素晴らしいもの・美しいもの ~胡蝶蘭の命~
我が家にある胡蝶蘭は、
もう十数年育てているものもあるが、
これはまだ6,7年。
綺麗な花を
昨年5月に一度咲かせて、
そのあと
昨年11月下旬に二度目の開花。
その
二度目の花が
年を越して2月に入ったのに、
丸々二カ月以上も
まだそのままの姿を保っている。
いったい
胡蝶蘭の花の寿命は
どれくらい長いのだろうか。
サイドボードの上で、
ジジとマリーの
小さな恋心の美しさ、
白い犬の醸し出す
温かな美しさ、
その二つの間にあって、
胡蝶蘭の
自然が作り出した得も言われぬ美しさ、
3者が美しさを競っている。
花が長続きしているばかりではない。
花の間から、
今までは隠れて見えもしなかった蕾が、
大きく膨らんできて、
また一つ美しさを
具現化しようとしている。
前のブログで、
いつも来ていただいている
まいちゃんから
下記のようなコメントを頂いた。
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ととろんさんこんばんは
善を見るために人はその人自身の心にある善を照らし出してみているわけですものね。心の内側にないものは見えないのだと思います。本当の実相を観るにはやはり大きな調和のもと構築された善を感じながらみているように思います。気がつくということは心で感じることですがいまの教育に最も必要なことにおまいます心の富に人はひかれますものね
自然に学ぶこと多いですね
お身体ご自愛くださいませ まい
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善というものの見方、感じ方について述べておられますが、
文中、「気がつくということは心で感じることです」とあります。
形のないものの素晴らしさや美しさを
見ることができるのは、
まさに心で感じるしか方法はありません。
「心で感じること」
そんな気持ちがあったればこそ、
こんな素晴らしい言葉に出会えました。
「世界で最も素晴らしいもの、最も美しいものは
目で見たり、手で触ったりはできません。
それは心で感じるものです。」
ヘレン・ケラー
見る・聞く・話すという
三重苦の障害を背負いながらも、
世界各地を歴訪し、
障害者の教育・福祉に尽くした人の言葉であれば、
説得力がある。
絵画であれ、
人であれ、
景色であれ、
植物や動物であれ、
それぞれにある美しさは、
そのものの美しさではなく
そのものに宿る
命の美しさなのかもしれない。
胡蝶蘭の花の美しさも
形のある花そのものの美しさではなく
花に宿る命の美しさなのだろうかと思う。


