血が出るシーンが怖くて

時代劇も見られなかった私は

辰吉丈一郎の試合をリアルタイムで見たことがない

 

プロレスは小さい時から夢中で見られたのに

ボクシングを見るようになったのは長谷川穂積からだ

 

いろんなことがあって、現在の私はペーパービューで井上尚弥を見る

あと、その月だけの契約で井岡一翔見るし

同じように那須川天心も見る

 

話題になってる選手しか分からない、にわかであり、ミーハーな、

そういう浅いファンだ

 

でも、どうかボクシングさん、怒ってください!と思っていることがある

 

WBCはいつから野球になったんだ!?

WBCはボクシングの団体じゃないの!?

登録商標取ってなかったとかそういうことなの?

野球のWBCがいつからやってるか知らないけど、けっこう最近だよね

ボクシングは私が小さい時からWBCあったと思うよ?

 

怒ってよ、ボクシング!!

私、ボクシングかと思って「WBC」の言葉に食いつくたびに

野球の話が始まって、めちゃくちゃガッカリしてんだよ!

 

ボクシングが先に「WBC」使ってるんだから、

紛らわしいから野球は別のにしろっていってほしい。

 

それか野球の方から「紛らわしいですけど使わせてください」って言ってほしい

というか本来それが筋なんじゃないかとさえ思っている

 

格闘家は心がサムライだから、そんなこと言わないのは分ってるけど、

でも、野球のWBCが始まる度に、私のガッカリが激増するのだよ

 

私の住んでいる地域は、毎年まあまあ雪が降る。

今年も何日か雪が降った。

 

30cm程度の積雪だけど、一応除雪をしないといけないし、

一応それなりの渋滞にはなるし、やっぱりそれなりに寒いし

なんでもおっくうになってしまう。

 

雪が続いたある日、会社の帰りが遅くなってしまって、

帰り道にコンビニによって足りない食材を買うつもりだったのに

出入り口に雪で段差ができていたせいでスタックしちゃうんじゃないかって思って

つい通り過ぎてしまった。

 

そこから自宅までの間、なんとか家にある食材で晩御飯を乗り切れないか考えてみたけど無理そうで

仕方なく自宅がある団地を通り抜けて、24時間のスーパーに向かうことにした。

 

さっさと買い物して、速く晩ごはん作らないとなーと道を急いで団地の出口近くにたどり着くと

そこはまた渋滞。しかも雪がひどくなってる。。。

こんなことなら無理にコンビニはいればよかったなーと思いながら渋滞に耐えていると

 

歩道に座り込んでるおばあちゃんが見えた。

杖をついているけど、立ち上がろうとして立ち上がれず、

手に持っていた袋の中身がこぼれている。

 

え?おばあちゃん大丈夫か!?

 

と思っていたら渋滞が進んでしまって、私は団地を脱出してしまった。

でも団地をでてすぐのコンビニに一旦駐車して、おばあちゃんのとこまで徒歩で戻った

 

「おばあちゃん、大丈夫? これはどうなってるところなん?」

 

話を聞くと、雪で出かけるのをためらっているうちにトイレットペーパーが切れて

仕方なくお買い物に出てトイレットペーパーを買ったまではよかったけど、

寒くて疲れて動けなくなってしまって、

 

腰を下ろして休もうと思ったら、雪がズボンにしみ込んで寒くて動けなくなってしまった。

それで、このままじゃマズいと思って立ち上がったらトイレットペーパーがこぼれて。。。

 

あー、これは私の仲間ではないかw

買い物、おっくうだよね。でもトイレットペーパー切れたら行くしかないよね。

で、この細長い団地を奥から歩いてきて、疲れて、休んだら今度は寒くて動けなくなって。。。

 

ばあちゃん、これも何かの縁だ。

おいらの車に乗りなさいな。

 

ひとまず、このばあちゃんを家に送ってあげることにした。

 

団地の奥まで歩いたら15分以上かかるけど、車なら凍死する前におうちにいけるよ

私はおばあちゃんを家に送り届けて、それからスーパーに行って、そして帰宅してご飯を作った。

 

家に子供がいなくなると、これといって人の役に立つこともなくなって元気などなくても日々を過ごせる

心も体もだんだん省エネモードになって、頑張ることも感情の起伏もなくて大丈夫になっていた私には

 

