日本の近代戦記を多少知っている人ならば、昭和の対米戦争は事実上、海軍の戦争であった事を理解されていると思います(中国大陸は陸軍)。
そしてよく言われるように、日本海軍の戦略思想は日露戦争ばりの戦艦同士による「艦隊決戦」に捉われていて、しかも日本が望んだその艦隊決戦は残念ながら起きることなく、米国に惨敗を喫しました。
しかしよく考えてみると、昭和に入って就役した戦艦はと言えば、軍縮条約の影響もあって「大和型」の2艦のみ。一方の航空母艦はというと、改造空母などを含めるとこれが結構あるんですね。
まあ、戦略としての空母活用には確かに日本は詰めの甘さがあったかもしれませんが、少なくとも空母と航空機の戦術的有用性を世界で最初に実証したのは、日本海軍の空母機動部隊による真珠湾攻撃であった事は紛れもない事実です。

ここでは対米戦争を戦った日本の空母たちを振り返ってみたいと思います。
記事で戦艦を書いた時は「武蔵」が発見された事もあって、型式ごとに新しい順で書きましたが、空母は沈んだ海戦順に時系列で書いてみようと思います。
ただ残念な事に、沈んだ日本空母の海底写真って、ほとんど無いんですよね。海戦の性質上、空母は遠い外洋で沈む事が多かったので、そこは仕方がないのかもしれません。

日本の空母で最初に沈んだのは、1942年5月の珊瑚海海戦での祥鳳型改造軽空母「祥鳳」。
当初は潜水母艦(潜水艦を接舷させて物資を補給する艦艇)「剣埼」として1939(昭和14)年に竣工。その後改造して1942年1月に軽空母として就役し、「祥鳳」と改名されます(当初の設計段階から空母に改造する計画であった)。
こう見てみると、空母としての生涯は短かったのですね。

 

 

(上)横須賀軍港内の祥鳳 (下)珊瑚海海戦で魚雷攻撃を受ける祥鳳 (Wikipediaより)

 

珊瑚海で作戦展開する遠方左が瑞鶴、右に翔鶴。重巡・羽黒の艦上より 
(写真集「連合艦隊 浮上す」KKベストセラーズより)


珊瑚海海戦は史上初めての空母同士の決戦となり、日本側は五航戦(第五航空戦隊)の正規主力空母の「翔鶴(しょうかく)」「瑞鶴(ずいかく)」と、この「祥鳳(しょうほう)」が出撃しました。日本海軍は軽空母である祥鳳を沈められましたが、米国側は正規空母を失っており、海戦そのものは日本側の勝利とされています。しかし日本はこの海戦を通しての当初の戦略的目的を達成することが出来ず、しかも戦いで損耗した五航戦の正規空母2艦が修理等の為、直後のミッドウェー海戦に間に合わなくなるという誤算が生じてしまいました。

祥鳳は約630名の将兵と共に、南緯16度、東経155度の珊瑚海の海底に眠っています。

 

 

 


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