同じチームのユウタは、体格が恵まれているのにほとんど勝たない。

たいてい相手に襟とか袖とかを先に掴まれてしまう。

 

でも、その後、仕方なく相手のどこかを掴んで、しっかり手を突っ張る。

体格のアドバンテージで相手はユウタを引きつけることはできない。

ユウタは相手の顔も見ず、視線はたいてい床だ。

ひたすら手を突っ張ったまま、たまに相手の足にちょいんと自分の足をタッチする。

 

手を突っ張っているせいで、ちょっと足をタッチすることはできるけど

技かというとそうでもなさそう。

 

タッチされると相手はなんとなくかわす。

でも、ユウタは手を離さないで突っ張ったままいるから

相手も何もかけることがなかなかできなくて、

ユウタの足タッチが続く。

 

「なんで技をかけないんだ!」って言う人もいるけどさ

ユウタは技をかけています。

 

よく技かけてないから指導をくらうとか言われるけどさ、

ユウタは技をかける気あります。

 

そして、一生懸命やってる結果が足タッチなんだよ。

私は力もないし体格のアドバンテージも最低で、気持ちも弱いから

 

ユウタがどんだけ頑張って足タッチしてるか分かります。

同じチームメイトが割と強いから、なおさら焦るし、

がんばらなきゃって思ってると思う。

 

でも、投げられるのも負けるのも怖いし嫌だし

いったん、手を突っ張っていれば持ちこたえることができるので

手は突っ張っているのだと思うのです。

 

腕が突っ張っていて、腰が引けているから、相手に足が届きませんで

結局足タッチ。結構いっぱい足タッチしてるんだよね。

 

なんか、そういうユウタを応援したくて、

足がタッチするたびに「もう一回!」って言ってみたら

息が吸えなくて死ぬかと思うほど足がタッチしていた。

 

結果、それでも指導はもらうし負けるしだったけども。。。

 

けど、応援って勝ちそうな状況より負けそうな時が楽しいって言うかなんていうか

 

 

その次の試合で、いつも三位には食い込む子とユウタが当たった。

もう、夢中で「もう一回!」「もっともっと」「もう一回!!」

って言い続けたね。本当に大健闘で、最高だった。

 

負けたけどね、ユウタのお母さんが「ユウタが初めてお母さん試合みてくれた?

俺結構がんばったんだよ」って言ってくれたって、後日聞いた。

 

ユウタのお母さんは試合見れなかったって言ってたけど、

ユウタがそんなふうに言うことがないから、観たかったって言ってた。

 

 

私もうれしくて、ユウタ、一生懸命やってたよって二人で号泣した。

私、とてもお茶が好きだ。

茶色い色のお茶なら何でも好きだけど、

 

試合に同行するときはサントリーのウーロン茶

 

会社で集中したいときは熱い紅茶か冷たいルイボスティーを飲む

 

暑い季節が来て、旦那も家からお茶を持っていく時期になると麦茶を作る。

で、その麦茶のパックが余ったのを秋口からは会社で飲んでいる。

 

けど、休みの日や家に帰ってからの時間はほうじ茶。

絶対に熱いほうじ茶なのだ。

 

本当はずっとほうじ茶を飲んでいたい。

子供のことで忙しすぎた時期、一回だけだけど、お茶飲んで過ごすために

有休とったこともある。

仕事の終わりには「早く帰って、茶を飲みたい!」と強く思う。

 

逆に味わって飲めないのと、リラックスしすぎてしまうから

会社とか試合のときはほうじ茶飲むのはなんか違う。

 

多分、家に帰ってビールを飲みたい人と同じぐらいの強さで

ほうじ茶を飲みたいと思っていると思います。

うんうん。

 

ほうじ茶の香りを深ーく吸い込むと、

なんか頭の奥が落ち着くというか

とても幸せな穏やかな気持ちになるというかー

 

 

子供に語ったら「きもっ!そんな恐ろしいもん、飲むん怖くなるわ!」

とドン引きされたことがある。。。悲しい。

 

 

さて、

 

 

一方、私はたばこは吸いません。

生まれ育った家庭では誰もたばこを吸ってなかったから文化が分からない。

 

でも、友人の喫煙率はまあまあ高いほう。

半分ぐらいは吸っているかな。

 

実家ではタバコはものすごい悪者扱いされている。

祖父が30代前半で肺がんで死んじゃったのがタバコを吸ってたからだと

信じ込んでいて、それが大きい理由だと思うけど、

健康を害する、最低のムダ遣いとして、もうぼろくそに言われる。

 

ダーリンは結婚するまでタバコを吸うことを隠していたし、

今でも私の実家ではタバコを吸いません。

気を使ってというタイプじゃないけど、半日ぐらいなら吸えなくても困らない便利な体質らしい。

 

物事におおざっぱな人なのに、タバコの在庫だけは切らさないのは尊敬します。

 

運転中でも、小さい箱からタバコを取り出して、その先っちょにライターで火をつけることはできるのに、

 