おばあちゃん救出活動は少しだけ元気をくれた。

それで、ちょっとだけうれしい気持ちで夜を過ごすことができたのだが

 

 

翌朝

 

 

また昨日と同じように雪が降っていた。

 

私の住んでいる地域では、車の上に積もった雪を下ろすための「雪かき棒」なる道具がある。

別名「ハンディワイパー」

 

長い棒の先がT型になっていて背の高い車の屋根の雪を下ろすために使う冬の必需品だ。

 

その雪かき棒が自分の車から消えてなくなっていたのだ。

こいつがないと朝家から出発していけないし、仕事中に積もった雪を下ろすことができない→帰れない。

 

幸い少し短いものが予備として家にあったのでそれでどうにか雪を下ろして出発したのだけど。

あんな長い棒どこいってしまった?

昨日会社で確かに車に積もった雪をどけるのに使ったけどなぁ。。。

 

と思い出した。あのばあちゃんだw

降りるときに、車の中にあった私の荷物も自分の荷物と間違ってもっていこうとしたのを

「これは私の荷物だからもらうね」ってリュックを取り返したけど、棒に気づかなかったーーー

 

 

情けは人のためならずとかいうけどさ、まさか自分の仇になるなんて。。。

情けは、自分の仇

 

心に刻もう。。。

そして新たな雪かき棒(1048円)を買う羽目になったのでした。

 

残念な結末ーーー

 

そうして働いて2年目に、総務部に中途採用の男ウマザキが入ってきた。

こいつは、俺は何でもできますよという態度で、とにかく今までを否定して自分のルールをぶち上げては上にアピールする、そして自分は実行しないという困ったやつだった。

 

私は、結局お人好しで、会社がうまく行くんなら自分にシワ寄せがきてもシワ込みでどうにかすることに長けている。悪い意味で。今も昔も、仕事でも家庭でも。

 

ウマザキのせいで、総務部の休日は89日が妥当ということになってしまった。

これがどんな状態かということは30年前のことなので嘘をかいてしまうかもしれないけど、私の休日は、平日の火曜日は確保できるけれども、ゴールデンウイークとか年末年始、お盆の休業の確保がかなり難しいことになったように思う。

 

話し合って休みを決めるといっても、やりたくない人は絶対自分の都合を譲らないし、その場で譲って見せてもギリギリになってから交代してくれといって、最終的にその交代も来れないって言い始める。

 

来れないのなら仕方ないわって自分の出勤は増えていくけど、込々の月給だからって残業や休日出勤手当がつくわけでもなかった。毎月同じ給料が続く。

 

そもそも、毎年毎年受験生に付き合って合宿とか特訓とか称して連休に営業しているような業種である。周りを見渡してみれば、独身男女ばっかり。

 

親の願い「地元の人が誰でも分かるような会社で働いてほしい」というのがなければ、私の思い描いていた自分の就職先って、ここではなかったよねって思った。

 

10時から19時の勤務時間のために、駅まで自転車で20分、それから電車で15分、

その前に身支度もある。

 

火曜だけのお休みで、日曜日やお盆年末年始も一日休むのがやっと。

これでいいのか私。。。

 

そんな勤務状態になって1年たったころ、結婚しようって話になった。

勤務状態がこんなことだったので、ダーリンと全然会えないのが続いていたから

 

そして、会社というものは17時に終わるものだと思っているのに毎晩毎晩20時も過ぎないと帰宅しない私を、ダーリンと遊び惚けているといって延々と説教する父も疲弊してきていたのだ。

 

シワ寄せのシワ込みで頑張れるのは自分だけで、自分の身近で大事な人たちにはこのストレスに対する耐性はないものなのだなと、もう一度落ち込んだけども。

 

それで、結婚することと今の学習塾が両立できるのかを改めて考えると、当時のスーパーは10時にならないと開店しない19時あたりで閉店してしまう、

 

おまけに自分は自動車では移動できてない、会社の近くにスーパーもない

じゃあ休日に家庭の作業をしようにも、ろくに休みが確保されていないという現実では結婚することを公にして少しは勤務を調整してもらわないといけないなと思って

 

ついに直属の上司ことシモブクレさんに話をすることにしたのだった。

まだつづく

まあまあ大きい学習塾さんに初めて出勤すると、自分の机は準備されてなかった。

制服は誰かが使っていたものをもらったので、他の人とは違う制服でサイズもブカブカだった。そういう会社もあるよねって、ハラスメントなおうちで育った私はあっさり受け入れてしまうのだ。

