私たちが既に身につけている主観/客観図式はひどく強固なもので、この発想を取り払うことはそう簡単ではない。
フッサールはデカルトの考え方に注目し、そこに、主観/客観図式を取り払う根本的な発想があると考えた。
人間の理性は現実を疑おうと思えば、一見どんな明らかな事柄でも「本当に存在するかどうか」を疑う権利を常に持っている。
夢についても、現実と違わないありありとした夢を見たとしても、醒めてみれば、非現実であったことがわかる。
逆説的に言えば次のようになる。
私たちは誰でもこの現実を確かな現実であり、自分に疑いなく、現実の世界の中を生きていると思っている。
しかし、その確信がいくら強固であっても、今、自分の見たり感じたりしていることが決して夢ではないという保証はどこにもない。
デカルトにおいて、主観/客観は原理的に一致しない原理であることは明快に示されているがデカルトは神という判定者を一致を保証する切り札として持ち出さねばならなかった。
フッサールは神という切り札なしに、問題を解く重要な糸口を見出した。
デカルトは夢の例えによって、懐疑を極限化した上で、唯一疑えないものを取り出そうとした。
デカルトは最後には神という客観の保証人を持ち出した。
その理由は、デカルトが根本では主観/客観図式にとらわれていたからである。
しかし、彼は方法懐疑により一切を疑った時、主観/客観図式から考える限り、問題は必ず円環すること、主観の場所を徹底するところにのみ問題を解く糸口があることを直感していた、フッサールはそう考えた。
フッサールは、次のように考えた。
私たちは、客観という前提から主観の正しさを検証できない。(つまり、誰も「一致」を確かめる「外(客観)」の立場に立てない)。
すると人間は、ただ「主観」の内側だけからある「正しさ」の根拠をつかみ取っている、と考える他ない。
こうして、フッサールが設定した問題の形は次のようになる。
1.デカルトが方法的懐疑で示した原理、「主観」は自分の外に出て「主観」と「客観」の「一致」を確かめることはできない、という理論を守ること。
2.すると、問題なのは主観/客観の「一致」を確証することではなく(それは原理的に不可能であるから)、事物が現実であることは「疑えない」という確信(フッサールはこれを「妥当」と呼ぶ)がどのように生じるのか、という主観の中での確信の条件を突き止めることにある。
こうして、フッサールは、認識論上の問題を解くためには主観/客観の一致を確かめることに意味はない(それは不可能である)、むしろ、主観の内部だけで成立する「確信」(妥当)の条件を確かめることに問題の確信がある、と主張する。
どんな人間も客観存在や現実存在を疑ってはおらず、またそれを根本的には疑うことはできない。
その理由をはっきりさせるべきである。
そのためには、主観-客観の一致ではなく、なぜ人間は「主観」の中に閉じられているにも関わらず、世界の存在、現実の事物の存在、他者の存在などを「疑えないもの」として確信しているのか、と問うべきである。
フッサールはそう考えた。
フッサールがデカルトから受け取った方法上の核心は2点である。
一つは、主観/客観図式を取り払わなくてはならない以上、この問題の唯一可能で正当な始発点は、誰も自分の認識の「正しさ」を外側から検証できない、つまり、敢えて独我論的主観の立場からはじめるべきだ、ということである。
もう一つは、その前提から出発して、独我論的主観の内側だけで、「疑えなさ」が生じる根拠を求めることである。
独我論とは、自分にとって本当に確信できるのは自分の精神現象だけであり、それ以外のあらゆるものは疑うべき対象であると考える哲学的な立場である。
現象学の場合、この「確信」あるいは「不可疑性」は特に3つのことについて言われる。
1つは世界が実在すること、2つ目は自然の事物の実在、最後に他者の実在の不可疑性である。
このように見てくれば、現象学は独我論、主観主義ではないことがわかる。
現象学は「世界の実在」を疑っているのではない。
認識論上の難問が主観/客観図式では解けないことを見極めた上で、原理的に独我論的立場から出発する以外にこの問題を解きほどく道はないと主張する。
現象学的還元という考え方の核心は、まず、主観/客観図式を前提とする限り、認識問題は解けないという点にあり、次に、そうである以上、論理上は独我論的な主観の立場から出発するほかない、という見極めにある。
そして、それ以上でもそれ以下でもないことをよくわきまえておく必要がある。
アリストテレスは形而上学の中で、一切の学問的探究において、その方法上の基礎と見なされるべき「原理の中の原理」があると主張している。
形而上学とは、感覚ないし経験を超えた世界を真実在とし、その世界の普遍的な原理について理性的な思惟によって認識しようとする学問ないし哲学の一分野である。
フッサールの言う諸原理の原理はアリストテレスのそれと違い、それは、「原始に与える働きをする直観」である、と言う。
この「原始に与える働きをする直観」(原的な直観)は、2つあり、「知覚直観」および「本質直観」がそれだ。
次回以降は、知覚直観、本質直観について書いてみたい。
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