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自己受容から広がる世界~ゆるなら風舎~

くにのまほろば《奈良》大和郡山市で
『カウンセリングルーム風舎』を営んでいる女性カウンセラーの日記です。
カウンセリング・箱庭療法・心理学レッスン・セラピスト支援などをしています。

「ケアラーズカフェ」は

「ケアする人はケアされるべき人」をコンセプトに

普段、人のケアをしていて

自分自身のケアがなかなかでききれない方のための癒しの場です。

 

そんな「ケアラーズカフェ」の2026年度の開催予定をご紹介

 

 

対象者は、誰かのケアをしている人と書かれていますが

大抵の方は、誰かのケアをしていますから

どなたでも参加可能なのです。

 

主催は「ケアラーズにじいろ」さん

場所は大和郡山市かんざん園」

 

地図とお申込み・お問い合わせ先は、こちら↓

 

 

昨年、わたしもお邪魔させていただき

紙芝居をさせていただきました。

その時の記事です。

 

興味ある方は、問い合わせてみてくださいね。

 

 

 

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レッスンの最初の方で

うつ伏せで上体を起こして両肘でささえる

スフィンクススタイルで

「肩甲骨の真ん中の背骨を沈めてください」

と、先生からの指示。

 

な、、なんですと?!

 

言われていることはわかるし

図としても浮かぶのだけれど

感覚的にわからない(^-^;

 

わたしの肩甲骨と背骨は、近づいたり離れたりしないんですけど?

って感覚でした。

 

ところが

肩甲骨に意識を向けながらいろいろな動きをしていると

レッスンの途中から

「あ、これか、、」と掴めるようになりました。

 

レッスン終了後は

ここのところ、度々起こっていた首の痛みがなくなって快適!

 

背中がやわらか~い、身体が軽~い。

 

肩甲骨って大事だなぁ

っていう話を、他の方としていると

「ピアノでも、肩甲骨って言われるよ。」

「歌でも、肩甲骨なんだって。こないだ聞いたよ。」

とのこと。

 

いやぁ。。肩甲骨って大事なんですね。

 

※フェルデンクライスについては → コチラ

 

 

 

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 「経験が身になる人」と「経験が勲章になる人」がいる


  (「普通がいいという病」 泉谷閑示)


*** *** *** ***

 

経験から学ぶ

とは、よく言われることです。

 

素晴らしい経験にせよ、とんでもなく辛い経験にせよ

そこから何かを得たとしたら

それは、経験から何かを学んだということで

生きる上で、生かすことができます。

 

そして、生かすことができるかどうかは

得たものを咀嚼し腑に落としているかどうか

即ち、経験が身になっているかどうかが鍵になるのではないかしら。

 

そういうふうに「経験が身になる人」は

今の生き方に反映させているので

その人の経験談は、聴く側にとっても学びになります。

 

一方、「経験が勲章になる人」の話は

どうにももやもやすることが多い。

 

「自分はこんな経験をしたんだ」

という事実を誇ることは悪いことではないけれど

聴く側にとっては

「あの人、勲章を見せびらかしたいだけだよね」となってしまう。

 

最初から

「見て見て!わたし、こんな勲章持ってるのよ!」

って見せてくれるならいいのだけれど

見せびらかしたいことに無自覚で

自分は経験を消化して得たものを身につけたと思い込み

周りにお説教をしてしまっている場合もあります。

 

「君もこの勲章を得られるよう頑張りたまえ」

なんて、変な強要をしてしまう可能性だって出てくるわけで

なかなか迷惑なことです。

 

子どもの頃、そういったお説教に出くわすと

「はやく終わらないかなぁ・・」

って上の空でいたなぁ。。

 

 

 

 

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昨日の記事「自分の内側にあるものからは逃げられない」の続きです。

 

昨日は

自分の内側にあるものが原因で苦しい思いをしている場合

(そのときの苦しさを一時的に解決しても)

ことあるごとに、苦しい思いをすることがある

というお話でした。

 

言い換えれば

自分の内にある思い込みによって

似たような場面で、苦しい思いをしてしまう

ということです。

 

自分の内からは逃げられないのだから

だったら、ずっと苦しいままなのかというと

それは違います。

 

自分の内から手放すことは可能だからです。

 

どうやって?

 

その方法のひとつをお伝えしますね。

 

 

たとえば

偶然、不運にみまわれたときに
「わたしの人生、何もいいことないな」
と極端に失望したり、自己憐憫に陥ったりして

とても苦しくなる場合

まず、自分の内に

どんな思い込みがあるかを探ってみます。

 

それが

「わたしはかわいそうでいなければいけない」

というものだったとしたら

その奥にある気持ちを考えてみます。

 

「かわいそうでいたら、どんないいことがあるの?」

と自問してみるんです。

 

「何もいいことないよ。苦しいだけよ!」

って即答しないで

「なにかいいことがあるんだ」

という前提で、考えてみます。

 

「かわいそうでいると、構ってもらえる」

という答えだったとしたら

「構ってもらいたいんだね、よしよし。。」

 

「かわいそうでいると、愛してもらえる」

という答えだったら

「愛してほしいんだね、よしよし。。」

 

こんなふうに

自分の内の思い込みの奥にある

大切な気持ちに寄り添ってあげるんです。

 

十分寄り添ってあげられたなら

自分を苦しめている思い込みを

そっと手放すことができます。

 

そっと手放してくださいね。

その思い込みは

以前は、自分を守ってくれた大切なものですから。

 

 

思い込みの奥にある気持ちに、どうしても抵抗を感じて

自分の気持ちに「よしよし」って言いたくない!

というときは

「言いたくないんだね、よしよし。。」

から始めてくださいね。

 

 

 

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自分の外側で起こっていることで

辛い状況にいるということはあります。

 

自分では変えようのない環境

だからといって

逃げようのない状況

 

そういうことは、実際にあります。

 

けれども

動きようによっては変えられたり

思い切ってみれば逃げられたリ

ということも

外側のことが要因ならば、あり得ます。

 

あくまでも、可能性としての話ですよ。

外側の要因で辛いめに遭っていて

自分の力ではどうしようもない、逃げることさえできない状況

というのは、事実としてあると理解しています。

 

そういうことを言いたいのではないのです。

言いたいのは、もっと単純なことです。

 

自分の内側にあるものは

自分の一部なので、逃げることはできないということ。

 

 

たとえば

自分の内に
「わたしは成功してはいけない」
という思い込みが潜んでいる場合

ちょっとした失敗をしたときに

「わたしはなにをやってもダメだ!」

と極端に落ち込んだり、不安になったりします。

 

たとえば

自分の内に
「わたしはかわいそうでいなければいけない」
という思い込みが潜んでいる場合

偶然、不運にみまわれたときに

「わたしの人生、何もいいことないな」

と極端に失望したり、自己憐憫に陥ったりします。

 

 

自分の内からは逃げることはできませんから

そういう気持ちは

ことあるごとに出てきてしまうんですね。

 

 

え?

じゃあ、ことあるごとに苦しむしかないの?

 

いえいえ、そんなことはありません。

自分の内にあるものですから、自分で手放すことができるのです。

 

でも、どうやって?

長くなるので、続きは明日。

 

 

 

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