ネット社会となった現代だが、言いたいことがあってだね。俺は勝手に“SNS・スマホ人種”と呼んでるのだけど、そいつらの話。

ちょっとまずはネット記事から見てこう。

 

『脳科学者が警告「学校の一人一台端末導入で、日本の子どもはバカになる」』(PRESIDENT Online)

「ICT教育(※ICT=「Information and Communication Technology(情報通信技術)」の略で、通信技術を活用したコミュニケーションを意味する)がうまくいかないことを示す報告の一つに、OECDが実施している「学習到達度調査(PISA)」がある。(中略) コンピュータの利用が生徒の成績に影響があるのかが調べられた。

結果は、「ICTの教育への活用は読解や数学、理科において成績向上に影響がないこと」「ICTを授業であまり使わない国では、ICTを平均的に使う国々よりも読解力が劇的に向上したこと」「学校にコンピュータの数が多い国ほど、数学の成績は下がること」「学校でコンピュータを閲覧する時間が長いほど、読解力の成績は下がること」などが示された。」

「「インターネットを毎日利用する子どもは大脳灰白質体積の増加に著しい遅れが見られたのです」 (中略) 大脳灰白質は大脳皮質とも呼ばれる神経細胞層です。ここが増加するということは、脳活動が高度に成長していくことにつながっています。2018年の研究結果では、インターネット習慣がない、あるいは少ない子どもたちの大脳灰白質の体積は、3年間で増えているのに対して、ほぼ毎日インターネットを使用している子どもたちの大脳灰白質は、3年間でほとんど発達していなかったことがわかりました。」

「インターネット使用の頻度が高いと、大脳灰白質と小脳内を結ぶ神経線維の発達にも悪影響が出ていることがわかります。これらの結果を踏まえると、デジタル端末利用が学力を下げる理由は、脳そのものの発達を阻害しているからだと言えそうです」

「『齟齬(そご)』『鷹揚(おうよう)』のように読めるけれども、正確な意味を言うのは難しいような言葉の意味を、紙の辞書を使って調べた時と、スマホを使ってウィキペディアで検索したときの脳活動を調べたことがあります。すると、紙の辞書を使ったときには前頭前野が活動しているのですが、スマホを使って調べたときにはまったく活動していないことがわかりました。スマホで調べるのは、紙の辞書で調べるより簡単です。だから脳は働かないのです」

「人類がラクするために生み出したデジタル端末で勉強させようというのが、そもそも間違っているのです」

「キーボード入力をすると漢字が書けなくなるように、使わないと脳機能は失われます。このままICTを使った教育が公教育のなかで続けられたら、9割の子どもは自分で考える力を失うでしょう。」
 

『「スマホの見すぎ」が招く世にも恐ろしい3大弊害』(東洋経済ONLINE)

「「ゲーム依存」は、2018年にWHOによって病理と認定された。ゲーム依存症患者は、アルコール中毒、ギャンブル中毒患者と脳の状態が酷似した状態となっている。また、SNSにおける「いいね」は、つくかどうかわからないため、ついた時にはドーパミンが放出され、中毒性の高さが指摘されている。」

「スマホの存在自体で集中力が削がれることもわかっている。米テキサス大学の心理学者エイドリアン・ウォード氏は、800人の被験者に対して問題を解かせる実験を行っている。参加者はスマホを机の上に下向きに置くか、ポケットやバッグの中に置くか、別の部屋に置くように無作為に指示された。そのうえで、数学の問題を解いたり、無作為な文字列を記憶させたり、複数の画像からパターンを見いださせたりさせた。

その結果、別の部屋に置いた者は、机の上に置いた者よりずっと高い点数となり、ポケットやバッグに入れた者よりもわずかに高い点数となった。スマホがオン・オフどちらであろうと関係なく、途中で通知があったわけでもない。つまり、スマホが目の前にあるだけで気が散り、集中力や認知能力が下がるということを意味しているのだ。」
 

『生粋のガラケーユーザーが考える「スマホ生活のデメリット」』(マネーポストWEB)

「追いかけられる感覚がイヤなんですよ。突然電話が来て「まだですか?」なんて言われる。「何がですか?」と聞くと「さっきメールを送ったんですが」と。こちらは外出していてメールなんて見ていないので (中略) スマホを持っている人(大多数)の感覚からすれば、どこでもメールが読めるはずだから、即レスするのが当たり前、もし反応がないとメールを無視されたと思ってしまうのかもしれません。しかし、私はそんな動きの速い生活はしたくない。」

