(ネタバレあり)

 

『バッドボーイズ RIDE OR DIE』

観に行く気なかったんだけどね。

1・2作目は好き。ストーリー有って無ェようなモンだったから。そこが良かったんだよ!

一応事件があって解決に奔走はするんだけど、基本ずっとバカなことやってる。このバカがまさに見どころ! バカを楽しむ映画!

特に2作目はたまんねェっス(笑)。

1作目はコメディとして面白い(コレコレ参照)。アクションは及第点か。

2作目はギャグもアクションも狂っててもう最高! (エロさもかなりイッててナイス!)

1・2作目は監督があのマイケル・ベイなんでキテる。

特に2作目は本領発揮というかやり過ぎ全開で素晴らしすぎる。シミったれたとこが無いのがいい!

現実生きてていろいろまぁ葛藤とか悩みとかあるわけだけど、本作の主人公たちの針振り切った言動や行動の数々は観てて爽快であり、さらに踏み込んで言えば生きる元気すら与えてくれる。現実に対して“どうってことねぇよ!”という気概すらヘタすると得られる。

あとベイはPVやCMのディレクターから映画監督になったんでセンスいい映像が多々ある。

筋金入りバッドボーイズファンからすると今となってはほのぼの楽しいコメディ映画、

でも何も知らないで観る人・悪ノリギャグに慣れてない人にとっては

トチ狂ってると感じるであろう1作目。

 

迷作にして名作(?)、映画史に燦然と輝くキチガイギャグ映画である2作目。

今観ても狂い過ぎてる。まさに「全世界、(バカさ加減に)降参。」

今となっては糞コンプライアンスや、自分では常識人とか正義と思い込んでるビョーキな知的障害者(スマホ・SNS人種。コレとかコレ)が蔓延する世の中に対して

敢然と挑戦状を叩きつける作品でもある。

 

ちなみに、俺は映画ってのはその国の雰囲気や文化も疑似体験できるのがまた魅力の1つと考えてるのでオリジナル音声で(英語圏の映画なら英語で、ロシアの映画ならロシア語で、香港映画なら広東語で)観るべきと考えてるのだが、

『バッドボーイズ』シリーズは例外で、これは吹替え版の方が絶対いい味出してる! 菅原正志のマイクと山寺宏一のマーカスがもう最高! 可笑しい! ぜひ吹替え版で観てくれ!

 

3作目がねぇ… 不完全燃焼

他の奴が撮ってるからさ。ベイだったらこんなもんじゃ到底済まないって。

あと3作目は妙にストーリーものになっちまってて、これもどうもよろしくなかった原因だろう。

ストーリーものになったのは、これでシリーズ完結だからかなぁ?と。

凡作に堕ちた3作目。パブリシティもダサすぎ。パッとしねぇよな。

 

したら今回4作目だよ。

まぁたストーリーものっぽいし。

監督もベイじゃない。

だったらわざわざ高い金払って劇場まで観に行かなくたっていいでしょと。

…ところが妙に評判がいいというか、アメリカでは結構ヒットしたようだし。

日本人の観客の感想は、まぁ…バラついてる感じ?

誉めちぎってるのと、普通に面白かったみたいなのと、コキ下ろしてるのと。

ただ気になったのは、高評価してる人の誉め具合がかなりな感じで。

それでまぁ冴えない日々でもあるし、観に行ってみたのだった。サービスデー¥1100で。

 

結論からいえばまぁまぁだった。

トチ狂ってるとこもあるにはあるが、またもやストーリーものになってて『バッドボーイズ』シリーズが持ってた魅力「バカさ加減」を減速させている。ただ3作目よりはマシ。

低い評価というか感想で多かったのがマーカスのスピリチュアル的な場面がよくわからんとかいうやつだが、いやいやこれが『バッドボーイズ』シリーズだから! 2作目のウ~サ~とかの延長線上じゃん。あのマーカスと上司の神経症的なの、物語の本筋と全然関係ねェからな。

