岐阜市は県南部に広がる濃尾平野の北端に位置し、

大部分は長良川支流の扇状地や自然の堤防地帯で占められ、

北東から南西に横切る長良川は、高知県の四万十川や静岡県の柿田川と共に

日本三大清流の一つと呼ばれ、中流域は「名水百選」に選ばれている。

また、戦国時代に金華山の麓で美濃斉藤氏は楽市楽座制を敷き、

織田信長もその制度をさらに発展させた城下町。

江戸時代には幕府と直轄地を経て尾張藩の領地となり、

岐阜四十四町からなる商工業の中心地として繁栄している。

因みに名称の由来については、

信長が美濃国を攻略した際に稲葉山城下の井ノ口を

「岐阜」と改めたのが定説となっている。

元来長良川は市の中心部より川の水面が高い典型的な天井川で、

豪雨の際には洪水の危険を伴うとか(人口は約40万人)。

 

地元ウォーキングに参加し早朝7時に23人が集合、

JR「青春18きっぷ」を利用し原則5人編成で凡そ3時間かけて

戦国武将ゆかりの地「岐阜市」を目指した。

通勤時間帯なので大阪駅での乗換空席の隙間を想定し、

一駅手前の尼崎で新快速に乗車して席を確保する。

草津や米原、大垣を経由し凡そ三時間をかけて漸く岐阜駅に着く。

 

 

観光協会で一日乗車券1500円を人数分購入して各個人に渡し

(岐阜市内バスや金華山ロープウェイの乗車券、岐阜城入場券)

駅前広場でひときわ高い「黄金の信長公」の銅像を横目に

市内ループバスに乗り込み、バス停「長良橋(鵜飼の像)」で下車。

 

 

長良川で毎年5/11~10/15まで行われる鵜飼の船着場。

 

 

1300年以上前から鵜飼い人が美濃国に居たと推測され、起源は鵜飼い漁。

今は古典漁法を伝える文化及び宗教的行事としての色彩が強く、

宮内庁の「御料鵜飼」行事では獲れた鮎は皇居に納めるとか。

 

 

「五木」は作詞家山口洋子が作家五木寛之から頂戴したもので

「いいつき、ひろおう」との意味合いが含まれている。

歌詞を見ていたメンバーから「唄ってみて」と要請され軽く口ずさむと、

「あら、歌が上手いのね」と褒められ気分は悪くない。

 

 

元々提灯を製造していた倉を落ち着いた雰囲気の食事処に改造したとか。

長良川の名水で喉を潤しながら昼食を済ませたあと屋外に出る。

全て家の玄関に提灯をぶら下げている古い町並みを練り歩き、

容赦なしに照り付ける日差しを浴びながら岐阜公園へ向かう。

 

 

かつて稲葉山と呼ばれた金華山(329㍍)に聳える岐阜城。

 

凡そ半世紀前、学生時代の下宿友達の招きで岐阜市を訪れたことがある。

当時は若く、ロープウェイの山上駅から天守閣への道程は

容易く比較的簡単に辿り着いた記憶がある。

今回も昔の思い出に浸りつつ安易に捉えたものの、

九十九折りの山道に繰り返し登坂の石段が現れ

終盤にはあの「万里の長城」の石段よりも高く感じられ、

休憩で息を整えつつ這々の体で天守閣の最上階まで登り詰めた。

 

 

噴き出る汗をタオルで拭いながら眼下の長良川を眺め一息吐く。

 

 

肌に心地良い涼風に吹かれながら爽やかな気持ちで、

深緑の山々に囲まれた市街地を一望して下山。

 

 

五百羅漢に囲まれた仏像、

金鳳山正法寺(黄檗宗)は京都府宇治市にある万福寺の末寺。

別名「籠(かご)大仏」と呼ばれる日本三大仏の一つで

乾漆仏として日本一の大きさ(高さ13.63㍍、耳2.12㍍)で、

実に38年の歳月を費やし江戸時代末期に完成。

(因みに三大仏のうち、奈良東大寺と鎌倉高徳院の大仏は確定しているが

NO3を巡り名乗り出る寺院があり此処もその一つとか)

 

岐阜城の登坂では自らの経年劣化を痛感させられたものの、

当然ながら慈愛の溢れた籠仏像の表情は従前と変わり様がなく、

かつての感動と感銘を改めて受け、何故かホッと胸を撫で下ろす。

 

幹事が正法寺を出てからも次の目的地へ歩き続けようとしたが、

「金華山の山城に登れただけで十分ですよ」

「暑すぎてこれ以上歩かれへん、もう引上げましょう」

「エー、こんなに暑いのにまだ歩くんですか?」

一行のメンバーからの悲鳴に近い訴えを聞き、急遽予定を変更して

近くのバス停から岐阜駅前に戻ることに。

信長公の銅像の前で記念写真を撮り無事ウォーキング終了。

構内のトイレでリュックから新しいシャツを取り出し

着替えるだけでも気分が違う。

それでも帰りの車内では談笑する力も失せてグループから離れ、

一人席に座り資料の表紙に記載された降車駅だけ確かめ眠りに落ちた。

(遠目用眼鏡の取り外しが面倒臭く、資料は自宅で読むのを常としているので)

大阪駅で資料の末尾に添付された降車駅の変更に気付かず、

一旦下車してバタバタしたが何とか同じ電車に引き返すことができた。

同じグループでは乗降駅が同じという厄介な縛りがあるものの、

結果的には一行と同じプロセスを経て無事帰着した。

 

「青春18キップ、岐阜市内散策の旅」

拘束時間は概ね12時間、車内移動に要した時間がその半分に当る6時間。

旅をしたい意欲と体力さえあればそれも有りなのかな。

 

(写真撮影日は7月26日水曜日、猛暑日でした)