新しいネコを迎えた。

 

譲渡会に行ってすぐ「この子!」って思った。

譲渡会場を一周している間にこの子が他の人に譲渡されたらって思うと

一周できなくて、この子→くう を譲渡してもらえるようお願いした。

 

ケージから出して抱っこさせてもらうと、意外と落ち着いて抱っこさせてくれた。

赤ちゃんネコを保護して18年一緒に暮らしたこと

その子を1年前に亡くしたこと

次も長く一緒に暮らしたいことを伝えて

くうちゃんが来る日を待った。

 

名前を変えたらネコも混乱するだろうって旦那と意見が一致したので

名前はそのまま「くう」で。

 

割と落ち着きのない子だったので、家族全員でにぎやかに迎えるのは辞めにして

くうちゃんが来る日は私一人で待った。

 

くうちゃんが来る時間、すごい雪が降ってきて

てんが引継ぎにきてくれてるみたい。

 

どんな柄のネコでも絶対愛せると思うけど、くうちゃんはてんさんと同じ三毛猫。

 

でも、キャラが全然違うw

 

いつも家じゅうを三角跳びで跳ねくり回っている。

抱っこするとグルグルグルグルローリングが止まらない。

口とか顎とか見境なしにベロベロベロベロなめまくる。

ハンモックじゃないと寝ない。。。

本当に止まったら死ぬんかと思うぐらいアグレッシブで

カーテン上って落ちて、こりずに走って。。。

 

新しいネコは、柄だけ似ているけど別のネコだ。

 

これって大事だね。

前の子は前の子でかわいい。

今の子は今の子でやっぱりかわいい。

 

3か月足らずだったけど、夏海はくうと暮らすことができた。

 

今、この何も考えてない元気ばっかりのネコは家族をつないでくれている。

旦那と私も、くうがいるから寂しくないよ。

夏海にも話題なくてもネコの様子を送れる。

 

何も考えてない元気なだけの猫だからこれはこれで助かる。

うちの新しいネコ。

さんきゅー

 

てんが亡くなって、ネコのいない暮らしが続いた。

というか、これでネコなしでやっていくんだと思っていた。

 

夏海のインターハイ予選も近いし、新しいことを始める気持ちにならなかった。

高校に行って、夏海の柔道はうまく行ってなかった。

 

中学校を卒業するころにコロナでいろいろなことが通常通りじゃなくなって

高校に進学したはいいけど、柔道部に同学年の子はいなかった。

なかなか練習は再開せず、ようやく高校生活が始まったのは夏。

 

旦那は相変わらず夏海の柔道を見に行ったけれど、小学生のころから旦那と夏海を知っている先輩たちに、旦那をからかわれることとか、少しづつ自我が芽生えて旦那に練習に口を出されることがイヤで、家から飛び出したり、もう練習見に来ないでと言ったりで高校生活はなかなか軌道に乗らなかった。

 

旦那が見に行かなくなってから、夏海は優勝しなくなった。優勝どころか今まで負けたことない相手に負けるようになって、

こんなことなら熱心に誘ってくれた県外の高校に出してやればよかったって

私はずっとグジグジ思っていた。

 

5月のインターハイ予選で、夏海は久しぶりに優勝した。

予選の前日「俺、父さんに勝手なこと言って、ここで負けてまたケンカになるんかなぁ。。。」少し弱気なことを言う夏海に

 

「あほか。ここで負けるストーリーなんかないわいや。高校生活いろいろあったけど、最後はやっぱり『どっさ、ごろごろ、抑え込みー』で勝つ、で、チャンチャンよ」

 

本当にそうやって勝ってくれた。そして全国大会に行ってくれた。

 

そして、秋になって家族全員ネコがいないという違和感に気づくw

お布団の盛り上がりの中にネコがいるんじゃないかと全員が自然に思って

居なくて「ん!?」となる。

 

