さて本日は、ルンビニ近郊の遺跡を巡ります。
朝6時半過ぎにホテルを出発し、先ずはティラウラコットという町に到着しました。
ここは、ネパール側のカピラ城址とされる遺跡がある場所です。
ここではあえて、ネパール側のカピラ城址とされる遺跡と書きましたが、昨日のインド側のカピラ城址とされる場所を含め、今ある数々のお釈迦様の遺跡が発掘・実証されてから、まだ100年ほどしか経っていません。
またそれ以前のお釈迦様が、今では信じられませんが本当に存在したのかどうか分からない空想上の人物であったこともあり、それらの遺跡はまだまだ不明な点も多く、学術的に確定されてないことが数多くあります。
よって今後、新たな発見によりこれまでの定説が覆ることも、大いに考えられます。
そのような事実を踏まえて、今更ながらこのインド研修記をお読みいただければと思います。
さて話を戻しますが、こちらの城址の特徴は、お釈迦様の説話に基づいた四門出游(しもんしゅつゆう)になぞらえた、東西門の遺跡(上写真:右4枚の1番と3番。南北門は未発掘。)があることです。
しかしガイドさんも言ってましたが、これはちょっと怪しいですね。
なぜならそれが真実であれば、あまりにも小さな城域になってしまいますから。
それよりも重要なのは、同じく上写真の右4枚の4番に写っているTWIN STUPAS(ツイン ストゥーパ)です。
これは、お釈迦様のご両親のお墓になります。
ここで、初めて
『ストゥーパ』
という単語が出てきましたが、それは日本語で言うお墓のことです。
この後もたくさん出てくる言葉ですので、覚えておいて下さい。
話は戻りまして、このお釈迦様のご両親のお墓を見学するためには、城址から出て少し田園(上写真)の中を歩かねばなりません。
しかし、これが意外と新鮮で、私の田舎である岡山県真庭市と同じような風景が楽しむことができました。
ちなみにインド北部地域は夏に米、冬に麦を植える二毛作が主流だそうで、写真の私たちは麦畑の中にいます。
そして田んぼのあぜ道にはやはり日本と同じく、しっかりマメ科の植物が植わっていました。
また近くの農家の家も間近に見ることができましたが、さすがにそこは日本と違い、ガス・電気・水道などのインフラ設備は無さそうでした。
さて、ネパール側のカピラ城址を後にした私たちは、北東へ30分程バスで走った所にある、ため池にやってきました。(上写真)
ここは釈迦族滅亡の地(サグリハゥアー)とされる場所で、この池にはそれに関する伝説が残っています。
伝説]当時、釈迦国の政権を握っていたマハーナーマは、攻め手のコーサラ軍の凄惨な虐殺を見て、とっさに機転を利かせ「自分が場内のこの池に潜っている間だけでも殺戮を中止して同胞を逃がしてほしい。」と懇願します。
彼は池に潜ると池の底の樹根に髪の毛をしばりつけ、潜ったままで絶命しました。その間に、わずかな釈迦族が城から逃走したのです・・・(完)
さらにこの池の周辺では他にもたくさんの遺跡が発見されており、池の次はバスで15分程の所にあるニギリハゥアー(NIGLIHAWA)という場所へ向かいました。
ここには、『アショカピラー』があります。
『アショカピラー』
さて、この単語ですが、これもこの旅行記では大切な言葉です。
アショカピラーとは、紀元前3世紀ごろに活躍したアショカ王が、お釈迦様の聖地とされる場所に記念碑として建立した石柱のことです。
紀元前3世紀というとお釈迦様がお亡くなりになってから約200年後のことですから、お釈迦様に関する場所・情報はまだ正確で、仏教聖地にはたくさんの仏教僧や信徒が集っていたと考えられます。
ですから今現在、誰も訪れない荒野であったとしても、そこでこの石柱が発掘されると、そこがお釈迦様に関わる重要な地域であったことが分かるのです。
話は戻りまして、さらにクダーン(お釈迦様が父親である浄飯王に説法をしたとされる場所)や、ゴーティハワ(過去7仏の4番目の仏がいたとされる場所)にあるアショカピラーにも立ち寄った後、昼食をいただき、今日のメインの場所へと向かいます。
ここ(上写真)は、ラーマグラーマという町にあるストゥーパです。
お釈迦様がお亡くなりになり荼毘に伏された際に、仏舎利は直ぐに8つに分骨されたのですが、ここはその内の一つが今なお眠る、
本当に貴重なストゥーパ
なのです。
ここが今日のメインの場所、いや、私にとっては今回の研修で一番感動した場所だったのかもしれません。
だって、本物のお釈迦さまのお骨が、目の前にほぼ当時のまま埋葬されているのですよ!
ちなみにここ以外の最初に分骨された他の7つのストゥーパの仏舎利は、全てが取り出され今は博物館などに移動されています(一部は行方不明)ので、本来埋葬された場所には現存しません。
しかしここだけは、採骨しようとした際にヘビ(龍とも言われる)が現れそれを阻んだという逸話があり、今もなお当時の状態まま仏舎利が眠っているそうです。
正直、お釈迦様を身近に感じ、身震いがしました。
さてラーマグラーマから約25㌔程、移動しました。(上写真)
ここは摩耶夫人の実家の宮殿があった場所で、デーブダハという町です。
写真の右側の薄黄色のお堂には、彼女の石像がお祀りしてありました。
ルンビニからは約40㌔の所で、お釈迦様を出産するためにシャーキャ国から里帰りの途中であった摩耶夫人は、本来ここへ向かっておられたのです。
つまりお釈迦様は、少し早産であった訳ですね。
この辺りにも、いくつかのアショカピラーやそれにまつわる遺跡が点在しています。
さて、今日はこれで終了です。
デーブダハから2時間ほどかけて、昨日泊まった法華ホテルに戻ります。