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TANADAピースギャラリーの日常風景 by 山中コ〜ジ

$GENETO-TANADAピースギャラリー

TANADAピースギャラリーを建てる切っ掛けは、地域の子供達に親しまれる建物でした。
クライアントである大植ご夫妻は、共に中学校と小学校の教師をされていたと言う経緯から、自分達が努めた京田辺地域の人々に役立ちたいという想いと、退職後も何らかの形で子供達と触れ合っていたいという想いからでした。

それが上手く建築として機能しているかどうか、これは長い時間をかけ検証して行くことは、TANADAピースギャラリーを設計した人間の責任として、今度も見守り続けたいと考えています。

そんなある日、ギャラリーを訪れた日の何気ないシーンです。

$GENETO-TANADAピースギャラリー

学校が終わり友達3人で出かける小学生達が、バスを待つ時間を利用してTANADAピースギャラリーにやってきました。
この日は何もイベントが無かったギャラリーですが、我が物顔でいつもの様に入ってくる。
入るなりギャラリー奥で遊び始めました。

大植登氏も特に驚く気配も無く、普通に受け答えしている様子。
小学生達も親しげに話す。
そんな様子を見ることができました。

恐らくそんなに面識の無い子供達だが、TANADAピースギャラリーの存在をしっかりと知っていてくれ、そこで遊んでも家主から叱られないという事もしっかり分かっている。
彼女らが移動するまでの少しの時間を、TANADAピースギャラリーで過ごしてくれた。

この様な何気ない日常がギャラリーで繰り広げられている事は、TANADAピースギャラリー ブログを読んでいると、時々そんな日常風景が書かれていますが、実際に見ると感激に値します。
これは建築家として仕事をして良かったと思える瞬間です。

$GENETO-TANADAピースギャラリー

僕達の幼い頃を振り返ると、こんな建築物は有りませんでしたが、必ず友達と集まりたくなる場所が有りました。
それは、一種独特な空間だったでしょう。
大きな岩場であったり、木々の鬱蒼と生い茂った林の中、大木の根元、川の深み、大きな庭等、思い出すと切りがないくらいに僕達の遊び場はあったものです。
今の子供達はテレビゲーム等で遊ぶでしょうから、なかなか周辺環境で遊ぶことに慣れていないかも知れませんが、遊ぶ場所が無くなって来ている事も事実です。
どんなゲームのワンシーンよりも、遊んだ場所は喜びや恐怖など感覚は違っても鮮明に覚えているはず。
そんな建築を都市の中に作りたいと考えています。
子供達の記憶に留まる事で、きっといつか何らかの発想の原点になったり、心の支点になったりします。
TANADAピースギャラリーは純然たるギャラリーでは有りません。
そのお陰で、地域住民の心の寄りどころになる私設の公民館の様な存在であると、改めて実感しました。

また、こんな建築を設計するチャンスに恵まれたい。
そう切に願っています。

TANADAピースギャラリー(GENETO HP)

TANADAピースギャラリー オフィシャル blog

TANADAピースギャラリー GENETO blog

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自作の鞭(イノシシや鹿を脅す為に開発された)を実演してくださる大植氏の様子



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山中コ~ジ




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看板について思い出した事 by 山中コ〜ジ

先日、新しいGENETO京都事務所に街灯の看板がついた事は、このblogでご紹介しました。
そのblogで創業の地である左京区市原には、看板があったという趣旨の記事を書きました。

そんな折、たまたま実家に立ち寄る機会があり写真を撮りました。
意識して見ないと、家と同化して数年が経つ看板なので見過ごしてしまいますが、未だに夕方になると父がGENETO看板のライトを灯してくれています。
当時は白熱色のレフランプでしたが、今では青いLEDライトになっています。

この看板は、当時仕事でお付き合いをしていた鉄鋼職人 木村徹氏に依頼をした物で、電気工事は一平ちゃんという方にお願いした事を覚えています。
この看板の取り付け工事が行われた日、GENETOとして正式に仕事を開始する日でもありました。
昼から実家の玄関に取り付け工事をしていただき、夜は東大路今出川を西に行ったバーを貸し切って頂きお祝いのパーティーをしました。
この日を企画してくれたのは、当時公私ともお世話になっていた角村和拓氏。

