キャビネットが完成しました。
鏡にスタンド、化粧品を置いて
鏡台代わりに使っているようです。
側に置いているケースには
どんな帽子が入っているのかな。
このキャビネットの主は、なかなかお洒落さんみたい。
化粧水瓶や香水瓶はちっちゃくて
結構苦労しました。
こんな大きさです。
かわいい(*´▽`*)
3箱できたので、次は4箱目です。
キャビネットが完成しました。
鏡にスタンド、化粧品を置いて
鏡台代わりに使っているようです。
側に置いているケースには
どんな帽子が入っているのかな。
このキャビネットの主は、なかなかお洒落さんみたい。
化粧水瓶や香水瓶はちっちゃくて
結構苦労しました。
こんな大きさです。
かわいい(*´▽`*)
3箱できたので、次は4箱目です。
メディアでもネットでも
「依存」という言葉は
マイナスイメージで使われることが多いです。
パートナーに依存している
とか
友達に依存している
とかいうと
なんだか悪いことのように思われがちです。
けれども
依存が全て悪いというわけでは、決してありません。
安心して依存する体験が愛着形成に繋がるからです。
安心して依存する体験から
「この人がいるから大丈夫」という、実際の安全基地ができ
心の中に安全基地が持つことに繋がります。
そうして、愛着形成が成されると
自分のままで大丈夫という安定感が得られます。
ですから
誰かに安心して依存する体験は
人にとって「大切な依存」です。
安心して依存するというのは
言ってみれば
安定した大地の上にいる状態
自由に走り回っても、ごろんと寝ころんでも大丈夫です。
一方
「不安や恐怖を伴う依存」というものがあります。
言ってみれば
崖に突き出した枝に必死にしがみついている状態
いつ落ちるか怖くて、自由に動くなんてできません。
たとえ、その枝が棘だらけで掴んでいる手が傷を負っていたとしても
怖くて離せないのです。
相手を失ってしまわないよう、常に緊張している状態は
不安や恐怖を助長します。
一時的に安心を得られてホッとしても
不安や恐怖が拭えず、同じ緊張を繰り返します。
こちらの「不安や恐怖を伴う依存」の方が
クローズアップされるので
マイナスイメージで語られることが多いんですね。
小学生の時のこと
プールで耳に入った水を抜こうと
ピョンピョン飛び跳ねたり
耳をパタパタ叩いたりしていました。
かなりムキになってやってみたのですが
どうしても抜けなくて困っていると
側にいた友達が
「プールサイドの温まった場所に、耳をつけていると出てくるよ」
と、教えてくれました。
実際にやってみると
あんなに飛び跳ねても出てこなかった水が
じわ~っと出てきて、ちょっと感動したのです。
心の奥にある、気持ちや感覚も
これと似ている気がします。
自分がどんな気持ちなのか、どんな感覚なのか
わからないときは
ムキになって掘り下げようとするのではなく
ただ、じっと温めてみることで
じわ~っと感じられるようになってくることがあります。
たとえば
胸のあたりが詰まっているようなら
胸に手を当てて温めてみる。
すると、なんだか涙が溢れてきて
ああ、わかってもらえなくて悲しかったんだと気づいたりね。
温めると、じわ~っと感じられてくるんです。
他者の心についても同様で
「いったい、あなたの心の奥に何があるの?」
「本心はどうなの?」
と問い詰めたりしても、なかなか出てきません。
問い詰められると、責められているような気がしてしまって
心の奥を感じるどころか、余計に混乱したりしてね。
温めて、そして、待つことです。
温めることって
大切なんですよね。
嫌われたくないという思いが強いと
ちょっとしたことで
「嫌われたんじゃないか?」と思ってしまう。
人を傷つけたくないという思いが強いと
何かにつけ
「傷つけちゃったんじゃないか?」と思ってしまう。
人の怒りへの恐怖が大きいと
事あるごとに
「怒らせたんじゃないか?」と思ってしまう。
それは
他者の気持ちの在り様を、自分の中に探してしまっているから。
自分の中の「嫌われたくない」を取り出して
相手が自分を嫌っていると思いこんだり
自分の中の「傷つけたくない」を取り出して
相手が自分のせいで傷ついたと勘違いしたり
自分の中の「怒りが怖い」を取り出して
相手が怒ってるんだと決めてしまったりしているんです。
自分の中に相手を探している。
言い換えれば
俯いて相手を見ないで、相手の気持ちを推し量っているということ。
なぜそうなってしまうのかというと
相手を見るのが怖いからなのだけれど
ここは、ちょっと勇気を出して顔をあげてみるといい。
相手を見るのが怖ければ、景色をぼんやり眺めるでも構いません。
自分の中に相手を探し続けるよりはずっといいから。
それで、ちょっと落ち着いたら
相手を見ることができるといい。
存外、笑っていたり
違うのにな・・って困り顔をしているかもしれません。
逆の立場だと
「わたしのこと、嫌いになったでしょ」とか
「ごめん、傷つけちゃったよね」とか
「怒ってる?」とか言われて
キョトンとすることもありますね。
「そんなことないよ」と伝えても
気を遣って言ってくれてるって、受け取られたりして
もう、どう言えばいいかわからない!
って、イライラしたことがある人は、結構いるのではないかしら。
イライラしてあたりまえなんです。
相手は自分を見ずに、勝手に決めつけているのだから。
そういうときは
「それは、あなたの中のわたしよね。」
と言ってみるのもいいかもしれないし
「そんなふうに思われたのなら、悲しい。」
と伝えるのもいいかもしれないし
どうやら、今はこちらを見る余裕はないらしいと
黙って距離をとるのもいいかもしれない。
「違うって言ってるのに!」という応答は
やめておいた方がいいかな。
「やっぱり、嫌ってるよね!」
「ほんとは、傷ついてるじゃん!」
「ほら、怒ってる!」
なんてことになりかねないので。
本当は、決めつけられてイライラしているだけなのだけれど。
自分のことを紐解くには
自分の内側へ目を向ける必要があるけれど
他者のことを考えるには
その相手に目を向けることが大事なんですね。
『旅する劇団・幻の日本少女歌劇座を追って』 鵜飼正樹
大正~昭和30年代初頭まで、大和郡山市に
「日本少女歌劇座」があったそうです。
以前、やまと郡山城ホールで「フィナーレ」の再演があり
観に行ったときの記事に、詳細を書いています。↓
鵜飼氏が、長年の研究の成果を出版されたと聞き
図書館で借りてきました。
「フィナーレ」再演時に
資料の写真が、何枚かロビーに展示されていましたが
本書には
とても沢山の写真や地方紙の紹介記事が掲載されています。
昭和の初めのトップスターの3人のインタビュー記事もあり
面白かったです。
活動は、北海道から九州まで。
講演は常に盛況だったようです。
全国的に人気のあった歌劇団が
いつのまにか歴史の中に埋もれてしまっていたなんて、、
しかも、太古の昔じゃなくて
昭和30年代初頭ということは
わたしが生まれる数年前まで講演されていたわけで
ほんのちょっと前じゃないの?!
奈良に住んでいると
奈良時代、飛鳥時代、さらに遡ってやまと王権の時代など
古墳の発掘からわかることが多くあって
いつも、凄いなぁ・・とワクワクするのだけれど
ほんの70年ほど前のことさえも
記録を残し受け継ぐというのは難しいことなんだなぁ
って、しみじみしました。