自然に三毛猫を探していた。

できれば道端で捕獲したいところだけど、適当に歩いているネコにもう心当たりがない。後になって私の住む地域はほぼ全ての野良猫が保護されているらしいことを知った。

 

旦那は「俺さ、できれば若いネコがいいな。落ち着いたネコも全然かわいいけどさ、お別れまでがなるべく長い子がいい。悲しいのはやだ」

 

てんが旦那にすごくなついていて、旦那と二人の時に亡くなったのでことさらに別れが辛かったんだろうなって思った。

 

亡くなる前日も、その前日も、もう帰宅した時には虹の橋の向こうなんじゃないかと思っていたけど、夏海と二人だったから力を振り絞って生きていてくれたんだと思う。

 

旦那と二人になったとき、安心して橋を渡れたんだと思う。

だから、子ネコが良いって言う旦那の気持ちも分かるような気がした。

 

 

果たして、子ネコは来た。

来たけど、思った子ネコと違って。。。

 

まだ目が開いたばかりの赤ちゃんネコじゃないか。

歩くだけでも全力過ぎる。缶コーヒーより細い胴体。

泣き声はニャーニャーじゃなくてピーピー言ってる。

寒くて一人じゃ寝れないし、シッコも一人じゃできないし

飼ってきた餌はまだ早い。これはミルクが要る。仔猫用のミルク。

ダメだこれは一回病院に行ってからじゃないとお世話は危険だ。

電話帳で近所の獣医を調べて、ネコを車に乗せて急ぐ。

でも、、、車の中でネコ失神

道路わきに車を止めてネコをゆすり起こす。

おいおい、死ぬなよーーおーーーい。

なんとか蘇生して、病院に駆け込む。

 

「興奮して死んじゃう子もたまに居ますから、

 今度からは洗濯ネットに入れて運んできてくださいねー」

お医者さんに洗濯ネットをもらった。帰りは失神せずに済みそうだ。

 

耳のダニを駆除しなくちゃいけないのと、目が結膜炎なのと

あとお腹に虫がいて虫下しを飲まなくちゃいけないことが分かった。

 

近いうちに避妊手術をする予約をして、薬とミルクと哺乳瓶をゲットして帰宅した。

 

旦那と2時間ごとにミルクをやって様子をみる。

ちょうどゴールデンウィークでよかった。

 

天井で保護されたから「てん」と名付けたメスの三毛猫は

ちょっとどんくさい、ツンデレな子だった。

 

朝は必ず旦那に一回だけ鼻チューする。

二回目しようとすると、そっぽを向く。

 

いつも一番いい場所をみつけて、なんとなく寝そべっている。

 

その後生まれた夏海のことをいつも見守ってくれた。

夏海の一番の伴走者だっただろう。

 

夏海が高校2年生の冬、もうすぐ19歳ってときに虹の橋へ

 

たくさん雪の降る日だった。

荼毘に付したときも吹雪いていた。

 

雪が降ると てんが来てくれているみたいな気持ちになる。

元気でいるかなぁ。

私たちには時間しかなかった。

 

28歳で家を買うことに実家は大反対で

まずお金をためろって言われたけど、氷河期世代の私たちは

二人とも正社員で働いていても十分な賞与はもらえてなくて

64000円の家賃を払いながら家を買う貯金ができるような暮らしぶりではなかった。

 

私が「将来ジジババになった旦那と私」のために取った作戦は2つ

さっさと家を買って早い時期から返済を始める→定年までに住居費ゼロに持ち込むこと

絶対正社員で働き続けて住居費ゼロならどうにか暮らせる年金を確保すること

 

これが上手くいったのかどうかは51歳現在検証されていないけども。

 

でも、私の両親にはただ無謀に家を買いたがるバカな娘にしか映らず

黙って家を買い、黙って引っ越しをして、事後報告した。

 

農家である実家の納屋より狭い家を買ったことや、住宅ローンを払い続ける人生になることをすごく叱られたし、悲しまれたし、、、まぁ、構わないけどね。

 

