いつでもスーパームーン ~我が家だけの満月~
武藏野では
3日前のスーパームーンは
雲に邪魔されて見られなかったが、
幸い
十六夜の月は
姿を見せてくれた。
その様子は
前のブログで書いた。
満月に関連付けて、
我が家だけの満月をご紹介しましょう。
好きな時に
自分の家で見ることのできる
満月。
天井や壁に
いつでも出ます。
その正体は
懐中電灯の灯り。
だけど
懐中電灯とはいっても、
並の懐中電灯とは違います。
お分かりの通りに
明るさに
全くムラがないため
実にきれいに
活字などを読むことができます。
まるで満月が映し出されているような
優れものの懐中電灯です。
その正体はこれ。
その名も
「レッドレンザー V1ムーン」
( LED LENSER V1 MOON)。
何といっても
均一に磨き上げられた
ムーンレンズが優れもので、
懐中電灯にありがちな
明るさのムラが
全くありません。
大きさは
わずか7cmほどの小さなもの。
LR44の電池4個で
連続15時間もの点灯が可能なので、
私はいつも
1個は外出用のバッグの中に忍ばせており、
地下鉄などの電車の事故に備えています。
もう一つは
枕元用。
メーカーは
Zweibruder OPTOELECTRONICS社。
因みに
余りにも有名な
アメリカのマグ・インスツルメント社製
マグライトでも、
灯りはこんなにムラがある、
これは
ミニマグライトの灯り。
これがその
ミニマグライト。
長さは
15cm弱。
マグライトは
数年間地中に埋もれていても、
掘りだして点灯すれば
きっちりと灯りが付くほど
頑丈に作ってあり、
大きなマグライトは
アメリカの警察では
警棒代わりに使われるほど
丈夫さで信頼性のある懐中電灯である。
この灯りは
我が家の緊急用懐中電灯の灯り。
懐中電灯と
赤色灯と
蛍光灯と
ラジオが付いた災害用ライト。
まさかの時のために
置いてあります。
これは
ごく普通の懐中電灯の灯り。
単焦点で
遠くに光は届きますが、
近場の広範囲を見るのには
不向き。
だけど
何かがあった時に
どこの部屋でも
すぐに灯りが付けられるように
各部屋にそれぞれ
懐中電灯が置いてあります。
それぞれの懐中電灯の大きさは
ご覧の通り。
ご推察ください。
3日前の
スーパームーンに関連付けて、
我が家だけの満月を
ご紹介しましたが、
またもや大きく話がそれました。
それはさておき、
皆さんの家には
ちゃんとまさかの時の
備えはしてありますか。
十六夜の月 ~月に叢雲 花に風~
一昨日の夜の
スーパームーンは
我が家のあたりでは
雲に邪魔されて見られなかった。
だけど
昨夜は
雲の切れ間から
時々その
スーパームーンの姿を見て取れた。
「十六夜の月」ではあるが、
見た目には満月と変わらない。
見た目の月と
同じように撮りました。
このような月には
夢があります。
同じ倍率で、
露出を適正にして、
月の表面のニキビまでとらえると
このようになります。
いかにも球体であることが分かります。
十六夜の月の面影は、
右下の方に少し出ているでしょうか。
「月に叢雲 花に風」
良いことはいつまでも続かない、という
ちょっと寂しい言葉ですが、
直訳で考えると、
少しロマンチックです。
倍率を落として、
雲と一緒に撮影。
今を精いっぱい生きなければ、
いつ雲に隠されるかわからない。
月のとっては
「一寸先は闇」。
人にとっても
同じです。
余談1。
「一寸先は闇」の意味は、
ご存知の通りに
「未来のことは(ほんの少し先のことは)
全く予測することができない」という意味です。
ここでいう
未来(ほんの少し先)というのは、
時間的な先のことであって、
距離的な意味ではない。
だけど
この言葉を直訳すると、
一寸という長さの単位を使っているので、
一寸先は人の目で見えるので
闇でも何でもない、と
言いたくなりませんか?
