久石譲 音楽する日乗 | geezenstacの森

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久石譲

音楽する日乗

 

著者:久石譲

出版;小学館

 

 

 「振る」「伝える」「知る」「考える」そして、「創る」―久石譲が作曲家の視点で考察した新たなクラシック音楽の歴史。未来へと続く---データベース---

 

 宮崎駿監督や北野武監督の映画音楽の作曲家として知られる久石譲氏は、コンサートのチケットは発売と同時に完売、作曲した曲は中国、台湾などのアジアをはじめ、ヨーロッパなどでも演奏される名実ともに日本を代表する音楽家です。
その久石氏が、クラシック音楽を中心に、音作りや演奏活動から発想の源や思索の原点などについて執筆。特に近年、力を入れているクラシック音楽の作曲と指揮については、その難しさを含め、楽しさ、醍醐味、指揮してわかることなど幅広いエピソードが綴られています。また、氏の原点ともいえる現代音楽を、「現代の音楽」としてあらたに作曲し、演奏、伝え、拡げていくための、格闘にも似た営為を、日常の何気ない思いもはさみながら描写しています。この本の章立てです。

 

目次

1 振る(“第9”を指揮して思うこと;クラシック音楽を指揮するようになるまで ほか)
2 伝える(音楽を伝える方法には何があるのか?;音楽の原点について考える ほか)
3 知る(音楽と視覚と聴覚の問題;視覚と聴覚のズレはどうして起こるのか? ほか)
4 考える(イスラエル・フィルを聴いて思ったこと;「ユダヤ人」と芸術表現をめぐって ほか)
5 創る(曲はいつ完成するのか?)
「今という時代のなかで、作曲するということ」対談 久石譲×小沼純一

 

「日乗」というのは聞きなれない言葉ですが、「乗」は記録という意味で「日々の記録」とか「日記」という意味のようです。ちなみに、「断腸亭日乗」というのがあって、永井荷風のそれなりに有名な日記のようです。小生は、氏の指揮したベートーヴェンの交響曲全集を非常に高く評価し、愛聴しています。その演奏について、最初は第九の解釈が綴られています。本で取り上げられているのは読売日響との演奏のことですが、それが後年少し前の長野チェンバーオーケストラとの演奏になって結実しています。

 

 

 

 

 

 

 この本では久石氏の音楽に対するアプローチを5つの視点でひも解いています。彼の考え方の根底は現代音楽の作曲者としてのミニマルミュージックで、その派生として映画音楽があり、指揮者活動があると考えます。たとえて言うなら日本版アンドレ・プレヴィンとでも言ったらいいのでしょうか。小生も現代音楽はそれなりに聴いていますが、無調音楽とかコンクレート音楽なんかは音楽と思っていません。音楽とは呼んで字のごとし、音を楽しむものであって苦痛を伴うものは音楽ではありませんわな。

 

 市の音楽館の根底にしっかりとした暗シク音楽の歴史というものが感じられ、それでいてアカデミックな考え方に囚われない自由な発想に共感できます。上記のようにさまざまなベクトルの音楽が形になって現れていますがそのどれもが受け入れられているのがすばしいです。

 

 この本の中で現在のイスラエルとガザのハマスとの戦争に関連して、ユダヤ人について書かれている部分があります。ここではイスラエル・フィル/メータの演奏会に絡んで取り上げられています。絵画の世界ではマルク・シャガールぐらいであまりユダヤ人が登場しませんが、こと音楽に関してはユダヤ人抜きには語れません。メンデルスゾーン、マーラー、シェーンベルク、ガーシュイン、ライヒ、バーンスタインなどの作曲家に加えて、ルービンシュタイン、ホロヴィッツ、アシュケナージ、バレンボイム、メニューイン、パールマン、クレーメルと名前をあげて行ったらキリがありません。そういう系譜の中でのイスラエルフィルは音楽の原点のオーケストラと位置付けています。

 

 また、映画「卒業」の価値観についても触れられています。マイク・ニコルズ監督の1967年の映画で音楽としてはサイモンとガーファンクルの曲だけがクローズアップされがちですが、キャストに目を向けると別の視点が浮かび上がってきます。ここでは内田樹氏の話として取り上げていますが、主演のダスティン・ホフマンからしてユダヤ人で、監督のニコロズもユダヤ人、そして、歌っているサイモンとガーファンクルもユダヤ人ということで、この映画はユダヤ人のブル゛ょ和の家庭のストーリーだというのです。そして、アメリカにおけるユダヤ人の曖昧な立場が伏線になっていることは日本人には理解できないというのです。ラストシーンはキリスト教の教会からユダヤ人の青年が花嫁を攫っていくわけで、そういう人種的な記号を日本人は単一民族ゆえに解読することは出来ないと書いています。まさにこの視点はカルチャーショックでした。
 

 そういう新しい気づきや発見に出会うことができた本です。

 

 この本は雑誌「クラシックプレミアム」に連載されたものが元になっています。そのため日記みたいな構成になっています。そして音楽については3要素というとメロディー、ハーモニー、リズムであり、これを座標軸で考えると分りやすい、という話はなるほどと思いました。
リズムは時を刻むので時間軸、ハーモニーはそれぞれの瞬間の響きなので空間的に捉え、メロディーは「時間軸と空間軸の中で作られたものの記憶装置」と説明しています。さらには「音楽は時間軸と空間軸の上に作られた建築物である」とも…。
 

 こう語る前に、視覚情報(空間)と聴覚情報(時間)を統合的に扱うため、脳に「連合野」が発達し、そこで「言葉」が生まれた、という養老孟司さんの話が紹介されています。これを拡大解釈すると、リズムとハーモニーの交わるところにできたメロディーは、言葉との親和性が非常に高く、したがって人間が理解しやすく覚えやすい、と言えるのではないかと思えてきます。あまり馴染みのない和音や複雑なリズムでできている現代の音楽でも、いいなぁと思う音楽にはどこかにメロディーを感じることがあるのはそういうところなんでしょう。

 

 そして、氏はもっと現代の音楽を!と叫びます。「クラシックは古典芸能ではない。過去から現代につながり未来を展望する。そのためには今日の音楽、リアルタイムに作られている『現代の音楽』を出来るだけたくさん聴衆の耳に届ける必要がある。」と書いています。

 

 また、久石さんの作曲の方法として面白いことが書いてあります。「作曲する際、はじめは言葉で考え、自分なりにテーマを決めていきます。震災や祈り、鎮魂など…。ある程度理論的に作曲を進めようとすると、言葉で追い詰めていくことになります。でもその段階では現実的な音との整合性はない。それをあるところで現実の音に切り替えないといけないのですが…」

 作曲家はどちらかというと音のイメージが先にあるものとばかり思っていました。しかし、イメージの中に、言葉とか風景とか感覚みたいなものも含まれることもあるのでしょうが…。まあ、久石氏の場合、映画音楽とかCMとかの発注元があり、そこで言葉によるリクエストが存在することからそうなっているのでしょうかねぇ?
 

 個人的には2025年から日本センチュリー交響楽団の音楽監督に就任するということで、作曲家の視点からオーケストラ演奏の可能性を引き出してもらいたいものです。