 

ハラスメントな環境に慣れてない人ならば、こんなのはおかしいとサッサと関係を切ってしまえるのだと思うし、なんなら採用される前に気配を察知して入社しないのだろうと思う。

 

とりあえず10時に来てねと言われて、10時に間に合うように出勤したら

他の人たちはみんな9時からの勤務で、右も左も分からない一日目から自分だけが

一時間遅い10時から勤務して、みんなが帰ってしまってから一時間居残り状態という状況だった。

 

もともと、会社の営業時間に合わせて遅番を作りたいという思惑がモリグチ部長にあったのだろうと思う。

 

でも、肩書が上のモリグチ部長より早く入社していたシモブクレさんとナカハラさんは遅い勤務時間は嫌だったんだろうね。それで自分たちのほうが会社での先輩なのを良いことにモリグチ部長の意見をとりあえず先延ばしにしてきていたのだろうなという雰囲気もあったような気がする。

 

で、私を10時に出勤させて19時までいる係にすることにしたのだろう。

「最初だけね、勤務時間はまた調整するから」とシモブクレさんは初日に言ったけれどそれは一か月たっても半年たっても変わることはなかった。

 

私も私で「前に調整するって言ったのに、全然調整してくれませんよね?」って持ち出すこともなく、都合のいい後輩を演じ続けていた。

 

それは、休日に関しても同じだった。

日曜日と祝日がお休みで、そのほかに平日の一日をみんな交代で休んでいたのだけど、ニシジマとナカハラは恋愛関係にあるので、二人で土曜と日曜と祝日、

 

で、モリグチ、ミズグチ、シモブクレは日曜と月曜と祝日。

 

そして、私だけが連休にならない日曜と火曜と祝日。。。

自分の育った家庭が自営業で、働き者の一徹は日曜祝日だけのお休みだったから

私は、別に何曜日でも構わないけどねという無頓着さでそれを受け入れていた。

 

確かに何曜日でも構わないのだけど、「不公平である」「自分だけないがしろにされている」ということには訴えるべきであったのかもしれないと思う。

 

この他にも、運転免許を持っていないシモブクレ以外は自動車で通勤していて、会社の駐車場が確保されていたのに、私は毎日遅い勤務なのに自動車で通うことも、駐車場を確保してもらえることもなかった。

 

そういえば、入社が決まってから新入社員と社長、副社長、事務部長、総務部長と食事をする会合の時には、私以外はみんな4年制大学卒業で、過去にも短大卒で採用したのは青学短大部のタニモトさんだけだったと、事務部長のツノイさんに言われたっけ。

 

きっと、お肌がガサガサで身長も低くて短大もしょぼい私を気に入らなかったのだろう、ツノイさんには折に触れて辛く当たられていた。

 

他の同期がみんな海外に卒業旅行に行っているのに私だけが卒業旅行にさえいっていないのを食事会で笑いものにされたっけ。

 

そんなんでも、私は当時そんなに気に病んでいなかった。

尊重されないで育つということは、尊重されてないことに気づくこともなく生きることができてしまうということなのだ。

恐ろしいことに、相手も私を尊重しなくても良い人として認識して、尊重しないどころか踏んづけていても大丈夫な人だと思ってしまうのだ。

 

 

まあまあ大きい学習塾さんは、当時、地元初の中高一貫の私立校を創立すると息巻いていた。

 

私の所属は総務部業務課という何でも課。

直属の上司はお茶の水大学卒のいかず後家 シモブクレノリコさん

同じ部署の先輩、ニシジマ(男)とナカハラ(女)この二人は恋愛関係だった。

それから部長のモリグチ、主任のミズグチのグチグチコンビ

 

生徒を教える先生たちは東大とか京大とか有名大学卒の方も多かったけど

新卒の人は教員志望で、翌年もう一度教員採用試験を受ける予定の人も多くて、

中途採用の人は、親の病気や離婚が理由で地元に帰ってきた人が多かった。

 

親の病気で地元に帰ろうとなったら離婚されたという人も多くて

私の中で「大卒って人生がややこしくなるもとだな」という偏見が生まれた理由の場所でもある。

 