「スマホユーザーが常にSNSの通知をチェックしている様子や、ずっとスマホを握りしめてゲームし続けている様を見ると、「あぁ、これは中毒性があるんだな、オレはこんなツールを持たないで良かった。多分、自分も膨大な無駄時間を過ごすことになっていたはず……」と思ってしまいます。そんな私からすると、電車の中で目の前の席に座る7人全員がスマホに目を落としている姿は、日常茶飯事な不気味光景です。自分はあんな風景の一部になりたくない。」

「スマホで常時ネットニュースばかり見ていると、いわゆる「バズってるネタ」や「自分が好きそうな記事」ばかり目についてしまい、知識の広がりが制限されるのではないでしょうか。」
 

SNSの誹謗中傷が問題になってて、コメントをアップする前に読み返しましょうなんて言われてたりするわけだが、読み返してなんかいないことはコメントを読むとわかる。短文のコメントなのに誤字脱字がまぁ多いこと多いこと。読み返さずにアップしてる何よりの証拠。(そして公の場で発言するという、事の重大さをまったく認識してないことの証拠でもまたある。)

現実に他人と接してる中でも著しく人間性を疑う奴がよくいる。

ある仕事で本当の初出勤の前にレクチャーみたいなのがあったのだが、不明な点を聞いたらそれに答えず“いいからさっさと次にいけ”みたいな態度を取られたことがあって、教えるのがオマエの仕事だろうが → 仕事できてない(=自分の仕事がわかってない)奴なわけだが、てめェでは自分にムダがないと思い込んでる。でさぁ、赤の他人によくそんな簡単にそんな態度を取れるもんだと頭の中を疑った(こういう奴が煽り運転とか通り魔事件とかやらかすんだろうなーっていうさ)。マスクしてるから顔がよくわかんないんだけど30歳前後と思われた。いい加減いい歳していまだにセルフコントロールできない奴。(小さい子供は泣く・怒る・楽しいと態度がストレートで、それはセルフコントロール出来ないから。だんだんそうでなくなってくのは人は成長過程でセルフコントロールを習得してくから。それが30前後にもなって出来ないって異常者以外のなんだよ?)

面接とか、どこぞのサポートセンターみたいなとこに電話した時とか、あと役所関連でやり取りしてる時もたまに感じたりするんだけど、人の話をちゃんと聞かない奴ね。堪え性がないというか落ち着きがないというか自己中というか。こちらが説明してんのにバンバン口挟んできて話をどんどん見当違いな方向に持ってく、いやいやまずこっちの説明を聞けって! 聞かないでこっちのことを要領が悪い奴だみたいな さっさと結論行けみたいな、要領が悪いのはオマエだっつーの。最悪な奴になるとこっちが話してるのに被せて話してくる。それで話を見当違いな方向に持ってくもんだからこっちはいちいちそれを修正して、一向に説明が済まない。オマエが口を挟まず大人しく黙って聞いてりゃとっくに説明済んでるのによ。

(そういや、俺は言われたことないけど、説明してんのに「言い訳するな!」ってホザくバカもいるよな。)

去年やってたある職場はあることを次々判断してく仕事だったのだが、隣りの若い奴はバンバンやってて、俺は呆れたのだけど。ちゃんと考えてないんだよね。まるで早くこなすことが能力が高いとカン違いしてるような。冷静にちゃんと考えて確実にやれよと思ったけど。

そういうバカがすごく増えてると感じる。そいつら本人は自分をバカだとは1ミリも思っておらず無駄がないと思い違いしてる。

デジタル時代が産んだバカというか。単細胞。

感情だけで生きてる奴・堪え性が無い奴・セルフコントロール出来ない奴・連続性を持たずブツ切りの断片で生きてる奴が増えた。

誹謗中傷もだが、逆の誉めちぎりコメントにも思考の短絡化をものすごく感じる。たいしたことないことを絶賛。

けなすも誉めるも沸点が低過ぎるというかさ。ある方向の感情のスイッチが入る時のスイッチの位置があまりにも浅い位置にあるっつーかさ。

この深さとか長さがないってのも後述する長文が読めない現代人が大量発生している問題と関連してると思うけど。短文思考人間だから感情の回路も単純かつ短い、みたいな。

Yahooニュースのコメント欄でも(その記事の文章を読みもしないでタイトル見ただけでコメント書き込んだり) YouTubeのコメント欄でもどこでもいいけど、パッと見て、パッと思ったことを、よく考えもせず調べもせず読み返しもせずパッとコメントをアップする。自分の発言が公の場で公言するに値するものかどうかなど、まったく考えてない。

