スマートフォンに変えて、7か月。


『メモリの空き容量が少なくなり、メールが受信できません。メールを削除するか、アプリを削除してください。』


とメッセージが出てきた。


いちいち削除するのが面倒なので、ソフトバンクに電話してメールの自動削除の方法を教えてもらおうとした。


そうすると、「メールの自動削除の機能はついていません。」だって。


なんでスマートフォンじゃない以前使っていた機種にあった機能が付いていないのだろうか。


「それって、ダウングレードですよね?なぜスマートフォンを販売する際に使えなくなる機能があるということを説明しないのですか?」


担当者、謝るばかりで答えられない。


メールの機能だけでななく、各アプリもダウングレードのオンパレードだ。


例えば、Edyのアプリ。以前の機種だと使用履歴が何十件も表示されたが、今は6件しか表示されない。


乗換案内のアプリ。こちらは検索結果をブックマークしておく機能がなくなり、追加検索したものが履歴にも表示されない。さらに、以前の機種ではあった出発地と目的地の天気の表示がなくなった。


東海道新幹線のアプリ。ポイント履歴が表示されなくなった。


結局、過去にさかのぼって一つずつメールを選択して削除。自分が原始人に戻ったような感覚を覚える。


これって、スマートなのだろうか???


私は、おバカフォンだと思う。

先日、第6回コミュニティ研究会が最終回を迎えた。


7月からスタートして、はや半年。あっという間にフィナーレを迎えた感じだ。始めたころは、セミが鳴いていて暑かったのにね。


私がとやかく言うよりも、参加者の言葉を読んだほうがいいだろう。


Aさん:http://www.bloglovin.com/m/2797264/352463573/fb

Hさん:http://ameblo.jp/henchan/entry-11111596568.html

Jさん:http://yaplog.jp/november-festa/archive/1207


人が一生懸命何かに取り組んで、ひとつひとつクリアしていく姿は感動的だ。人間が一番美しく輝く瞬間だし、それが人間の人間たるゆえんであり、人間の尊厳でもある。


もちろん、いい場面だけではなくて、誰しもいろんな悩みや問題を抱えていて、自分のメンタルモデルに足をすくわれて、悪戦苦闘する。


もっと良くなりたくって、もっと輝きたくって、前進をしようとしても、時には遠回りをしているような気がしたり、同じパターンにはまってしまったり・・・。


でも、そんな姿を微笑ましく思う。


本人はそれどころではないが、そこから抜け出して成長できることを知っているから、そんな悪戦苦闘が成長するためには必要なことを知っているから、ニコニコと見守っている。


やがて、自分のメンタルモデルに気付き、克服し、今まで状況に一喜一憂していた自分が急に小さな存在に思えてくる。ちょぴり懐かしさとともに。


そして、そんな自分を受け入れて励ましてくれる仲間がいる。仲間の振り返りのシェアからも大きな気付きを得られる。


とっても高いレベルの場を出現させるお手伝いができて、深い満足と心地よい脱力感がある。


自分がこの場に関わったことで、自分自身も大きく成長したように感じる。今回の取り組みでコミュニティ運営のモデルもできたし、企業のソリューションに適用できる理論化も進んだ。


それに今度は女性ばかりの場でも気後れせずに入っていけるかもしれない。


参加された皆さんの行動力や真摯な振り返り、自己開示、自分のメンタルモデルに直面しても逃げない姿勢などは、素晴らしいと思う。


「行動して、真摯に振り返りをしていけば、成果が出ないはずがない」ということを改めて強く認識した。


非常にシンプルだ。


成果の出ていない人は、行動をしていないか、真摯な振り返りをしていないだけだと思う。


改めて、参加者の皆さんに感謝したい。


半年間、お付き合いいただき、本当にありがとうございました。


マット・リドレー著『繁栄~明日を切り拓くための人類10万年史 上・下』を読んでいる。


人類の繁栄の元は、モノの交換によって分業と専門化が促進されたのだという説だ。


原始時代に人間は物々交換を始めた。


魚を捕るのがうまい人は、余分に取れた魚を骨で作られた釣針と交換する、鹿を捕るのがうまい人は余分に取れた鹿の肉や皮、骨を魚や矢じりに交換する。


矢じり作りが得意な人は、獲物を追いかけるのではなく、矢じり作りに専念する。


それぞれの分野に専念することによって、技術が磨かれより多くの獲物が取れたり、より多くの釣針を作ることができる。


そうすることによって、お互い余分に取れたものを他のものに交換することで豊かな生活をすることができる。


衣服を作るための毛皮を得るために苦手な鹿狩りをする必要がなくなるというのだ。文明の基礎となる文字の発明も誰か他の人が食料を取ってきてくれるからこそ、文字に専念できたのだ。


19世紀の経済学者のデヴィッド・リカードも「比較優位の理論」として同じ論旨を展開している。


考えてみると衣食住をすべて自給自足するとなるといくら時間があっても足りない。


それよりも自分の得意な仕事をしたほうがより多く稼げて、多くのものを手に入れられる(交換できる)。


現代人の生活も交換と分業と専門化の賜物だ。ペットボトルひとつにしても一から自分で作ることはほぼ不可能だ。一般的なサラリーマンの場合、家も車も服も食料も何一つとして自分で作っているものはないだろう。



交換と分業と専門化。



そこではたと気づいた。



今、文字を入力しているこのPCはどうだ!?


確かに便利な機械であるし、インターネットを通じて様々な情報にアクセスできるし、様々な物を売り買いもできるし、そもそもこの機械がないと仕事にならない。



しかし、しかしである。



我々の仕事は、PCが導入されて効率化されたのだろうか?


もっと違う言い方をすると、PCのおかげで仕事の時間が減ったり、楽に仕事ができるようになったのだろうか?



仕事が効率化されたおかげで、少ない労働でより多く稼げるようになったのだろうか?


余暇を十分に楽しめているのだろうか?



否。



私の感覚では、仕事が増えているような気がする。



なぜか?



PCは、分業のための機械ではない。PCはある意味自給自足の機械なのかもしれない。


例えば、15年前にコンサル会社で働いていたときは、出張に出かけるにしてもアシスタントに「どこどこに何月何日から2日間。」と伝えれば、飛行機のチケットを取ったり、宿泊の予約をしてくれたりと手際よく出張の手配をしてくれた。


出張の手配を頼むにかかる時間は30秒もいらない。


しかし、今は自分のPCで予約をする。下手をすると出張の手配だけで、30分や40分かかっていることがある。


これはすなわち、交換や分業でなく、自給自足に戻っているということではないか!!


PPTの作成も昔はアシスタントの仕事だったが、今はPPTが作成できないとコンサルタントとして仕事をしているとみなされなくなった。しかし、一番肝心なコンセプトを考える時間がPPT作成に奪われているかもしれない。


また安価な会計ソフトのおかげで、税理士に頼まなくても簿記がわからなくても大部分の経理処理はできるようになったが、本来の業務に使う時間が経理ソフトに奪われていないだろうか。


DTPソフトのおかげで、デザイナーに頼まなくてもチラシやパンフレットが作れるようになったが、果たしてトータルで効率化されているのだろうか。


私が出張の手配をするよりも、経理の作業をするよりも、営業活動や執筆活動、コンサルティングや研修に時間を投入したほうがより豊かになれることを人類の歴史は示唆している。



そういう意味でも秘書を雇うことは正解だろう。


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