もしかすると
近い将来、その地名が
「なかったこと」になるかもしれない
“Bukit Cina/ブキッ・チナ”という丘に
寶山亭(宝山亭)/Poh San Teng/ポーサンテン
と呼ばれる、
中国式の寺院が建っとるん。
マラッカ第6代スルタン
“Sultan Mansur Syah/スルタン・マンスール・シャー”
(在位1459-1477年)が、
明王朝の永楽帝の娘で
スルタンの妻ある
“漢麗寶(汉丽宝)/ハン・リー・ポー王女のために
掘らせた井戸、じゃそうな。
1511年、ジョホールの戦士たちは井戸に毒を盛り、その水を飲んだ多くのポルトガル人が命を落としました。1606年にはオランダ人が、そして1628年から1629年にかけてアチェ人(スマトラ島の現地人)も同様に敵を殺そうとしました。オランダ人たちは井戸の重要性に気づき、見張り小屋を建てて警戒をしましたが、その後、イギリスの占領下時代には井戸は使用されなくなりました。
ということが記されとりました。
ちかごろでは、マレーシアの歴史から
中国人に関する記述を
ひそか~~に葬ろうとする
政府の意図がちらほらみられるようで。
“Bukit Cina/ブキッ・チナ”
(Cina=China=中国の意味)の
地名も消えそうなんだとか…。
Islamic Arts Museum Malaysia (マレーシア・イスラム美術館) 展示より
o☆●●☆*:..。o☆●
o☆●●☆*:..。o☆●
寺院の庭には、
太平洋戦争時に抗日闘争で命を落とした
戦没者たちの慰霊碑も建っとったん。
※怖くて写真はとらんかった…
少し離れたところから
参らせてもらってきたよ…。
中国語での説明文はなかったけど
中国人観光客が
結構な人数、訪れとった。
実際、ツアーバスででもなければ
行きづらい場所ではあるんじゃけど
もっと多くの日本人にも
認知されると嬉しいなぁ。
寶山亭(宝山亭)/Poh San Teng Temple