単細胞な奴がすごい増加している。

見当違いなコメントが多く見受けられるのは本文ちゃんと読まずに書き込んでるなというのがわかるわけだが、こうも思うのだ、本文を読んで書き込んでてもコレなんじゃないか? つまり読解力に欠ける――
 

あげくこんな記事まである。

『スマホの影響?映画に集中できない人続出「スマホOK映画館」待望論も』(NEWSポストセブン)

「大学の先生を取材した際に、いまは90分の授業を最後まで聴ける学生は1割しかおらず、論文やレポートの長い文章を読んだり書いたりすることも苦手な学生が多いと聞きました。(中略) “90分”を集中して過ごせないのは映画館の中でも同様だ。都内在住の20代女性が言う。「マナー違反だとはわかっているのですが、映画館で映画を見るときもスマホをチェックするのがやめられない。誰かから連絡が来ていないか気になるし、なによりNetflixで見る映画やドラマは電車の中や布団の中で自由に再生・停止をしながら見ることができるから、映画館のように長時間座りっぱなしで拘束されることに耐えられないんです」

彼女のような若者は少なくなく、「スマホOKの映画館を作るべきでは」といった議論すらなされているほどだ。」

バカもここまできたか。

 

長文が読めない奴が増えてるみたいね?

ネットの短文文化及びネットのページの短文問題。

SNSはツイッターのような短文のものが定着し、ネットのページも「続きを読む」「この記事は〇分で読めます」 1ページの文量が少ない(え! もう「次へ」!? みたいな)、やたら(フリー素材の)画像を挿し挟む(これが普通に長文を読める人間からするといかに読みづらいか。ほんとイライラさせられる)、

メールやブログの文章でやたら空白行を入れてる奴はなんなのか?

なぜわざわざこんな小学校低学年や5才児向けみたいなレイアウトにするのか。

空間に対する文字の少なさが もはや子供の絵本レベル。

本でもないのに目次を作る(その各項目のリンクが貼られる→全体を読まず部分しか読まない)、結論を先に言う →ミーティングとかプレゼンでもそれが当たり前になってるようだけど。

それは断じて合理的とか無駄がないのではなく、単細胞(つまりバカ)になってるだけ。

ネットのページの短文問題と同様。それは経緯や説明を聞くのを面倒臭がる。結論しか興味ないという。→考える能力の欠如。堪え性のなさ。

 

映画とテレビドラマは別物なのにテレビドラマの見方で映画を見る。映像と音を堪能し、没入して体感し疑似体験を堪能するのが映画なのに、ストーリーで映画を見る。

映画鑑賞に適さない人間は映画にストーリーを求める。→見方のテレビドラマ化

物語を楽しむのと映像を堪能するのは使うニューロンが異なる。物語しか求めない人間は映像を堪能するニューロンが脳内に無い。

だからファスト映画なんてどうしようもないものが現れる。(「ファスト映画とは、映画の映像や静止画に勝手に字幕やナレーションを付けて10分程度に編集し、ストーリーを結末まで紹介している動画のこと」『「ファスト映画」を見た人、編集した人、アップした人…罪に問われるのはどの人?』現代ビジネスより)

(映画とは疑似体験なのに)「体験」を面倒臭がる。粗筋と結論しか興味ない。これも前段の経緯を面倒臭がるというのと似ている。

 

こういう連中というのは言うことやることがコロコロ変わる。つまり「一貫性」がない。

・感情だけで生きている

・長期的意識を持てない

からだ。


長文が読めないというある種のビョーキは視覚的な問題も加わってると思われる。文がずっと並んでるのが読めないという現代病?は文章を本やPCでなくスマホで読んでるからだろう。

俺はスマホ持ってないのでスマホでネットがどう表示されてるのか知らないのだが、あの小さな画面は長文を読むのに不向きなのは当たり前。SNS・スマホ人種が長文を読めない脳になってる原因の1つと思われる。

俺がいまだスマホを買わない理由の1つでもある。

あんな小さな物が定着したのが俺には不思議で。スマホはガラケーよりは画面がちょっと大きくなったとはいえ、テレビやPC画面に比べれば小さ過ぎるのは変わりない。

人間が文章や映像を見るのにアレは小さ過ぎる。仕事の、ある作業でのみ見る機器(例えばコンビニやスーパーでの検品時の機器とか、配送業の人間が荷物の記録に使ってる機器とか)なら別に構わないが、スマホは皆 常時見ている。

