さて朝6時にホテルを出た我々は、再び国境を目指します。

写真はインド側の兵士でしょうか、意外と気さくに声をかけてくれました。

 

しかし私たちより10分ほど前に通過した日本人団体客のガイドさんが、国境警備兵と何かトラブルがあったらしく、その影響を受け1時間程釘付けになりました。

やはり、ここは『国境』なのですね。

 

ホテルを出て南下すること6時間、次の目的地・お釈迦様『涅槃の地』であるクシナガラに到着しました。

 

 

昼食をすませた後、涅槃の場所へ行く前に我々は「パーヴァー村」というお釈迦様が最後の食事を頂いた所へ向かいます。

 

その途中に渡った上写真の河は、お釈迦様が食事後に腹痛に苦しみながら沐浴したとされる「クックダ河」です。
(ほんとかな(笑))

 

 

さてパーヴァー村(上写真)は別名チェンダ村とも言い、その遺跡は現在も街中にあり、ハイウェイの途中でバスを停めて(驚!)街中を歩いて行かないといけません。

 

さすがにここに来る日本人はほとんどいないようで、あっという間に人だかりができます。

ちなみにインド人は、上の写真のようにカメラを向けてもあまり嫌がる素振りをみせません。

それどころか、撮れ撮れとせがまれることもあります。

 

雑踏の中、少し路地裏に入ったところに、「旧チェンダ村遺跡」がありました。

 

ちなみにチェンダとは、お釈迦様に最後の食事の供養をした方の名前です。

悪意の無い供養であったのですが、お釈迦様はその食事のきのこの毒(他の説もある)が原因で激しい腹痛に見舞われます。

 

 

またバスに乗り込み30分後、「ラマバル塚」と呼ばれる、お釈迦様を火葬にした場所(荼毘所)に到着しました。

 

この辺りにも僧院跡があり、塚の裏には日本の仏教寺院でもよく見る『涅槃図』に描かれている河(バッダイ河:Hiranyabati river)が、実際に同じように流れています。

 

チェンダ村で体調を崩されたお釈迦様は、ここで力尽きるのです。

 

さらにここからバスで10分、MATHA-KUAR SHRINEに立ち寄ります。

ここはお釈迦様が『最後の説法をされた場所』と言われており、小さなお堂(内部には11世紀ごろの降魔成道像が安置)と遺跡がありました。

 

お釈迦様は当時この後先程のラマバル塚へ向かう訳で、我々はお釈迦様とは逆向きをたどった訳ですね。

 

さあ、いよいよ「大涅槃寺」です。先程の小さなお堂からすぐのところに、それはあります。

 

 

ここでも我々はお釈迦様を偲び、涅槃仏の前でお勤めを致しました。

 

この涅槃仏は、近くの河底から発掘された紀元後5世紀ごろの仏像で、発見当時は全体の3分の1(現在は全長約6,1m)しか無かったそうです。

また、当然ですがこの像は、『頭北面西(ずほくめんさい)』(←日本で言う北枕のこと)の状態で安置してあります。

 

ちなみにインド人は、足を北に向けて(つまり頭を南にして)寝ないそうです。

また玄関等、家の入口を南向きに作らないそうです。

南には地獄の入口があると信じられているからだそうですが、日本と真逆なんですね。

 

ちなみにこの大涅槃寺(というよりはお堂)はミャンマーとインド政府が共同で建立したもので(下写真)、後ろ側にはお釈迦様の舎利塔(納骨塔:1958年)や遺跡群があります。

その中に、お釈迦様の弟子の一人であるアーナンダ(阿難)のストゥーパ(お墓)と言われているものもありました。

 

 

さあ、濃密な一日が終わりました。今日のホテルに向かいたいと思います。

 

ホテル:ROYAL RESIDENCY(Kushinagar)

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