昨日の続きです。
20年ほど前に聴いた講演とは
視覚障害者支援活動を続けてこられた方のものです。
その中で
「子供の頃に植え付けられた意識はなかなか拭い去れない」
という話が印象に残りました。
彼女の母親は
理不尽な差別を許さない人だったそうです、
ただ1つを除いては・・。
その1つとはライ病でした。
ライ病で鼻がなくなっている方が
包丁を研ぐ仕事でよく近くに来られていたとのことで
「その人を見たら走って逃げなさい」
と教えられたそうです。
当時、ライ病は空気感染すると信じられていました。
お母様は
子どもがそのような重い病気に感染するのを防ぎたかったのでしょう。
ライ病に関する当時の知識は間違っていることは
現在は明らかになっています。
「それでも・・」
と彼女は言いました。
「それでも、わたしは長い間ライ病の方のそばには寄れなかった」のだと。
何度招かれても
ライ病患者の集まるところには
怖くて、足を運ぶことができなかったそうです。
何年も断り続けたけれど
「これではダメだ」と思い、
やっとの思いで足を運んだ彼女は、患者さんの手を握りました。
「頭で考えて行った行動です」
と彼女は言いました。
子供の頃に感覚として深く刻まれたものは
それほどまでに拭い難い。
偏見や差別を否定する立場にいて
ずっとそういう活動をしてきた、その人が告白したことです。
立派だと思いました。
まず
「それはただの偏見だ」
ということに気づくこと。
そして
それを、意識的に受容すること。
そこから始めて
社会においてあたりまえに
自然に受け入れられるようになるまで
何世代もかかるのでしょうね。
どうしても受け容れられないということは
誰しもあると思います。
それでも
たとえ自分が受容できなくても
次世代に伝えていくことはできます。
感覚的に受け容れていないのに人に伝えるなんて
仮面を被って綺麗ごとを言っているだけじゃないの?
と、そんな自分を責める必要はありません。
自分が感覚的に無理でも
「これはただの偏見なんだ」と理解しているならば
伝えるという行動はできるし、その行動は尊いものです。
次世代に思いを託すことは、偏見を減らしていくこと
そうして、将来的には
理不尽な偏見にさらされ、肩身の狭い思いをする人が
減っていくのだと思うのです。


