真夏の昼下がり、東大阪の司馬遼太郎記念館を訪れた。
司馬遼太郎氏の自宅の横に建てられた記念館は何の変哲もない住宅街にひっそりとたたずんでいる。
あの血湧き肉躍るドラマや膨大な量の原稿用紙を生み出した地としては、あっけないほど何の特徴もない。
考えてみると小説を生み出しやすい土地柄なんてあるはずもないのだが、ついついそんな期待をしてしまう。
敷地の中には、美しい庭と日当たりのよい書斎が残されており、イマジネーションを膨らませると奥から司馬遼太郎出てきて、そこで執筆を始めてもおかしくはない。
安藤忠雄が設計したという地下1階、地上2階建ての記念館の中は、司馬遼太郎氏の膨大な蔵書が展示されている。
地下1階から地上2階までの吹き抜けの書棚に蔵書6万冊のうち2万冊が展示されている。
その風景は圧巻であるけれども、それを見たときは、何というかあまり鮮明な感想を持たなかった。今振り返ってみると建物と展示物が巨大な昆虫の抜け殻のような感じを受けた。
帰ってきてからパンフレットを読んで納得した。
蔵書の展示はイメージ展示(要はカバーだけ)で、自宅にある本当の蔵書は、「司馬遼太郎の頭脳の延長線上にあり、資料のメモ書き、付箋などのついた本は移動すべきではない、ということからそのまま自宅に保存することにしました。」とある。
本というのは、読んだ人の思考や感情がこびりついて独特の匂いというか、オーラというかそういうものを発するものだ。
だから、静かな記念館の中で目をつぶってたたずんでも、司馬遼太郎の仕事の残り香や思念というものは伝わってこないし、味わうこともできなかった。
ただ、かすかに漂ってくる感じとしては、妥協を許さない、丁寧な仕事ぶりが伝わってくる。
あの蔵書を前にしたら、最近流行っている速読術なんかが、いかに浅はかなものかを思い知らされる。
「竜馬がゆく」を執筆するに当たっては、神田の古書街から坂本竜馬に関する本がなくなったという。司馬遼太郎がことごとく買い占めたという。そんな蔵書も自宅の中にひっそりと眠っているのだろう。
記念館の中に、「竜馬がゆく」コーナーや「坂の上の雲」コーナー、「燃えよ剣」コーナーなどわかりやすく展示したほうがいいのに、といつものことながら余計なことまであれこれ考えてしまうのであった。
今は記念館で求めた「空海の風景」を読んでいる。