ある日角村氏に「お祝いするけど、プレゼント何が良い?」と聞かれて「ドンペリが飲みたい!」と、
まだまだ20歳代前半で、お酒も大して飲めない僕が偉そうにそんな事を言った事を思い出します。
約束通りお祝いパーティー当日はドンペリを空けて頂き、集まった皆でボトルに寄せ書きをした事を思い出します。
今では上記した3名は、それぞれ違った道に進み、連絡を取る事もありませんが、当時はとてもお世話になりました。

そんな回想をしつつ、新しいGENETO京都事務所でも色々なドラマが産まれるのだろうと、とても期待しています。

ちなみに、GENETO東京事務所には看板がありません。

$GENETO-geneto sign


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新しい公共空間 by 山中悠嗣

先日、某雑誌社の方と会うため新宿へと向かった。
最近竣工したJIDAIYA ARASHIYAMAの紹介を兼ねて、久しぶりに二人で飲みに行くことに。
某雑誌社では、コンセプトの説明や詳細なこと、最近考えている都市や地域との関わり方や、都市の使い方のような話にまで話は広がる。
雑誌社での話し合いは、小一時間で終わり飲みに出かけることに。

最近できたという、我々が考えている都市や地域との関わり方とかの話が実践されているようなお店に向かう。そこは、もともとガソリンスタンドなのだが、バーとして今は使われている。
フィルアップ手前の広部分を利用して、テントとタープが設けられている。
その奥に、こじんまりとした元々はオフィス部分がカウンター席になっている。
店舗としての大半の席が屋外という状態。そして、屋外は完全に解放されているので、少し休憩ということにも凄くスムーズに入れそうな感じです。
フィルアップテントテントの中は、これから本格的に使えるようにするらしく今は若干、物置状態に。でも、これくらいのことで十分都市の中に新たな公共空間を作り得るという事を思わされた。
閉じることで領域を確保してきた時代がもう少し開かれつつあるように思う。
都市に対して開くという事を最初に考えたのは、TANADAピースギャラリーを作ったときのことだと思います。

TANADAは、ギャラリーという名前が付いているだけで、本当は地域に大しての新たな公共空間を提供したいというクライアントの意向がそのまま形になってできたときに、受け入れやすいワードということでギャラリーを付けたという経緯もあります。

現に、ギャラリーだけの使われ方ではなく、ミニコンサートが行われたり、様々なワークショップが行われたりと地域の人に対して様々な形でひらこうとしている。こういった広がり方が今後もっと多くなると都市生活によって失われてきた近所付き合いに似たものが新たな形として現れるのではないかと思っています。

JIDAIYA ARASHIYAMA でもこの都市に開くということを考えています。
プログラムは、変身時代衣裳スタジオということで決まっていますが、使い方は自由にできるよう設計の段階で色々考えました。

そもそもスタジオということで、ある程度の広がりを持った空間になることは決まっていたので、ソコを利用した他のプログラムを持ち込める余地をつくろうと考えました。そうすることで、決まりきった場所の使い方にとどまらず地域を巻き込んだイベントのようなものが、小さな規模でも行えるという狙いも持っています。
そんな話をしていると、某雑誌社の方が、関西の建築家の方が店舗を作ったときに最近話されていたことが、「個人の公共性」(正確には覚えていない)という事をおっしゃっていたと教えてくれました。

個人の空間が公共的に扱われていくことの可能性のようなものをお話されていたらしいのですが、まさに我々がTANADAやJIDAIYA ARASHIYAMAで実践したこととよく似たお話だということを感じました。
そういった話をしながら、こじつけかもしれませんが、裕福であればあるほど人は自分の領域を主張したくなるのかと思いました。
つまり、不景気だからこそ人々の中に芽生えた個人の空間を公共に開放しようという感覚なのではないかと思うのです。
このガソリンスタンダのお店(フィルアップ)も、バブルの時代ならいったんすべてを取り壊して新たにビルを建ててしっかりとしたお店の体裁を作ったのではないかと思うのです。それが今の時代だとそんなにお金もないし、でもどうにか面白いことはしたい、場所さえあれば使い方次第でいくらでも面白いことは出来るという事を多くの人が思い始めているのだと思います。
そして、都市の領域と自分の領域を曖昧にしていきながら多くの人との接点を作っている。
新たな公共空間が今後生み出されていくことになるのでは思っています。

TANADA ピース ギャラリーについてはコチラ

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