「物語の本筋」は事件と犯人逮捕。

でも「作品としての本筋」はどんだけバカやるか。

バカさ加減がキチガイ沙汰の領域までいっちゃって、神経症的なのをどう解決するかではなく、さらにそこから麻薬ネタとかホモネタとか死体ネタとかメガ盛りしてくクレイジーっぷり! ホントどうかしてる映画で、あの悪ノリ不謹慎ぶりが最高だったんだよ。腹抱えて笑ったもん。

そしてそのレッドゾーン超えのバカっぷりは、観ている人の日常の些末なこだわりや悩みを吹っ飛ばす。俺は(アタシは)何をしょうもないことで悩んでるんだろう?みたいな。

…だから今回のスピリチュアルネタなんかは、あれがむしろ『バッドボーイズ』シリーズの正統な要素というかね、なんだからそこに文句をつけるのは大間違い。

でもストーリーものにいっちゃってるからバカ要素が遊離しちゃってるのだろう。1・2作目のように突き抜けてないから、ハンパにやるから観客はストーリーがどうとかプロットがどうとかヌカす奴が出てくるし、たぶん3・4作目の新しい監督及び企画立案者も1・2作目の価値を解かってないから「ストーリー」なんて余計なもんに手間暇をこれまたハンパに割いてる。解かってないからブレまくり。

また、あのバカに満ちたバッドボーイズシリーズを、50代のマーティン・ローレンスとウィル・スミスで今さら またやる意味と意義。

マーカスとマイクがジジイになっても1・2作目に匹敵するバカやりまくってたら、ここにある種の示唆や啓蒙が生まれてたのに。

年齢という問題を吹っ飛ばすというね。

まさに郷ひろみが言った言葉「年相応なんてない。40代らしさ、50代らしさなんてない。あるのは自分らしさだけ」だよ。

1・2作目のアイツらが50代になっても相変わらずで、さらに現代でコンプライアンス糞くらえなキチガイ沙汰のバカさ加減をカマしてたら、

それこそまさに過去作のセリフ、俺たちは一生バッドボーイズ、だったろうに。

 

アクションについては、派手ではあるけど、これじゃデジタルアクションだろう。

ベイはブッ壊し魔だったんで、ガチアクションをガンガン撮ってた。

1作目で予算の都合からスタジオ側はクライマックスの爆破シーンをナシにするよう要求してきたが、ベイは絶対必要だと譲らず自腹で撮った。

2作目のアクションで特に凄いのはハイウェイでのカーチェイスシーンだが、あれデジタルは使ってはいるけど車をホントに落っことしたりブッ壊したりして撮影した映像を使ってるから。撮影現場は70~80年代的ガチなんだよ。

ベイは本物のアクションにこだわりがあった。

そして映画というものは劇場で観て体感・疑似体験するものだから、そこで観せられるアクションは本物であるべき。

でも今回のアクションは今時のデジタルで作り上げたエセアクションって感じ。延いてはエセ実写映画だよ。デジタルは所詮偽物にすぎない。

で、当ブログでは何度も言ってるけど、デジタル映像というのはどうしても薄っぺらくて軽いのが宿命的なんで、迫力ある音響でカバーしないと成立しない。

これは劇場で鑑賞したからごまかせてる。劇場で観てると迫力あるんだよ。IMAXだなんだではない普通の上映で観たんだけど、それでも音は効果音も音楽も重低音効いてて良かった。

あと一番前の席で観たんで(映画はテレビドラマと違って臨場感を堪能し体感・疑似体験を楽しむものだから、視界いっぱいに映像が広がってるべきなんで、俺は基本的に前の方の席で観る)、迫力とか臨場感は堪能できた。

だからまぁ映画鑑賞としては合格点だった。ただ、1・2作目があまりにバカで、あまりに楽し過ぎた。あれが『バッドボーイズ』シリーズの基準値なんで、それに較べると全然、という。

…ただね。

退屈な日々送ってて、ラチの明かない人生で、終わりも刻一刻と近づいてて、そんな渦中で映画観に行って約2時間、黒人2人がバカなこと言ってたり、銃撃だ爆発だデカいスクリーンで繰り広げられるのを視界いっぱい享受して重低音の轟音に包まれて、いい気分転換だし視覚と聴覚から刺激で細胞活性化して、そういう意味ではいい時間送れましたよ。