学習塾は夜の商売だ。

生徒たちは学校が終わってからやってくるので、先生たちはみんな午後から出勤してくる。

 

企業としては朝の9時から営業しているけども、それは私のいる総務課と

あとは綺麗なお姉さんしか採用されない事務部の方々であった。

 

私が所属していた本部校は駅前にある市役所の横にあって、先生と事務員で30人以上いたけど、県内20か所ぐらい展開していた各校舎は辺鄙なところも多く、しかも先生が2人でやっているところがほとんどだった。

 

終業時間は夜9時半。でも生徒の質問に答えていたらすぐ10時11時。

一般的な仕事の人たちと休みや勤務時間が合わなくて、やたら社内結婚が多い。

夜までいるしね、二人でいるしね。ハラスメントになるか結婚するか。。。

 

同期で入社した人は20人いたけど、翌年には10人辞めて、その翌年に5人辞めた。

会社側としても、若くてきれいな先生が入ってきてくれて、給料が上がらないうちにやめてくれればいいのだとモリグチは言っていた。

 

ちなみに、私の次の年に同じ部署に入ってきた子は3ヶ月で辞めた。

その次の年の子は1か月も経たずに辞めた。

 

もしかしたら、私が厳しく育てられた人であるがゆえに後輩にとても厳しかったという可能性はある。そういう噂も流れたw

 

私は自分の家がハラスメントな家だったから、心も体も打たれ強かったので

多少の理不尽や不公平には耐えられる方だったから続いた。

 

あの時までは。

 

私は今年52歳になる。

オバサンの後半か、おばあさんの前半かという年齢だ。

でも、今更しょうもない話を書きたくなったので書こうと思う。

 

私の最終学歴は地元の短大だ。

高校を卒業する年にバブルが崩壊したので

就職活動は氷河期の最初のころだった。

 

バブルのころでも4年制大学卒の女性は就職が難しいという話を聞いてはいた。

 

こんな話をしてくれたのは地元の国公立4年生(文系)を卒業したけど就職できずに

海外留学をして戻ってきたけど、どうせ仕事を覚えるか覚えないうちに

結婚して辞めるんでしょ?ということで余計に働き口がなかったという

私より5歳ぐらい年上の親戚のエミちゃんだった。

 

今となっては転職10回のまあまあなハローワーク常連な私だけれど、

新卒の時はやっぱり大変だった。

 

100社近くの会社に資料請求を出したけど、資料もくれなかったのが96社w

お断りのお返事が2社、残りの2社の面接に行ったけど1社が落ちて、1社だけ一次面接を突破。

 

このほかに、フリーペーパーから応募した全く自分に向いていない服屋の売り子が採用にこぎつけていた。まあ、ここで働く気はなかったけども。

 

地元の誰もが知っている会社に就職してほしいという両親はここで一時面接を突破していた会社こと「まあまあ大きい学習塾」さんに絶対合格させなければと介入してきた。

 

そうでなくても、4月の初めから就職が決まらないことを毎晩毎晩責められていて、

でも、就職活動も春からすぐは本格化してなくて。

 

初めての合同説明会に行ったときに決まらないといって殴られ責められ大変だった。

まだ4月だったのに。

 

多分、高卒の父は自力で就職活動をしたことがなくて、学校があてがってくれたところが最初の就職先だったから、私のやっている就職活動のイメージを全然つかめていなかったのだと今は思う。

 

でも、例えば父が会社員で、取引先の会社とかがあって、私の就職先を探ってくれるようなネットワークを持っている人ならまだしも、自営で、しかも客層は仕事を引退しているお年寄りが主だったりするとそんなに力になってもらえるわけでもなく、困難を極めた。

 

困難を極めたと言っても、4月になるやいなや責められることにだ。

7月の終わりにはこの「まあまあ大きい学習塾」さんから無事採用されたのだから

 

無駄のない就職活動だったのだと思えなくもない。

一次面接を突破してから、直接の知り合いでもない人のそのまた知り合いを

辿って、私の採用をお願いに行ったのだと、今でも「俺が就職させてやった」と言われているのは結構重荷だ。

 

あら、いつもの癖で書きたいことまでが余計な話で長いな私。

 

つづく

明るいと眠れない、音がしていると眠れない、寒いと眠れない。

その三重苦を克服して今ではお布団に入ってから2分以内に眠れるようになった。

今では私のいびきで寝付けない旦那に「のび太もびっくりの寝つきの良さ」と絶賛されている。

 

