<マラッカ>オランダ・ポルトガルそしてイギリス統治の跡 | マレーシアと日本で。夫婦円満◎家内安全

マレーシアと日本で。夫婦円満◎家内安全

マレーシア華人男性と2007年国際結婚のアラフィフ主婦。
2022年9月から東南アジア・マレーシアで生活中。

異国で美味しく安全に、そして経済的に。

“わたし”をもっと大切に、
もっと幸せに、を最優先で
一生涯のパートナーと楽しく過ごしています。

マラッカ

わたしの持論として。

“一度訪れたことのある場所は

二度・三度また訪れる可能性が大きい”

ってのがあってね。

 

まさかまた来るとは

思ってなかったマラッカに

また来ることができたっていう

ビックリな喜び(予想以上に楽しかった!)と

この調子なら

また来そうだな~という予感もあって

記録に残しとくことにしたん✨

 

ザ・備忘録。

 

  スタダイス

マラッカ

別名「Red Square/赤い広場」。
マラッカのランドマークとも言える場所。
 
1650年にオランダの征服者が
オフィスとして建てたのが
はじまりなんだそう。
 
マラッカ

 

  ファモサ要塞跡

マラッカ
1512年に建てられたポルトガル要塞の跡
 

女性名詞である「ファモサ」は、

もともと主要な望楼につけられた名前なんと。

マラッカ

その後オランダ、イギリスへと

占領国が移り変わるとともに

破壊が繰り返されて

2024年現在、残っとるのはこれだけ。

 

とはいえ。

1512年から、500年も残っとるって

貴重なことよねぇ。

 

 

  セントポール教会礼拝堂史跡

マラッカ

1521年に聖母マリアに捧げて建てられた

シンプルな礼拝堂。

 

東南アジアで最も古い

教会建物のひとつなんだとか。

 

1548年にゴアの司教、

ジョアン・アフォンソ・デ・アルバカーキより

イエズス会に譲渡されて、

今日では

✅ファモサ要塞跡

✅スタダイスとともに

マラッカ博物館複合施設の一部として

保存されとります。

 

マラッカ
日本人…とくに
山口県民・広島県民には
馴染みの深い
フランシスコ・ザビエル氏。

 

o☆●●☆*:..。o☆●


クアラルンプールから

日帰り旅行に

いい距離だったわ~✨

 

日本から、

また誰かともだちとかが

遊びに来てくれたら

ぜひ紹介したいって

強く感じた街じゃったよ✨

 

最後まで読んでくださって
  ありがとうございましたラブラブ
 

マレーシアで