【4月9日(木)】
今回の研修は、学生の頃からずっと知りたかった私の名前のルーツをたどる旅であり、時宗に関するものではありません。
突然ですが、私の本名は「小田宗治(おだ むねはる)」と言います。
普段名乗っている「小田義宗(おだ ぎそう)」は、僧名(そうみょう)です。
この義宗という名前は、私が普照院の住職になる際に自ら命名したもので、当寺院の歴代住職にあやかり、本名に「義」を合わせました。
一方、「宗治」はもちろん親が付けてくれた名前で、その由来は親の里である岡山県、吉備国(備中)の戦国武将・清水宗治に由来するものだと聞いています。
その戦国武将ゆかりの地である備中高松城址へは、以前から一度行ってみたいと思っていました。
その様な中、ここ二か月間ほど吉備路周辺の時宗に関する史跡を巡る中で、高松城趾の案内板を何度も目にしたため、今回訪ねてみることにしました。
【備中高松城址】
https://www.pref.okayama.jp/site/kodai/628728.html
まず、今回も岡山県北部から岡山市に入ったため、 岡山自動車道「総社」ICより高松城趾に向かいました。(おそらく、東西方面から来ても同じICで降りるのではないかと思います。)
降りてすぐ、国道180号線を東へ進み、備中高松西交差点を左折(北上)すると、いきなり大きな赤い鳥居が見えます。
その鳥居をくぐって案内板に従ってまっすぐ進むと、「高松城址公園」がありました。
公園駐車場に車を停め、まずは「清水宗治公自刃の地」(妙玄寺境内・下写真)へ。
いくつかお寺のような建物が並ぶ中、一番奥の場所です。
参詣を終え元の公園に戻り案内経路通り進んでいくと、きれいな資料館(下写真)がありました。
その中の資料を見てようやく気づいたのですが、いつも私が高速道路上から見て「高松城だ」と思っていた小高い丘は、城址とは全く違う場所でした。
高松城は平地にあり(水攻めされたので、当たり前ですが💦)、城だと思っていた所は敵将・豊臣秀吉が本陣を置いた場所だったようです。
やはり、ちゃんと現地に行って確かめないといけませんね。
ちなみに現在は城址といってもお城の面影はまったくなく、資料館と合わせても一時間ほどで回れる広さで市民ののどかな憩いの場になっています。
(「胴塚」と呼ばれる場所はその公園から少し離れた場所にあり、民家の中にあるため、立ち入るには少し勇気が要りました…)
また私は幼少期、清水宗治という人物は本能寺の変で混乱していた秀吉軍を見破れなかった間抜けな将、というイメージでした。
そのため正直、私の「宗治」という名前もあまり好きにはなれませんでした。
しかし、年齢を重ね歴史を学んでいくうちに、彼の忠義心や冷静な状況判断力が理解できるようになり、今では岡山の歴史と私のご先祖を結びつけるこの名前を誇らしく思えるようになっています。
ひとしきり堪能した後、まだ少し時間がありましたので、敵将・秀吉が本陣を敷いたとされるお寺「最上稲荷 妙教寺」にも立ち寄ってみました。
最初に見た大きな鳥居は、このお寺の入り口だったようで、その大鳥居から山の中へと続く道を車で10分ほど走ると、巨大な施設群が!!!!😳
そこが「妙教寺」でした。
前回の岡山研修でも書きましたが、岡山は宗教的に非常に奥深い地域であることを改めて実感させられました。
ここを深掘りすると大変なことになりそうなので、皆さん自身で調べてみて下さい。
それでは、まだしばらくは岡山と神戸を往復する生活が続きそうですが、今回で岡山市内の探索はひとまず一区切りにしたいと思います。
ありがとう、岡山。
ありがとう、ご先祖様。
合掌