まず寒いと眠れない自分のために着れる毛布を買った。

旦那の快適温度は譲れないなら、こっちが寒くないようにすればいいんだー

近所のマクスバリューで切れる毛布を見つけたとき「これだ♥」って

珍しく即買いした。1480円とお値段も私好み。

突拍子もないピンク色もあまり気にならなかった。寝てれば色は見えないしね。

 

それから、当時飼っていた猫が目を手で隠して眠っているのをヒントに

自分も寝入りばなに目を腕でかくして寝るようになった。

これで照明が消えてなくても、テレビだけが暗闇についていたとしても

意外と眠れるようになった。

 

でも、自分が先に眠って、その後旦那が照明や電気を消して眠っているある日、

旦那のいびきで目が覚めてしまったのだ。。。

 

これはこの時期何回か続いて、ちょっと自分としての眠りの課題になった。

そのうち眠れるけど、「そのうち」を待っていては時間の無駄だ。

 

何回かこの目に合ううちに、旦那のいびきに合わせて自分もいびきをかいてみる

という作戦がめちゃくちゃに自分に合っていて、すぐ眠れる。

 

この方法は本当に画期的で、会社の旅行に行って同室にいびきをかく人がいたり、

のちのち子供の遠征や合宿に付き添っていったときに同室にいびきをかく人がいたりしても、同じように息をあわせてスムーズに眠ることに成功していく。

 

 

今は、どんどん眠り方が進化して、パジャマをパーカーにして

フードで目を覆って、お布団をかけたらすぐ眠れる。もう、秒で眠れる。

 

年を重ねて、旦那が先にいびきをかいて眠るようになってからは、

いつも旦那のいびきに息を合わせて眠っているから、

 

旦那が柔道の遠征で家を留守にしていると、いびきがなくて眠りにくいw

 

もし、旦那が先に天寿を全うしてしまったらどうやって眠ろう。

たまに不安になって、旦那のいびきを録音しておこうかとさえ思う。

 

夫婦にとって子育てって共同作業だけど

乱気流に巻き込まれているようなもんだと思う。

その時期、ちゃんとしていることは難しいけど、

ちゃんとしてなくていいんじゃないかとも思う。

ちゃんとしようとしてストレスフルな家庭になったり、

家庭を解散しなきゃいけないところまで負い詰まってしまうのは

もったいないなと思う。

 

過去の自分にとってはイラつきと困りごとでしかなかったいびきが

今では自分の入眠に必要な、もしかして旦那がいなくなった後も

いびきだけ生き残らせたくなるほど必要なものに育ってるっておもしろw

 

27年って短くないね、そして思わぬ進化をくれるんだな。

会社からもらったお祝いで、旦那とおいしいもの食べよう

そして、二人でいびきかいて眠ろうっと

 

 

私の実家にはエアコンがなかった。

まわりじゅう田んぼだから、そんなに暑くなかった。。。ではない。

「エアコンは贅沢だ」という父のこだわりでなかった。

 

私が結婚して家を出る半年くらい前までトイレは汲み取り式だったけど

下水道が通るやいなや水洗トイレに改修したんだけども、

便座に電気を通しておくのがもったいないとかでいつも切ってあった。

父が大便するときだけわざわざスイッチを入れて終わったら切る。

 

とにかく電気という電気、燃料という燃料、なんでもかんでももったいなくて

「生きているだけでお金がかかる」といわれて育った。

じゃあもう死ねばいい?つか、最初から産まなきゃよかったんじゃね?

そう思っていた。

 

ティッシュも二枚にはがして半分にちぎって、それをたたんで鼻をかんで

最低二回はかまないとダメだった。

 

自分が子供のころ、保育所でハンカチやティッシュを持っているかの

持ち物検査があったけど、ポケットティッシュ買い与えられず

しかも、家ではボックスティッシュも使ってなくて、

ちりがみをたたんで持たされていた。

 

小学校になって、友達のおうちに遊びに行ったときに生まれて初めてボックスティッシュを見たけれど、どうやって取り出すか分からなくて恥ずかしい思いをしたっけ。

 

朝シャン禁止、整髪料も禁止、もちろんドライヤーも禁止。なんでもかんでも無駄。

 