それで¥1900とか¥2000でなく¥1100だからね、最終的な結論は行って良かった。

SF映画観て宇宙を、ホラー映画観て恐怖を疑似体験するように、バッドボーイズを観てバカとアクションにどっぷり浸る。

映画鑑賞ってやっぱ良い趣味だよ。

ひと時、現実から離れて非現実を体感する。(あるいは現実を客観視する。)

日常生活では得られない体験。意識の刺激。

 

 

 

コレちょっと言っておきてェんだよな…と思ってる事あって。

ネットに書き込まれてる『バッドボーイズ RIDE OR DIE』の感想で『あぶない刑事』と並べて話してる奴が多い。これが腑に落ちないというかさ。

腑に落ちないも何も、今ちょうどたまたま『あぶない刑事』の新作が公開されてる&日本の配給会社?が『バッドボーイズ RIDE OR DIE』と『帰ってきたあぶない刑事』を絡めたコラボ宣伝したんで『あぶない刑事』が並べて語られてるんだろうけど、

あとどっちも長く続いてるシリーズ・バディもの・主役たちが高齢とかいったとこに共通項見出してるんだろうけど、

なんかさぁ、『魔法少女まどかマギカ』を「(少年)ジャンプ的」って言ってる奴らがいて、何見当違いなこと言ってんだって腹たって、それについて書いたこともあったけど、

今回もねぇ、『バッドボーイズ』シリーズと『あぶない刑事』は似ても似つかねーから!

 

…そもそもさ、80年代中盤頃に全米で『マイアミバイス』ってテレビドラマがすげぇヒットしたんだよ。アメリカの若者は金曜の夜はみんな外でデートとか遊んでるもんなのに、『マイアミバイス』の放送見るためにみんな帰宅したっつーね、伝説のドラマ。

マイアミ警察の白人刑事ソニー・クロケットと黒人刑事リカルド・タブスのバディもの。刑事といえば安いスーツ着てたもんだが(これは日本もアメリカもそうだった(でしょ?)。映画『コブラ』みたいな例外な刑事もいたけど・笑)、『マイアミバイス』は主役2人の刑事が高いブランド物のスーツ着ててスタイリッシュなんだよ。キャラクターもクールだし。セクシーなカッコよさ。乗る車はフェラーリで、ヨット暮らし。

またヒットチャート曲が流れるMTV的センス。

…等々、こんな刑事物はこれ以前にはなかったよな?

で、全米で社会現象にまでなった『マイアミバイス』を、まぁ身の程知らずというか日本のテレビドラマもパクろうとした。『あぶない刑事』だよ。

80年代というのはとにかく日本の若い奴は欧米かぶれしてて、例えば音楽なんかも洋楽志向が強くなってたし、欧米の歌を日本の歌手がカバーしたりね、でもどうにもこうにも歌謡曲になっちまうんだよ。

日本人がシャレてくるのは(シャレてるのが違和感なくなってくるのが)90年代からで。

だから日本のテレビドラマが『マイアミバイス』をパクろうったって、悲しいかな追いつかないんだよ。

タカとユージがシャレたスーツ着てることや、舘ひろしと柴田恭兵をキャスティングしてダンディ路線な主人公にしたり、サングラスかけてたりするのは、当然『マイアミバイス』のパクリ。

横浜が舞台なのも推して知るべし。あっちがマイアミなら日本は… 沖縄じゃ違うじゃん? 沖縄は土着的なものあるし、戦時中の悲惨な過去もあるし、スタイリッシュな刑事物撮るには向かない。それに撮影が沖縄じゃ遠すぎるし。

今の人間だとお台場があるじゃんとか言いそうだけど、時代がまるで違う。『あぶない刑事』放送開始は86年。レインボーブリッジが開通するのは93年だしね。ダイバーシティもフジ本社もデックスも日本科学未来館もまだないお台場。13号埋立地。港、倉庫、空き地。

(88年から始まったアニメ『機動警察パトレイバー』は主人公たちの属する特車二課はあの辺の埋立地にあって(正確には初期設定は城南島の突端にある実在しない埋立地らしく、いわゆる「お台場」とはちょっとズレるのだが、同じようなもんだろう)、なんもない最果ての地として描かれてた。隊員たちの日々で重要だったのは事件で出動よりも、日常の飲食物をどう確保するかだった。とにかくなんもないエリアなんで、コンビニも飲食店も何もない。

