毎年この時期は、初心を忘れないようにガンになって大きな手術をした当時のことを振り返るようにしています。

 

 

どうしても普通に暮らせている今が当たり前のようになり、自分一人で生きているような錯覚に陥ったり、感謝の気持ちが薄れていったりしてしまいがちです。

 

 

だから、この時期は私にとって第2の人生への大きな転換期として、様々なことを原点に返って振り返り、こうやって文字に書いてアウトプットすることで自分への指針として残すことにしています。

 

 

今日は、安心を求めて知識や情報を得ようとして、逆に不安や迷いをつかんでしまった当時のことを振り返って、「知識より想像」が大切だとということを書こうと思います。

 


知識と想像


どちらが大切か?


ほとんどの人は知識の方が大切だと答えるだろう。


でも、私は自信を持って想像と答える。


その理由は?


やぱり癌になったからだ(笑)


私は癌になった当初、様々な知識を得ようとした。


しかしどれだけ知識を得ても良くなるという自信は沸いてこず、希望も見えなかった。


得た知識が自分の役に立つのか?と考えたとき、それは単なる知識でほとんど役に立たない事が解った。


いくら知識を積み重ねたところで、それは知識によって崩されてしまうのだ・・・


癌になったとき、どうしたらいいのか?の答えに1+1=2というような答えはない。


されに言えば、答えは解いた人によって幾つもあるのだ。


いったいどの答え、そして知識を信じたらいいのか?


がんに限らず、今の時代の問題の多くは知識では解決しないことが多いような気がする。


知識とはすべて過去のものだからだ。


その過去が原因で今があるのではないか?


がんにあれが良かった、これをやって治った。なんて言うのもみんな過去の他人の出来事なのだ。


でも、今癌で苦しんでいるのは?


私たちは過去に引きずられるのではなく、未来に向かって新しい現実を作っていかなければいけないのだと思う。


だから私は癌になってから知識は単なる知識で過去のものでしかないという位置づけで、それを組み合わせて新しい自分の経験で得た知識を得ようと思ったのだ。


それを現実にするために私は自分がどのように健康になっていくか?幸せになっていくか?を知識を組み合わせて仮説を立て頭の中で実現していく姿を想像した。


その想像を現実に変えるために知識を使ったのだ。


おかげで私は普通の人の限界を越えることが出来たような気がする。


これからの時代は知識だけではどうにもならない。


それが証拠に、過去の知識に頼っている政治家、行政、マスコミ、先生、評論家たちがあれこれいっても何も変わらないではないか?


これからは、知識を越えた想像しか世の中は変わらない。


知識には限界があるが、想像は世界を包み込むことも出来る!


アインシュタインの言葉だそうだ。

6月に入りジメジメと蒸し暑くなり、もうすぐ夏、夏、夏って感じになってきますね!


この6月という月は大きな区切りとなった月でもあります。



先日 のブログに書きましたが19 年前の、6月27日..、朝8時に手術室に歩いて入り、手術が終わったのは夜の11時30分。


人工呼吸器に繋がれてのご帰還で、28日は自分で呼吸をすることもできず、ただただ恐怖

孤独、不安しかない1日を過ごしました。



そして、そこからわたしの人生は一変したわけですが、今日は当時のことを13年後の今振り返って、「ターニングポイント」というテーマでブログを書こうと思いいます。


私の人生のターニングポイント。



それはもちろん「がん」になったときだと思う。



普通に暮らしていた私の背中をトントンと叩き呼びかけられ、振り向いたらそこにいたのが「怖い顔をした“がんさん”」だった。



びっくりして一目散に逃げ出すと、やつは追いかけてきた。



その恐怖たるや・・・



いつ追いつかれるか本当に怖かった・・・・



でも、がんさんが追いかけてくるのにはちゃんとした理由がある。



たぶん私に用があったのだと思う。



ではいったい、どんな用だったのか?



「そっちの道を行くと遭難するよ!」という呼びかけ。



山に登っていて遭難しそうになったら ?



最初に向かっていた目標を変更しなければいけない。



もしそれでも頂上をめざしたら?