そんな私が暑がりの旦那と結婚して、設定温度22度でエアコンをつけたまま眠る夏場は大変過ごしにくかった。。。マジで寒いし。見つかるわけないけど、もし見つかったらぶたれるトラウマと、寝落ちするまでついているテレビと照明で寝れない。

 

旦那が寝落ちしてるのに、いつまでもやってるテニスの中継をマジで恨んだものだ。

旦那に急げって言われたことがない。

旦那は時間がなくても自分のするべきと思っていることを

順々にこなして、結果、だいたい約束の時間を少し破ってしまうタイプだ。

 

方や私は農村生まれの農村育ちの父に育てられた由緒正しい農民だ。

農村には農村時間がある。

農村は30分前には集合して雑談してそれから本題ってなるのが普通の流れだ。

めんどうくさいけどね

 

旦那は「何時時までにどうする」という意識がないので

コンビニに行こうと誘うと、私一人でならコンビニに行って戻ってきても

まだ洗面しているぐらい準備に時間がかかる。

新婚当時はまだしも今では全く旦那を誘わなくなった。

 

ニュース23を見ながらご飯を食べて、その後コーヒー飲んでだらだらして

お風呂に入って歯を磨いて、まただらだらしながら眠りに落ちていくのを待つ

 

これが新婚のころの私にはとても大変で。

ご飯食べたら、すぐ片づけて歯を磨いてお風呂に入りテレビも電気も消して寝ないと

明日の朝また旦那を送ってから自分の出勤がやばい

 

おまけに、旦那の会社は8:30始業、私は8:10始業で

私が慌てていないと旦那は慌てやしないのだ、そして私が遅刻する。

 

なので、とにかくやるべきことを片づけたら、速攻で眠りたいのだ私は。

自分の健康と信頼と、もう一緒に住んでもいない父親の教え、

それから一周回って私のためになってない母親の思いやり

あと、ペースを崩されたくない旦那の自由、それをうまく立てたい。

 

できれば自分のストレスを最小限に抑えて。

しかし、まだ他にも難易度の高い問題がーーー

 

こないだ会社で結婚して何年たったか確認された。

25年たっていたらお祝いがもらえるとかで

今27年たってるところと分かってびっくりした。

 

旦那さんの実家はすごい宵っ張りで

それもそのはず、21時まで道場で練習して、

その後、男4人分の道着の洗濯、一人ずつシャワー浴びて、

それからご飯食べて、なんだかんだ

そういう生活が普通だったから眠るのはいつも12時回るのが普通

みんな体力ありすぎで寝なくて大丈夫なのか

いつも2時ぐらいまで起きてる。。。

 

一方、私の実家は電気つけているの勿体ないし

夜更かしするのは健康に悪いからって

晩御飯は全員揃わないで食べるし、22時30分には就寝

23時まで起きているとぶたれます。比喩ではなくグーでぶたれますw

 

なので、結婚してから大変だったー

 

当時旦那が勤めていた会社が定時過ぎてからが長い。

帰宅は早くても22時過ぎてて、晩御飯はいつもニュース23見ながら食べてた。

もう、私の実家なら絶対ぶたれてますが、旦那にはどうでもなくて

 

実家の行き過ぎた節約意識が深く染みついていた私は

この生活を自動車一台でやっていた。

 

「女は忙しいから、新居はみけねこの職場の近くにしてもらいなさい!」

母がそういうから、その通りにしたけど

 

朝、旦那を会社に送って行ってから、また自宅近くに戻って会社に行くのは

道も混んでて結構大変だった。

 

自分が最初に計画した「旦那の会社の徒歩圏内に新居を借りて、自分が自動車で会社に行ってお買い物して帰宅する、旦那は会社から歩いて帰宅する」のほうが、

 

「朝旦那を送って行って、自宅に近すぎる会社に働きに行って、自宅を通り過ぎてお買い物に行き、ご飯作って、旦那のタイミングで旦那のお迎えに行く」より全然楽だけど

 

それでもお母さんは私の為を思っているっていうから、その気持ちを立てて

不便に耐えることにした。

 

それでも自動車を2台維持するのは身の丈に合ってないから、節約するべきという

父の教えを守って不便に耐えることにした。みつかったらまたぶたれそうだしw

 

のちのち2台目の自動車を買って、それを喜んだ旦那が、これ見よがしに実家に乗っていったせいで、こっぴどく怒られたっけ。。。