もうここまで言い古されると、
広辞苑でも
一寸=わずかな距離、に加えて
わずかな時間とか量とかの
広義の意味が書いてあるかもしれないが、
しかし誰が何といおうと
一寸は長さを表す単位。
時間を表すのだったら、
「一瞬」といってほしい。
「一瞬先は闇」。
これなら私も納得する。
国語博士も
赤信号みんなで渡れば怖くない、のように
流れに逆らえずに
このような言葉を認めているのだから、
軟弱なことよ。
Totoronのブログは
いつでもこうして脱線します。
読み捨ててください。
余談2。
十六夜の月の
「いざよい」を
「十六夜」と書くのは当て字。
本当は
「予(いざよ)う」という動詞で
「ためらう」という意味から
そう呼んでいます。
満月の夜の月より、
少し遅れて出てくるので
こう言いますが
本来なら
「予いの月」と書くところでしょうが、
十六夜をそのまま当て字にしてしまいました。
「万年青」と書いて「おもと」と読ませたり
「浜木綿」と書いて「はまゆう」と読ませたりするのと
似ています。
大脱線になってしまいました。
アマリリスの今の姿 ~同じ球根に花が咲くのですか?~
球根植物は
チューリップと
ムスカリくらいしか
育てたことがないので、
よくわからないのですが、
2013年5月に我が家に来て
2014年5月には
巨大な赤い花を咲かせてくれた
アマリリス。
今はこんな状態です。
花が咲いている時に
付いていた葉が
2枚残っており、
花後に出てきた
新しい葉が
現在7枚付いています。
あと1枚葉が出れば、
今年も2本立ちの花が見られそうだが、
アマリリスの花は
昨年と同じ球根に
再び花を咲かせるのだろうか。
少なくとも
ユリとかチューリップは
花の咲いた球根は枯れてしまい、
その脇に育った
新しい球根に花を咲かせると思うのだが、
アマリリスは
どうなのだろうか。
我が家のアマリリスは
花を咲かせた球根が
枯れるどころか、
その太り方がすごい。
昨年6月に
鉢に植えた時には
この鉢では
大きすぎるかもしれない、と
思ったものだが、
今ではむしろ
小さすぎるような気がしてきた。
昨年来た時と
そして花の前の時と、
そして今を
比べてみましょう。
これは
2013.6.1. 撮影のもの。
球根の上を
少しだけ出して植えつけた状態です。
これは
球根が少し太ってきており、
この後5月に花を咲かせました。
そして今。
2014.8.11 撮影。
この写真だけ
大写しにしているのではありません。
鉢の大きさを見て頂けば、
みんな同じ大きさの写真であることが
お分かりだと思います。
球根が
来た時とは比較にならないくらい
大きくなっていますが、
土の中はいったい
どうなっているのでしょうか。
私はまた
チューリップと同じように、
古い球根の周りに
新しい球根ができるものとばかり
思っていましたので、
正直驚いています。
もし、
同じ球根に花が咲くのだったら、
数年後には
一体どれくらい大きな球根になるのやら、
考えただけでも恐ろしい。
アマリリスをよくご存知の方、
これでいいのか教えてくださいませんでしょうか。
スイカ ~食べ物の大衆化と食欲の関係~
今では
余りにも大衆化している
スイカとバナナ。
若い頃に比べれば、
本当に食べなくなった。
私が小学生の頃には、
バナナは
高級な食べ物で、
病気にでもならなければ
食べさせてもらえなかった。
漁師町育ちの私には、
スイカも貴重な食べ物で、
のどが渇いたくらいでは、
井戸水を飲むのが当たり前で、
スイカなど姿も見ない。
だから、
食べさせて貰えた時には、
兄弟で、
できるだけ厚く切ってあるものを
先に取って食べようとしたものだが、
どうしておふくろは、
あんなに上手に
厚みをまるで同じように切れるのだろうと
不思議がったものだった。
そのスイカ。
先日の猛暑の時に
久しぶりに食べた。
久しぶりといっても、
10日ぶりとか
一か月ぶりのレベルではない。
前にいつ食べたのか、
まるで思い出せないほど
もう何十年も食べていないような、
それほどの久しぶりである。
同じように
バナナもほとんど食べていない。
なぜ食べなくなったのだろうと
よく考えてみたら、
小さい頃
高級な品物だったものが、
大衆化したために、
いつでも食べられるという安心感から、
食べたい、という衝動が
自分の気持ちの中で
影を潜めたものと思われた。
スイカやバナナと同じように、
いつでも食べられる
安い食品はいくらでもある。
即席ラーメンであったり、