本当に遭難して“死”



がんは遭難しそうだった私を見つけて、新しい人生に導いてくれたような気がする。



がんになったことは単なる偶然ではなく“呼びかけ”



遭難しそうだった私を見つけて幸せの方向へ導いてくれたのだ。



私はその呼びかけに応じてあれこれしていただけ。



すると勝手に新しい人生という物語が浮かび上がってきたのだ。



そして、この人工呼吸器に繋がれた1日がまさに、私にとって人生のターニングポイントとなった。



ターニングポイントとは分岐点。



登山に例えれば、頂上のようなもの。



頂上まではのぼりだが、そこからは下りなのです。



したがって、見えるもの、感じるもの、意識などすべて違ってきます。



私は、がんという病が分かった時をターニングポイントとしてこれらを変えたから、良い人生になったと思うのです。



もし、あのときをターニングポイントとしてとらえず、下っているにもかかわらず、

登れなくなったことばかり意識していたら今頃どんな人生になっていたのだろう?



後悔、怒り、無力感、敗北感、・・・などでいっぱいの人生になっていたような気がします。



しかし私はそこを頂上だととらえて、登って来たことを思い出として、楽しみながら下るという選択をしました。



それが出来たのは、普通ではなかなか体験のできないターニングポイントだったから。


ここまできたら、ゆっくり進むしかなかったし、身体ももう絶対に元には戻れないほどの手術だったし、生存率まで追い討ちをかけられたのだ。


でもいま思い返すと、こうやって生と死のギリギリのところまでいったからこそ、登るより降りるという選択ができたと思う。


術後1.2週間で退院できるような状態だったら、たぶんまた登り始めただろう。


しかし、どうしようもなく降てみると、上りには見えなかった景色や、足元の豊かなものが徐々に見えるようになったのです。



何もできない自分でも、生きていられたことに感謝。


切り刻まれた身体が徐々に回復していく内なる力に感謝。


歩けること、退院できたこと、家があり、家族がいること、走れること、


ガンになる前は当たり前だったことに、心から感謝できるようになった。



そんな経験をとおして、



人生には病気に限らず、いくつかの大きなターニングポイントが必ずあるのです。



それを分岐点ととらえて道を変えるか、そのまま進むか?によって景色は大きく変わります。



さらに言えば、分岐点として認識するのか、そのまま見過ごすか?によっても。



今までと違った道に進むのは勇気のいることだし、大変の労力を伴いことなのかもしれません。



しかし私はある意味「幸せへの分岐点」だと思うのです。



たとえその出来事が、ガンのように自分にとって良くないことでも、それを分岐点として認識して良い方向に行くためのものだととらえることで現実も変わってくるのだと思ます。


つまり、よい方向に進むのか、進まないのかは、そこをターニングポイントとして認識するか、しないか?というところにあるような気がするのです。


19年前の今日、6月27日は食道がんの手術日でした。


それから私は今日、6月27日を生まれ変わった第2の人生の誕生日として、毎年あのときのことを書くことで、当時の想いを振り返り、今の想いと重ねていくということをしています。


そんなことで今日で19歳、あと1年で二十歳、やっと成人となれそうです(笑)

 


19年前、手術前のインフォームドコンセントでは手術は10時間ほどで、それ以上時間が長引けば術後は人工呼吸器に繋がれることになると説明を受けました。

 

また、食道がんの手術は消化器系では一番難易度が高く、手術死(合併症で1ヶ月以内の死)は5%前後の確率だというインフォームドコンセントを受けていたので、「これが最後の夜になるかもしれない」なんて恐怖におののいていたことを思い出します。

 

そして朝8時、この時間に手術室に入り出てきたのは夜の11時30分と言うことでしたが、自分では覚えていないので、ほぼ眠り続けていたことになります。

 

その間に私の身体は以前とはまったく違うものになりました。


手術前日の私


術後の私


しかし、私はそこを出発点として、一歩一歩前に進んでことで、普通では考えられないほど元気になることが出来たのです。



 

今日は、私がそんな「例外的人間」にどうしてなることが出来たのか?を振り帰えって書こうと思います。

 