テレビを見ながら私の話を聞くことはできないというのが、どうしても腑に落ちなくて若い頃は話を聞きたくない言い訳だと思っていたよ。言い訳だよね?うんうん。

 

私、タバコをやめなさいと言ったことはない。

そして、そんなにタバコが嫌いでもない。

火をつけたばっかりの匂いは好きか嫌いかで言ったら、好き寄り。

買って吸うことは一生ないけどね、面倒くさいから、在庫切らさないことも灰や火の始末も面倒くさい。

 

家の中ではいろんな我慢しないで過ごしてほしいから

外に出て吸えとか、換気扇の下で吸えとか言ったことはない。

 

もちろん、ご本人の責任なので、灰の始末も一切しません。

 

私のお茶は、喫煙者のタバコの感覚とにているんだろうなーと

勝手に理解しているので、職場でタバコ休憩している人をズルいと思うこともない。

 

同じように葉っぱを干して焼いて香りを楽しんでいるのに、

お茶は安くて、タバコは高い。

お茶は健康にいいって言われて、タバコは悪者。

お茶は席で飲み続けられるのに、タバコは屋外の喫煙所に行かなきゃ吸えない。

 

なんか、すみません。そしてお気の毒様。

 

でもでも、タバコ吸わない人が全員タバコ大っ嫌いなわけじゃないよ。

中には私のような、吸わないけどむしろ好きって人もいるからね。

 

誰へのエールかわからんけど。

いつもお茶を飲みながら、ちょっとタバコの味方をしている。

 

今日は未来の運動会を見に行ってきた。

小学6年生の春に見た切り、コロナで3年間見に来ることもできなかった。

去年は仕事で来なかった。

 

でも、今年は月末だっていうのに会社を休んで見に来た。

後ろの席の田中が、去年の夏休みも、冬休みも、こないだの春休みも

その間にある月だってちょいちょい子供を理由に一週間以上連続で休むから

 

コロナだとかインフルエンザだっていって、まるっと一週間以上でも有休で休むから

そして、その後、会社休んで仕事滞ってるからと、夜9時になっても残業して

残業代を稼ぐから、イライラとムカムカが限界に達したことだし

一日ぐらい私も休もうって思った。

 

田中は日中何してるんでしょうね。この件はまた別に書こう。

運動会の話がどっかにいってしまう。。。

 

 

 

夏海が大学生になってみて、未来が私の子供でいてくれる時期ももう少ないのだと

思ったせいもある。

 

あと一年たったころには未来は成人して、その後は私の子供としてではなく

一人の大人の障害者として病院や施設のお世話になっていくのだ。

 

親じゃなくなるわけじゃないけど、親だからという理由でしてあげられることが

少なくなっていくのだろうと思うと少し寂しい。そして、心配。

 

でも、順番通りにいけば私が先に死んじゃうのだから、なるべく頼りになる

病院や施設や役所にお任せできるぐらいまでにしておかないとね。

 

夏海には夏海の人生がある。夏海に大きい負担を強いることなく

未来の安全を確保しなくては。

 

もちろん、順番通りに死なないよう、私は元気でボケずに長生きする努力を

するし、今だってしているつもりだ。

 

支援学校の運動会は心が洗われる。

全員が全力なんだって思える。

 

立っていることが難しい子が、先生に支えられて精いっぱいのエールを交換して

いるのをみると、年のせいか涙が出てくる。

 

あ゛ーーーっ、う゛ーーーっ!って聞き取れないけど、みんな何か大声で声援

しているのも、本当に命だなーって、一生懸命だなーって思う。

 

毎日毎日、私の職場で出会う仮病で予約をキャンセルしてくる大学生どもとは

大違いだ。

 

そして、運動会を支えている先生たちがまたすごい。

多分、生徒よりも先生の方がお世話のために何倍も走っている。

 

先生の方が運動会かもしれない。

 

車いすの子は車いすで、

ウォーカーの子はウォーカーで。

装具を付けている子は装具を付けて、

横になって眠っているように見える子にも参加はさせるので

 

先生たちはそれぞれを間違いなくそれぞれの補助用具に乗せたり

装着したり、持たせたりして、一応の徒競走をさせる。

 

速いとか遅いとか、勝ったとか負けたとかじゃない世界がそこにはある。

そんなお伽話みたいな運動会に意味はあるんか?って普段過ごしている世界では

絶対思うし、普段過ごしている世界がそうだったら、それはまた違うと

思うのだけれど。

 

でも、支援学校には選ばれし者しか見られない不思議で崇高な世界が確かにあるw

 

今年の校長先生はなかなかのツワモノで、車いすに乗り徒競走に参加していたw

 

生徒の方は置かれたコーンをスラロームで進み、3個めのコーンを一周して

そこから後ろ向きでゴールテープを切っていた。

 

校長先生はハンデをもらって、スタートからゴールまでただ一直線に進むのだけど

途中で生徒に追いつかれて、必死で車いすをこいでギリギリで勝利

 

大人げなくて最高に面白かった。

 