そうしてこうして、やっと引越しをして2か月たった5月の初め

仕事中に旦那が電話をしてきた。

 

 

「会社の天井裏に子ネコが足を引っかけて動けなくなっているのが見つかってさー

 あんた、ネコ好きだったやろ?俺は毎日毎日帰りも遅いし、ネコ飼おう

 今日、連れて帰るからー」

 

確かにネコは好きだ。

図書館でもネコの飼い方の本とか、ネコの写真集とか借り続けていたし

たまに遊ぶ野良猫という存在が何匹かいたけど、家に飼うことは考えてなかったなー

 

でも、考えてる暇はない。今晩ネコがくる。

子ネコというからには走り回るだろうから、新しいおうちが爪でやられないよう

せめてケージを買わないと。それから餌とトイレと。。。

そもそも、家賃は64000円と自分たちには負担になる金額で、

いづれお年寄りになったとき、どうやって家賃を払い続ける気なのか

 

実家は10代以上も続く農家なので土地はタダだし建物も築何十年かの古い家。

父と母のどっちかが死んだからって家賃の心配はないだろうが、

 

私と旦那はちがう。

旦那が生まれ育った家庭は実父と継母と継母の子供3人の水いらずの家庭になっていたし

私が生まれ育った家庭は父と母と私の弟がいて、当然弟が継承する見通しだったから

 

言い方は悪いが、本命じゃない子供として育った私たちは、末成り二人。

気楽な代わりに二人が元気で働いていないと暮らしが成り立たないw

 

子供を産むには何とか暮らしにお金をかけないようにしたかったけど、

もっとお安いところに引っ越そうとすると当時はまだ敷金や礼金がかかった。

 

雇用促進住宅や市営住宅に安い家賃で住むには、自分が働くことを辞めて家庭の所得を下げないといけない。

でも、働くことを辞めて子供を産み育てていたら、いったい復帰はいつになるんだ?

それで暮らしていけるのか?子供まで増えてるのに暮らせなさげ。。。

 

旦那と二人で住むアパートを決めるにあたって、せまいとか汚いとか実家から遠いとか、お金も出さないのにあれこれ口を挟んできた私の母親と

 

そのことを「あー、俺は別にどこでもいいよ。住めれば別に」と全く意見を言わなかった旦那の間で

 

とりあえず、余計な衝突を避けてまず結婚して実家を無事に脱出することを真ん中に据えて事態を乗り切ることにした自分のことをちょっとまずかったなって思った。

 

衝突を避けて無事実家を脱出することにはちゃんと成功したけどね。

そのことだけに必死すぎたなって。

 

いつになったら、ネコの話にたどり着くんだ?私。。。

28歳の時、家を買った。

田舎に育った私は結婚してからのアパート暮らしが合わなかったのだと思う。

 

1階は不用心だからという自分の両親の意見を聞いて2階の部屋にしたけど

灯油や米など重いものを運ぶのは大変だったし、

隣の部屋に子供が生まれて夜中に子供の泣き声がきこえるようになると

いずれこの迷惑をかける側になるのがイヤだった。

 

アパートの階段を上がったところに大きな溝があって

灯油や買い物だけでも時々つまづいて

 

いつか子供を産んだら147cm当時40㎏足らずの自分では

安全に運び続ける自信はないし、

 

子供が巣立つまでここで住むのか、変なタイミングで引っ越すことになるのか

子供によって増えるであろうよく分からない荷物を

ここで収納し続けて住み続けることもできなさそうなら、

生活の途中でその荷物も暮らしも無事に引っ越しさせることもできなさそうだった。

 

お子様の方を産まないで二人で暮らしたいなーという思いもあったけど、

旦那は両親が離婚していて、実父と継母に育てられた。継母は3人も弟を産んでいて、

元の家庭の子供は自分だけという環境で大人になったので、どうしても子供が欲しいと言っていて、家庭に子供はマストという意見を曲げなかった。

ま、普通そうだよね。ということでお子様はいずれ産もうということにしていた。

 

