マジョリティ・マイノリティ | 一毛録 - Genkairo Official Weblog -

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古美術 玄海樓店主のきまぐれブログ

「マジョリティ」と「マイノリティ」

最近よく聞かれるこの言葉。

 

いわゆる「多数派」と「少数派」のことですが、

他にも「LGBT」や「ジェンダーフリー」等、最近色々と叫ばれています。

これらの元となるというか大きな取り組み、方針の言葉に

「SDGs」(Sustainable Development Goals 接続可能な開発目標)

もう何のことやら・・・という方も多いはず。

 

世界中の環境・差別・貧困・人権等の問題・課題を、

世界中の皆で誰一人取り残すことなく2030年までに

解決してゆこうという世界共通の目標、という事らしいです。

 

人類は現代に至るまで様々な問題を解決してきたことに間違いはないのですが、

こと多様化、平等、それぞれのマイノリティを尊重し過ぎる事によって、

現代では推し進める事が難を究めたりスムーズに捗らないのもこれまた事実。

 

一つ言える事、それは

差別と区別は違うという事です。

 

これまで常識のように思われてきた感覚や価値観が、

この現代においてやや変貌を遂げてきています。

それは、世界的に平和になってきたからなのか(一部の地域では例外です)、

未来型の人類に変貌しようとしているのか、

それは当方には測りかねます。

 

例えば、この地球上の事を考える時、

世界中の人類に絞って考えてみましょう。

元より住む地域も違えば、人種も違う。

太古の昔には今とは違い、そんなに人々の行き来や交流も無かった(仮にほぼ無かったとします)。

当然習慣や文化、価値観や思想、嗜好もそれぞれ違ったはず。

現代では、あまりにIT・メディア等の発展により、知らなくても良い事がSNS等でいち早く世界中に知れ渡る。

当然世界的な価値観や共通の認識を求められるのです。

これを是とするか否とするかはさておき、

 

個々を認めてそれぞれを同等にしなければならないのに、

共通の一つの認識でなくてはならない・・・

 

何かおかしくないですか。

矛盾しては居ませんか。

 

観点を変えて、

この地球上の生物の事を考えます。

哺乳類をはじめ微生物に至るまで、

これらが果たして同等の権利を得る事ができるでしょうか。

片や未だに蔓延している「COVID-19」。

ウイルスとはいえ、これらによってもたらされた人類への影響は計り知れません。

媒介者であろうとされる蝙蝠はどうなのですか。

浸食するべきではなかったのでしょうが、それらを食している人々も現に存在しています。

貧困で食糧難に喘ぐ人たち。

彼らを助ける為様々な方々が活動を行っておられますが、

その先に利権があったり制限を掛けられている社会があるのも事実。

ベジタリアンやヴィーガンといった菜食主義者は、動物性の品こそ食しませんが、

では植物性のものなら全く罪がないといえるのでしょうか。

それはNOです。

動物性のものと植物性のものとを差別している、と言えます。

ただ、これは、それぞれの人たちの主義であり思想であるから問題ないのです。

 

要は、

個人個人と主義や思想、思考、嗜好、習慣や価値観、宗教に至っても、

それぞれは認められるべきであり、そこに干渉されるべきではありません。

また、その部分をあえてクローズアップする必要もなく、そっとしてあげるべきだと

当方は考えます。

 

異なる民族同士の争いは太古の昔からずっと続いています。

それはこの先も変わらないでしょうし、とはいえ、新たな価値観の下無くなって欲しいものです。

一部の人種の人たちが勢力を持ち、何かを牛耳ろうとした時、必ず争いが起こります。

歴史を見れば誰でも分かります。

一方的な価値観を強制させられる事ほど屈辱的なものはありません。

 

「生を受け、平等である」

 

ある意味これだけが正しいと思えるのです。

生きていなければもう同等の権利は存在しません。

生きてこそ、時間を刻み、進んで行ける、これが平等に与えられたものであり、

他は全て平等ではありません。

皆違います。

色彩に様々な色があるように。

 

人間的善のように見える方向性、それらをぼんやりと見せられて

「ね、これ絶対いいでしょ」みたいな・・・

当方にはどうしても短絡的なものにしか見えません。

 

最近、あの17色のバッジにどうも違和感を覚え、またどういうつもりで付けておられるのか

腑に落ちない野元であります。