「例外的人間になれ!」

 

私は19年前にがんになった。

普通の人から見たら、がん患者=先がない、元気がない、不健康、病院通い・・・・・

そして〝人生終わり”・・・・・・

それは、〝普通″であり〝当たり前″

それは言い換えれば〝普通″や〝当たり前″の行動や生き方をしていたらそうなってしまうということ。

私は、だったら大方の人がしない、人とは違った行動や生き方をしようとい思った。

その時から〝普通”や〝当たり前”という言葉は私にとって、それではいけないという戒めの言葉となった。

そもそもいま日本では2人に1人が癌になる時代だ。

それは癌という病がもう特別なものではなく、普通の病になったということ。

つまり、普通に生きていれば〝癌″になるのが普通とも言い換えることができるのではないか?

なので私は普通ではない生き方を選択することにした。

一言で言えば〝登っていく生き方”から〝降りてゆく生き方”

それは豊かさを外に求める生き方ではなく、内に求める生き方とも言える。

なので、普通は辞めないサラリーマンを辞めたり、普通はやらないスラム街のような農場を始めたり、自ら患者会を作ったり、55才からの肉体大改造なんてこともしたのだ。


現在は目が見えなくなって、ほとんど走れなくなってしまったが、自宅にあるホームジムでの筋トレと縄跳びをして、体つくりを継続している。


今朝、トレーニング後の19歳の私




コロナの時に買った,ホームジム





目が見えなくなって、これがあったから毎日筋トレが出来ているのはラッキーです🏋️


こんなのも、あまり普通ではないかな?


 多くの人は〝普通”という概念をな中で生きようとする。

それは普通以外(例外)になると、周りから白い目で見られたり、蔑まれたりするからだ。

しかし今一度考えれみてほしい。


それであなたは幸せなのか?
 
普通であれば、普通の結果歯科生まれるはずもない。

私は癌になって、幸せではなくなった。

そんな状態で会社にしがみついていても・・・・

ずっと病院通いしていても。

だから、がんになったからこそ幸せになろうと決めて、会社も辞めて、検査通院もやめて、誰もやらないようなことをいくつか始めた。

傍から見れば、普通ではないというより〝異常”な行動だ。

しかし、私は今の時代の普通という概念が、癌に限らす様々な病やさまざまな問題を引き起こしているように思うのだ。

それを変えるに、例外を作り増やすしかない。

普通という概念を取り払ったら〝幸せ”になった人たちを。
 
何度も書くが、前例と同じであれば同じ結果にしかならない。
 
同じが嫌なら、例外的人間になるしかないのだ。

だから、これから視野がなくなり失明しても普通ではない言動を心がけ実践して、幸せと言える人生を歩もうと思うのだ。

 

昨年まで毎月開催していました、めぐみの会 zoom交流会 ですが、ここ数カ月 東郷食守族でのリニューアルということで娘が東京から2ケ月ほど帰ってきて手伝ってくれたりで、3月以降もなかなか開催ができませんでした。

そろそろやらないと忘れられてしまうと思い、7月2日(火)19時から3カ月ぶりに開催することにしました。

ガンの方ではなくても、参加いただけるようにしました。

参加費は無料です。

参加者がいなければ中止しますので、参加希望の方はこのメールに返信くださいね。


お米カフェ@東郷食守族のこだわりやお米や麹、発酵ドリンクなどを、東京から2ヶ月応援にきてくれていた私の娘が紹介しています。

ぜひ、ご覧下さいね‼️
 

https://stream.cnci.jp/DBCTube/home/VidDetail?owner=user&id=10042375&channelname=ccnet



では交流会mのZOOM詳細です。

トピック: めぐみの会ZOOM交流会
時刻: 2024年7月2日 07:00 PM 大阪、札幌、東京

参加 Zoom ミーティング
https://us02web.zoom.us/j/83518524840?pwd=fMtYY83jNFF9kCa3FIsgl8mDw78Kti.1
ミーティング ID: 835 1852 4840
パスコード: 292386

皆さまのご参加お待ちしています。

めぐみの会 織田英嗣