ミッドウェー海戦に主力空母として参加したのは、「赤城」「加賀」の他に、二航戦(第二航空戦隊)の中型空母「蒼龍」「飛龍」でした。

蒼龍は「蒼龍型」空母の1番艦として、軍縮条約下に建造が開始され、1937(昭和12)年に竣工。
飛龍は「蒼龍型」空母の2番艦として建造されていましたが、途中で日本が軍縮条約を脱退した為に設計の自由度が増し、蒼龍とは違う図面で建造された空母として1939年竣工。蒼龍と異なり左舷に艦橋が設置されています。
以上の事より、蒼龍と飛龍は準同型艦と捉える事は出来ても、純粋な姉妹艦と見なされてはいないようです。

 

1939年、洋上訓練中の蒼龍。上空の飛行機は九七式艦攻  (「写真 日本の軍艦 第3巻」光人社より)

 

 

(左)1937年公試運転中の蒼龍 (右)1939年公試運転中の飛龍 (Wikipediaより)

 

この2艦も赤城や加賀同様、日米開戦の初頭に活躍しますが、1942年6月のミッドウェー海戦で海底に沈んでしまいました。
まず蒼龍が赤城、加賀と同様に米軍機の奇襲を受け炎上、約9時間後に約700名の乗員と共に沈没。
一方の飛龍は他3艦と少し離れた位置にいた為、米軍の急降下爆撃を免れ、その後反撃に転じます。米空母「ヨークタウン」に致命傷を与えて沈没へと追い込みますが、その後の戦闘で被弾し自沈処理を余儀なくされています。約400名が艦と運命を共にしました。

 

 

ミッドウェー海戦で米軍機の攻撃を必死に回避する(左)蒼龍と(右)飛龍 (Wikipediaより)

 

炎上する飛龍 (Wikipediaより)


ちなみに、よく模型ではこれら空母の甲板に日の丸がデザインされているものがありますが、日の丸のペインティングはミッドウェー海戦だけのものです。理由は直前の珊瑚海海戦で日本の艦載機が薄暮の時間帯という事もあり、誤って敵空母に着艦しかけた事件があった為、敵味方識別用にペイントしたのだそうです。しかしこれは同時に敵方にも格好の攻撃目標となってしまった為、同海戦以降はペイントされていません。

『「ミッドウェー海戦」その1』でも触れましたが、1999年10月31日日刊スポーツ25面にこんな記事が載ったそうです。

空母4隻57年ぶり発見
米国の深海調査会社ノーティコス社(メリーランド州)は29日、太平洋戦争の動向を決めた1942年のミッドウェー海戦で米軍に撃沈された旧日本海軍の空母4隻の残骸を57年ぶりに発見したと発表した。
赤城、加賀、蒼龍、飛龍の4隻で水深約4800メートル深海底に沈んでいた。今後さらにデータを解析し、どの空母かを特定する。
(略)
調査に参加したデービッド・ジョーダン氏は「4隻とも確認した。蒼龍とみられる1隻だけが少し離れていたが、他の3隻はかたまっていた」と話している。
調査は同社と米海軍海洋学研究室が共同で実施した。
発見のきっかけは、今年9月の調査で得られたソナー画像とビデオ記録。画像などを検討したところ「(1隻の空母の)船体の一部とみられるものが海底に垂直に突き刺さった状態」で見つかった。
ジョーダン氏は米議会の戦史資料にあった4隻の沈没海域を示す海図を利用したため、残骸を発見することは難しくなかったとしている。
ただどれがどの空母かを特定するのは難しく、得られたデータをさらに解析する。
(略)
野村実・元防衛大教授の話

「4隻の空母のうち、飛龍だけが北方に離れた海域で沈没したのが確認されている。今回離れた場所で確認された空母は飛龍だと思う。」

その後、残骸の一部が加賀のものと推定されたのは前回の記事の通りですが、残念ながらそれ以降に新たな情報は伝わって来ていないようです。

以下、沈没地点データは「Googleマップで見る軍事的スポット」参照。

蒼龍 沈没地点


飛龍 沈没地点


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