私だって家族や子供というものにいろいろ厄介な思い入れがあって、

産むからにはいろんな覚悟が必要だったのだ。誰だってそうだと思うけど

そのころの自分には本当にオオゴトだったのだ。

 

ネコの話を書くはずが、家を買うまでの話で長くなっちゃった。

 

 

 

三歳違いの弟がいたのかいなかったのか

その記憶には弟がいないのだけれど。

 

駐車料金とか電車代とかそもそも全ての支出に厳しいことをいう父は

あまり家族で出かけることを好まなかった。

 

抱っこするには重たくて歩かせるには足も遅くて

足手まといであっただろう3歳?4歳?ころのある日曜日

 

父が午後から突然出かけると言い出した。

すごく急いで準備をさせられたせいで母は気が立っていて

自分の準備に忙しくて、私のワンピースの後ろのファスナーを

閉めてほしいと頼んだら、自分で閉めろって言われた。

 

すごーく無理して手を後ろに回してしめたので

この時以来、私の肩の関節はバグっていて、

51歳の今でも自分の背中の前面を思うままに掻いたり洗ったりできる。

 

その日、殺気立って準備をする母に気を使って

自分の準備を必死にすませて自動車に乗り込んだ。

 

目的地の百貨店まで大人の足でも歩いて20分はかかる道のりを

両親のどちらかと手をつないで歩いた

 

百貨店で、父と母は何か恐ろしく迷い、話し合って買い物をしていたように思う。

いつまで話し合ってるんだよって思いながら

退屈そうにすると機嫌が悪くなる両親に気を使って

いたずらもせず、迷子にもならず、つまらなさそうにもしないでそこにいた。

 

やっと用事が終わって、また20分の道のりを歩きだすときに

つい「トイレにいきたい」と自分の都合を言ってしまった。

 

 

 

そこからは大変だった。

家を出る前にトイレをさせておかなかったからだっ!って父が母を叱り、

私はとても悪いことをしたのだと思った。

トイレに行きたいって言っちゃいけなかったんだ。。。

 

 

家に帰っても、父は母に不満をぶつけ続けた。

母は原因を作った私を「嫌な子」だと言った。

 

母には「嫌な子」って大人になってもよく言われてたなあ

合わなかったんだよね。今も合わないけどねw

 

ちなみに父には「ダメな子」って言われてたっけ

 

 

私は自分の都合を言わない大人になった。

だから今も都合のいい人として扱われている。

尊重されることもないし、予定も都合もない人と思われている。

 

通常業務をそのままで雑務だけはかなりの量をこなせるほうだ。

町内会の配りもの400件分を一夜で配ったこともあるし

会社では事務員を名乗りながら配送でも工場作業でも送迎でも

飛んできた仕事は何でもおっしゃられるまま引き受けるスタイル。

 

頼んでくる相手は断られることを想定してもいないし、

ありがたいとも思ってなくて、やってもらったことすら覚えてないことが大半。

同じことを相手に頼むと理由にもならない理由で断られたりするw

 

要するに頼んで負担をかけたことに対して、フィフティフィフティじゃ

ないんだなって思う。こいつ私のことナめとるなってw

 

よく名前を間違われちゃったり、忘れられちゃったりもする。

ほんとにナめられ体質なのだね、私って。

 

 

でも、旦那はそういうのがない。

私がやりたくないこと(家事とかね)手伝ってはくれないけど、

やらなくても文句言われることはない。

 

旦那の都合に協力してあげたら、同じことが起きたとき協力してくれる。

 

旦那のやりたいことを止める権利は私にないけど、

私のやりたいことも止められることがない。

 

私たちの生き方を、私の両親にはボロクソに言われているけど、

気持ちの負担がないんだよ。この人といると。

 

ピンチの時に「わーどうしよ?」って二人で笑っていられるのが

ありがたいの。キチンとした生き方じゃないけど、しんどくないのよ。

 