その後、床に敷かれた的にボールを蹴って、ボールの止まったところの点数を

競う競技が行われた時も、赤団と白団の団長が二人とも少し話ができる子だったから

 

「お前が先に蹴ってよ、その後自分蹴るから」

「いや、お前が先で、その後俺が蹴るわ」

「いいから、お前先に蹴れって」

「なんでよ、お前が先に蹴れって」

 

みたいな、変なコントが始まって面白かった。

 

 

そして、最後は今までなかったフォークダンス。。。

先生たちが車イス押して、輪になったり、真ん中に集まったり

生徒たちは謎のテンションと車イスの異動に付き合っているだけなのに

 

なんか乗せられて楽しそうな子もいるし、疲れて寝ちゃってる子もいるー

 

この競技と競技の間には、みんなササっとオムツを交換されて

同時にボールとか的とかの準備や、生徒をそれぞれに乗せ換えたり

応援の旗やポンポン持たされたり、ぬかりがない。

 

本当に毎回すごい。

今年、見れてよかった。

 

そろそろ元気がなくなってきている自分の母親と一緒に

元気で楽しそうな未来を見れてよかった。

柔道のいいところ、いっぱいあるけど、今日はここ!

 

自分しかいないところ。

 

柔道の試合って、自分と相手と二人しかいない。

 

助けてくれたり、協力するチームメイトはいないのだ。

自分が判断して、自分が技を出して、自分が勝つ。

 

たまたま自分のところにボールが来ない試合とかないから。

自分が取りにいかないと活躍できないとか、ないから。

ポジションも役割分担もない。

全部自分。

 

自分しかいない。

相手も、相手しかいない。

 

自分に三人四人とマークがつくこともないし、

チームメイトが相手からボールを奪って、

おいしいパスをくれるとか、ないから。

 

九人に一回だけ、順番が回ってきて、

そのうちの3割しか打ってないのに評価されたりしないから。

 

私は今の職場で、いろんな部活に入っている子を見かける。

サッカーとか野球とかの子に比べると柔道家は不器用だ。

 

自分のヘマをチームメイトと協力して黙ってフォローするようなことしない。

自分で「ヘマしたのでこのように訂正してください」とか

言ってくる柔道家はまだ上手な方で、

 

自分の失敗は自分のちからで直してくる。急ぐなり走るなりして。

 

「この時間は来れますか?」って聞かれたときに

来れなくても「来れます!」と言って、後で断るようなことしない。

 

その場で確認を始める子が多いのも柔道家だ。

真面目で潔くて、不器用で要領が悪くて。

 

もったいないけど、大好きだ。

 

インタビュー受けたときにカッコよく「優勝目指してがんばります!」とか

いうくせに、世界ランキング36位とか78位とか。

 

さすがに優勝はまだ遠くね?って思うスポーツチーム結構見かける。

 

柔道は1位になっても口下手だったり真面目だったりで

好感持てるけど、損してるんじゃないかと心配になる。

 

 

我が子は大きくなってしまったけど、今後の柔道家たちのために

私がやりたいことの一つに小学生からのお立ち台インタビューがある。

 

うれしい気持ち、誇らしい気持ち、それを先生とか保護者とかに

伝えてほしい。

 

自分ががんばっていることとか、いっぱい話してほしい。

柔道かはシャイで真面目で責任感が強い、でもそれで損してほしくないな。

 

少年とオバサンは似ている気がする。

 

離陸する飛行機と着陸する飛行機が、同じ高さを飛んでいるときみたいで

 

アニメの少年の声優がオバサンだったりするの、なんかわかる。

 

二の腕がたくましくなったり、

 

アイドルに夢中になったり、

 

ホルモンの都合で精神的に不安定になったり。

 

少年とオバサンは、どこか似ているから

息子と楽しく過ごせてきたと思っていた。

 

息子がまだ中学生のころは、私も同じ高度を飛んでいたと思うけど、

 

とうとう、息子はもっと高いところを飛ぶ時期がきてしまったのかな。

 

私は、もう地面が近づいてきたのかな。

 

もう、自然にいては同じ気持ちになれない時期がきてしまったかもしれない。

 

ちょっと寂しい。けどまあ、それが当たり前だ。

 

もう学校からたくさんのお便りがくる春ではなくなった。

 

何を着せるとか、何を食べるとか、どうやって通うとかが

私の守備範囲じゃなくなったのだな。

 

よーし!自由だ!

 

もう、両立とか考えなくっていいんだなー

 

子供に煩わされたおかげで、たぶん若い頃より余力がある。

 

20代のころは親にサポートされて仕事に行っていた私が、

50代は、旦那と二人分の家事があっても、全然軽い!

