7月20日(火曜日) 快晴 サントリーニ島
6時、船室で起床。いつもの食堂で、すぐに朝食。アテネの安いホテルの簡素な朝食と違い、クルーズ船のは豊かだ。卵やオレンジ・ジュースが新鮮、パンも上等。
7時、アポロ号は、サントリーニ島の港のオールド・ポートの沖に碇泊。デッキに出ると、青々とした朝の海の向こうに、黒々とした断崖が聳え立ち、遥か頂きには島の中心地ティーラの街の、真っ白な家々が遠望された。まだ、海風が冷たい。希望者はランチ(小舟)に乗り換え、島へ渡る。
サントリーニ島は、キクラデス諸島の最南に位置し、面積76平方Km 、人口約7000の、大小4つの島から成る三日月形の火山島。見物には数日を要するが、アポロ号の観光はティーラの周辺のみ。小島ネア・カメニには火口があり、今も活火山で、火口壁に打ち寄せる荒波は、身の毛もよだつ凄みがあるという。近辺の海中から温泉も湧き、ゆっくりと訪れる旅行者も多い。
サントリーニ島の歴史は、たび重なる噴火と地震と津波によって、作られて来た。紀元前1500年頃、最大級の噴火が勃発し、陸の中央部が吹き飛び、現在の4島形態が生まれたと推定され、その後も変化はあった。大噴火以前の小大陸の有無は、プラトンが語った「アトランティス伝説」に集約される。が近年、この島のアクロティリ遺跡から鮮やかな色彩の壁画が発掘され、そこに描かれた夢見るような、自由奔放な海洋文明の存在についての論議が、俄にかまびすしくなった。クレタ文明以前にも最古の、より高度なキクラデス文明がエーゲ世界に生まれていたのではないか? その中心たるサントリーニ島は、今も「謎の島」なのである。
小舟が、崖下の船着き場へ接岸。辺りの水深は深いのに、水底まで透き通る青さ。水辺に白い軽石が無数に浮かぶ風景は、日本では観ていない。船着き場の背後には、高さ300mという切り立った崖が聳え、見上げると目が眩むようだ。幾たびかの噴火活動によって、赤茶色の岩盤、黒い溶岩、薄紫の火山灰などが地層を形成した上に、ティーラの白い街並みが覗く。船着き場から少し登ると、やや広い台地があり、そこにロバの一群と、ロバを扱う島の男たちが待っていた。頂きまでの石坂道、交通手段はロバか、もしくは徒歩。
すでに料金はアポロ号が支払っていて、全員がロバに乗った。僕は、初体験。狭いジグザグの石段道、段数を数えながら545段、ロバの背に揺られたが、まだ小さな子供のようなロバなので、息遣いが荒く、手綱を取りながら可哀想になった。やっと崖上に出ると、眺望が一転。ロバから降りてホッとし、彼の背を撫でた。そこへ島の男ひとりが来て、ロバに乗っていた時に撮った写真を買えという。20ドラクマを払った。
ティーラは、街としては小さい。街というより村だが、サントリーニ島の交通の要で、バスその他の発着地。幾つかの小路が、縦と横とに走っていて、カフェやタベルナや土産品店も並んでいる。が、この街では断然、崖上からの眺望が素晴らしい。とりわけ、ロバの終着点から少し歩いたところにある、ギリシア正教の大聖堂のテラスから観る、海や島々の眺めには溜め息が出た。テラスにはイスラム風の回廊があり、白亜の聖堂の内部に入ると静まり返り、黄金の板に刻まれたキリスト像が沈黙する。サントリーニ島の歴史は、スパルタやプトレマイオス朝エジプト、ヴェネチアなどの支配が記録されるが、エーゲ海の島々のなかでは、最も早くからキリスト教が定着したらしい。天災が繰り返された、悲惨な島であったためかも知れない。……
帰路は徒歩で、ロバ道より幅広の石坂道を、グループより先に1人で降りた。すこし行くと路の脇に台地があり、そこに置かれたベンチにリュックサックを載せて、青年ひとりが休息している。思わず手を振ると、彼も返してきた。立ち止まって、しばらく英語で話した。フランス人だった。「先月、パリに行った」と言うと、「自分も先月、パリから列車でイスタンブールへ来て、トルコの遺跡を歩き、船でドデカニサ諸島を巡り、クレタ島から昨日、ここへ渡った」と、彼は語った。リュックサックの傍に、1冊の読み掛けの本が置かれ、吹きつける海風がページを捲っている。彼は気にして、本を手に取った。見るともなく見ると、「J ean Grenier⌋の
文字が飛び込んできた。次に、「LES I LES」という文字が。「グルニエだ! グルニエの『孤島』を読んでいるんだ!」と思った。「グルニエですね」と訊くと、「とても良い本です」と、彼は答えた
今から2年前、東京でお会いした竹本忠雄氏から、この本を薦められて読み、僕は、「歌舞伎の孤島」という
文章を書いた。それを最初の本に収録すると、竹本さんに勧められ、訳者の井上究一郎先生に処女作をお送りした。井上先生から過分なお手紙を頂き、グルニエの『孤島』は、僕の忘れられない1冊になっていた。
「僕も、読みました」と告げると、彼は本を撫でて、「日本語にもなっているんだ」と微笑した。僕も笑った。船着き場で小舟が待っているので、僕たちは握手して、別れた。……
10時半過ぎ、アポロ号に帰船。11時、出港。昼食には、サントリーニ料理のガーリック・スパゲティー、
オリーブオイルで焼いた白いナスが出た。食後、デッキの椅子で休息。去りゆくサントリーニの島影を見つめた。先刻、崖を降りる途中で遭った、フランス人の青年の顔が浮かんだ。……
グルニエの『孤島』を読みて島々を
共に巡りし若者いずこ
◎写真は サントリーニ島のロバが通う石段道(亡母遺品の絵葉書)
ジャン・グルニエ『孤島』井上究一郎 訳 (竹内書店 1968年刊)