胆石の手術後、2週間目で会社の健康診断があった。

 

貧血が治っていた。血が出ていたのは胆のうだったのかもね。

手術の直前は7.6と言われた赤血球の値が9.8まで上がっていて

やっぱ石のせいだったのか?って思っている。

 

それから、この春先にヒザに激痛が走って階段が登れなくなり

「膝関節症」と診断されて治療していたのが、石をとって本日現在痛くない。

 

右足のかかとの角質化がすごかったけど、角質化の程度が良くなってきている。

 

あと、この夏ごろからどんどん脇の臭いの悪臭化がすごかったんだけど、

一般的な臭さになった。

 

もっと早く胆石とってればよかったかなぁって思う

でもまあ、これ以上にはならなかったと思うけどね。

 

もうしゃがんでも肋骨に当たってくるアイツはいない。

おなかのスペースも増えてご飯がおいしい。

 

まだ少しヘソはカユイけども

あと、お腹にてんてんと残る傷跡もあるけど。

 

おおむね良好な手術のその後でした。

胆石の手術をした日は、さすがにお腹が痛かったけど

トイレは普通に歩いていくことができた。

 

翌日のご飯は全部食べることができた。

下痢になるっていう話も聞いていたけど、少し緩い程度で通常運転だった。

 

へそだけは結構痛くて、処方されたロキソニンを一回飲んだ。

 

火曜日のお昼に手術して、木曜日に退院するつもりで居たけど

病院側からハッキリといつ退院というアナウンスがなくて

なんとなくの雰囲気で退院は金曜日の午前中になった。

 

旦那は「開店休業だった胆のうが、とうとう更地になってスッキリしたなー」

って言いながら、帰り道にいつものマックスバリューによって昼ご飯の買い物をしようって言う。

 

一応、へそは痛いんだけどなーと思いながらもなんとなく買い物はできた。

お昼ご飯も普通にいつも食べてるようなものを買い食いして、ロキソニンも飲んだと思う。

 

午後から菓子折を買って、会社に連れていってもらった。

ご迷惑をおかけしましてーと挨拶してさすがにその日は働かなかった。

 

次の日の土曜日から月曜日までは会社が休業日だったので、家でのんびり過ごした。

のんびりと言っても、洗濯ものはあるし、ご飯は食べなきゃだし、へそは少し痛くてそれなりにしんどかったような気もする。

 

でも、結局ロキソニンはいっぱい余ったし、なんでも食べれたし

これといって大変なことはなかった。

 

貧血の飲み薬は変なタイミングで飲むと吐き気がした。

便も変な色になるし、便秘になることも多くて

 

大人になって結婚してからも何回も貧血を治そうとトライしたけど

何か月飲んでみても、結果は全然でなかった。

 

けど、妊娠して初めてこの注射で治すことを知ってびっくりした。

ぐいぐい治る。吐き気もない、便秘にもならない、でも治る。すごく治る。

 

この方法を手に入れたのはベビーを授かった最高の副産物だった。

 

それからは、頭がふらふらするとか、顔面蒼白で元気がないとか

目の下の瞼を見て白いとか、いくつかの目安で3年に一回ぐらいは注射をして治す作戦をとっていた。

 

それを胆石の手術をしようというタイミングで指摘されてしまったので

今までずーっと貧血で、このような作戦でここまで乗り切ってきましたという話をすると

 

胆石のせいかどうかは分らないけど、もしかしたら胆石が内臓のどこかに触れて

そこから出血していたのかもしれないって話になった。

 

果たして、手術が終わって一週間後、取り出された胆のうの写真を見せてもらったら

稲荷寿司のような形の白く変色して死んだようになっている胆のうに

対角線いっぱいの大きさに成長したアーモンドチョコ型の胆石が刺さっていて

 

素人目にも、あーこれはもう使い物になってない臓器だなーって分かるようなものだった。