 

子供を産むとか産まないとかの選択を、世間ではいろいろ言われているけど

体力的にも精神的にも老後のための余裕づくりみたいなもんなんかなと最近思う。

 

しんみりした気持ちになる頃に思い出の品を片づけるのは

体にも心にも悪そうだから、元気なうちに余計なものは捨てちゃえw

 

どうせ全部捨てたとしても、70歳までにまた溜まっちゃうんだから

 

細かいこと言わなかったせいで、盛大に失敗をしている息子

がんばるんだぞー

 

応援はしている。いつだって変わらないで応援はしている。

 

 

「お前は顔は良くないし、頭も良いほうじゃないし、これといった特徴もあるわけじゃないし。だからお前のことを良いと言ってくれる人なら誰でもいいからお付き合いしろ」

 

って、父に言われたのは高校生ぐらいだったかなぁ。

自分のことが分からないのに自分じゃない人のことなどもっと分からない。

生まれてから一番長い付き合いであるはずの父親とさえ、まったく気持ちが通じ合わないというのに。

 

なのに唐突にお付き合いしたいと名乗りを上げてきた他人と気持ちが通じるとも思えないのは当たり前だろう。

 

この時父親がこんなこと言ってきた理由だって、私が選り好みしていつまでも彼氏ができないと決めつけてきたからだった。

 

私は恋愛が怖かった。ダメになったら傷つくので。

自分がダメだから相手に受け入れてもらえなかったと、自分で自分を全否定してしまうだろう。

 

そういう厄介で面倒くさくて自殺やストーカーに結びついてしまうような恋愛をしそうな私に育つまでには、この無神経で身勝手な父親との関係が大きく影響をしているのだけれども。

 

だから、恋愛は最小限にとどめようと決めていた。

母親はいつも弟の部屋を物色して、彼女からの手紙を見つけては

あんなこと書いてあった、こんなこと書いてあったって父や私に言っていた。

 

私はそんなことされたくなかったから、そういうものは全部まとめて持ち歩いていた。

 

誰でもいいといいながら、近所の人には少しうらやましがられるような人と付き合って、それでいて、できちゃった結婚で親に恥をかかせることなく、良き頃合いを見計らって結婚してくれということを求められているのは分かっていたけど、

 

本当に相手が誰でもいいかというと、両親がどんなだとか、どんな仕事をしているとか、相手自身がどんな職業だとか、次男だとか長男だとか、言いたがる。

 

私のほうがそんないい物件でもないだろうに、親の選り好みであれこれ言われて親の納得を求めて恋愛をする気はなかった。

 

高校一年生の終わりごろ、クラスメイトの某が付き合おうと言ってくれたので、

某と付き合うことにした。

 

某は高校を卒業するとき消防士になった。

私は地元の短大に進学した。

 

某の母は公務員だった。某の兄も公務員だった。

某の父は長距離トラックの運転手だった。

 

次男坊で公務員の某が彼氏であることを私の両親は喜んでいたが、

社会人になった彼と私の世界観は違った。

 

お泊りで旅行に行くことや、カラオケという密室に二人で行くことを

私の両親は良しとしないし、私も、いちいち詮索する親をだます面倒くささより

要領が悪いけど、正直につじつまの合うお付き合いを良しとしていた。

 

結局「あんたはつまらん!」ということで振られてしまったのだけども。

そのときにはもう、彼には別の大人の彼女がいて。

 

予想通り、自分でも自分を責めたし、追い打ちをかけるように両親も

私がダメだから、この納得のいく恋愛がダメになったのだといわれ続けた。

 

まだ、働いてもいないころの思い出。

働くようになって、自分の両親かなり他の人と違うなって思うようになる。

とりあえず、ダメになった恋愛の喪に服してしばらく無くしものの痛みを感じながら過ごすことにしたのだけれども、

 

私、今50歳。

元カレはこの世に某一人だけw

息子にも元カレ(元カノ)の数を追い越され、

あー、私って恋愛しなかったなって思う。

 

最初から婚活だったなーって。

まぁ、柔道的に言ったら、技ありじゃなくて一本取りに行ってたって思えばいいのかね。

でも、全然、恋愛の楽しいを知ることはなかったなぁって思う。

「つまらん!」

でしょうねw

 

負け惜しみなのかもしれないけど、

たくさん恋愛ないこと、結構自慢。

 

つまらないけど、一本取りに行った私の恋愛ヒストリーつまらなくて自慢だ。

未来が5歳ぐらいのころ、おぼつかないながらも歩けていた。

 

障害児っていっても、年齢が低ければ低いほど健常児との差ははっきりしない。

未来は発達がすごく遅いこと以外は普通の子とそんなに変わらない。

 

 

一歳になっても首が座らなくて、二歳になってもお座りできなくて

 

三歳になっても立ち上がることはなく、お話もしないし、オムツも取れない。

 

五歳あたりで少し歩く兆しが見えてきたけど、七歳には歩けないようになってきて。

 

 

でも、いつも上機嫌で、食欲はあるし、なんなら風邪とかインフルエンザには罹らないところは普通のお子様より育てやすいとも思える子ではある。

 

 

現在なんと高校二年生になろうとしている。首は座ったけれど、お座りはできないまま、お話もできないまま、オムツも外れないまま。

 

