今月17日から26日までの10日間に、熱中症とみられる症状で死亡した人は、65歳以上の高齢者を中心に全国で109人にのぼるという。その内、65歳以上の高齢者が全体の78%を占めている。


お年寄りが熱中症でやられてしまうのは、もちろん体力の問題もあるけれど、急激な温暖化の影響もあると思う。


「昔はもっと涼しかった」というお年寄りも多い。


子供のころや若かったころの夏の過ごし方を基本姿勢としているから、クーラーをつけるとか、水分をまめに取るとかという対応が十分でなく、猛暑にやられてしまうのだろう。


そういえば、黒沢明監督や成瀬巳喜男監督の戦後すぐの映画の中でも、真夏だというのに長袖シャツを着てうちわであおいでいるシーンを目にしたりする。それくらい暑さがひどくなかったのだろう。


例えば、タイとかベトナムとか、インド、アラビア半島などの熱帯地方に住むお年寄りが熱中症で倒れることは、珍しいように思う。


それは、子供のころからそういう環境の中で育ち、暑さに対する対処法が自然に身についているからに違いない。


熱帯の沖縄より気温が熱くなる昨今の都会では、これまでの習慣を見直さないといけないかもしれない。


熱帯地方では、昼にせかせかと働いている人はいない。スーツにネクタイの人もいない。

自社の商品や価格、仕組みを説明するとき、


「○○となっております。」

「○○円となっております。」

「○○という仕組みになっています。」


と言われると、違和感を覚えるのは私だけだろうか。

「なる」という言葉に、無責任さや他人事を感じる。


「3万5千円なっております。」という言葉の主語は、もちろん「3万5千円」であって、あたかも価格が勝手に3万5千円という状態になったので、私が3万5千円にしたのではない、というニュアンスに受け取れないだろうか。


価格や商品、仕組みという無生物が勝手にその状態を変化させることはなく、事実は会社の意思決定として、価格や仕組みを人間が決めたわけで、「3万5千円とさせていただいております。」、もしくは単純に「3万5千円です。」と言うのが正しいのではないか。


もし、仮にその従業員が価格の決定や仕組みの決定に関わっていないにしても、お客さんから見るとその会社の代表なわけであって、「なっています。」と発言することは、「私に文句を言わないで」という防衛線を張る、ある意味非常に狡猾な責任逃れとも取れるのではないだろうか。


ちなみに、大辞泉で「なる」という言葉を調べてみると、おもな意味は以下の通りだ。


1 物事ができ上がる。実現する。成就する。「ついに五連覇が・る」「念願・って一人立ちする」


2 今までと違った状態・形に変わる。「氷が水に・る」「血と・り肉と・る」


3ある時分・時期などに至る。「夜に・る」「結婚して一〇年に・る」/ある数値に達する。「積み上げると三メートルにも・る」「全部で千円に・る」


4 ある働きをする。作用する。「不用意な発言が紛糾のもとと・る」「将来のために・る話」


5 許すことができる。許して、よいとする。「負けて・るものか」「勘弁・らない」


6 (「手になる」「筆になる」などの形で)その人によってつくられる。「名工の手に・る茶碗」「空海の筆に・る書」


7 (「からなる」の形で)全体がそれによって構成される。「前編と後編とから・る」「組織は三部門から・る」


8 (「人のになる」の形で)他からその恩恵を受ける。「先輩の世話に・って就職する」「出先でごちそうに・る」


先日もエクセルシオールカフェで、午後遅く客席もまばらで暇な時間帯なのにレジに行列ができていた。


なれない新人が飲み物を作っていて、後ろにいる店長がいちいち指示を出していた。客を待たせることより、新人の教育のほうが重要なのだろう。


またある時、スターバックスでも、レジに行列ができていた。2つあるレジのうち1つは「closed」の札が掲げてあり、その「closed」レジの後ろの棚で2人の従業員が棚を覗き込んで、在庫をチェックしている。


客を待たせることより、在庫をチェックすることのほうが重要なのだろう。


しかしこういった光景はもはや珍しくなくなった。かつては、日本のきめ細やかなサービスは外国人から驚嘆の目で見られていたのにね。