バレンタインデーに思う ~少しきつめの独り言~
日本の
チョコレート年間販売額は、
約4,400億円。
バレンタインシーズンの販売額は
約530億円。
年間販売額の約12%。
バレンタインシーズンを
バレンタイン前15日ほどと推定しても、
15÷365=4.1%だから、
12%はその3倍。
通常の販売額の3倍が売れているのだから
多いといえば多かろう。
バレンタインデーの時の
女性の狂気について
筆者の独り言を
まだご覧になっていない方は
是非次のブログを
開いてみてください。
賛同者多数です。
それに納得した方は、
よろしければ次もご覧ください。
これを読んで
まだ義理チョコを贈る女性が居るとしたら、
思考能力ゼロの恥知らずだといっても
過言ではない。
そんな女性は
付き合うほどの価値もない。
そんなバレンタインデーに
小鳥たちにプレゼント。
ちょっと大きめの水盤。
前の水盤と比べてみてください。
写真の倍率は
背景のブロックの筋の本数で確認できますが
いずれも同じです。
今度の水盤は
少し深みもあり、
さらに直径が少しだけ大きいので
小鳥たちにとって
浴びやすいのではないかと思います。
ここにたまにやってくる
ヒヨドリや
ムクドリや
キジバトなども
あるいは浴びる気になるかもしれません。
スズメはなかなか浴びませんので
今度の水盤だと
チャポンと飛び込まねばならず、
いよいよ浴びなくなる可能性もあります。
しばらく様子を見てみましょう。
水が綺麗に見えるようにと
最初白い水盤を購入したのですが、
白い水盤は、
オートでカメラを向けると
明るいため
自動的に絞りが小さくなり、
周りを暗くするので、
写真がきれいに撮れないことが分かり、
やはり前と同じような色のものを
改めて買い求めました。
こんなことは
カメラを向けてみないと気付かないことでした。
新しい水盤に
小鳥たちが慣れてくれればいいのですが・・・。
朝日を浴びて ~メジロ・水のきらめき~
天気の良い朝に
我が家の庭の水盤で
水浴びをするのは
シジュウカラだけではありません。
メジロだって、
みぞれの日より
晴れた日の水浴びが気持ちいいでしょう。
朝日をsunsunと浴びて、
緑と黄色の体の色がさえます。
シジュウカラが水浴びをしてから、
すぐ後のことです。
安全は確認済み。
以前にも書きましたが、
この時期の小鳥たちには、
巣立ったばかりの幼鳥はおらず、
みんな立派な成鳥になっています。
だから、
いつも羽繕いがされていますので、
いくら浴びても
羽が濡れません。
メジロが
これだけ水しぶきを上げて水浴びするのは、
よくよく安心している時だけです。
だから、
水浴びが終わった後も、
金木犀の茂った木の枝に飛んでいかず、
とりあえず梅ノ木に。
メジロは普通は、
水浴びの後に
身を隠す枝がないこの梅ノ木に
とまることはほとんどありませんが、
今日はよくよく気持ちがいいのでしょう。
尾羽をプルプルッとしているからでしょうか、
尾羽が見えませんね。
鹿児島でいう
シッポチャン(尾羽が全部抜けた小鳥)です。
この後は
すぐに金木犀の木の中へ飛んでいきましたが、
朝日の中で水浴びをする姿は、
見ている者にも
爽やかさが伝わります。
人の不幸ばかりを報道する
TVのニュースなどとは
まるで違う小鳥たちの姿。
毎日行われている
小鳥たちの水浴びは
決して珍しい出来事ではないけれど、
爽やかさだけはピカイチだから、
一度TV局も
撮影に来てこんな画像を公開したらどうだ!