少し背が伸びたせいで歩くのは危険が増したし介助する私の方も衰えてきて今後が危ぶまれるw

 

 

 

そんな未来が保育園児だったころ、おぼつかない足取りで食器をのせて運ぶトレイをもって歩いていた時に問題発生。

 

棚と棚の隙間でトレイを持ったまま転倒して、トレイが口元に当たって、下唇を噛んで貫通するほどのケガになってしまったって保育所から緊急招集のお電話が。。。

 

すぐ会社を早退して保育所に向かう。バッグにはいつも新品のおしりふきと保険証と身障者手帳と療育手帳、お世話になっている病院全部の診察券が入っている。

 

着替えとオムツとナイロン袋は保育所にあるやつを流用させてもらおう。

 

 

いつもの障害者支援病院に連絡して受け入れをお願いしたけど、外傷はやってない。

 

おまけに主治医の先生が出張で不在。

 

でも、主治医の先生が未来のいろんな問題を、別々の病院の先生に診察してもらうようにしてくれていたおかげで、県内ほぼ全部の総合病院の診察券を持っていた。

 

 

片っ端から電話して、状況を話すけど運び込める病院はなかなか決まらない。

 

 

こんなとき、障害の名前がないことが本当に困る。

ダウン症とか自閉症とか、先生が「こういう感じの子が来る」って見通しを持てるような名前がない。

 

 

最善を尽くした挙句に訴えられたりするようなリスクがあるかもってなると受け入れない側の言い分も仕方がないのかとも思う。

 

5件ほど連絡して、とりあえず連れてきてみてって言ってくれた病院があまり遠いところじゃなくて良かった。

 

一年に一回ぐらい、未来の骨の成長速度を調べてくれている病院だった。

 

いろんなところに未来を診せておくってこういうときに役に立つんかって思った。

 

 

病院に着く前に、再び保育所から連絡があって、病院からその時そばにいた保育士さんも病院に来るように言われたから、今から病院に行きますという連絡だった。

 

こっちはもう、血が出てる未来をチャイルドシートに乗せてる状況だから、血は着くし、もうなんでもよかった。とにかく血を止めてもらわないと。。。

 

そうはいっても、これで失血死もしないだろうから、お医者さんはそこまで慌ててもないんだろうなって少し思った。ごめんなさいー

 

 

病院に到着したら、未来だけ手術室みたいなところに運ばれていった。

 

 

次見たら未来は裸に剥かれて、先生が全身を確認中。

 

 

到着した保育士さんと私は別々の場所で問診と状況説明。

こんなにゆっくりなの?と少し不審に思ったんだけど、

 

 

その後、手術室でお医者さんからの説明を聞いてもう一回驚く。

 

 

ケガ人本人の状態と、保育士さんの説明、保護者の説明に不審な点がないので治療を始めます。

 

あー そいこと。誰も嘘ついてないか、虐待とかのケガじゃないか調べてたのね。

ケガ人本人はしゃべれないから、裸にしてアザとか診てたのねー

 

いろいろなニュースが世間を騒がせているけど、

ほとんどの場合、病院とか関係各位はちゃんと機能してる。

 

そういうことをいつも身をもって知らされる。

 

どうもありがとう。

 

その後、未来の口を縫うための糸の太さを聞かれた。

傷跡になっても確実に縫うのか、傷跡残らないように細めの糸で縫うのか。

 

太めで、お願いします。

 

もちろん、全身麻酔するのは大げさだし、

でも局所麻酔では未来が動いて縫えません。

 

結局、私も手術台に上って未来の両手両足を動かないように掴んで抑える係。

 

「お母さん、縫うところ見て気持ち悪くなったりしませんかー大丈夫ですかー?」と声をかけられて、お医者さんって本当に大変なんだなと思う。

 

 

この状況で私がモドしたりしたら大迷惑だもんね。大丈夫モドしたりしません。

自分が注射されるときは、先っちょ刺さるのを見ているタイプです。

 

「あ、大丈夫ですー」と答えて縫われていく一部始終を見守りました。

 

 

本人は血が出ていることもよく理解してなかったので、

この騒ぎの間、泣くでもない。みんな集まってきてゴキゲンで

それがまた、ありがたいような、申し訳ないような。

 

 

障害者に関わるほとんどの人たちは本当によくしてくれる。

学校も病院も施設も。本当に本当にありがたい。

 

今では七針の傷の跡形もありません。

 

 

 

夏海の初めての全国大会出場が決定して間もなく、夏休みになった。

 

夏休みになる直前に、旦那に転勤の打診があった。

待遇は良くなるけど、微妙な近県に毎日通うか、単身赴任するかの2択で、

 

お給料のことを思うとそういうのもしょうがないのかなぁと思いながら、

働く場所を決めるのは旦那だし、まだ転勤すると決めてもないものを

アレコレ私が考えてもしょうがないから、まあ具体的に決まったら自分の動きを決めるしかないかと少し不安定な気持ちを抱えながら毎日を過ごしていた。

 