あんな小さなものを常時見るように人間は出来てないはずなんだよ。

そりゃ長文も読めなくなるだろうよって話でさ。
 

情報の得方・結論の出し方が下手な奴も多いなと感じてる。例えばコロナに関しても万遍なく右から左まで読んでその中から合理性や説得力あると思われる情報を最終結果としてチョイスすることが出来ない奴が多いっぽい。その判断力は比較の概念を有してないとならず、また自分のフィルターも通すことになる為、人形みたいな奴ではまともな判断は下せない。

というか、そもそもが右から左まで読んでない。長文が読めないのと同様、ニュース記事を最初から最後まで大人しく読んでられない、ましてや同じネタについて複数の記事を読み比べるなどやってられないってわけだ。
 

これから親の子供に対する暴力も増えてくよ(もう増えてる?)。そんな奴ら子供なんかまともに育てられるはずない。子育ては忍耐が要る。SNS・スマホ人種は忍耐とかセルフコントロールとか欠落してんだからさ。子供など育てられるわけがない。職場で人に仕事教えたり教師とかいった職業も無理。1時間半~2時間じっと観てる映画鑑賞も無理だし、読書も無理。中身がガキの年齢だけ大人な問題児ばかり溢れることになる。
 

なぜ映画がテレビドラマと混同されてるかというのも繋がる話だと思うね。

映画館で観ずにネットやスマホで観るという、手段を手に入れたからというのもあるにはあるんだけど、

そもそもがね、テレビはバカ向けなんだよ。なぜなら最大公約数だから。テレビは100人見たら100人が分かるように作られている。国民皆に普及するものなのだからテレビの内容はどうしたって最大公約数になる。

だから元々バカが多い上にさらにバカが増えた現状において、バカどもが映画にテレビドラマを求めるのは当然といえる。

ところがそもそも映画とテレビドラマは別物なわけだ。当ブログでこれまで散々語ってきた通り。
 

デジタル合成やCGによる実写とアニメの近接傾向、それぞれの持つアドバンテージが殺がれてきてる問題について当ブログでは何度か言及してきたけど。

デジタル化というのは人の能力を落とすことが具体的に判明してきた。

それは先の話もだけど、それとはまた別の意味でも。

デジタル合成やCGはコンピューターで作り出したものであって、人の純粋な能力による表現ではない。

スマホの普及によって仕事の能力が落ちてるだかなんだかいう記事を読んだことがある。PCではなくスマホを使ってる人間はエクセルやワードを使えない、ブラインドタッチも出来ない、とかいう話。(ちなみに俺はこの文章もブラインドタッチで打ってるわけだけど、スマホの小さい画面とスマホの文字入力方法ではこんな長文はアップできないだろう。)

アニメでも例えば昔のセル画のアニメの色指定という仕事は職人技レベルなものだったようなのだが、アニメ製作現場がデジタル化したら(セルアニメの頃の定義での)色指定という仕事はなくなったようで、今のアニメ界にはセルアニメ時代の色指定の感性や技術は失われたというようなことをあるアニメ監督が言っていた。

特撮業界もそうで、全部CGやデジタルでやる時代になっちまったから、昔の特撮の技術というのは失われてしまったらしい。

…あちらこちらで人間が生み出したりかつては出来てたはずの技術や能力が失われていっている。

テクノロジー社会になって危惧されるのは、人の仕事が機械に取って代わられるのではないかとか以前に、人の能力がどんどん落ちていることの方がまず先に問題なのだ。
 

あとネットとかSNSってものは1人で成立しない人間を大量に生み出した。

“友達の数”やチャンネル登録者数とか「いいね」だの「ナイス」だのをどんだけ押されるかとかをやたら気にする。

それはアイデンティティが無いから。自分が空っぽだから他人との繋がりや他人からの見られ方をすごい気にする。

虚栄心の露呈でもあるが、これも自分が無いから。自分のものの見方・感じ方・考え方、自分のやり方、自分の生き方、要は自分がちゃんと在る人間は他人にいちいち左右されないが、自分が無い人間は他人を拠り所にして生きているから。

LINEとかで常に他人と繋がってるという他人とベッタリの状況はアイデンティティの形成を阻害する。

さらに、日本人は元から村社会的な奴が多いうえ、ネットによって同調圧力とかそういったものに拍車がかかってて、

…本来ネットを使うことによってどう考えたってグローバルになるはずなのに、日本人は村社会性がむしろ強まってるように感じる。

グローバルな人間=いろんな思考や指向や志向や嗜好、文化とか、世の中にはいろんなものがあるんだと、いろんな人間がいるんだという広い意識がある人間にとってネットはグローバルを増長するものだが、

