こんにちは。行政書士もできる往年の映画ファンgonzalezです。
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75年と言えば、約3世代分の年月経過である。しかし、75歳の人は75年前のことは憶えていないはずだ。よって、終戦をリアルタイムで記憶している世代となると当時10歳前後でほぼ確実。となると85歳前後の人が終戦を記憶しているという理屈。
自分の親父も昭和一桁だから戦中から終戦にかけての記憶は残っているはずだ。死んだ母親からは、しょっちゅう戦時中と戦後の不自由な暮らしぶりを聴かされた。
そんな彼らにとって本作はちょっとマジで観るフィルムではなかろうか。
『ゴジラ』 (‘54) 96分
梗概
ある日小笠原諸島付近にて漁船が失踪。SOSをキャッチし付近へと急行した貨物船も消息を絶つ。次いで大戸島に巨大生物が上陸し島民と家屋を蹂躙。それは古老(髙堂國典)が言う“呉爾羅”なる怪物と思われた。島に派遣された調査団が壊滅した集落で放射能を感知。そこへ巨大生物ゴジラが出現。さらにゴジラは東京都内へと上陸し甚大な被害をもたらす。撃退不能に思えたが、芹沢博士(平田昭彦)が開発したオキシジェン・デストロイヤーという酸素破壊剤なら勝算あり。博士はサルベージ会社の尾形秀人(宝田明)と共に海上へと乗り出した。だが、水爆以上の破壊兵器となり得る薬剤の兵器利用を憂慮した芹沢はゴジラと共に消失。自らの記憶を永遠に封印した。
戦後9年目。まだまだ戦禍の記憶が生々しく残る時代である。そこへビキニ環礁での米国による水爆実験の影響で被爆した第五福竜丸・第十三光栄丸事件も発生。核の脅威が再確認され社会問題となる。そんな時代、社会状況だった。
だから作り物とはいえ『ゴジラ』制作を手掛けたメンバーは、決して面白半分ではなく生真面目に取り組んだことは想像に難くない。もっとも、映画会社サイドからすればボランティアではないのだから損得勘定のソロバンをはじいてはいただろうが。
*『ゴジラ ミニラ ガバラ オール怪獣大進撃』*
なので、「東宝チャンピオンまつり」のゴジラとは全くの別物。隔絶しているのである。
立ち位置としては『シン・ゴジラ』(16)が最も近い存在か。
*『シン・ゴジラ』*
とにかく脅威はゴジラ本体もさることながら、背後にどす黒く漂うのは「核」であり「放射能」であり「戦争」である。
戦後9年を経て占領下からも解放。画面からは目覚ましい経済復興を遂げた様子が窺える。経済活動とアフター5の娯楽に興じる様子からもそれが見て取れる
電車内では、ゴジラ禍で船舶事故が多発しているという新聞記事を目にした女性が、「原子マグロ、放射能雨、そのうえ今度はゴジラときた」「せっかく長崎の原爆から命拾いしてきた大切な体」とぼやく。右隣の男性が「疎開先をさがさなきゃ」と言うと左隣の男性が「また疎開かぁ、嫌だなあ」とため息を吐く。
いかに禍々しい戦争体験と原爆の記憶が投影されているかがお分かりだろう。名も無き市井の人間の声だけにそこにはリアルが感じられる。
そしてゴジラによる都内の被害現場はさながら空襲の惨状を思わせる。というか完全にそれを意識して描いたに相違ない。
個人的記憶としてまだ幼稚園に通う前だと思うが、印象深いシーンを覚えている。ゴジラの襲撃からもはや逃げおおせるべくもない母親が、三人の幼子たちをかき抱き「お父ちゃまのところに行くのよ」と、最期を迎えようとする。
これなどまるで戦時下の様相そのものだ。
印象としては戦争未亡人の悲劇といった塩梅。恐らく鑑賞者は空襲の恐怖体験の記憶と無力感で胸を痛めて眺めたことだろう。
芹沢博士の最期にしてもまるで特攻隊員のような悲愴感。
とある書籍で手ぬぐいの巻き方に言及し、戦後新世代の経済人・尾形はあんちゃん巻き。戦争の影を引きずる芹沢は鉢巻きタイプ。と、区分可能ではないか、との論を読んだことがある。
とは言え本作は、戦争の記憶を蘇らせはするものの、テーマとしては「反戦」よりも「反核」が主軸だ。よってガイガーカウンターの登場も妙に印象に残る。
事程左様に『ゴジラ』は徹頭徹尾反核と警告のドラマであり、次世代の平和獲得の期待と希望をもって幕を引くのであった。正真正銘の社会派ドラマだ。
その一端を垣間見るシークエンスのひとつに、進歩派的女性国会議員といかにも古色蒼然としたオヤヂ議員との激突が挙げられる。
菅井きん扮する女性議員は、ゴジラ事件の真実の公表を差し控えるべきと主張するオヤヂを“バカ者”呼ばわりする威勢の良さが身上。
女性の国会進出という時世を取り込んだ時事ネタであった(バカヤロー解散も意識しているかもしれない)。
劇中での季節は夏。当時の男性諸氏が、白い麻のスーツを纏っている姿が美しい。ショルダーパッドも薄く軽やかである。
中には胸ポケットがパッチポケットだったりして、いかにもテイラーメイドぽかった。
現今では国会や街中でリネンスーツを見かけることも無くなって久しい。
ところで、モンスターとしてのゴジラのDNAは今に至るまで引き継がれているものの
『GODZILLA ゴジラ』(14)などを観ると、核弾頭の爆発があまりにも軽く扱われているようで却って空恐ろしく感じる。核兵器の破壊力を過小評価し過ぎだろう。などと批判する自分はKYだと指弾されるだろうか。
75年という年月は人の一生に匹敵する。戦争体験者は決して増えはしない。確実に減りつつある。あの『ゴジラ』の心象風景は二度と再現できないだろう。などと戦争を知らない子供ではあるが、柄にもなく徒然なるままに想うのである。
本日も最後までお読み下さりありがとうございました。
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