第一小隊と第二小隊あって、どっちの隊長もキレ者だったが問題あって左遷されてここの隊長になったという、要は“島流し”だった。

つまり当時のお台場あたりというのはそういう風に描写されるエリアだったんである。)

日本版『マイアミバイス』をやろうとした時に舞台としてお台場という選択肢はなかった。

海と街がないとならない… だから横浜なんだよ。横浜は海はあるしシャレてる感あるし、都内近郊だから撮影スケジュール&予算的にもOKだし。

ところがだ。やはり日本版『マイアミバイス』は所詮無理だった。受け入れられるわけないと。だって紅白歌合戦がまだ国民的番組だった時代だからね。同時に『ベストヒットUSA』(アメリカのヒット曲を取り上げてた日本の音楽番組)が人気でもあった。つまり邦楽は歌謡曲から脱することができるか否かという時代。テレビドラマも当然まだ昭和的なものが好まれていて、クールでスタイリッシュに満ちた刑事物は日本の茶の間ではまだ受け入れられ難く視聴率惨敗するだろうと判断されたのだろう。

また『マイアミバイス』の物語・ドラマは非常にシリアスだが、『あぶない刑事』はそこまで踏襲することもまた不可能だった。

紅白歌合戦が国民的番組だったというのはどういう事だったかというと、子供から年寄りまでテレビを見ていた時代だったという事。演歌とアイドルが並存していた。

しかし同時に国民的アイドルには高い歌唱力が要求される(松田聖子や中森明菜)。でないと演歌や高齢者に太刀打ちできない。

テレビドラマも、若い年齢層にだけ合わせてたら高い年齢層から総スカンを食らう=低視聴率となる。

だから『あぶない刑事』は安全弁としてコメディ要素を入れている。お笑いがあれば視聴者の幅は広がる。その判断は結果的に功を奏する。(が、『マイアミバイス』とはあまりにかけ離れたものに…。)

イケメン系ということか若い仲村トオルが後輩役で投入されてるが、これもコメディ要素の一部として機能させている。

レギュラーメンバーの中で女で投入されたのは浅野温子。これがまた折衝がみてとれる。欧米だったらセクシーでエロい女が投入されるところだが、当時の日本にはそういう女優はほとんどいなかった。誰をキャスティングしようがどうしても日本的な、昭和的な匂いがついてまわる。当時はまだほとんどいなかったんだよ、そういうのが皆無な女ってのが。ここに浅野温子を配したという、なんか似て非なるというか、浅野温子でもやっぱ違うんだよな。で、浅野温子も結局コメディリリーフとして機能させている。

上司は『マイアミバイス』の雰囲気とは程遠い、キャラもキャスティングもいかにも昭和の刑事物なオッサンで。

横浜は「浜っ子」なんて言葉もあるし結局「日本」だし。マイアミの代わりにはなれない。

つまり『あぶない刑事』というのは日本版『マイアミバイス』をやりたくてもやれない妥協に妥協を重ねた果ての遠く及ばないパチもんだったんだよ。もうレベルを落としに落として、最早『マイアミバイス』とはまるで別物なシロモノとして世に出た。

でも、だからこそ受け入れられた。あんなのでもそれまでの日本にはなかった刑事物となった。

それが今でも新作が作られて、しかもヒットしてるというのは、喜ばしいことではあると思うよ。「コンテンツ」だ「オワコン」だなんだ流行り廃りのサイクル早い、作品が「作品」ではなく「消費物」と堕してる現代で、80年代スタートのテレビドラマが今も愛されていて、今の若い奴も観に来て。いい事だと思う。

ただね、バッドボーイズについて話す時にあぶない刑事を持ち出すのは見当違いも甚だしいだろって話よ。

アメリカでは、『マイアミバイス』があって、あと映画『リーサルウェポン』(87年)も欧米の刑事物として大きいだろう。

『リーサル』以降バディものの刑事作品が増えたと思う。

『リーサル』は“人間兵器”というぐらいスゴ腕なのに奥さん亡くして精神参っちゃってて自殺志向が過激な仕事ぶりとして出まくっちゃってるキチガイ沙汰のヤバい白人刑事リッグスと温厚な家庭人の黒人刑事ロジャーというバディもので、ヒットした。

