カテゴリ基準に関わりのないことをくっつけてしまうと、ちぐはぐになる | そのままでいいよね☆ゆるなら風舎

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くにのまほろば《奈良》大和郡山市で
『カウンセリングルーム風舎』を営んでいる女性カウンセラーの日記です。
カウンセリング・箱庭療法・心理学レッスン・セラピスト支援などをしています。

「わたしは〇〇です」と言った場合

〇〇というのは、何かを基準にしたカテゴリですが

同じカテゴリの人が全て

同様の特徴を持っているわけではありません。

 

ところが

〇〇に

その基準と関わりのないことを

くっつけて判断してしまうと

本来の自分とかけ離れた人物像になってしまうことがあります。

 

たとえば

わたしは性自認が女性ですから、性別を聞かれると

「わたしは女性です」ということになるのだけれど

「女性って甘いものが好き」という判断の元に

相手が接してきたとしたら

なんだかちぐはぐなことになります。

 

実際に甘いカクテルを勝手に注文されて

頑張って飲んだということが、20代の頃にありました(笑)

気遣って注文してくださったのですが

ちぐはぐなことになってしまいました。

 

「女性」であることは、わたしと一致しますが

「甘いものが好き」はわたしには当てはまらないからです。

 

甘いものが好きかどうかと

性別が女性であることには

そもそも何の関わりもないはずですね。

 

カテゴライズには基準がありますが

その基準と関わりのないものまで一緒くたにしてしまうことが

世の中には結構な頻度で起こっています。

 

ともすれば

そこで

「〇〇としてわたしはおかしい」とか

「〇〇としてはわたしは失格だ」とか

思って落ち込んでしまうこともあったりしてね。

 

上の例で言うと

「甘いものが好き」に当てはまらないわたしは

女性としておかしい

女性としては失格だ

と思って落ち込むということです。

 

いやいやいや、、それはおかしいでしょ!

と殆どの人が笑うと思うのですが

「母親として、わたしは失格だ」とか

「娘として、わたしはおかしい」とか

そういった言葉は、結構耳にしますよね。

 

同じカテゴリに属するからといって

皆同じ特徴を持っているわけではない。

 

「〇〇としては少数派」ということはあるかもしれませんが

少数派というのは少数は存在するわけですからね。

絶対こうでないと〇〇としてはおかしい

なんてことはないのです。

 

人はいろんな側面があって、多面体でできていて

唯一無二の存在です。

そして

唯一無二の自分で、一所懸命生きている。

愛しいです。

 

 

 

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