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自己受容から広がる世界~ゆるなら風舎~

くにのまほろば《奈良》大和郡山市で
『カウンセリングルーム風舎』を営んでいる女性カウンセラーの日記です。
カウンセリング・箱庭療法・心理学レッスン・セラピスト支援などをしています。

スマートフォンアプリの立ち上がりが遅かったり

都度、再起動をかけて使っていました。

 

電池は十分長持ちするので

まあ、いいやと思っていたのだけれど

調べてみると、ストレージ使用量が97%!

 

いやいやいや、、これはダメでしょ。。

 

いつから使ってるのかな?

と、調べてみると

6年使っていました。

 

持ち物は、なるだけ使い倒す派のわたしは

たった6年かぁ

と思ったのだけれど

スマートフォンにしたら、よく使っている方みたい。

 

そんなこんなで、新機種に変えました。

 

窓口の方はとても親切で

契約内容の見積もりやら、様々な確認やらしつつ

途中でかかってくる問い合わせ電話の対応もされてました。

どれもきちんとこなしているのが凄い!

マルチタスクでないと

携帯窓口は無理だということがよくわかりました。

 

わたしには無理、、適材適所ですね(^^)

 

帰宅後

アプリを取り直したり、データ移行したり

わからないところはGeminiに聞きつつ

なんとか設定完了。

 

反応早い!

使いやすい!

 

新しいスマートフォンはgoogle pixel

 

 

これからよろしくね(*´▽`*)

 

 

 

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わたしが文字だけの本を読み始めたのは

おそらく、小学校へ入学してからだと思います。

 

当時、小学校では図書の時間というのがありました。

図書の時間は図書室へ行きます。

図書室には夥しい数の本があって、どれを読んでもいいのです。

素晴らしい時間でした。

 

1年生のわたしが目をつけたのは、伝記物です。

 

「ヘレン・ケラー」を読んで以来

とにかく伝記ばかり読んでいました。

 

そんな楽しい読書の日々を送っていたのですが

「伝記ばかりじゃだめ!偏っている」

と、姉に言われたため

何を読めばいいのかわからなくなり

しばらくは、科学や宇宙の本を読んでいました。

それはそれで面白かったです。

 

ところが

高学年になって、ファンタジーに出逢ってからは

バスに乗って図書館へ行くというのが

マイブームになりました。

 

コロボックルシリーズやムーミンシリーズに出逢ったのは

城東区立図書館(大阪市)でした。

 

その後、エッセイや小説を読むようになりました。

 

今はジャンルを問わず読みますが

面白いと感じるポイントは

「ちゃんと人が描かれているか」なんです。

 

ちゃんと描かれているというのは

背景や歴史をもつ人として描かれているということ。

具体的に表現されている必要はなくて

それを彷彿とさせる奥行きのあるものとして

人が描かれているかということ。

 

ドラマや映画もそうですね。

 

どんなに感動のストーリーでも

あらすじだけで成り立っているものは

つまらないと感じます。

 

興味があるのは「人」なんですね。

人が好きなんです。

 

一人の人間の歴史に思いを馳せるには

7歳の少女にとっては

伝記というのはわかりやすかったのでしょうね。

 

 

いろんな仕事をしましたが

今の仕事に落ち着きました。

 

仕事に限らず、さまざまな体験が

わたしをここへ連れてきてくれました。

 

決してまっすぐここまで歩いてきたわけではなくて

フラフラしたりグズグズしたり、転んだりしながら

自分の歴史を紡いできたのだけれど

結局は、しっくりくる場所へ辿り着いたと感じています。

 

しっくりくる場所=人の奥行きを感じられる場所

 

人が好きです。

生まれてから、独自の歴史を刻んできた

そんな生命を愛しいと思います。

そして

今、わたしは心理カウンセラーをしています。

 

 

 

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他者に対して
批判的な気持ちになるときが
大抵の人はあると思います。

そして

その批判は
あくまでも、自分の価値基準に照らしたものです。

なので

他者を批判するときは

自分の価値基準や人を見るときの視点など

自分自身について語っていることになります。

 

「いやいや、わたしは自分の話をしているんじゃなくて

〇〇さんについて話しているのよ!

〇〇さんのこういうところがね

常識的に考えておかしいって言ってるの。

ねぇ、そうでしょう?」

なんて言われてしまいそうですね。

 

さて、その「常識」はどこでも通用するものでしょうか?

