<マラッカ>明王朝の王女のために掘った井戸と戦没者慰霊碑 | マレーシアと日本で。夫婦円満◎家内安全

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マレーシア華人男性と2007年国際結婚のアラフィフ主婦。
2022年9月から東南アジア・マレーシアで生活中。

異国で美味しく安全に、そして経済的に。

“わたし”をもっと大切に、
もっと幸せに、を最優先で
一生涯のパートナーと楽しく過ごしています。

ポーサンテン

もしかすると

近い将来、その地名が

「なかったこと」になるかもしれない

“Bukit Cina/ブキッ・チナ”という丘に

寶山亭(宝山亭)/Poh San Teng/ポーサンテン

と呼ばれる、

中国式の寺院が建っとるん。

 

ポーサンテン
 
この寺院は、“王の井戸”
(またはハン・リー・ポー王女の井戸)
があるとして知られておるそうな。
※市原悦子調で
ポーサンテン


マラッカ第6代スルタン

“Sultan Mansur Syah/スルタン・マンスール・シャー”

(在位1459-1477年)が、

明王朝の永楽帝の娘で

スルタンの妻ある

“漢麗寶(汉丽宝)/ハン・リー・ポー王女のために

掘らせた井戸、じゃそうな。

 

ポーサンテン

 

ポーサンテン

 

ポーサンテン
 
井戸についての説明文には

 

1511年、ジョホールの戦士たちは井戸に毒を盛り、その水を飲んだ多くのポルトガル人が命を落としました。1606年にはオランダ人が、そして1628年から1629年にかけてアチェ人(スマトラ島の現地人)も同様に敵を殺そうとしました。オランダ人たちは井戸の重要性に気づき、見張り小屋を建てて警戒をしましたが、その後、イギリスの占領下時代には井戸は使用されなくなりました。

 

ということが記されとりました。

 

 

 

 

ちかごろでは、マレーシアの歴史から

中国人に関する記述を

ひそか~~に葬ろうとする

政府の意図がちらほらみられるようで。

 

“Bukit Cina/ブキッ・チナ”

(Cina=China=中国の意味)の

地名も消えそうなんだとか…。

 

イスラム美術館

 

イスラム美術館

Islamic Arts Museum Malaysia (マレーシア・イスラム美術館) 展示より

イスラム美術館 イスラム美術館

 

 

o☆●●☆*:..。o☆●

 

この寺院には

15世紀中国の“海の英雄”

鄭和の像までもあってね。

鄭和
(なんでもかんでも祀るのがいかにもチャイニーズっぽい…)
 
彼はイスラム教徒の家系だったんじゃね!
Wikipediaを見て初めて知ったわ目
宦官なのは知っとったけど…

 

o☆●●☆*:..。o☆●

 

寺院の庭には、

太平洋戦争時に抗日闘争で命を落とした

戦没者たちの慰霊碑も建っとったん。

※怖くて写真はとらんかった…

 

少し離れたところから

参らせてもらってきたよ…。

 

 

中国語での説明文はなかったけど

中国人観光客が

結構な人数、訪れとった。

 

実際、ツアーバスででもなければ

行きづらい場所ではあるんじゃけど

もっと多くの日本人にも

認知されると嬉しいなぁ。

 

 

最後まで読んでくださって
  ありがとうございましたラブラブ
 

寶山亭(宝山亭)/Poh San Teng Temple

マレーシアで