自分は10時から始まる当時の職場をありがたいと思っていたし、できれば

辞めずに済んだらいいなって思っていた。けど、そういうのはなんとでもなる。

 

環境を変えるとなった場合に一番ネックになってくるのは未来の環境を

どう整えられるかで、その整えることにどれだけの時間を割くか→私の働けない期間がどれだけになって、その時期を持ちこたえられるだけの資金力があるかということがとても不安だった。

 

そして、その期間っていうのは、役所や学校や病院のルールをどう適用してくれるか関係各所が連絡を取ったり手続きをしてくれる時間で決まると思うのだけど、

 

ただでさえ一般的でない障害者の中の、無所属的な未来をどう取り扱うかを決めるには、またたくさんの検査をゼロからやり直すことになるんじゃないか、その隙間を縫ってどう働いてどう稼いで家庭を維持するか、それがすぐ頭を埋め尽くして不安だった。

 

でも、その中に夏海の全国大会出場というニュースがあることで、不安よりウキウキする気持ちが勝っていた。親バカってすごい。

 

このウキウキがなかったら、私、どんなにクヨクヨしていただろう。

 

結局、旦那は「夏海と未来にふれあえない毎日は、俺にはムリ!」という非常に彼らしい結論にすぐ達して、会社を辞めちゃうことにした。

 

まあ、どの道、お金どうするんだ問題は残るのだけれど、わずかとはいえ退職金は入るんだし、傷は浅いほうだったのかもね。

 

毎年、夏休みの間、未来は毎日をグループホームで過ごしていた。

 

夏海は家でひとりの時間を過ごしてくれていた。私はいつもお昼ご飯もろくに作らないで、夏海に丸投げ。

 

夏海は自分でご飯を炊いて、電子レンジと電気ポットを駆使していろんなものを調理して食べてくれていた。兄弟で夏休みを過ごせたら、もっと楽しかっただろうな。

 

何年も何年も小学1年の時から夏休み冬休み春休み、夏海はひとりで一生懸命どうにか過ごしてくれた。大きい体と全国大会は神様からのご褒美なのかもしれない。

 

未来が小学2年生、夏海が小学5年生の夏休みの終わりに、未来の様子が変わってしまった。

 

それまでは、一人で歩くことができないとはいえ、手をつないで歩くことができた未来が、急に歩く距離が短くなって、体を動かすことが大好きだったのがなんだか無気力になってしまった。

 

私たち家族だけが感じていることなのか、夏バテなのかなって思っていたら、グループホームのスタッフの方からも、いつもは楽しみにしていた畑の水やりを未来がやりたくなさそうにしてる、何か元気がないって言われ、

 

夏休みが終わって、学校に行くと担任の先生も、このところひどくやる気がない、何か変だぞって話になった。

 

そして、生まれたことからお世話になっていた病院ではなくて、小学校の校医さんが所属する病院に未来を入院させての検査をすることになった。

 

初めての入院。そう、重度心身障害といっても、命にはまったく別状がないから、いつもおうちで楽しく生きてきた未来。入院したことなかった。

 

入院の付き添いはないシステムの病院。でも、未来はベッドから勝手に下りちゃうから、しかも、自分がケガするとか痛いとか、そういう想像もできないから、病院の床にマットを敷いて寝る羽目に。。。

 

柵のあるベッドは人権侵害だそうで使われていなかった。

 

でも、床から適当に廊下に這い出すから、看護師さんとか未来から目を離せません。未来の人権を侵害しなければ、誰かが人権を差し出さないといけなくなると思う。

私たち家族でも差し出し続けるのは難しい。

 

夜中に何度も目を覚まして、早朝には完全に起きてしまう未来を、旦那と私と夏海と三人で抱っこしながら過ごしてきた。まあ、なんだかんだで、司令塔は私だし、実行役も私だし。結局、旦那や息子をそこまでは頼れないから、本当に大変だった。

 

この入院と検査で、未来の小脳が委縮していることが分かった。

未来が言葉を話せないから、保育所や小学校で転んだり頭を打ったりするたびに

仕事を早退してレントゲンやMRIを撮っていたおかげで、比較する画像があって分かった。

 

この間までと、今を比べると縮んでいる。さて、この先は?

どんどん症状が進んでしまうのか、ゆっくり進むのか、もう進まないのか。

その様子を見ながら、今の無気力の治療を試みて、入院することになった。

 

この時点で、およそ1か月後に東京で行われる夏海の試合に、未来を連れていくことは許可できませんって主治医の先生に言われてしまった。

 

小学校の担任にも、東京を車いすの未来を連れ歩くのは賛成しませんっていうかやめてくださいって言われてしまった。

 

その判断はごく当たり前の判断なのだろうけど、今まで預けていきたくてもどこにもその選択肢がなくて、とうとう連れ歩く以外ないのだと思ってやってきたのに、急に連れ歩くのはおかしいです、無理ですって言われると、え?ってなってしまう自分がいた。

 

少し残念に感じたけれど。

 

