トランプ時代の『マグニフィセント・セブン』に見る人種構成 | 徒然逍遥 ~電子版~

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『七人の侍』『荒野の七人』そして本作へと連なるのは周知の通り。タイトルは『荒野の七人』の原題名そのままのカタカナ表記で。


『マグニフィセント・セブン』 The Magnificent Seven (‘16) 133分
梗概
小さな町に辣腕実業家による再開発の波が襲う。立ち退きを命じられた住人が抗議するやあっさり殺害。女性にも容赦ない。猶予期間内の退去を告げて去って行った。

殺された男の妻が立ちあがり、腕利きの助っ人を七人連れて帰ってきた。黒人、インディアン、東洋人、メキシカン等様々な顔ぶれ。彼らは拳銃、ライフル、ナイフ、手斧、弓矢など多彩な武器を扱ううえダイナマイトも調達。町の地形に合った戦略をたてて住人たちにも拳銃やライフルの使い方を訓練し、塹壕を掘り、トラップを仕掛け悪徳実業家率いるガンマンたちに立ち向かう。

オリヂナルと異なり多人種構成の七人である。リーダー格はデンゼル・ワシントン

彼の旧友でライフルの名手がイーサン・ホーク。その相棒でナイフ使いの達人イ・ビョンホン

超一流のガンマンにクリス・プラット。熊のような巨漢で手斧や鉈を軽々と扱う山男ヴィンセント・ドノフリオ。そして自分にとって初見の二人。お尋ね者で腕利きガンマンのメキシカンにマヌエル・ガルシア=ルルフォ。はぐれ者の一匹狼的インディアンで弓矢の達人がマーティン・センズメアー

アイル・ビー・バックのオリジン見たり『荒野の七人』

 

黒人がリーダー。旧知の仲は白人。その相棒が極東系。そしてインディアン(ネイティブ・アメリカンと表記した方が今風なのだろうがあえてこの表記を採用する)とメキシカン

七人中少なくとも四人は非白人という人種構成が興味深い。


もう少し丁寧に眺めてみよう。
◆黒人のリーダーという意表をつくキャスティング
彼は七つの州を横断的に網羅している委任執行官である。この官職は初めて知ったのだが気になるのは黒人ということ。

どうなるのかと物語の行方を見守っていたが、彼が黒人であることで不利な扱いや侮辱を受けるという状況は見られなかった。しかもボスキャラである。

これは従来の西部劇における黒人の描かれ方からすると稀な事例ではなかろうか。


自分は当時の米国の歴史的事実を知りはしない。だが、映画製作側が必ずしも史実に沿った考証に基づいた作品を世に送り出していたわけでもないことは知っている。


例へば黒人中国人牧童が存在したにもかかわらず、彼らが画面に登場することはしばらくの間封印されていた。すなはち、黒人や極東系のガンマンが描かれてこなかったか稀であると言ふことだ。聖林映画の歴史から抹殺されてきた。
で、稀ながら登場すれば黒人蔑視の扱いを受け、必ずやトラブルに巻き込まれるのである。

本作はそのパターンをなぞっていないところが良い。オバマ大統領登場以降の変化なのだろうか。

しかも極東系東洋人とインディアンも特に蔑まれることもない(東洋も広いが、ここではおもに日韓中を指すとご理解いただきたい)。


だがしかし、例外的にやや嘲りの対象となるのがメキシカン。酒の席でのジョークとは言へ結構きわどいところである。

 *頼もしいお尋ね者*
 

それと、黒人が馬に乗り東洋人が徒歩で敵と向かい合う時に、黒人曰く「彼(東洋人)は召使だ。以前シャンハイで助けてやった」と紹介する。
この二つは異質ながらも両方とも人種問題が伏流していることが見て取れる。

 *ガンマン姿が板についてるイ・ビョンホン*
 

◆メキシカンのお尋ね者
米国とメキシコ両国の交流は古くからある。同時に双方の国民の移動だってあったはずだ。

だが、しばらく前から米国にとって隣国からの不法移民は重大な社会問題と化している。『ダイ・ハード』(‘88)、『メン・イン・ブラック』(‘97)などの娯楽大作にもその影響が窺える。

 *二丁拳銃が火を噴くぜ♡*
 

そして昨年トランプ政権が発足。周知の通り彼は“国境の壁”建設を唱えるなどして脅威にさらされ続けてきた国内雇用状況の改善を訴えていた。
つまり、今日では米国にとってメキシカンを始めとする不法移民は言ふなれば仮想外敵として措定されているのである。


それに倣うかのように本作では黒人、インディアン、東洋人ではなくメキシカンがその出自ゆえのいじられキャラの側面を見せた。
ここらへんはトランプ時代の空気感をずばり言い当てているような気がしてならない。穿ち過ぎた見方だろうか。

 *ザ・ベスト!な二人*
 

◆東洋人のナイフの達人
米国の歴史からすれば東洋人は黒人よりも後発参入ということになる。『ティファニーで朝食を』を見れば分かるが、聖林映画では東洋人を正しく描くことに対して無頓着であったし今でも日韓中の区別はできないだろう。


そこで、米国社会への浸透度という意味での有色人種のヒエラルキーとなればトップは黒人。

早くも『復讐鬼』(‘50)でシドニー・ポワチエ扮する黒人医師が登場している。

 *拳銃もOK*
 

であれば黒人が馬上で東洋人が徒歩。しかも召使呼ばわりされるのも人種間力学的に妥当な線なのだろう。が、そう紹介された時の東洋人はちらっと黒人を一瞥。無言で不満あるひは異議申し立てを表明したのが面白い。 
 

なにしろ彼は白人と義兄弟的紐帯を強固にした間柄なのである。

この関係もまた米国内における東洋人の社会的認知度が一定程度浸透していることの表れではなかろうか。

 *生まれた時は別々でも死ぬときゃ一緒*
 

◆インディアンの青年
彼はその出自ゆえのジョークや嘲笑の対象になることはなかった。

が、それがかえって腫れ物にでも触るような扱いづらさみたいな面を浮き彫りにしたような気もする。

アンタッチャブルの域に押し込まれてしまったような。

インディアンを西部劇で悪者にし過ぎた後ろめたさとでも言えようか。
全米プロチームの奇妙なネーミング:参照


ついでだが、悪者一味のメインキャラの一翼を担うインディアンがいた。これはやや作為に過ぎると思えるものの、従来のステレオタイプのインディアン像をひっくり返す印象的なキャラである。

史実に忠実なのかどうかは知らないが。

 *左)インディアン、中)悪徳資本家*
 

ちなみに、生き残ったのは黒人、メキシカン、インディアンの三人。全員非白人だ。これもわざとらしい感じは否めないが米国内の世相を反映した顔ぶれと言へるだろう。
『エイリアン』の生存者を見よ!:参照
『エイリアン4』の生存者を見よ!:参照
 *イーサン・ホークとクリス・プラット*

 

さて主役のD・ワシントンだが、自分は彼が白人と変わらぬ役柄を演じてきたと言及したことがある。つまり彼の役を白人が演じても差し支えないということ。

「シドニー・ポワチエの時代のように白人寄りになることに心を砕かず。従来の黒人のステレオタイプを演じることを潔しとしない。そんな印象だ」。今回もその通りだった。
ポワチエからワシントンまで~黒人オスカー歴代史で見る米国社会情勢~その3:参照

以上、オバマ政権を経てトランプ政権へと移行した米国社会における人種相関関係図のごとき『マグニフィセント・セブン』を観ての気付きを書き散らしてみた。

 *ヴィンセント・ドノフリオ*
本日も最後までお読み下さりありがとうございました。