夏海の初めての全国大会出場が決定して間もなく、夏休みになった。

 

夏休みになる直前に、旦那に転勤の打診があった。

待遇は良くなるけど、微妙な近県に毎日通うか、単身赴任するかの2択で、

 

お給料のことを思うとそういうのもしょうがないのかなぁと思いながら、

働く場所を決めるのは旦那だし、まだ転勤すると決めてもないものを

アレコレ私が考えてもしょうがないから、まあ具体的に決まったら自分の動きを決めるしかないかと少し不安定な気持ちを抱えながら毎日を過ごしていた。

 

自分は10時から始まる当時の職場をありがたいと思っていたし、できれば

辞めずに済んだらいいなって思っていた。けど、そういうのはなんとでもなる。

 

環境を変えるとなった場合に一番ネックになってくるのは未来の環境を

どう整えられるかで、その整えることにどれだけの時間を割くか→私の働けない期間がどれだけになって、その時期を持ちこたえられるだけの資金力があるかということがとても不安だった。

 

そして、その期間っていうのは、役所や学校や病院のルールをどう適用してくれるか関係各所が連絡を取ったり手続きをしてくれる時間で決まると思うのだけど、

 

ただでさえ一般的でない障害者の中の、無所属的な未来をどう取り扱うかを決めるには、またたくさんの検査をゼロからやり直すことになるんじゃないか、その隙間を縫ってどう働いてどう稼いで家庭を維持するか、それがすぐ頭を埋め尽くして不安だった。

 

でも、その中に夏海の全国大会出場というニュースがあることで、不安よりウキウキする気持ちが勝っていた。親バカってすごい。

 

このウキウキがなかったら、私、どんなにクヨクヨしていただろう。

 

結局、旦那は「夏海と未来にふれあえない毎日は、俺にはムリ!」という非常に彼らしい結論にすぐ達して、会社を辞めちゃうことにした。

 

まあ、どの道、お金どうするんだ問題は残るのだけれど、わずかとはいえ退職金は入るんだし、傷は浅いほうだったのかもね。

 

毎年、夏休みの間、未来は毎日をグループホームで過ごしていた。

 

夏海は家でひとりの時間を過ごしてくれていた。私はいつもお昼ご飯もろくに作らないで、夏海に丸投げ。

 

夏海は自分でご飯を炊いて、電子レンジと電気ポットを駆使していろんなものを調理して食べてくれていた。兄弟で夏休みを過ごせたら、もっと楽しかっただろうな。

 

何年も何年も小学1年の時から夏休み冬休み春休み、夏海はひとりで一生懸命どうにか過ごしてくれた。大きい体と全国大会は神様からのご褒美なのかもしれない。

 

未来が小学2年生、夏海が小学5年生の夏休みの終わりに、未来の様子が変わってしまった。

 

それまでは、一人で歩くことができないとはいえ、手をつないで歩くことができた未来が、急に歩く距離が短くなって、体を動かすことが大好きだったのがなんだか無気力になってしまった。

 

私たち家族だけが感じていることなのか、夏バテなのかなって思っていたら、グループホームのスタッフの方からも、いつもは楽しみにしていた畑の水やりを未来がやりたくなさそうにしてる、何か元気がないって言われ、

 

夏休みが終わって、学校に行くと担任の先生も、このところひどくやる気がない、何か変だぞって話になった。

 

そして、生まれたことからお世話になっていた病院ではなくて、小学校の校医さんが所属する病院に未来を入院させての検査をすることになった。

 

初めての入院。そう、重度心身障害といっても、命にはまったく別状がないから、いつもおうちで楽しく生きてきた未来。入院したことなかった。

 

入院の付き添いはないシステムの病院。でも、未来はベッドから勝手に下りちゃうから、しかも、自分がケガするとか痛いとか、そういう想像もできないから、病院の床にマットを敷いて寝る羽目に。。。

 

柵のあるベッドは人権侵害だそうで使われていなかった。

 

でも、床から適当に廊下に這い出すから、看護師さんとか未来から目を離せません。未来の人権を侵害しなければ、誰かが人権を差し出さないといけなくなると思う。

私たち家族でも差し出し続けるのは難しい。

 

夜中に何度も目を覚まして、早朝には完全に起きてしまう未来を、旦那と私と夏海と三人で抱っこしながら過ごしてきた。まあ、なんだかんだで、司令塔は私だし、実行役も私だし。結局、旦那や息子をそこまでは頼れないから、本当に大変だった。

 

この入院と検査で、未来の小脳が委縮していることが分かった。

未来が言葉を話せないから、保育所や小学校で転んだり頭を打ったりするたびに

仕事を早退してレントゲンやMRIを撮っていたおかげで、比較する画像があって分かった。

 

この間までと、今を比べると縮んでいる。さて、この先は?

どんどん症状が進んでしまうのか、ゆっくり進むのか、もう進まないのか。

その様子を見ながら、今の無気力の治療を試みて、入院することになった。

 

この時点で、およそ1か月後に東京で行われる夏海の試合に、未来を連れていくことは許可できませんって主治医の先生に言われてしまった。

 

小学校の担任にも、東京を車いすの未来を連れ歩くのは賛成しませんっていうかやめてくださいって言われてしまった。

 

その判断はごく当たり前の判断なのだろうけど、今まで預けていきたくてもどこにもその選択肢がなくて、とうとう連れ歩く以外ないのだと思ってやってきたのに、急に連れ歩くのはおかしいです、無理ですって言われると、え?ってなってしまう自分がいた。

 

少し残念に感じたけれど。

 

でも、未来が入院して、家族3人になってしまった初めての朝は、全員寝坊。。。

何年も未来の様子を心配しながら眠っているせいで、熟睡できてないのは私だけじゃなかった。

 

一人がんばっている気持ちになっていたけど、全員、疲れ切っていたんだって思った。全員、未来のこと心配してがんばってきたんだって、この時、初めて感謝した。

 

そして、とりあえず全国大会は未来を入院させてる間に行くんだから、

夏海をちゃんと試合に集中できるように、私もがんばろうって思った。