ボールが投げられない | アラフィフ親父の戯言

アラフィフ親父の戯言

妻と高校生の娘の3人家族。20代と中高年で複数回転職。国立大学文系学部卒。仕事の人間関係と子どもの成績に頭を悩ませる、どこにでもいるアラフィフ親父です

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今でもですが、私はボールを投げることができません。ソフトボールを精一杯投げても10メートルくらいしか飛ばすことができないし、投げたボールがどこに飛んでいくかなんて、投げた本人にも分かりません。

 

そんな状態で一緒に遊んでくれる友達なんていません。授業中は物思いに耽ることが多く、家では本を読んだり絵を描いたり楽器を弾いたりして過ごすことが多い子どもでした。

学校の勉強なんてほとんど何もしていませんでしたが、小学校の成績は体育以外は常に学年トップだったため、周囲からはガリ勉と呼ばれました。


近所を歩いていたら、突然知らないおばあさんに呼び止められて、

「アンタ、外で遊ばずに勉強ばかりしてるんでしょ。そんなに勉強ばかりしていると片輪になるから、男の子は外で遊ばないとダメでしょ」

などと「説教」されたこともありました。


そんな噂が私の両親の耳にも入るようになりました。家に帰っても母は私を家に入れようとせず、外で遊んでくることを強要しました。

が、ボール遊びができない私と一緒に遊んでくれる子なんていません。

私は毎日のように図書館に入り浸り、家に入れてもらえる時間になるまで本を読み漁るしかありませんでした。


父とは近所の空き地で、平日の夜と週末にキャッチボールをさせられましたが、もう本当に嫌で仕方がありませんでした。いくらやっても全く上手くならないので、父からはいつも怒鳴られ、私はいつも泣き叫んでいました。それもそれで近所で噂になったしまったらしく、ついに母からキャッチボールを止めるように言われる始末でした。父は週末には私を無視して、弟や妹と一緒に外で遊ぶようになりました。

 

自分はなんでこんなに人と違うんだろう?

勉強なんてできなくてもいいから、みんなと同じようにボールが人並みに投げられるようになりたい。

小学生の頃は本気でそう思っていました。

 

体育の成績は5段階評価で常に2か1。

小学6年生の時に担任の先生から、「どれだけ勉強ができても、運動が人並みにできなければいい高校には入れないので、中学受験をした方がいい」と言われました。

周りに中学受験する子なんてほとんど誰もいない環境の中、中学受験をしようと決めたのは小6の夏休み。当時としてもあまりにも遅すぎる決断でしたが、半年弱の受験勉強で地元の中高一貫校に合格することが出来ました。



私が私立中学に進学した原点は「ボールが投げられない」ことにあったといっても過言ではありません。地元の中高一貫校はいわゆる「受験少年院」でした。中学の頃は成績上位でしたが、高校で成績が下がり、壮絶な日々を送ることになりました。



また、新卒で就職した商社で凄絶な経験をしたことも、「ボールが投げられない」ことに起因しています。



が、それによって失ったものだけではなく、得られたものもあると思っていて、例えば世間的に高学歴と言われる大学に進学できたのはそれなのかな、と思っています。


「ボールが投げられない」ことが、私の人格形成、私の人生に多大な影響を与えてきたのは疑いのない事実のようです。