デカルトは物事を「正しく」認識するための確実な原理を打ち立てようとした。
この「正しい」方法によって得られた認識が本当に「真」であるか否かは、人間には判定できないと考えていた。
人間の認識の真を保証するのは、「神の善意」だとした。
デカルトが企てたのは「神の存在証明」である。
つまりデカルトにおいては、主観と客観の間を架橋するのは神に他ならない。
逆に言えば、「主観/客観」問題において、神のような存在を持ち出さなければ、主観と客観の一致を確証することは原理的に不可能であると、認めていたことを示唆している。
デカルトは神の存在によって、主観と客観の一致を保証した。
このことによって、問題はただ主観のうちの合法則性(認識の正しい規則)を求める点に置かれる。
デカルトでは、正しい認識の規則を求め、それに基づいて考えること、そのことによって人間は真理に達することができるとした。
まずは、デカルトのこの方法的懐疑が、「主観/客観」問題について、一つの投げかけをしたのである。
主観と客観の一致は原理的に不可能であり、神にのみその一致を保証できるとしたのだ。
このデカルトの行った「神の存在証明」の矛盾をはっきりと見抜いていたのが、イマヌエル・カント(1724-1804)である。
カント哲学は、批判哲学と言われるが、これは、デカルトとは逆に、人間の理性は原理的に客観、それ自体を認識できない、ということを証明するものである。
このカント哲学については、次回以降に書きたいと思う。
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