でも、未来が入院して、家族3人になってしまった初めての朝は、全員寝坊。。。

何年も未来の様子を心配しながら眠っているせいで、熟睡できてないのは私だけじゃなかった。

 

一人がんばっている気持ちになっていたけど、全員、疲れ切っていたんだって思った。全員、未来のこと心配してがんばってきたんだって、この時、初めて感謝した。

 

そして、とりあえず全国大会は未来を入院させてる間に行くんだから、

夏海をちゃんと試合に集中できるように、私もがんばろうって思った。

 

夏海が初めての全国大会に出ることが決まったころ、

私はフルタイムで働いていた。

 

フルタイムと言っても、全員の定時が朝の10時から夕方5時半までという

少し変わった勤務時間の会社だった。

土日祝日は全部お休み。残業禁止、年末年始お盆GWも休みという

小さい子供二人を抱えている私にはありがたい職場だった。

 

いくつものホテルを経営している会社で、日々現場から現金を回収し

数えて銀行に預け、スタッフの給料を計算したり、必要な商品を

手配したり、仕入れ先にお金を払ったりする事務の仕事をしていた。

 

小さい子供を育てている家庭はどこもそうだと思うけど、

土日がお休みの職場じゃないと休みの調整が大変だ。

 

おまけに、未来の場合、二週間に一度はリハビリに通うのがいいとお医者さんは言うし、

 

とてもレアな病状のお子様だったので、何かと役所や病院、学校を煩わせることが多かった。命に別状はないのだけども、明らかに成長の状況が普通の子供とは違う。

 

役所と病院と学校は、個人情報の問題とかで、親の承諾なしに未来の情報を共有することも、病状を話し合ったりすることもできないし

 

こちら側も、病院や学校の受け入れがないと未来との暮らしがままならないので、役所病院学校役所病院学校役所病院学校、の無限ループ。

 

それに耐えないと私虐待してることになっちゃうのでしょうか?

 

私が虐待されてる状況の気がしないでもないんですけども。

 

少数にしてイレギュラーな障害児の中でも

カテゴライズされないイレギュラーな未来を、

 

役所も病院も学校も今あるルールの中でどう取り扱うのが最適なのか

困っていることは私にも痛いほどわかっていたので

病院にも学校にも役所にも文句はない。

 

頑張ってくれているのだチーム未来。

頑張ってこれが精いっぱいなのだから、あまり仕事を理由にノーを言うことはできない。

 

でも、仕事をしている以上、子供を理由に毎週のように休むわけにもいかない。

 

まして、女3人のその職場は、不妊で子供がいないAさんと、

離婚して旦那がいないBさんと、私のフォーメーションだったから、

 

なおさら子供理由で休みにくかった。そして、働かないでやっていけるほど、うちの経済状況は良いわけではなかった。

 

そこで、この10時からっていう始業時間が、本当に効いてくるのだ。

 

朝7時まず旦那を会社に送り出してから、次は7時20分に夏海を小学校に送り出す。

 

すぐに未来を乗せて車で家を出発して、

支援学校の送迎バスのくるショッピングセンターの駐車場に向かう、

7時50分に未来をバスに乗せて、すぐ家に引き返す。

8時20分にいったん帰宅して、

洗濯ものを干して自分の準備して9時半に会社に向かう普段の朝。

これで遅刻することはありません。

 

一般的な8時や8時30分始業の会社では成り立たない朝を

ハローワークさんの結んでくれた縁でどうにか働き続けさせてもらえらんだなー

 

役所やリハビリのある少し忙しい日は、朝8時半からの約束で役所や病院に行って、

9時半までの一時間で片づけて、未来を学校に送って、会社に滑り込めば30分程度の遅刻で済む。

 

同僚の一人が遅刻魔だったのもありがたく影響して、悪目立ちせずにすんでた。マジでこういうの神様が上手だーーありがたやーー

 

これよりもっと忙しい時はあきらめて一日お休みをもらうけど、絶対にダブルヘッダー以上詰め込んで、病院や学校をはしごする。

 

もう、売れてる子役のお母さんってこんな感じで次々スタジオをはしごしてんだろうなーと思いながら、自分もそいういう気持ちで行こうと必死だった。

 

お給料はそこそこだったけど、勤務時間が短くて、お休みが多くて。

それがこの会社のチャームポイントでした。

 

夏海が小学2年生のころは、5時半に退社して、5時45分までに学童にいって、

そして、6時に未来を迎えに行かないと延長保育料がかかるので、残業ないのもありがたかった。

 

この全国大会が決まったころには夏海も5年生だったから、学童に迎えに行かなくてよかったから、かなり楽になってきていたように思う。

 

未来は支援学校が終わったらバスに乗って帰ってくる。試合の時にいつも未来を預かってくれるグループホームのスタッフが未来を学校のバスから受け取って、私が迎えに来るまでの時間を見守ってくれていた。

 

