対米戦争の大きなターニングポイントは、ミッドウェー海戦とガダルカナル島をめぐる戦いだとよく言われています。
日本は連合国側の米豪分断を目的としてガダルカナル島で戦ったのですが、周辺海域でもこの島をめぐる戦いの一環として幾度となく両陣営は激突しました。そのうちの一つが1942年8月の第2次ソロモン海戦です。
第1次ソロモン海戦では日本海軍は快勝したものの、その約2週間後に発生したこの第2次ソロモン海戦で日本側は空母「龍驤(りゅうじょう)」を沈められてしまいます。

 

1934(昭和9)年撮影の龍驤 (Wikipediaより)


龍驤は1933(昭和8)年に正規空母として竣工。大きさは軽空母に相当します。
画像を見ても分かるように甲板上に艦橋はなく、甲板最前部下に設けられていました。船体の大きさの割に上部構造物が大きく、見た目の不安定感この上ないです。戦艦「扶桑」とどっこいどっこいの奇観といったところでしょうか。当然他の空母と比べて船の復元力にも難がありました。

 

正面から見ると逆三角形に見える龍驤 「日本軍兵器総覧 (デルタ出版)」より

 

1942年1月、仏印カムラン湾に待機中の龍驤(右) 「連合艦隊浮上す(KKベストセラーズ)」より


日米開戦直後は主に南方攻略作戦に参加していましたが、日本海軍がミッドウェー海戦で主力空母4艦を失ったため、残された主力大型空母「翔鶴」「瑞鶴」と共に第2次ソロモン海戦を戦う事になります。

 

第2次ソロモン海戦で被弾し停止している中央上の龍驤 (Wikipediaより)
 

この海戦で龍驤は翔鶴・瑞鶴と別行動を取り、敵機動部隊の攻撃を引きつける役割を果たしますが、米軍機の雷撃と爆弾を受け沈没に至ります。一方、翔鶴・瑞鶴の攻撃部隊は米空母「エンタープライズ」を中破させるに留まり、またガダルカナル島への輸送作戦も阻止された為、日本にとっては分の悪い結果となってしまいました。それから約2か月後に起きる南太平洋海戦では日本側は勝利を収めるのですが、その際ベテラン艦載機搭乗員の多くを失い、戦局は次第に劣勢へと傾いていきます。

龍驤は今もソロモンの海に多くの兵員と共に眠っています。

以下、沈没地点データは「Googleマップで見る軍事的スポット」参照。



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