そんなことが言いたくなるほど
気持ちのいい水浴びの様子でした。
朝日を浴びて ~シジュウカラ・水のきらめき~
晴れた朝は、
それだけでも清々(すがすが)しいのに、
朝日を浴びながら水浴びをする
シジュウカラの姿を見ていると、
さらに清々しさが増す。
跳ね上がる水のきらめき。
私は
カメラはど素人で、
さらに使っているカメラも
安いデジカメなので、
いつもオートで撮影しているのだが、
晴れた日は
シャッタースピードが
幾分か速くなると見えて、
適当に
水しぶきが止まって見える。
離れたところで
わずかに流れて見えるのも、
動きが感じられてまたいい。
静止。
この状態が
命の安全のためには
どうしても必要。
安全だとわかると、
また浴び始めます。
取り換えたばかりの綺麗な水だし、
天気は良いし、
最高の水浴び時。
こうして、
何回も何回も
心行くまで浴びます。
でも、
安全確認は怠りません。
水盤は
鉢の水受けを使っているので、
シジュウカラの足は
水盤に固定されないため、
勢いよく水浴びをすると、
水を跳ね上げる羽の勢いで、
体が前に少しずつ進みます。
ほぼ一周するころには
体の脂粉やほこりなども
ほとんどとれてしまうでしょうか。
水の中での羽ばたきでなかったら、
簡単に体が浮くほどの勢いで、
水しぶきをあげます。
この
羽毛が膨れている状態で
水浴びを終える時は、
思いっきり浴びて、
最高に気持ちよさそうな時です。
やはり水浴びは、
みぞれの日より
晴れた日の方がいい。
そう思うのは
見ている筆者だけではなく、
本人もそう思っているかもしれない。
素晴らしいもの・美しいもの ~胡蝶蘭の命~
我が家にある胡蝶蘭は、
もう十数年育てているものもあるが、
これはまだ6,7年。
綺麗な花を
昨年5月に一度咲かせて、
そのあと
昨年11月下旬に二度目の開花。
その
二度目の花が
年を越して2月に入ったのに、
丸々二カ月以上も
まだそのままの姿を保っている。
いったい
胡蝶蘭の花の寿命は
どれくらい長いのだろうか。
サイドボードの上で、
ジジとマリーの
小さな恋心の美しさ、
白い犬の醸し出す
温かな美しさ、
その二つの間にあって、
胡蝶蘭の
自然が作り出した得も言われぬ美しさ、
3者が美しさを競っている。
花が長続きしているばかりではない。
花の間から、
今までは隠れて見えもしなかった蕾が、
大きく膨らんできて、
また一つ美しさを
具現化しようとしている。
前のブログで、
いつも来ていただいている
まいちゃんから
下記のようなコメントを頂いた。
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ととろんさんこんばんは
善を見るために人はその人自身の心にある善を照らし出してみているわけですものね。心の内側にないものは見えないのだと思います。本当の実相を観るにはやはり大きな調和のもと構築された善を感じながらみているように思います。気がつくということは心で感じることですがいまの教育に最も必要なことにおまいます心の富に人はひかれますものね
自然に学ぶこと多いですね
お身体ご自愛くださいませ まい
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善というものの見方、感じ方について述べておられますが、
文中、「気がつくということは心で感じることです」とあります。
形のないものの素晴らしさや美しさを
見ることができるのは、
まさに心で感じるしか方法はありません。
「心で感じること」
そんな気持ちがあったればこそ、
こんな素晴らしい言葉に出会えました。
「世界で最も素晴らしいもの、最も美しいものは
目で見たり、手で触ったりはできません。
それは心で感じるものです。」
ヘレン・ケラー
見る・聞く・話すという
三重苦の障害を背負いながらも、
世界各地を歴訪し、
障害者の教育・福祉に尽くした人の言葉であれば、
説得力がある。
絵画であれ、
人であれ、
景色であれ、
植物や動物であれ、
それぞれにある美しさは、
そのものの美しさではなく
そのものに宿る
命の美しさなのかもしれない。
胡蝶蘭の花の美しさも
形のある花そのものの美しさではなく
花に宿る命の美しさなのだろうかと思う。
蜜液へスズメの襲来 ~粟なくば一時の腹ごしらえ~
一昨年までは
ほとんどのスズメが
蜜液を飲むことはなかったのだが、
代替わりした
若いスズメたちは
親から教えられなくても、
メジロやシジュウカラから学習して、
今では何の疑いもなく
蜜液を飲むようになった。
家主としては
メジロ専用に付けたものなので
数の多いスズメが
大挙して押しかけ
みんなで蜜液を飲まれたら、
あっという間になくなるので
ちょっと困る。
庭に来てみても
粟がなければ
お腹が空いているので、
つい蜜液に目がいく。
主食ではないが、
とりあえずの一時しのぎにはなる
一口含んで、
顔をあげて飲み込みます。
1羽が飲み終わるを
次が待っています。
待っているというより、
待っている方が
先の仲間を押しのけて
割って入ります。
そしてまた次。
スズメの仲間が
瞬間途絶えた時に
でも
メジロはスズメよりも
ほんのちょっとだけ小さいので、
すぐにスズメに場所をとられます。
小鳥達の世界では
体の大きさが
ほんのちょっとの差で
戦わずして強弱が決まります。
よくよくお腹が空いているのでしょうか、
ちゃんと枝にとまればよいものを、
もう恰好なんかは言ってられない。
飲みやすい枝にとまっていた
メジロを追いだした直後の姿。
移動するのももどかしいとばかり、
口が先に動きます。
小鳥たちの生活は
食べているか
寝ているか
そのあとの時間は
ただひたすらに餌探しに費やして
人生を過ごしている、
そんな生活です。
生きるのに大変ではあるけれど
人のように
仲間内での殺し合いは
決してありません。
人は
英知と欲望を身に付けて、
より高みを目指して
進化してきたけれど、
近頃は
欲望の方が余りにも前面に出て、
仲間内で殺し合いをしているのは、
何と愚かなことだろう。
動物界で
必要以外の感情で
仲間を殺すのは
ホモサピエンスだけ。
「一辺倒的考え方は
他に傾倒するようでありながら、
実はほかに依存して
自分を支えようとする態度であり、
また他によって自分を飾ろうとすることでもある。
自分の経験だけが真に自分であり、
それ以外には何もない・・・・」 (哲学者 森有正)
他に依存している考えを
「信念」と履き違えたらいけない。
真理は奥深く慈悲深いものである。



