仕事が終わって、未来をグループホームから連れ帰って。。。

全国大会を見に行きたいばっかりに、ここから急いで晩御飯を作って食べさせて、急いで風呂に入れて。そのタイミングで旦那が帰ってくるか、来ないかで夏海に未来を託して、週3~4、バイトに行ってたんだなー私。今思えばすごい頑張ってたなぁ。

 

どうしても試合見たかったってことだよねw

多分今でも同じ状況なら同じことしようとすると思うけどね。

同じことできる元気はまだ残っているのかな。残っててほしいな。

 

このあと、4人で全国大会に行くことができなくなってしまうのだけども。

この時はまだ、4人一緒以外を想像もしていなかった。

 

 

 

「私らーの時は、中学生でも全国大会とかなかったけどねー?」

と同じ年の旦那に言ったら

「アホか、あったわ! 俺出ようとしとったわ!!」

って言われちゃったw

私のいた中学校が弱小だっただけでしょうか。

それとも、文化部の幽霊部員だった私が気づかなかっただけでしょうか??

 

夏海が5年生になった夏、試合の朝に気づいた。

今日の試合は2位になったら、全国大会に出れるって書いてある。

へー、すごいな。今どきは小学生から全国大会目指さんなんのかーと驚き

旦那に言い放ったのが「私らの時は中学生でも全国大会はなかった」である。

 

「えー!全国大会とかあるんなら俺でてみたいわ!」と夏海。

そんなこと思う子なんか。そういうイメージ持ってなかったわ。

こと柔道に関しては私の知らない面の夏海が出てくる。

 

でも、全国大会って頑張って頑張って頑張って、目指して目指して目指しても

おいそれ出られるもんじゃないだろう。

当日の朝に「出てみたい!」で出れるようなことないわいや。

と思っていたら、勝ち進んで勝ち進んでとうとう準決勝。

 

中央武道館の外国人の男の子との試合になった。

この子は強い。団体戦でもいつも勝ってる。

夏海と戦ったことはあんまりないけど、

でも、前回はこの子とやったときは一回戦で当たって

夏海が負けたはずだ。

 

この時初めて思ったけど、夏海の道場には6年生が一人しかいなかった。

しかも、体格が恐ろしく小さい。ちょいちょい先鋒に間違われてるくらい。

それで、5年生の夏海は6年生の枠で団体に出て、

5年生は内股のシゲと次に大きいユータが出るから、

夏海は団体で6年生とばっかり当たっていて、

学年ごと括りの試合ではあまり当たったことない相手とやることが多かった。

 

どんな子かよくわからないで負けたりする。

このころは旦那によく「相手についていくなよー」と言われていた。

 

で、この外国人の子は夏海の苦手な、小さい体格の背負い投げかけがちな子だった。

いつものように、はじめって聞こえてすぐ「なつみーがんばれーっ!」

って応援する。このころ、録画しようって気がなくて記録が残ってないのが

マジで自分がバカタレすぎるって思っている。

 

なんか本当に全国出ようと思ってるのか、いつもより元気に試合していた気がする。

結果、なんか物言いがついて、ちょっと話し合いが行われて、でもどうにか勝った。

 

えーーーーっ!勝った!?

 

びっくりしすぎて、決勝のこと覚えてない。

決勝は負けたはずだ、あの前回県大会で二位になったときに負けた相手→イシヤマ君に。

でも、どんな試合だったのか全く覚えがない。

今朝行ってみたいと言っていた全国大会に、昼には出ることになってるなんて。

 

このころはまだ未来はおうちから小学校に通っていて、

重度心身障害児をお泊りで預かってくれるところ見つかってなくて。

 

結果、結婚式だろうが葬式だろうが、未来と一緒に参列してきた。

 

試合の時はグループホームに預けていたけど、それは日中だけの話で。

私が40度の熱を出して、入院しろって言われた時も、

未来がいるから、入院お断りして3人でチカラを合わせて乗り切ってきた。

 

東京で行われる試合会場に未来を連れて行ったとして、

全国からくる選手たちの大事な試合を未来の叫び声で台無しにするわけにはいかん。

 

けど、最悪でも、東京までは行きたい。試合見れなくても。

夏海のそばに付き添いたい。

 

もし可能なら、東京で日中預かってくれるところを探して未来を預けよう。

待て待て、その前に、旦那も私も未来も夏海のこの試合を見に行く資金力ないぞw

未来を東京で預けるにも、お金がないとね。

 

何しろこの時、旦那は仕事を辞めてしまったところだったのだ。

でも、この状況で再就職を急いでしまったら、

2か月後の全国大会に旦那が休みとれるだろうか?

付き添えないってなったら、旦那は我慢できないだろう。

 

ということは、全国大会までは旦那の給料も期待できないな。

そうなると。。。

 

この日の夜、家の最寄りのコンビニでバイトをすることになった。

いろいろ訳があり、訳はあるのに金はなく、唐突な家庭だと思うw

でも、とりあえず頑張るしかない。試合みたいもん。

 

今朝には思ってもなかった。

夜には自分がバイトをすることになるなんてw