村社会タイプの人間はグローバルなネットという手段を手にしても、やることは村社会的な内向姿勢なんである。

日本人だけじゃないよ。韓国人はまさに感情的な民族だからムリ。中国人は蛮族だし。アメリカ人だってトランプやQアノンなんかが示してるように意外にグローバルでない。(アメリカ人は自国がデカ過ぎるがゆえ他国に意識がいかずかえって閉鎖的みたいな話を聞いたことがある。また中部だっけ? はいまだに近代以前みたいに聞いたこともある。) テロをやるような国は言わずもがな。

だから結論として、世の中の大多数はネットを使いこなせない=グローバルになれないことが判明してる、といえるだろう。

ネットが悪いのではなく、程度の低い奴にとってはうまく使いこなせないものだ、ということ。民主主義と一緒よ。
 

まともな人間からするとかなり不気味な世の中になってきている。

感情だけで生きてて理屈や論理や節度というニューロンが脳の中にない。せわしなくて落ち着きや冷静さが無い。

そりゃ通り魔事件も起こるだろうよ。

世も末。昔は人類の終焉は核戦争とかそういうのだと思われてたが、こうなってくると人類はバカになって勝手に自滅してくっぽい。(テクノロジーを失ったなら、次に野蛮な時代がやって来るだろう、そこから何百年後かどのくらい後かは知らないがやがてまた聡明になってくだろう。→そしてテクノロジーが発達して… 以下繰り返し。)

これから増々酷い時代になってくよ。世の中、程度の低い奴ばかりになる。独裁国家でない限り社会は多数派が優勢になるんで、程度の低い奴らがスタンダードになる。感情的でものを考えない単細胞ばかりになって、社会は劣悪な状況になる。あるいは非常に村社会化していく。

テクノロジーが進んだが、思考が単純化・人形化しており、人間は退化している。

スマホとSNSをやめるこったね。

でもそれだけでも足りない。やめたら、スマホやSNSで失った、もしくは(SNS・スマホ人種が)端から作り出してこれなかった、理屈や論理や理性、余裕や堪え性、セルフコントロール、連続性や長期性などといった脳の中のニューロンを作り出さないとならない。

そんなこと出来る能力はSNS・スマホ人種には無い。

もう年齢が大人になっちまってから人間として初歩的なことを体得してくのは相当難しいぞ。

あとね、これからおそらく皆が強制的にスマホ(あるいはその次世代機的な機器)を持たせられる時代になってくと考えられる(あるいは直接ネットにジャックイン?)。そうなるとスマホを捨てればいいとはいかなくなる。世の中の嫌煙化と同じで、ある種のファシズムだよ最早。ファシズムの話してるとさらに字数が増えるんで割愛するが、

スマホを持たないという選択肢が許されない世の中になったら、ここまでいろいろ話してきた問題点、これ全部自分で対処しないとならない。出来る人間にとってはちょっと面倒くせェなぐらいなんだけど(何が要って何が要らないかわかってるからさ)、出来ない人間つまり人形みたいな奴にとってはスマホを捨てられない以上、どんどんネットやデジタルに吞み込まれてくよ。自分が何者かもわからなくなるし(←まぁ今でも、ンな上等なモンはねェか)、自分と他者の境界もわからなくなっていく。

アイデンティティを有してないってことがどれだけ恐ろしいことかっていうさ。

『マトリックス』みたいなもんで、わかってる人間にとっては大問題だが、気づいてない人間にとっては気づかないまま。生命活動だけは続いてるがアイデンティティや個性や自意識といったものが無い奴なんて、昆虫や機械と何が違うんだって。でもSNS・スマホ人種は人間としてそれは恐ろしいことだってことすらわかりゃしないわけだけど。無知の知という概念もわからないんだろう。

 

まだスマホをやってなくて内心時代に取り残されるとか焦ってる人がもしいたら、スマホなんか持たんでいーから(笑)

せいぜいパソコンでネットするぐらいでいい。SNSはやるな(短文文化に慣れたら終わりよ。あと即時性なもの・他者と異様に緊密な関係性を強いられるものは関わらないほうがよい)。ネット通販は役に立つ。スマホ決済には慣れるな(停電って現象を知らないのかな? 特に日本は災害大国だぜ? 我々が生身で物理現実を生きてる以上、最後にモノをいうのは現金か現物だよ)。