そして、どんなに素晴らしいセラピーやヒーリングがあったとしても、どんなに素晴らしいカウンセラーやコーチ、ヒーラーがいたとしても、

 

 

最後は、あなたが『変わりたい』から『変わる』と決めるしかそれを引き寄せる事はできないと思っています。

そこだけは誰も変わってあげる事はできません。


でもそれさえ決める事が出来るのなら、どんな状態からでも、いくらでもチャンスを見つける事は出来るのではないかとも思います。

 


そのチャンスにこのヒーリングはなると思いますし、実際変わっていかれた方もたくさん知っています。

 

 

もしあなたが変わると決めたその時に、僕を選んで頂けるなら、もちろん最後まで全力で関わらせて頂きます。



あなた以上に、あなたの望む変化に対して覚悟を決めます。


時には厳しく聴こえることを言うかもしれませんし、


助けてもらえないと感じるような関わりをさせて頂くかもしれません。


僕はあなたが本気なら、もちろん僕も本気で関わらせていただきます。



『あなたはこれからの人生をどのような人生にしたいですか?』


僕は高校卒業後のフリーターとして生きていた、18、19、20歳が先の見えないどん底の3年でした。


あのままフリーターでいるのは嫌だった。

 

 

明るい未来なんて想像出来なかった、


良くて、

 

 

いつか普通に就職できて、
普通に結婚し、
普通に仕事をして死んでいく。

事が出来るかもしれない。


僕はそれすらも無理な気がした。

無気力に生きていた自分のままは嫌だった。

 

 

どこかで

自分の可能性を信じたくって、

 

 

好きな仕事をしたかったし、

それで誰かに喜んでもらいたかった、

社会に貢献できる自分でいたかった。

 

 

大好きな人と結婚して、

かわいい子ども達と幸せな家族を築きたかった、

自由に自分で自分の人生を選んで

後悔なく満足して死んでいきたかった。

 

 

でも現実は違った。

どーしよーもない毎日、何をしたらここから抜け出せるかもわからない毎日、先も見えず、期待も持てない日々。

なんどもやけになって生きていました。

 

 

だけど心の奥底ではずっと願っていたんです。




心の奥底で、それでも自分の可能性を信じたかったし、

心の底から、好きな仕事をして、

心の底から、好きな人と結婚して、

心の底から、愛する家族と

心の底から、信頼できる仲間と共に、


死ぬ時に、

「ああすればよかった。。。」

「あれが出来なかったことが心残りだ。。。」

と言って死にたくなかった。


例えば、これから結婚して生まれてくる、子どもにもそんな姿を見せたくなかった。


親として、かっこいい背中を見せたかったし、
パートナーとして奥さんには尊敬されたかったし、
子どもとして親には親孝行がしたかった。


あなたの子どもで良かった。
あなたと結婚して良かった。
あなたが息子で良かった。


そう言われたかった。


そして、何より、


あなたが生まれてくれて嬉しかった。

あなたと結婚できて幸せだった。

あなたの息子で幸せだった。

 

あなたと出会えて幸せだった。

 

あなたのお陰で充実した人生になった。



そう胸を張って伝えることができる人生が良かった。


だから、僕は


自分で変わることを決めました。



 

世の中には、人生を変化させるためのツールがいろいろと存在します。

 

 

どれが「いい」「悪い」ではなく、


もしあなたが何か変化させたいと願うなら、

 

 

今までと同じことをしていてもはっきり言って変化は起きません。


いつもと違う決断を取り入れて下さい。


なぜなら今までの日々が今を作っているからです。


そして、もし

「何をして良いのかわからない。」

というなら、


そんな時こそ「トラウマ解消ヒーリング」を体験してみて下さい。



独立してから10年以上もスピリチュアルなことを否定して活動してきた中で、

 

 

その決意を変えざるを得ないほどの自信を持ってお届けするヒーリングです。


確実にあなたの背中を押してくれて、人生を変化させるきっかけを感じさせてくれることでしょう。


僕自身も、このヒーリングを体験して、大きく人生が変わりました。


僕はそのドアを開くのに出会ってから3年もかかりました。


今の自分だったらもっと早くて受けたかったです。


僕の場合は、自分の決意が足りなかったのでチャンスを1度逃しました。チャンスの女神には前髪しかないって言ってたのにです。


あなたは、
あなたの人生を変化させるタイミングがあるとするならば、


いつがベストタイミングだと思いますか?


僕が感じるのは、それはあなたがピンと来た瞬間です。

 

 

心の奥底のかすかな声をしっかりと聴いてみて下さい。

 

『あなたの奥底(魂)は何を望んでいますか?なんと言ってますか?』



本当に自分の奥底の望んでいる人生を歩み出すと、自分の奥で魂が喜んでいることを実感します。


その時、人生の質が大きく変化していることに気づくでしょう。


 

そんな生き方を出来る人が増えていくなら嬉しく思います。



自らの奥底の声(本質)を聴き、心の底から望む生き方をあなたが選択されることを心から願っています。



なぜなら、ここまで読んで下さったのなら、

 

 

『あなたも心の奥底で変化を望んでいるのだから。』


あなたが本当の喜びを味わえることを心から祈っています。



ここまで読んで下さって、ありがとうございました。



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