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自己受容から広がる世界~ゆるなら風舎~

くにのまほろば《奈良》大和郡山市で
『カウンセリングルーム風舎』を営んでいる女性カウンセラーの日記です。
カウンセリング・箱庭療法・心理学レッスン・セラピスト支援などをしています。

人との関係は

自分の思い描く通りにいくとは限りません。

 

傷つけたくなくても

相手が傷ついてしまうこともありますし

その逆もありますね。

 

そんなふうにして

うまくいかなくなったり、関係が壊れてしまったりするのは

悲しかったり苦しかったりするものです。

 

関係をなんとか修復したい!

と思うときは、いろいろ考えます。

 

「どうしたら、また仲良くなれるだろう?」

「どうしたら、また繋がれるだろう?」

「どうしたら、前のように笑い合えるだろう?」

 

「どうしたら。。。」

 

こんなふうに必死で考えて、頑張って

修復できる場合も、もちろんあります。

そういった場合は、それでOKですが

 

相手にその気がないとか

自分がわだかまりを持っているとか

どうにもこうにも繋がれない場合もあります。

 

そんなときは

「どうしたら。。。」

と必死で考えるのをやめてみるのもいいのではないか。

 

必死な状態とは、拳を握りしめた状態です。

必死で握りしめていた手を、弛めてみるのです。

 

大切なものは

弛めた手の中にも残ります。

 

その残ったものを大切にしていると

また、繋がる関係性もあるでしょう。

 

実際には、もう二度と繋がらないままだとしても

相手と関わっていた時間が

その手の中にじんわりと残るならば

それはそれで、いいんですよね。

 

手の中に残った大切なものは

誰にも気兼ねなく

ずっと大切にしていていいのですから。

 

 

握りしめたままだと

手の中は見えません。

 

弛めてみたら

見えてくるものが

きっとあるのだと、思うのです。

 

 

 

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先月は行かれなかったフェルデンクライス・レッスン

身体がカチコチしていました。

 

心待ちにしていた、今回のレッスンは

シーソー呼吸

 

簡単にいうと

息を吸うときに胸を膨らませ、吐くときにお腹を膨らませる呼吸の仕方です。

 

いいですよ、シーソー呼吸!

筋肉が動いて、身体が温まります。

お腹やら背中やら脇やら、いろんな筋肉が動くのですが

横隔膜筋が動くというのが

わたしとしては、とってもいいのです。

 

わたしは、しゃっくりがよく出てなかなか止まらないことがあります。

どんなときにっていうことはなくて

突然しゃっくりが出るんです。

 

調べてみると

空気を食べてしまう人でゲップが出ない人とのこと。

確かに、わたしはゲップをしません。

こらえているのではなくて、出ないんです。

ゲップが出ないのは、横隔膜筋が弱いそうで

横隔膜筋の筋トレをすると改善されるらしいです。

 

横隔膜筋の筋トレの方法を調べて、やってみたところ

しゃっくりが減りました。

 

けれど、この筋トレ

腹ばいになってやる必要があるので

ついやらなくなってしまって、すぐに元に戻る。

 

その点、シーソー呼吸なら

ふとした合間にできるじゃないですか!

 

よし!

横隔膜筋を鍛えるぞ!!

 

※フェルデンクライスについては → コチラ

 

 

 

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「あの人は、自分の意見が絶対だと思ってるんですよ。

自分に自信があるんでしょうね。」

と言いながら、ため息をつく。

 

ため息をつくということは

困っているんですよね。

なぜ困っているかというと

自分の意見とは違うからです。

 

「わたしはそこまで自信がないので、説得できません。」

 

いやいやいや、、

 

その方は「自分が絶対正しい」のだから

他の人の意見を聴く必要を感じていません。

なので

説得できなくてあたりまえです。

 

そして、「自分が絶対正しい」と譲らないのは

自分に自信があるといえば、そうとも言えますが

そもそも、そんなに絶大な自信を持っていること自体がちょっと変なんです。

 

だってね

自分の知らないことの方が多いのだし

人は不完全で間違えることもあるのだしね。

 

それでも

自分の意見が絶対正しいときっぱりと主張できるのは

自分が見えている世界が全てだと思い込んでいるということ。

 

裏を返せば

「わたしが絶対正しい!」ということを手放せば

新しい目線が持てる。

視野が広がるきっかけになりますね。

 

 

 

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「装う」について考えてみました。

 

「装う」は真逆の方向性を持っていると

わたしは思うのです。

 

隠すために「装う」

見せるために「装う」

 

そして

真逆の方向性なのですが

つきつめていくと、同じところに行き着きます。

 

何を見せるか、どのように見せるか

何を隠すのか、どのように隠すのか

この2つは、結局同じなのではないでしょうか。

 

見せたいところを、外からよく見えるように

見せたくないところを、外からはなるだけ見えないように

「装う」わけです。

 

自分を生かすためにも

自分を守るためにも

「装う」ことは大切なことですからね。

 

 

結局のことろ

自分自身の上に「装う」しかありませんから

自分の何を、どのように見せるのか

ということになるのだと思うのです。

 

 

もちろん、盛ることもできます。

自分の原型がわからないくらいに盛って「装う」ことも

もちろん、可能です。

 

メイクや服装に限らず、ひととなりや心の持ちようについても

盛ることはできるのです。

 

けれども

盛って「装う」のは、とても息苦しいです。

疲れ切ってへとへとになるかもしれません。

 

 

なるだけ素の自分を生かすように

「装う」ことができるといいですね。

 

 

 

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わたしにしかできないことなんて

実のところ、何もないのです。

 

そりゃあ、わたしのようにするということは

わたし以外の人にはできませんし

逆に

他の誰かのようになんて、わたしにはできませんよ。

人はそれぞれ唯一無二のひとりなのだから。

 

それはそれとして、事実レベルで捉えると

今わたしがしていることは

わたしがいなくなったとしても、誰かがするのです。

 

あたりまえですね。

 

 

そして

わたしにしかできないことはないのですけれど

いま、ここにいるわたしが

できることがあるのです。

 

 

どんなに大切な人のことでも

どんなに近い関係の人のことでも

抱えている問題を肩代わりすることはできません。

 

その苦しみが自分のものだったらどんなに楽か

そんなふうに思うことでも

肩代わりすることはできません。

 

 

そして

そんなときに、自分に問いかける言葉は

ひとつだけ

 

「いま わたしに なにが できる」

 

できることはあります。

 

じっとしていることかもしれません

知らん顔していることかもしれません

自分が元気でいることかもしれません

ただ感じていることかもしれません

 

とにかく

できることをする

 

それしかないのです。

 

できないことを無理矢理しないで

できないことを嘆かないで

できることをすること

 

折に触れ、そこに立ち戻るようにしています。

 

 

 

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