知識の増殖曲線 -7ページ目

科学者とブログ

一昨日、論文査読とtwitterがらみで、先週のNatureの記事
Peer review: Trial by Twitter
を引用したばかりですが、

今週のScienceにはこんな記事が載っていました。
Science Blogging and Tenure
こちらの記事は、特に若手研究者が、テニュアになるためにブログを書くことは有利かどうか、と言う話です。
テニュアというのは、大学等の終身雇用の教職ポストですね。
本業(研究)を疎かにしてはいけない。ブログ執筆に無駄に時間を割きすぎるな。と言ってます。
まさにその通りです。

少しは話はズレますが、
記事を読むと、ブログばかり書いているのならサイエンスライターになれ、とか言う内容のことも出てきます。
が、ふと日本に目を向けると、このサイエンスライター、或いはサイエンスコミュニケーターといった部分がどうもまだ成熟していないように思います。

基礎研究の成果を、一般に理解しやすく説明し、浸透させるのはとても重要です。
でもそれには、それ相応の能力が必要です。
ライター的な仕事、そして教育的な仕事、これも純粋な研究に勝るとも劣らず、とっても大切なんです。
成果もそうですが、研究がどんなに楽しいか、そして未来の人類の発展にいかつながるか、これを伝えないことには。
そこに、大学院を出たような高い能力を持った人をいかに投じれるか、結構重要だと思います。

ただ一方で、この部分は、すべての研究者がやらなくてはいけないわけではないと私は思います。
研究者の道を志していると、まれに、本当の天才に出会います。
こういう人たちがすべきことは、本物の研究であって、それを一般に落とし込むことまでを担う必要はないはずです。
そんなことしてたら、時間がいくらあっても足りません。

それぞれの人が、それぞれの能力に応じて、それぞれの役割を演じ、社会の発展のために生きれたらいいなと思います。

skype for android

「Skype for Android」が日本でも利用可能に
なったようだ。

skype同士なら無料で通話できる訳で、時代はどんどん変わるなあ。
少し前まで(今もだな)、日本の携帯市場はガラパゴスと言われていたのに、
その時代が懐かしい。

ここでふと思考を吹っ飛ばすと、

日本がこの国際社会の中で生き残っていくには何が必要なのだろう。
何だかんだ言って、日本に住んでいる分には心地いいんだよな。
大人も子供も、そこに疑問を呈しないわけだし。

社会が凝り固まったとき、やはりそこから抜け出すには教育が大事なんだと思う。
今までの概念では、人も社会も前に進んでいけなくなってきたことは確実であろう。
そんなときに必要な教育は、勿論上からの押し付け教育ではない。
新たな社会へのリーダー・イノベーターを育成するための、
子供のポテンシャルを育てるための教育だ。

Twitterで論文査読?

1/19付けでオンラインパブリッシュされたNatureの記事から。
Peer review: Trial by Twitter

要は、ブログやツイッターの普及によって、リアルタイムで論文へのコメント・批判が広がるというもの。
果ては、査読をオンラインで公開に近い形でやってしまうこともありうるのでは、と。

Natureにまでtwitterの記事が載るようになったのか。恐るべし。

確かに、どんな分野でも、すごいペースでリスポンスが起こるようになっている。
世の中には信憑性に欠ける論文もごまんとあるわけで、
この記事にもあるように、多くの研究者の目にさらされることで、
その論文がはらむ問題点もすぐ浮き彫りになる、という利点もある。
一方で、そのスピード感故、その批判自体の信憑性もしっかり吟味しなくてはならないのだが。
双方向の議論ができる、というのはやはり利点なんだろうし、
これからの時代、その方向に向かっていくのは間違いないのだろう。

ネットの普及で、どんな世界でも大転換の時代だ。

月と蟹

月と蟹

久々に小説を読んだ。
道尾秀介、直木賞受賞作。
深い心情描写への移入。
いいもんだ。

はじめの一歩

何を始めるのでも、最初の一歩を踏み出すのはとても大変。
未知への恐怖が大きいときは特に。
過去への後悔、未来への不安にばかり目を向けず、
今、ここで自分にできることをやってみる。
できないならやってる真似だけでもしてみる。
それもできないならやれてる自分を臨場感たっぷりに想像してみる。
あるいは、不安を忘れて、できないでいる自分をいったん忘れて、外に目を向けてみる。

最初の一歩を踏み出せば、だいぶ道は開ける。