青物の魚であったり
卵やもやしであったり。
そんなものは
大衆的なものではあるが、
いつでも食べる。
それらと、
スイカとバナナが
どう違うのかと
考えてみたら、
それが
昔、高級なものであったのか、
最初から安いものであったのかの
差であるように思う。
今、
マグロも
ウナギも
希少価値化していて、
容易に庶民の口には入らないから、
機会があれば
無理してでも食べようと思ってしまうが、
上記の考え方に立てば、
マグロやウナギが、
近い将来、卵から養殖できるようになって、
市場にあふれだしたら、
意外と食べたいという衝動がなくなって
余り食べなくなるのではないかと
ふと思ったりする。
スイカもバナナも、
マグロもウナギも、
生涯食べなくったって
どうってことはない食べ物であることに
変わりはない。
食べ物があふれている
このご時世に、
食べられなくなるかもしれないと、
大騒ぎする必要は
全くない。
スイカを
何十年ぶりに食べた時に、
ふと考えたことでした。
魚の縞模様について ~判断基準の擬人化の良し悪し~
魚釣りの話題が出たところで、
もう一つだけ
関連の雑談を。
いきなり核心に入ります。
魚には
いろいろな模様がありますが、
その模様の中で、
今日は縞模様について。
もうこういう前置きだけで
何の話か察知された人も多いかと思いますが、
Totoronの話は
その察知された話のレベルで止まらないところが
ちょっと面白い。(自画自賛しております)
縞模様の代表に
2種類の魚に登場してもらいます。
「キンチャクダイ」 の仲間
綺麗な縞模様ですね。
次はこの魚。
皆さんご存知の 「イシダイ」。
釣り人の憧れの的だが、
なかなか簡単には釣り上げることができない
高級魚。
問題はこの縞模様。
どちらの魚が
縦縞で
どちらの魚が
横縞だと思いますか?
普通なら
キンチャクダイが横縞模様で、
イシダイが縦縞模様と言いたいところですが、
魚の世界では
そうはいかない。
キンチャクダイの正式な名前は、
「タテジマキンチャクダイ」。
そう、
横縞に見えるけれども、
魚の世界では
れっきとした縦縞なのです。
とすると
イシダイが
縦縞に見えるけれども
横縞。
このレベルの話を
知っている人は
きっと50%くらいはいると思いますが、
Totoronの話は
そこでは止まらない。
その先に突っ込みます。
なぜ人の世界と違って
縦横が逆になるのか。
その判断基準は、
人の勝手な擬人化によるもの。
魚を人と同じように、
頭を上にし、
尻尾を足に見立てて
立てた時の模様で判断します。
なぜそのようにしているのかは
断定はできないけれど、
筆者が考えるに、
きっと
カレイやヒラメみたいに
ひらぺったくなって泳ぐ魚や、
ヘコアユのように
頭を下にして泳ぐ魚がいるので、
見た目だけで判断すると、
同じ模様が
縦縞になったり
横縞になったりする
不都合が生じるからではないかと思われます。
だとしたら、
動物の世界でもそうなのだろうか。
そうなのです。
このシマウマは、
「グレービーシマウマ」。
シマウマには
チャップマンシマウマとか
グラントシマウマなどがいますが
今日は
縞模様が細かくてきれいな
グレービーシマウマに登場してもらいました。
このシマウマの模様は
魚と同じで、
縦縞に見えるけれども
じつは
横縞。
それはいい。
だけど、
そのシマウマと全く同じ模様の
このシャツは
れっきとした縦縞。
横縞のシャツは
言うまでもなくこんな模様。
シマウマもこのシャツも
同じ横縞模様なのに、
見た目はまるで逆。
縦縞といえば
阪神タイガースのユニフォームも
縦縞模様。
誰が見ても縦縞ですね。
きっとこれは、
虎の模様からデザインしたものだと思われるが、
誰も不思議がらずに
納得している。
しかし、
本物の虎の模様を
よくご覧ください。
これは
縦縞に見えるけれども、
擬人化の判断基準では
正確には横縞。
だったらユニフォームも
横縞にするべきなのに、
デザインするときには、
見た目優先。
何とも勝手なことをしているのだが、
これが現実。
混乱しないように
よくよく冷静に判断して下さいね。
それとも
誰もそこまでは考えていないか。
要らぬお世話の無駄話だったでしょうか。
縞模様の話だからといって
決して
ヨコシマ(邪)な気持ちで読まないように。
雑談を終わります。
(写真はすべて公開されているネットからお借りしています)。



























