今日は未来の運動会を見に行ってきた。

小学6年生の春に見た切り、コロナで3年間見に来ることもできなかった。

去年は仕事で来なかった。

 

でも、今年は月末だっていうのに会社を休んで見に来た。

後ろの席の田中が、去年の夏休みも、冬休みも、こないだの春休みも

その間にある月だってちょいちょい子供を理由に一週間以上連続で休むから

 

コロナだとかインフルエンザだっていって、まるっと一週間以上でも有休で休むから

そして、その後、会社休んで仕事滞ってるからと、夜9時になっても残業して

残業代を稼ぐから、イライラとムカムカが限界に達したことだし

一日ぐらい私も休もうって思った。

 

田中は日中何してるんでしょうね。この件はまた別に書こう。

運動会の話がどっかにいってしまう。。。

 

 

 

夏海が大学生になってみて、未来が私の子供でいてくれる時期ももう少ないのだと

思ったせいもある。

 

あと一年たったころには未来は成人して、その後は私の子供としてではなく

一人の大人の障害者として病院や施設のお世話になっていくのだ。

 

親じゃなくなるわけじゃないけど、親だからという理由でしてあげられることが

少なくなっていくのだろうと思うと少し寂しい。そして、心配。

 

でも、順番通りにいけば私が先に死んじゃうのだから、なるべく頼りになる

病院や施設や役所にお任せできるぐらいまでにしておかないとね。

 

夏海には夏海の人生がある。夏海に大きい負担を強いることなく

未来の安全を確保しなくては。

 

もちろん、順番通りに死なないよう、私は元気でボケずに長生きする努力を

するし、今だってしているつもりだ。

 

支援学校の運動会は心が洗われる。

全員が全力なんだって思える。

 

立っていることが難しい子が、先生に支えられて精いっぱいのエールを交換して

いるのをみると、年のせいか涙が出てくる。

 

あ゛ーーーっ、う゛ーーーっ!って聞き取れないけど、みんな何か大声で声援

しているのも、本当に命だなーって、一生懸命だなーって思う。

 

毎日毎日、私の職場で出会う仮病で予約をキャンセルしてくる大学生どもとは

大違いだ。

 

そして、運動会を支えている先生たちがまたすごい。

多分、生徒よりも先生の方がお世話のために何倍も走っている。

 

先生の方が運動会かもしれない。

 

車いすの子は車いすで、

ウォーカーの子はウォーカーで。

装具を付けている子は装具を付けて、

横になって眠っているように見える子にも参加はさせるので

 

先生たちはそれぞれを間違いなくそれぞれの補助用具に乗せたり

装着したり、持たせたりして、一応の徒競走をさせる。

 

速いとか遅いとか、勝ったとか負けたとかじゃない世界がそこにはある。

そんなお伽話みたいな運動会に意味はあるんか?って普段過ごしている世界では

絶対思うし、普段過ごしている世界がそうだったら、それはまた違うと

思うのだけれど。

 

でも、支援学校には選ばれし者しか見られない不思議で崇高な世界が確かにあるw

 

今年の校長先生はなかなかのツワモノで、車いすに乗り徒競走に参加していたw

 

生徒の方は置かれたコーンをスラロームで進み、3個めのコーンを一周して

そこから後ろ向きでゴールテープを切っていた。

 

校長先生はハンデをもらって、スタートからゴールまでただ一直線に進むのだけど

途中で生徒に追いつかれて、必死で車いすをこいでギリギリで勝利

 

大人げなくて最高に面白かった。

 

その後、床に敷かれた的にボールを蹴って、ボールの止まったところの点数を

競う競技が行われた時も、赤団と白団の団長が二人とも少し話ができる子だったから

 

「お前が先に蹴ってよ、その後自分蹴るから」

「いや、お前が先で、その後俺が蹴るわ」

「いいから、お前先に蹴れって」

「なんでよ、お前が先に蹴れって」

 

みたいな、変なコントが始まって面白かった。

 

 

そして、最後は今までなかったフォークダンス。。。

先生たちが車イス押して、輪になったり、真ん中に集まったり

生徒たちは謎のテンションと車イスの異動に付き合っているだけなのに

 

なんか乗せられて楽しそうな子もいるし、疲れて寝ちゃってる子もいるー

 

この競技と競技の間には、みんなササっとオムツを交換されて

同時にボールとか的とかの準備や、生徒をそれぞれに乗せ換えたり

応援の旗やポンポン持たされたり、ぬかりがない。

 

本当に毎回すごい。

今年、見れてよかった。

 

そろそろ元気がなくなってきている自分の母親と一緒に

元気で楽しそうな未来を見れてよかった。