
「あきらめる」とは本来「明らめる」ことで
明らかにするという意味で使われる言葉でした。
何を明らかにするのかというと
事実であるかとうかを明らかにするわけで
そこから
「実際にはどうか?」を明らかにするに転じて
「実際にできるかどうか?」を明らかにする
という意味にも広がりました。
それがまた変遷し
「実際にはできない」というのが言い訳のように捉えられ
諦めないことがよしとされるようになってきてしまいました。
けれども、実際には諦めることだって大事だし、必要ですよね。
「花粉に反応しないように努力して、花粉症を治しなさい。
諦めちゃいけません、努力しなさい。」
なんて、突拍子のないことを言う人はいません。
花粉に反応しないように頑張るなんてことは、サクッと諦めて
お薬を服用するなり、マスクをするなりすればいいのですから。
なんでもかんでも
「心の持ちようだ!諦めずにやれ!」
ということの横暴さに苦しんできた人に出逢うことがあります。
自分にとってはあたりまえなことだから
誰にだってできると思い込んでいたり
自分は努力して頑張ってできるようになったんだから
できないなんて、努力が足りないだけだと腹をたてたり
横暴な「諦めるな!」には
言う側の問題が潜んでいるのです。
今一度
自分自身で捉えなおす必要があります。
それは
諦めないで頑張るのがいいのか
諦めるのがいいのか
判断できるのは自分だけです。
ただ
諦めるのには、ある種の勇気が必要なことは確か。
上記の例のように
花粉症など、誰にでもわかりやすいものであれば
「それは無理」と諦めやすいのだけれど
見てわかりやすい、データがはっきりしているものでなければ
「それは無理」と認めることは
悲しかったり辛かったり不安だったりするものだから。
「自分の力の及ばないことはしない」と腹をくくる。
諦めるというのは、それくらい力のいることなんですね。
一方
諦めないというのは、継続すること。
諦めない限り、続いていくのだから。
続けるということは、なかなか大変なことではあるし
続けたからといって、望むところへたどり着く保証はないわけで
これもまた、力のいること。
いずれにせよ
自分の人生において
諦める、諦めないの選択基準を他者に委ねないことです。
裏を返せば
他者の人生における、諦める、諦めないについては
自分が勝手に決めて押しつけてはいけない。
他者の在り様を自分の望み通りにするなんてことは
自分にはできないこと。
これこそ「諦める」案件ですね。
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