どんな場面でもそうなんでしょうか?

 

大抵の場合、それはその人の常識にすぎなくて

どこまでいっても、その人の基準なんです。

ならば

「〇〇さんのこういうことろがおかしい!

って、わたしは思うのよ!」

というのが、正しい表現になります。

 

ほらね?

自分の価値基準のことを語っているでしょう?

 

他者に対して批判的になってしまうことは

誰にだってあります。

 

人はそれぞれ

自分にとって大切な価値観を持っているし

自分がとても大事にしている正義あるのだから

それに反する言動を目の当たりにすれば、批判したくもなります。

 

なので

他者に対する批判を口にするときは

「わたしの価値観はこうだ」「わたしの正義はこうだ」

と、自分のことを語っているいうことを心得ておくといいですね。

 

 

 

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「あきらめる」とは本来「明らめる」ことで

明らかにするという意味で使われる言葉でした。

 

何を明らかにするのかというと

事実であるかとうかを明らかにするわけで

そこから

「実際にはどうか?」を明らかにするに転じて

「実際にできるかどうか?」を明らかにする

という意味にも広がりました。

 

それがまた変遷し

「実際にはできない」というのが言い訳のように捉えられ

諦めないことがよしとされるようになってきてしまいました。

 

けれども、実際には諦めることだって大事だし、必要ですよね。

 

「花粉に反応しないように努力して、花粉症を治しなさい。

諦めちゃいけません、努力しなさい。」

なんて、突拍子のないことを言う人はいません。

花粉に反応しないように頑張るなんてことは、サクッと諦めて

お薬を服用するなり、マスクをするなりすればいいのですから。

 

なんでもかんでも

「心の持ちようだ!諦めずにやれ!」

ということの横暴さに苦しんできた人に出逢うことがあります。

 

自分にとってはあたりまえなことだから

誰にだってできると思い込んでいたり

自分は努力して頑張ってできるようになったんだから

できないなんて、努力が足りないだけだと腹をたてたり

横暴な「諦めるな!」には

言う側の問題が潜んでいるのです。

 

今一度

自分自身で捉えなおす必要があります。

 

それは

諦めないで頑張るのがいいのか

諦めるのがいいのか

 

判断できるのは自分だけです。

 

ただ

諦めるのには、ある種の勇気が必要なことは確か。

上記の例のように

花粉症など、誰にでもわかりやすいものであれば

「それは無理」と諦めやすいのだけれど

 

見てわかりやすい、データがはっきりしているものでなければ

「それは無理」と認めることは

悲しかったり辛かったり不安だったりするものだから。

 

「自分の力の及ばないことはしない」と腹をくくる。

諦めるというのは、それくらい力のいることなんですね。

 

一方

諦めないというのは、継続すること。

諦めない限り、続いていくのだから。

 

続けるということは、なかなか大変なことではあるし

続けたからといって、望むところへたどり着く保証はないわけで

これもまた、力のいること。

 

いずれにせよ

自分の人生において

諦める、諦めないの選択基準を他者に委ねないことです。

 

裏を返せば

他者の人生における、諦める、諦めないについては

自分が勝手に決めて押しつけてはいけない。

 

他者の在り様を自分の望み通りにするなんてことは

自分にはできないこと。

これこそ「諦める」案件ですね。

 

 

 

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嫌なことでも

気乗りがしないことでも

やらなければならないことって

日常、あたりまえに存在しますね。

 

まあ

それでも

「やらなきゃな・・」

って行動することは可能です。

 

 

もちろん

身体的に無理とか、精神的に無理とか

行動できないこともありますが

 

「ねばならない」で

ある程度、行動はできるものです。

 

 

けれども

「ねばならない」で

感情はどうにもなりません。

 

行動はできても

嫌なものは嫌なのです。

 

感情は湧いてくるものだからです。

 

 

だから

そういうときは

嫌々やればいいんですよ。

 

そして

嫌なのにやった自分を

労ってあげてくださいね。

 

イケメンズが子どもの頃

遊んでいるのに「片づけて」というと「えーー!」と言いました。

そりゃあそうです、嫌ですよね。

わたしは

「嫌々でいいから、片づけてー」と言い

しぶしぶ片づけた彼らを

「ごくろうさま」と労ったものです。

 

そういったことを、自分にしてやればいいんです。

 

やりたくてやるよりも

嫌なのにやるほうが

ずっとしんどいんですからね。

 

 

 

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