シャビーシック風ドールハウス
7箱目は食器棚
古びた感を出してみました。
下の戸棚は開閉します。
ついていた絵の具が乾燥していて使えなかったので
手元の絵の具を混ぜ合わせて、似た色を作りました。
使った絵の具は4色
ついていた絵の具の色を見て
白と青をベースに、ほんのちょっと赤と黄土色を混ぜたら
ビンゴ!
そっくりの色に仕上がって、テンションあがりました。
次の箱はなにかな~♪
シャビーシック風ドールハウス
7箱目は食器棚
古びた感を出してみました。
下の戸棚は開閉します。
ついていた絵の具が乾燥していて使えなかったので
手元の絵の具を混ぜ合わせて、似た色を作りました。
使った絵の具は4色
ついていた絵の具の色を見て
白と青をベースに、ほんのちょっと赤と黄土色を混ぜたら
ビンゴ!
そっくりの色に仕上がって、テンションあがりました。
次の箱はなにかな~♪
とてもとても辛いとき
そもそも、この辛さの原因はなんだろう?
とか
いったい、誰のせいなんだろう?
とか
いろいろ探っていくってことがあるけれど
探れば探るほど、苦しくなるってこともある。
原因を探って突き止めても
過去の出来事は変えられないので。
誰のせいかわかっても
傷が癒えるわけではないので。
ああ、そうだよね。
じゃあ、どうしたら解決するんだろう?
そのために詳細に見てみることは必要なのだけれど
細々と見ているうちに、目的を見失ってしまったりしてね。
傷が癒えること、心が軽くなることが目的だったはずなのに
辛さが自分の中で大きくなっていく。
大問題になっていく。
ええっ?逆方向に進んでるじゃない!
握りこぶしは自分の一部だけれど
詳細に見なければと目の前に近づけると
大きくなってしまう。
目の前に近づけすぎると、辛い問題に支配されてしまうんだね。
そんな支配からは抜け出した方がいい。
握りこぶしを目の前から離して眺めてみるとね
あれ?ってなる。
これって、そんなに大きな問題なの?
どうしても解決しなきゃいけないの?
そこに置いておいても、日常生活送れるんじゃないの?
すぅ~っと離れて
辛い問題の支配下から抜け出そうじゃないか。
大切な人に喜んでもらいたい
それは、自然に起こる思いですね。
けれども
それが行き過ぎて
喜ばせることのできる自分でなければ
価値がないとか
喜ばせることができないなら
なんのために生きているのかわからない
ということになってしまっている人に、出逢うことがあります。
たとえば
親の望みに沿えず、喜ばせることができない
と、自分を親不孝だと責めていたり。
恋人をがっかりさせてばかりなので
無力感に苛まれていたり。
ちょっと待って!
「喜ぶ」かどうかは、相手の問題なんですよ。
例えば
その人の好物をあげたとしても
胃の調子が悪くて、食べ物を見るのも嫌で
嬉しくないことだってありますし
行きたがっていた行楽地に誘ったとしても
落ち込んでいて、そんな気になれないことだって
あるわけです。
自分のしたことで
誰かが喜んでくれたら
それにこしたことはないのですが
喜ぶかどうかは
相手の問題で
こちらがコントロールすることはできません。
だから
相手が喜ばなかったとしても
自分を責めなくていいんです。
喜んでもらえて、嬉しくなったり
がっかりされて、しょんぼりしたり
感謝されて、あたたかい気持ちになったり
不満を持たれて、悲しんだり
それでいい。
そして
しょんぼりしたり、悲しかったりしたときは
そういった、自分の素直な気持ちを
温めてあげてくださいね。
しょんぼりも、悲しさも
「喜んでもらいたい」という優しい気持ちから生まれた
大切な自分の気持ちなのだから。
人との関係は
自分の思い描く通りにいくとは限りません。
傷つけたくなくても
相手が傷ついてしまうこともありますし
その逆もありますね。
そんなふうにして
うまくいかなくなったり、関係が壊れてしまったりするのは
悲しかったり苦しかったりするものです。
関係をなんとか修復したい!
と思うときは、いろいろ考えます。
「どうしたら、また仲良くなれるだろう?」
「どうしたら、また繋がれるだろう?」
「どうしたら、前のように笑い合えるだろう?」
「どうしたら。。。」
こんなふうに必死で考えて、頑張って
修復できる場合も、もちろんあります。
そういった場合は、それでOKですが
相手にその気がないとか
自分がわだかまりを持っているとか
どうにもこうにも繋がれない場合もあります。
そんなときは
「どうしたら。。。」
と必死で考えるのをやめてみるのもいいのではないか。
必死な状態とは、拳を握りしめた状態です。
必死で握りしめていた手を緩めてみるのです。
大切なものは
緩めた手の中にも残ります。
その残ったものを大切にしていると
また、繋がる関係性もあるでしょう。
実際には、もう二度と繋がらないままだとしても
相手と関わっていた時間が
その手の中にじんわりと残るならば
それはそれで、いいんですよね。
手の中に残った大切なものは
誰にも気兼ねなく
ずっと大切にしていていいのですから。
握りしめたままだと
手の中は見えません。
緩めてみたら見えてくるものが
きっとあるのだと、思うのです。
今年も無事、誕生日を迎え、63歳になりました。
あと2年たてば
国が認める高齢者の仲間入りです。
わぁ~、たくさん歩いてきたんだなぁ(*´▽`*)
なんて、ちょっと感慨にふけっています。
と、同時に
あと5年すると、母が脳内出血で倒れた年なんだなとも思いました。
若かったよなぁ。。母。
今はどこぞで生まれ変わっているかもしれないけれど
わたしの心の中には棲みついてくれています。
わたしも確実に、そういう年になってきているわけで
あらためて、自分を大切にしようと思った次第です。
人はいつかは死ぬということは決まっています。
そして、そのときが来るまでは生きる。
それならば
自分を大切にして、丁寧に生きよう。
そして、せっかくだから、豊かに生きたいなと。
人が好きです。愛しいと思います。
その「人」の中には、当然わたし自身も含まれています。
だから、この先も
大切な、この生命を丁寧に生きます。
誕生日に、こんなことを考えました。