「頭の良さより、心の温かさ」
 

頭が良いってどんなことなのだろうか?

 

最近ふと思うことがある。

 

頭のいい人とは、勉強が出来る人。

 

そして知識をいっぱい持った人。

 

そんな人って、どことなく冷たさを感じるのは私だけだろうか?

 

これらの人の多くは、知識を武器にしてこの世の中を渡り歩いている。

 

そして、知識のない人より自分の方が上だと思っている。


特に弱さを知らない人は。

 

まぁ、そうやって順位を付けられることで今があるのだから仕方がないと言えば仕方がないのかもしれない。

 

そして、今の時代の社会・経済は政治家・法律家・医者・教育・科学・これらの多くは頭の良い人たちが中心になって作ってきたもの。

 

そしてこれらの頭のいい人は弱い立場になったり、大負けをしたりした経験も乏しく凡人や弱者の気持ちを解らない人が比較的多いような気がします。


だから、今のような格差社会ができあがってしまったような気がするのです。

 

そんな状況になってしまった今の時代に必要なものは頭の良さより、心の温かさだと思う。

 

 

そして心の温かい人とは、人の弱さを知っている人。

 

強いものが上に立ち引っ張っていく時代はもう終わりにしなければいけない。

 

弱さを知った人たちが、その弱さを補い合うために手を繋いで助け合うことでしか本当に幸せな未来は築けない。

 

そのためには、強者が弱者を切り捨てるという状態を、弱者が強者を置き去りにして自らが良いと思う社会を創るという覚悟が必要だと思うのだ。

 

恥ずかしい話だが、私は癌になったことで弱者となって初めて解った。

 

とはいっても、私は頭は良くなく、どっちかというと高卒で学歴もない。

 

なので、それを補うために必死に頑張り癌になったのだ。

 

そんな経験を通して、強者と肩を並べようとしたり争ったりするのではなく、そことはまったく別の世界を創ることでしか何も変わらないと思うようになった。

 

だから今、私は人の弱さを知っている、心の温かな人たちと一緒に活動をしているのです。


 

 

 

私はガンになる前、百貨店で20年以上、仕事として関わってきました。


そして現在はお米フエ@東郷食守族というカフエの経営をして、たまに厨房に立っていて、ガンになってからもあちこちで食に関わる活動をしてきました。


なぜ、そんなに食のことをやっているのか?


私にとって「食」は生き方を変えるきっかけになったとっても大切なことだから。


そして得たものが「何を食べるか?より、どう食べるか?」という視点が大切だといういうことなのです。


私は食道がんの手術後、約4週間口から食べ物も水も入れることができなかった。




術後、縫合不全という合併症で喉と胃をつなげたところから空気が漏れてしまったのだ。

肩から上はまるで風船のようにふくれあがり、瞼にも空気が入って目も開くことができなかった。




ちょうど術後4日経過してあすから食事ができると思った矢先の出来事だった。

この合併症のおかげで、首の切り口を再度開き、胃に管を入れられ胸腔ドレーンを再度付けられた。

食べるどころの騒ぎではない。

今までごく当たり前に口から物を入れていたが、それができなくなるなんて考えもしなかった。

もちろん栄養や水は経腸から入れているが、口から食べることができないとまったく元気が湧いてこない。

そのときの経験があったから、これまでごく当たり前に行なってきた「食べる」という行為の大切さに気づくことができた。

食べるという行為は栄養を取るためだけのものではない。

私たち人間が自らの意思で生きるという選択をするための行為なのだ。

自分で口から食べものを入れることで生きるという意思を表に出す。

そして口から物を入れることができない状態は生きているより生かされている。

赤ちゃんが最初は自分で食べることができないのは親に生かされているから。

そして自分で食べることができるようになるに従って、生きているに変わっていく。

したがって、食べるという行為は、生きるという行為の表れなのだ。

そう思って私のそれまでの食を振り返ってみると

義務的、やけ食い、暴飲暴食、そして美食

これ、すなわ義務的に、やけになって、自暴自棄に、欲にまみれて生きてきたということになる。

それから私は何を食べるかよりも、どう食べるか?を大切にするようになった。

食べることと、どう向き合うか?

それが、どう生きるかという人間の生き方と大きな関係性があると思うのだ。






病気というのは病を気にすると書く。



私は、以前から病になったとしても病気や病人にならない良いうにと思って生きている。



だから、今はガンも全く気にしていないし、緑内障もなるようにしかならないと思い、ほとんど気にはしていない。





ガンになってから生き方を変えたことで進行が止まっていたので通院をやめていた緑内障が2011年に進行していることが分かり、右目の視野、両目の視神経が3分の1ほどになってしまっていることが分かり、さらには白内障も併発して2年間は車の運転もできないほど悪化してした。





しかし2013年に手術ができたことで、白内障の曇りは取れて視力は回復しましたが、視野と視神経は回復することはなく、ご存知のように現在は左目の視野は8%しかなく、右目は25%の視覚障害といった状態です。





近い将来、失明する可能性大ですが、そうなって見えなくなったときには、きちんと自分で受け入れる覚悟はできている。





だから、今やるべきことはしっかりやっているのです。


しかし、どうしても都会の中にいると視神経や視野の衰えを感じてしまうのです。





先日も地下街でのチラシの文字をとても見づらく感じました。





病って、いくら頭でそう思っても環境次第ではとても困難なことなのでは”と感じたのです。


つまり五感に入ってくる刺激で人は、他人と何かが違うと意識することで病気になるのでは?と思った。


そして、自然という場は病気を感じないような刺激が多い場だと分かった。


自然の中にいるとガンも緑内障も関係ない。


そこには自然と自分、つまり自然しかないから心が揺らがないような仕組みになっているような気がする。


しかし、市街地には自然はほとんどない。


すると不自然な刺激しか入ってこないので、自分の体に不具が出てきたときにより不自然と感じてしまうのだろう。


これは、病気になる原因にも関係しているような気がする。


だから、多くの慢性疾患は環境を変えないと改善されないのだと思った。


そして、病気を老化として捉えると、自然の中で年を老いていくこと自体が自然であり意識しなくていいことになるのだ。


目が悪くなったことでの新たな発見だった。


ありがたい。


それが分かったことで、さらに体も心も軽くなった。


すべてを自然に任せ、自然を楽しめばいいだけ。





見えなくなっても五感で自然を感じることはできるから見える今、それを脳裏に刻んでおく。





視覚はなくなるから4感かな?(笑)


そうすれば、視覚がない分創造力は無限大となるので、何も気にすることはなく、心も無限大に癒されるようになるのだ。




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