2人のキャラはまさに正反対で、規律破りのリッグスに対して真面目なロジャー、

またリッグスは奥さん亡くなった後 外見を気にする精神的余裕はまったくなく散髪してないからロン毛で、服装もラフ。しかしロジャーはきちんとスーツを着ていて、パッと見からもすでに相反している。

そんな2人が命がけの捜査、窮地の中で互いに救い合い、友情を育んでいく。

ソリッドなアクションに加えてユーモアもあるキャラ&脚本、正反対なキャラの組み合わせが魅力的だった。

ヒットして続編が作られることになったが、リッグスの精神問題にはもう決着が着いた、でも『リーサル』といえばリッグスの暴走ぶりが見ものだったんで、2作目以降はリッグスをただの馬鹿ノリなアンちゃんにキャラ変して4作目まで作られてる。

リッグスに新しい恋人が出来たり結婚したり子供が出来たり、ロジャーの家族との絡みも続き、シリーズを重ねるごとにどんどんファミリー物にもなっていった。

 

『デッドフォール』(89年)は白人同士の刑事コンビ。しかも硬軟あるいはSとMみたいなバランスの取れた組み合わせではなく、パッと見は正反対だが(タンゴはアルマーニのスーツに身を包み眼鏡かけててダンディで趣味は株取引、キャッシュは散髪いかないロン毛にヨレヨレのファッション)、中身はどっちも暴力的で、ある意味リッグス×リッグス的なトンデモコンビ。

ギャグも暴力的で相当キテる。今なら糞コンプライアンスで完全アウトのヤバいギャグが連発! (当時ですらこれマズいんじゃない?と思ったもん)

キャッシュのロン毛は明らかにリッグスからきてる。雑な私生活ぶりも同様だろう。

本作に溢れる暴力性も『リーサル』からきてる…というか『リーサル』はキャラの組み合わせ同様、映画全体も暴力性と和みのバランスがイーブンだったが、そうでなくリッグス的ソリッドさとブラックユーモアの比率をハネ上げたらスゴイ映画になるんじゃないの?という企画意図だったんじゃないかと昔から思ってんだけど。

一方タンゴのダンディなファッション・スマートなキャラは『マイアミバイス』の影響ではないかと思われる。

 

そうして95年、黒人コンビで、1人はファッショナブルな独身イケメン、もう1人は外見パッとせず恐妻家でもある男という、人種は同じなんだけど人間性や生活スタイルが正反対バディの『バッドボーイズ』が世に出る。

2人が捜査を始めると、必ず物をブッ壊す。死人が出る。所属するマイアミ市警は大騒ぎ。でもそんなことお構いなしにギャグを繰り広げているフザけまくったコンビ。

『バッドボーイズ』シリーズというのは『マイアミバイス』 『リーサルウェポン』シリーズ 『デッドフォール』の流れの延長線上・影響下にあるのは間違いないと思う。

そんなアメリカの他方、極東で『マイアミバイス』を目指して挫折した果てに本家にも日本のそれまでのテレビドラマにもないオリジナリティを結果的に獲得すると相成ったのが『あぶない刑事』。

 

ちなみに俺は柴田恭兵の『ランニングショット』大好きよ(笑)。

あれもそれまでの邦楽らしからぬスタイリッシュ志向で作って、でもやっぱどうしても洋楽にはなれないんだよ…。ただね、『ランニングショット』のアレンジ・メロディ・歌詞・ボーカル、あのカッコよさは逆に洋楽にはないんじゃない?

『あぶない刑事』も『マイアミバイス』のMTV的な感じを取り入れようとして歌に力を入れていたが、やはりアメリカ的な感じにはならなかったし、『ランニングショット』も洋モノ目指したけどなれなかった、でも『ランニングショット』はアメリカにないまったく別のカッコよさを生んで、とんだ副産物だったね。